第3話

 ある路地裏で、黒猫は産まれた。

 名前はまだ無い。

 黒猫は足に白い靴下をはいたような柄を持っていた。

 そんな仔猫を、ある紳士が抱き上げる。

「私の家に来ないかね?」

 猫はその暖かい手に抱かれて、知らない部屋に連れてこられた。

 この部屋には、机と椅子、そしてカメラだけがあった。

「スペンサー・ヒンメル。」

 紳士は仔猫に言う。

 仔猫は首を傾げた。

「それはなぁに?」

 紳士は仔猫を撫でて言った。

「君の名前だよ。」

 暖かな手は、スペンサーを撫でる。

 そして、紳士は言う。

「どんな作られた猫よりも、スペンサー、お前は綺麗で素敵な猫だ。」

 スペンサーは嬉しかった。

 それは当たり前になった。

 毎日、紳士が言うのを聞いた。

 毎日、紳士が撫でてくれるのを喜んだ。

 紳士が出掛けたら、スペンサーは毛繕いをして紳士を玄関で待った。

 綺麗で、素敵な猫でいなくてはいけないから。

 そして、帰ってきたら「おかえり。」と言う。

 スペンサーは幸せだった。



 幸せよりも、それを探して歩いた道の方が随分と長かった。

 それなのに、スペンサーの心に染み付いて離れなかったのは短い短い幸せな日々の方だった。

 スペンサー・ヒンメルは、その日々を思い出しながら、その暗闇で寝転んで、息を失う。


 確かに、作られた猫は綺麗で可愛くて、美しくて、素敵で、おしゃれかもしれない。

 でもそれは、存在しない猫である。

 此処で息を失った猫、スペンサー・ヒンメルはそんな作られた猫を嫌った。

 妄想や想像は楽しいだろう。

 好きなんだろう。

 それでも、そんな作られた猫にはない魅力が生きている。

 そして、目を向けて貰えないまま死んでゆく猫もいる。

 殺される猫もいるし、虐められる猫もいる。

 生きているこの猫たちに、目を戻して欲しい。

 そして、幸せにしてあげて欲しい。

 現実にいない作られた猫は、人間にとって都合が良くてきっと魅力的なんだろうけれど、それはどうなのだろうか。

 スペンサー・ヒンメル。

 この猫は実在した猫の話を元に産み出された存在。

 これもまた、作られた猫だろう。

 殺処分になっていたかもしれない。

 二次元ばかりでなく、すぐ傍で生きる命は人間にとって、邪魔であろうか?


 スペンサー・ヒンメルは言った。

「私はどんな作られた猫よりも、素敵な猫なのよ。」


 猫だけであろうか?

 現実の猫も、人間も、どちらも作られたモノよりも、素敵である。

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黒猫は 影宮 @yagami_kagemiya

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