12/31/2021 part2

 大晦日の駅前は人でごった返している。


 買い物帰りの人か、年越しイベントへ向かう人か、電車に乗って大きな寺社仏閣へ前もって行こうという人々を縫うようにドラはすいすいと歩いて行く。ある種の確信があるような迷いのない足取りで、日向子はその後を追うだけだ。


 この辺りの駅前には大型スーパーがまとまっているので賑やかではある。その裏手を通り抜け、シャッター率の高いアーケードを通過し、夜は飲み屋になる喫茶店の前を通り、ビルとビルの隙間を通る。よく知ったつもりの駅前の全く通ったことのない細い道を、日向子にはデタラメとは思えない順路でドラはすいすいと歩く。


 この歩行に何の意味が? と、ドラの後に従うことに疑問を覚えた頃、駅前に通じる大通りに二人は出ていた。目の前にはバス停がある。そこのベンチの背もたれに鴉が一羽とまっているのに気づいた日向子は悲鳴をあげかけた。鴉も結構苦手なのだ。


 しかし、二人が近づくなり、アオ、と鳴いて舞い上がった鴉の足が三本あることをしっかり確認した。三本足の鴉、世間では吉兆らしいが日向子にとってはみかどの式神だという印象が強い。ベンチに近寄ってみると、そこには四角いものを包んだ風呂敷包みがある。


 去年、みかどが火崎家へ持参したものと全く同じだった。しかしみかどの姿は全く見えない。


「おーい、みかどー? どこー? いたら返事しなー」


 とにもかくにも、お重を抱えて日向子はあたりに呼びかけた。

 全体、このバス停の雰囲気がおかしいのだ。側には駅もあり、いつもの大型スーパーも見えている。だのに、駅についた頃のような活気のあるざわめきや人垣が消えて不気味に静まり返っている。空の様子も油絵をぬたくったように、灰色のような青空がどんよりと渦を巻いている。


 なんだこれ、ここどこ?


 そういう目を、さっきまで日向子の先を歩いていたドラに向けていた。ドラは鴉を腕に止まらせる。


「呪い屋は多分ここよりもっと奥だ。あいつの力じゃ、ここまでこいつに荷を運ばせるのが精一杯だったみてえだな」

「奥って──そもそもここなんなの? 普通の空間じゃないよね?」

「どっかの馬鹿が拵えた結界の中だ。多分迎えがすぐ来やがるぜ」


 ほらよ、とドラは顎をしゃくった。

 妙にアスファルトの黒々とした通りの向こうからバスがやってくる。普段この辺りを巡回する路線バスに見えたが、どうもおかしい。案内表示板の行き先が文字化けしたのか全く読めない。バスは二人の目の前で停まり、ドアが開いた。

 ドラが先にステップに足をかけ、日向子も風呂敷包みを抱えて後に続こうとする。しかしドラはそれを制した。


「そいつはそこに置いてきな、道標だ。それに荷物になるからよう」


 泥棒に盗られたらどうするのかと不安になったけれど、この無人の世界でそれはないだろう。日向子ドラを信じてバスに乗り込む。バスはそのまま進み出した。

 バスの中にいるのは日向子とドラの二人、見たところ何もおかしい所の見えない運転手、そして観光バスならガイドさんが立つ位置にいるスーツの会社員風男性だった。特徴は見えず人混みでいくつもすれ違う顔つきに見える。

 ただの会社員では無いんだろうなという態度は、帽子を取って眦を釣り上げるドラの態度から判断した。異世界の関係者だ。

 しかし声まで如才無い営業マン風だった。


「年の瀬のお忙しい時期にご足労頂きました。カサンドラさんに、それから──火崎さんのお嬢さん。まあおかけください」

「──みかどはどこですか? すぐ解放してください。どこのどなたか存じませんけど、なんでみかどなんてめんどくさいやつ攫ってるんですか? あんなの手元に置いていてもいいこと一つも無いですよ」


 会社員風の男が口にする慇懃無礼さがなんとなしに気に障った為か、気づけば日向子はくってかかっていた。日向子を一目見て「火崎さんのお嬢さん」と見抜かれたこともやはり気にかかる。目の前の男は両親とどういう関係なんだ?

 そんな疑問につかれた日向子の前にドラが立つ。

 低く掠れた声に、火崎家では見せない機嫌の悪さが滲み出ていた。


「──シバマサコウギョウってとこの雇われもんって事で間違いねえか?」

「クライアントについてお話することは出来かねますので」


 恫喝じみたドラの声に臆せず男は薄笑いで答える。

 シバマサコウギョウというドラの発言をその背後で日向子は聞きとがめた。芝正といえば有名な財閥だ。異世界系のビジネスに力を入れていることでも知られ、塞の山トンネルの開通にも大きく関わっている。トンネル事故のことを調べるうちに日向子もその程度の知識は蓄えているようになったのだ。

 では、「コウギョウ」の部分には何の字をあてるのか。工業か、鉱業か……?

 日向子の思考を打ち切ったのはドラの不機嫌極まりない声だ。


「そうかい。そっちが話すつもりがねえってんからこっちもそういうつもりでやらせてもらうぜ? お前らが囲んだ呪い屋の娘っ子、ありゃあこの嬢さんのお友達だ。嬢さんは知っての通り、トンネルの件に関しては一切関わりっつうもんがねえ。あの娘っ子にしてもおんなじだ。こっちの世界じゃ珍しい呪い屋ってだけだ。──てめえの儲けのためだけに無関係の連中を巻き込んでニヤニヤ笑うような連中のことおれは根っから好かねえしよ、前に言ったが協力はしねえ」


 たとえその通りであったとしてもトンネル事故の件には一切関わりはないってキッパリ言い切られるとなんだかグッサリ来るし、そもそもみかどは友達などではない──と反論したくはあったが無論するわけがない。ドラの背中から怒りのようなものがゆらめいているのが見えたからだ。


「そうは申されましても、カサンドラ様。クライアントはあなたとのお話を望んでおられます。トンネル事故が起きる前にあった亡国の王宮と関係の深かったあなたこそ唯一あの一件の真相を知るお方であると──」

「例えそうだとして、なんでおれがお前らの雇い主とつまらねえお喋りで時間潰さなきゃならねえ。こっちにメリットっつうもんがねえだろうが」

「──今後のビジネスの為にもクライアントは強力な魔法の使い手をご所望です。世界を滅ぼすほどの悪霊を唯一封じ込めたことがおありだとか」

「はーん、よくまああの状況でそれだけのことをお調べなさったもんだ。感心するぜ。だったらよう、おれがその後強制収容所に放り込まれてツルハシ一本でトンネル掘る羽目になったことも当然ご存知だよなあ? ──正直お前らの雇い主からはおれに臭い飯食わせやがったヤツらと同じ臭いしかしねえ。けたくそ悪い」


 ドラは足元に唾を吐いた。背後で日向子は慄く。口はざっかけだがドラは普段、こういう粗暴な振る舞いはみせないのだ。

 それになにより、会話の内容が気になる。ドラが世界を世界を滅ぼすような悪霊を唯一封じ込めた存在である等とは。それが本当ならドラは日向子の想像よりはるかにすごい魔法の使い手なのではないか?


 日向子の戸惑いをよそに、男は笑顔で話を続ける。


「いえいえ、カサンドラ様。それから火崎さんのお嬢様も──あなた方はクライアントとのお話の場に出ていただきますよ。それが私どもの使命です」

「ちょ……っ、話し合いっていつ、どこで、何時からっ?」


 挙手して質問する日向子に面食らうことなく男は続ける。


「そう、ですね。おそらく新年会の場ということになるでしょうか?」

「じゃあダメです! みかども家の事情で元旦から三が日にかけては死ぬほど忙しいみたいだから帰んないとっ! ──つうかなんでそんな見ず知らずの人の新年会なんかに出なきゃいけないんですか! しかも魔法だかなんだか使ってこんな回りくどいやり方までして、関係ないみかど巻き込んで!」

「ほら嬢さんもそう仰ってら。つうわけでよう、大人しく呪い屋の娘っ子がいるとこまで連れて行きな。そっからはこっちがどうにかすらあ」


 会社員風の男は変わらず笑顔だが、目は笑っていなかった。


「よろしければあのお嬢さんもご招待いたしましょう。──見たところ、実に興味深い魂をお持ちなようで」


 笑っていない上に白目があるところまで黒一色になっている。地味だが非常に単純な異形化だ。バスの内装のあちこちも波打ち、脈打ち、まるで内蔵の内側のように不気味に変化を始める。日向子は面食らい、とっさに雄馬に剣を埋められた右手に左手を添える。


「お聞き頂けませんでしたか? あなた方二人をクライアントのところへ連れて行くのが私の使命です」


 会社員風の男の姿がめきめきと変化して人間形態を維持できず、うねうねと蠢く肉塊のような姿へと変化する。内蔵を裏返すようなその有様に日向子は全身を震わせたが、猛禽に化けるわけではないので耐えられないでもなかった。

 さっきまで人型をしていたもの這い寄りながら二人に迫る。なかなかゾッとする光景だったが、ドラは冷静だった。顔のそばまでぬめつく触手を伸ばされても顔色ひとつ変えなかった。

怪物に変化した会社員風の男からはもう口が失われている。念のようなものを使ってこちらを脅迫する。


『必ず来て頂きますよ、カサンドラ様』

「そっちこそ聞いてなかったか? お前らはおれたちを呪い屋のいるところまで連れて行くんだ。決定事項だぜ、そいつぁよ」


 キイイっ! と、タイヤがアスファルトとこすれあう悲鳴のような音が聞こえ、もはやバスとも言いづらくなった怪物の体が大きく旋回した。椅子だった箇所にしがみつくのが精一杯な日向子と違ってドラは通路を蹴っている。ドラが両手を伸ばして何かをつかむような動作を見せると、その中に光線で出来たような杖が現れた。そのまま臆せずドラはそれを真横に振るう。ぐしゃっ、と、何かを潰すような音がして触手の怪物は肉片に変わった。

 そのまま流れるようにドラは杖状にした光線をハンドルがあったあたりの場所に突き立てる。運転席にはすでに運転手だったものの姿はなく、ドラは立ってそこに足をかけ、杖を突き立てたまま何事かを短く唱えた。その間、バスだった怪物は右へ左へ激しく蛇行する。パースの狂ったアーケード街に狭い路地をタイヤの擦過音を響かせながら驀進する。


「ちょちょ、ちょっと待ってドラさ──っ!」

「喋んな舌噛むぞ!」


 椅子につかまるのが精一杯な日向子にそう叫び返すドラは早口で唱える文言に従って、杖の上には不思議な文字らしきものが浮かび上がる。それが突き立てられた場所を介して怪物に伝わる。それに対抗するのか二人を乗せたバス状の怪物はその場で二度三度バウンドした。


「っの野郎いい加減にしやがれ!」


 げしっ、とドラはハンドルのあったあたりをブーツで踏みつけた。それが効いたのかどうかバスだった怪物は大人しくなる。それを確認してドラは満足したように言いきかせた。


「よーしよしよし、そうやって呪文の言いなりになっときゃあ痛くも苦しくもねえ、いい子だいい子だ……。そのまま呪い屋のいるところに連れてくんだ。いいな?」

「──ええと……、ドラさん?」


 荒々しい運転に振り回されないでいるので精一杯だった日向子は、家畜か何かのようにバスの怪物を撫で摩るドラを後ろから声をかける。


「今の何? 魔法?」

「──ああ、ま、お師さんが生きてたらブチ切れる類のやつだけどよう。魔法は魔法だ」

「へぇー、魔法……今の……」


 周囲に魔法を使う人が大勢いる以上、日向子は魔法に対して過剰なロマンを抱かぬままに思春期を迎えた少女ではあったが、そうであってもドラのそれは魔法というよりほとんど物理と同義ではないのかという疑問を封じることは難しかった。と、同時にこういう雑さがウチの家風にマッチしていた点でもあるんだろうなとしみじみ納得せずにもいられなかった。


 そうこうしているうちに、バスの怪物は大型スーパーの前にさしかかる。あろうことか、地下の食品街へ続く階段を駆け降りようとしている。フロントガラスからそれを察した日向子は悲鳴混じりの声を上げた。


「! ドラさんドラさんっこのバス地下に突っ込んでるっていうかそもそもこれバスなのなんなのっ?」

「こん中に呪い屋がいるってことだろ、落ち着きなっ!」


 立ったまま意のままに怪物を操るドラは冷静だった。そうこうしているうちにガラス戸を粉砕する形で怪物はスーパーの地下食品街に突入する。飛び散る食品に設備、御構い無しに進むバス──、日向子は思う存分悲鳴をあげた。



 救いだったのは、この大型スーパーも、さっきの触手に化けた怪物たち一派の仕掛けた結界の内側だったらしく人っこ一人いなかったことだ。それどころか食材もどこか現実感がなくどれもこれも粘土で出来た偽物のようだ。

 パースが歪み、色彩も滲み、油絵のレイヤーを重ねたような大型スーパーの地下を歩く。

 ドラと二手に別れ、日向子は地下の食品売り場を模した空間を通路に沿って歩き回る。


「みかどー、おーい、どこー? ここにいるんでしょー?」


 通路を歩きながら日向子は呼びかける。


「ドラさんがここにいるのは確かだって言ってるんだからさあ、出てこいってばー。迎えに来てやったんだぞ。お前なんかを、私が、直々にー」


 現実世界を模したスーパーでは音が響かない。まるで押入れの中で声を張り上げているようだ。見た目は広々とした空間なのにそのこもったような音響とのギャップに日向子は戸惑う。

 魔法で出来た空間に五感を狂わされ、日向子は心細さを感じた。だから必要以上に大声を出した。


「手間かけさせんじゃないってばー。大体なんだよ、異世界の魔法業者の罠にのんきにはまってんなよなあ! あんたがそんなだと、あんたのおばあちゃん安心できないじゃん」


 返事はない。みかどが聞いていたらキレずにいられないようなことを口にしてみる。


「そんなだとうちのママにまたなんか言われるぞー! みかどちゃん、数年前よりは力をつけたみたいだけどやっぱりまだまだねー……とかなんとか。言われたいままでいいのかー?」


 ひょっとしたらここにいるのかと思い、袋菓子売り場を覗いてみたけれど無人だ。アルフォートとらしきお菓子の袋の文字も歪んでいる。


 なんだよ、ここにきて……。


 悪夢めいた空間をさまよいながら、日向子は途方にくれた。

 自分はひょっとしてここから出られないのではないか、そんな気の迷いにすら翻弄される。

 ものはためしにスマホを取り出し呼び出そうとしてみたが、当然つながらない。はー、と日向子はため息をつく。


 と、思ったら直後にスマホが震えた。日向子は確認もせずホームボタンを押して耳に押し当てる。


「みかど⁉︎ みかどだろ、聞こえてるんなら返事しろっ!」


 スマホの向こうから聞こえてくるのは啜り泣きだ。

 それに混ざって、痛い、暗い、怖い、助けて、というような怯えたような声が聞こえる。か細い少女の声。みかどのものという確証はない。ただ日向子はみかどだと確信した。みかどでないにしてもみかどだと思い込むようにした。


「待ってろ、どこにいるっ? 今助けにいくから……!」

『来なくていいよ。私のことなんか好きじゃないくせに』


 電話の向こうの声はいやにしっかりと言い返す。普段のみかどに比して舌ったらずで幼い声ではあった。でも言動はいかにもみかどが言いそうなことだった。

 みかどは自分みたいな根性の悪いやつなど好きになるやつはいない、自分がまず自分みたいな性格の悪いやつが大嫌いだから自分のことを好きだと言う奴は信じない等面倒くさいことをしょっちゅう口にする(だから紫竹あおいに冷たく当たるわけだ)。

 声の様子が普段のみかどらしくなくても、日向子みかどだと決めることにした。菓子売り場を離れて歩き出す。


「とにかく今どんなとこにいるんだ? 目につくものを言ってみて!」

『目につくものなんてない。ただ真っ暗で狭い』


 真っ暗、狭い。

 日向子は機械的に繰り返す。擬似の売り場はぼんやりと明るい。あたりを見回すとバックヤードに連なる銀色の扉が目に入る。ああいう所には冷蔵庫だとか、暗くて狭い空間があるはずだ。

 普段は立ち寄ることもないスタッフ専用の扉を思い切って開けてみた日向子は目を疑う。


 真っ暗な空間に、膝を抱えている少女が浮かんでいる。

 黒くてヒラヒラした、ゴシック調のドレスを着た女の子。膝に顔を埋めているせいで顔は見えない。けれど長い黒髪はみかどの特徴と一致している。


 この子がとりあえずみかどだと確信して、日向子は真っ暗な空間に足をふみだした。


「やっと見つけた。器用なことしてないでさっさと帰──っ!」


 ガイン、と壁にぶつかったような衝撃に顔面を襲う。

 痛みに顔をしかめながら少女に手を伸ばせば、指先が透明の壁のようなものに触れる。膝を抱えて浮かぶ少女は見えない壁の中にいる。それどころか、鼻を抑えて痛みに呻く日向子をみてクスクスと鼻で嗤う。


『今の、痛かったんじゃない?』

「痛かったよ! ──くっそ、迎えに来てやったのになんだよ。笑わなくたっていいじゃん」

『迎えに来た? 何からどこから、私なんかを? なんで?』

「なんでって──当たり前じゃん、そんなの」

『何が当たり前なの? みんな私のことなんか嫌いって言うのに? 不吉で邪悪で禍々しい相を持つ子供だって親だって私のことを捨てたのに?』

「──みかど? どうしたの、あんたいつもにまして面倒くさいよ?」


 右手で拳を握り、日向子は見えない壁をどんどんと叩く。


『ああ、あんたも私の力が欲しいんだ? そうでしょ?』

「はあ? 要らないよそんなのっ。わけわかんないこと言ってないで帰るって言ってんでしょ! いつまで体育座りでいじけてんだよ、置いてくぞっ!」


 見えない壁を震わせて日向子は右拳をぶつける。ガラスを叩くような手応えはあるのに、力を込めてもこの壁は壊れない。生来短気な日向子はだんだんじれてきた。いじけっぱなしのみかどらしき少女にも、この壊れない壁にも。


「もうっ、いい加減にしないと本当に置いてくからね! こんな真っ暗な謎空間に置き去りにしてやるんだから! いいのかお前はそれでも⁉︎」


 腹が立ったので足で壁を一けりしてみたが、少女は顔を膝に埋めたままグズッと鼻を鳴らした。泣いているらしい。


『なんで置いてく癖に、私を迎えにきたの? どうして助ける気もなかったのに助けるなんて言ったの? それなら最初から来ないでよ……!』

「ああーっもう、あんた本当にいい加減にしなよね!」


 じれてキレて日向子は叫んだ。

 この果てしなく面倒な女は自分のことを何様だと思ってるのだ。人のことを困らせて、恨み言ばかり口にして、助かろうともしないくせに助けてもらおうとばかりして!


「本当に置いてくつもりなんてあるわけないじゃん! 私はお前を助けに来たんだぞ! この私が、勇者と姫巫女の娘の火崎日向子が! お前みたいなねじくれて手のかかる陰険な性格の女なんかを、助けに、ここまで、来てやったんだってば!」


 渾身の力を込めて右拳を見えない壁にぶつけた。その甲斐あってか、見えない壁にバリンとヒビが入ったような感覚がある。右拳の表面に幾何学文様が浮かび上がったが、日向子は気づかない。このままこの忌々しい壁を叩き割ってやろうの心持ちで何度も拳をうちつける。


「私はなあっ、会いたかったんだぞお前に! 冬休みの間にっ! 年が明ける前にっ! 異世界に遊学がんばれよとか、あんまりあおいさん困らすんじゃないぞとか、そういうことを言いたくてだなあっ……」


 壁の向こうで少女がうるさそうな顔をもちあげる。瞳がのぞく。みかどの瞳は黒いのに少女の瞳は濃く深い緑がかった色だ。あれ? とは思ったが日向子は構わなかった。どうせここは魔法で作られた空間だ。みかどだってなにかしらメタモルフォーゼしているのだ、きっと。


 だってみかどでなければこんな憎たらしい台詞を吐くものか。


『私はあんたなんか会いたくなかった。ていうか誰、あんた?』


「──!?」


 誰、と来たものだ。日向子が小五、みかどが中二の時に知り合って、殆ど毎日ほとんどこっちに向かってプリンセスの悪口を唱え続けて、こっちが私立に進学すると聞いたら同じ学校の高等部を受験するくらい厚かましいほどこっちにつきまとっていた癖に、誰! 誰って!


 頭に来た日向子の体が燃え上がる。頭に血がのぼる。目の前のめんどくさい女を一発殴って目を覚ましてやる──!


 それに呼応するように右拳が震える。唸る。拳の中に何かがある。ぎゅっと掴むとあの剣が実体化する。片手では支えきれない重さだったから日向子は左手をそえる。剣の心得なんてないから見よう見まねだったけど、日向子は腰を落として剣を構えた。


「私はなあ火崎日向子だ! お前みたいなめんどくさい女と友達がやってられる世界で唯一の人間だっ! 世界中の誰もがお前なんか嫌いだって言っても、お前が死にたいって言っても、絶対助けに行くし見捨てないし死なせない、そういう人間だあっ!」


 わかったか門土みかど──!


 めちゃくちゃに叫んで、振り上げた剣を振り下ろす。

 散々拳で殴りつけていたからか、見えない壁はあっけなく粉々に砕けた。

 ようやく膝から顔を上げた少女が目を見開いて日向子を、正確には日向子の持つ剣を食い入るように見つめていた。それを見て日向子の方が目を丸くした。


 その少女は、みかどとは全く違う別人だったからら──。


 見えないガラス状の壁がパリパリと割れて砕けるのに伴って、その少女の姿もかき消えた。


 え、うそ、この期にこの場で人違い──⁉︎


 焦りと周知に混乱する日向子の周囲でパッと明かりがつく。蛍光灯を思わせる即物的な輝きだ。驚くほど日向子の背後からかかったのは、比較的のんびりとしたざっかけな口調だった。


「──野暮で悪いがよう、嬢さん」


 振り向くと、穴熊のような巨獣にまたがったドラがいた。あんぐりと口を開けている日向子に向けてドラは淡々と言い放つ。


「おれは結構、呪い屋の娘っ子とは仲良くすんのも悪かねえと思ってるぜ。妙ちきりんで面白えから」


 わなわなと日向子の全身が羞恥から震えた。右手からガランと剣が落ちる。


「──ッ、聞いてたっ? ドラさん、さっきの聞いてたっ?」

「まあな。呪い屋の封印場所はここだってあたりはつけてたからお前さんの到着をまたしてもらった。魔法の質からしておれが外に出すより旦那さんが持たせた剣の方が効きそうだったからよう」


 平然としたドラに向き合う日向子の背後から、ムカつくくらい大らかで朗らかな爆笑が聞こえた。ケラケラカラカラ、楽しくて仕方なさそうなその笑い声は、日向子が何度か耳にしたものだ。


 振り向くと、やはり、さっきまで体育座りで浮かんでいた少女がいた場所に、門土みかどがいたのだ。黒髪ぱっつんのロングに、クラシックロリータ風の黒いコートを合わせたみかどは、目を丸くした日向子を見るやたまりかねたように、ぶーっと噴き出す。


「私は火崎日向子だーって、なんだよ。何改めて自己紹介してんだよ、知ってるよ! お前の名前くらいっ。まあ、力もない癖に助けにくるくらい私に会いたかったのは知らなかったけどな!」


 あひゃひゃひゃひゃ……! と変な笑い声を立ててみかどは笑った。蘇る強烈な羞恥心に顔を真っ赤にする日向子を指差して笑った。


「けどさー、来るのはユーマとドラちゃんにしてって頼んだじゃん? なんであんた来ちゃうかなあ? あーもう、ユーマに助けてもらえるチャンスがダメんなったじゃん。もー! これだから雑な神経してるやつはこれだから──」


 日向子は無言でさっき落としたばかりの剣を拾い上げた。元勇者だった父曰く、エクスカリバー的なそういう由来をもつという剣を拾ってみかどへ向けてぶんっとふるった。陰気そうな黒髪ぱっつんという外見に反して意外に体力のあるみかどは、剣を振り回して走る日向子の追撃を走って躱した。



「お前なんか助けにくるんじゃなかった! 異世界の魔法業社の罠にはまって妙な結界に閉じ込められるようなやつ、そのまま封印させてた方が絶対世のため人のためになってた! あークソ! 失敗したっ!」

「はあ〜? 罠にはまってなんかないし。あんたん家にまでたどり着けそうにないからユーマかドラちゃんにおせち取りに来てって頼んだだけだし」


 ああいえばこういう……っ!

 日向子はむしゃくしゃした気持ちを噛み殺しながら風呂敷包みのお重を抱えて歩く。


 あの直後に結界内のスーパーを出てしばらく歩いた先に、みかどの式神が番をしていたベンチにあっけなくたどり着いた。お重をだきあげてしばらく歩くと、人々の行き交う忙しない師走の街に出た。時計を見ると、ドラとともに駅前へやってきた時から十数分も経過していなかった。

 時間も距離もあってないようなものだという、魔法で閉ざされた異空間というのは便利なものだ。まるで夢の如し。


 いっそほんとうに夢の中の出来事になりはしないかと日向子は神に祈りたくなったが、あれが現実であったといわんばかりにお重を包んだ風呂敷包みは重い。

 そしてドラが30cmほどに縮んだ穴熊状の生き物を抱えている。これがあのバスのような怪物になるとはなかなか信じられない。新たに自分が主人だと教え込ませる魔法をかけた手前、面倒を見る義務が生じたのだと言う。


 外の世界は真っ当に大晦日だった。長閑に粛々と年はくれようとしている。

 こんなにどんよりした気持ちでいるのは日向子だけだろう。ああこんな最悪な気分で年始を迎えることになるとは──。

やつあたりせずにはいられない日向子は当たり前の顔で日向子達と同じ方向を歩くみかどを睨む。


「ていうかみかど、帰れよお前っ! うちにはお前の嫌いなママがいるんだぞ。去年の大晦日とは違うんだっ」

「るっさいなあ、帰るよっ! ユーマによいお年を、来年も是非ご贔屓にって挨拶してから即効帰るよ!」


 ぎゃあすか罵り合う二人の少し後ろを、異世界の獣を抱いたドラがついて歩く。珍妙な二人だという表情を浮かべていたのだが、日向子の位置からはそれは見えない。そうして三人は火崎家へ帰宅した。


 こうして、火崎日向子十五歳の大晦日は二度と思い出したくない強烈な恥をかいたという記憶に染め上げられながらも淡々と過ぎていった。

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火崎日向子の最悪な年越し。 ピクルズジンジャー @amenotou

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