大好き
俺が小さく安堵の息をもらした時、今度はスミレ組のテラスから甲高い奇声が響き渡った。
「むむっ! この声はあつき君だな!? お母さんが迎えに来たのか!」
「そのようですね、ほら」
理賀子の視線を追って園庭を眺めると、確かに眉間にシワを寄せたあつき君ママがこちらに向かって歩いて来る。
その間も、阿鼻叫喚の地獄絵図を思わせる奇声がテラスのあつき君から発せられる。
だがこれは、彼の歓喜の叫びなのだ。
「マーマ、ママ! ママきた、りかこせんせいママきたよーー!」
あつき君が傍に居た理賀子の手を掴み、カンガルーのように飛び跳ねる。
「うん、来たね。じゃああつき君、お帰りのお仕度しようか」
そう促しても彼は落ち着かなく足を踏み鳴らし、またもや悲鳴のような声を上げる。
「──うるっさいんだよ、あつき!! バカかお前は!」
いつも通り、あつき君ママの第一声は手厳しい。それでも彼は汚れ物を黙々と脱衣袋に詰め込む母親の脚にしがみつく。
「マーマ、ママ、あっくんママ好き! ママ大好き!! 好き好きぃーー!」
「私はお前が大っ嫌いだよ! 死ね!!」
(…………!!)
あつき君の目が一瞬だけ泳ぎ、笑顔にわずかな諦めが混じる。それでも強張った笑いはその幼い顔に張り付いたまま。
理賀子が愕然と、だが真っ直ぐにあつき君の母親を見つめた。
「お、お母さんダメです! それは……その言葉は……!」
声を詰まらせる理賀子を押しのけ、俺は出来損ないの人形のような笑顔のあつき君を抱き上げた。
「園、長……?」
「俺は、あつき君が大好きです」
それは嘘でもなんでもない。
虚ろな目をした母親はただぼんやりと、俺でもあつき君でもなく虚空を見つめている。
「大好きです。俺は」
毎日、おやつに出る菓子を必ずママの分と言って一つだけ残して持って帰るあつき君が。
「俺だけじゃない、先生たちもみんな大好きです」
午睡の時、おねしょをしてしまうと泣きながらゴメンナサイを繰り返す……怯えた目をしたあつき君が。
「スミレ組の子供たちも、大好きなんです」
工作の紙パックを忘れた子がいれば、わざと自分は小さな作品を作って『残ったから』と言って分けてあげる優しいあつき君が。
「でもあつき君が大好きなのは、お母さん。あなたなんですよ……」
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