生きるコツ


 この保育園の園児たちは全部俺の大事な子供たち。全員のその日にあった事、癖や気質、家庭状況だって熟知している。


 それはひとえに、大好きで可愛いこの子たちが真っ直ぐ育つため、少しでも親に近い存在になりたいから。

 大事なこの幼児期を任されたえんが愛おしいから。


「お母さん、あつき君はとても賢い子だ。きっとあなたの辛さも感じてる。だから”大好き”という、この世で一番幸せな気持ちを伝え続けるんだと思います」


 トン、とあつき君を母親の前に下ろすと、彼女はおもむろに息子に視線を合わせてゆるゆると手を伸ばした。


「かえろ……あつき」

「うん」


 二人が靴を履き、庭に出ていく。


「お母さん、何かあったら何でも、本当に何でも相談に乗ります。いつでも声をかけてください。お願いします」


 母親の返事はない。

 すると、それまで黙って俺を見守っていた理賀子が二人の背中に声をかけた。


「さようなら、あつき君。また明日ね」

「ばいばーい、りかこせんせい。えんちょうせんせいも、さようなら」


 グッと熱い何かが目頭に込み上げる。だがそれを開放するわけにはいかない。


「……男の園長に言いにくかったら私でもいいからね、あつき君のお母さん」


 背後から掛かった少し枯れた声は、ヨネ子先生のもの。


「私も女手一つで子供を育てる大変さはよく知ってる。たまには吐き出すのも上手に生きるコツですよ」


 母親は足を止め、はすにお辞儀をして園を出ていった。


「まあ……今のは園長としては70点くらいかしらねぇ」


 ヨネ子先生の言葉と一日の終わりを告げるオレンジ色の園庭が、今日はやけに胸に刺さる。


「親の愛情をろくに知らずに大人になった親だっているんだ。知らない物を無理やり押し付けるとプツンと切れちゃう事もあるからね、気を付けなさい。桃」

「…………はい」


 そう、俺は親の愛情を一身に受けて育った自覚がある。


 【さくらもも保育園】、これは俺の名前そのもの。

 俺が生まれた年に両親はこの私立保育園を設立し、桜の苗字に男なのに桃と付けた息子の名前をそのままこの園名とした。


 親バカとは思っても、反発する事はあっても、その愛情だけは一度たりとも疑った事の無い幸せ者。

 だから俺にはわからない事や理解出来ない事が多くて歯がゆい。


 まだまだ、まだまだまだまだまだ……勉強不足だ。




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