第3話:寮の管理人さん


 雪は全く止む気配もなく。


「なんだ、この階段は……」


 今、男の目の前にはぐるぐると螺旋状に空へと向かって伸びる階段があった。

 観光案内には、おおよそ二千段の急な階段が螺旋状に連なっているらしい。

 標高どれくらいなのかと心の中でツッコミを入れておく。


「あって…るよな? ここで!」


 そう声を荒げながら、自分が降りたバス停の時刻表を見て、場所を再確認。

 螺旋状の階段を見上げる。

 頂上は雪を散らす薄暗い雲に隠れてみえない。きらきらと光を反射する雪が眩しい。


 え……光る雲を突き抜けた先?

 ふらいあうぇい?


「毎度降りる度に疲れて、休養にならねぇよ……っ!」


 ため息混じりに叫ぶと、螺旋状の階段の隣にある、これまた螺旋状に土壁を抉ったようなトンネルに木霊のように声が反響する。

 その大きな穴の先は、白い大地の中に、たった一つ舗装された黒い道が左にカーブしているだけ。


螺旋状の階段の近くには、人類最高の発明である、人を運べるような機械的なものはもちろん、ない。


「うるさいよ。おじさん♪」

「お、おじ……」


 後ろから聞こえた、どこか楽しそうな声に思わず反応する。


「誰がおじさんだ! 俺はまだ30だ!」

「へえ……びっくり。意外とおじさん♪」


 ぱちぱちと笑いながら拍手をする少女。

 髪は茶色のかかったセミロング。肌は軽い日焼けをしているような色。とげのある言葉使いを、幼さが残る笑顔で愛敬として済ませてしまえるような少女だった。


「あ、茜ちゃん……」


 その少女の背後に隠れるようにして男を見る少女がもう一人。

 隠れている少女のほうは、誰に対しても遠慮気味で自分の言いたいことを言えないような弱気な少女と印象を受けた。それに拍車をかけるような眼鏡や三つ編みは、真面目そうな雰囲気も醸し出している。


 どうやら学校帰りらしく、二人とも制服の上にコートを羽織っていた。


「ん、どうしたの?」

「あの、早く行かないと……」

「そうだね。お腹空いたし……じゃあ、お兄さん、登るなら、頑張ってね♪」


 茜と呼ばれた少女は、高くそびえ立つ階段を指さしながらトンネルへと歩いていく。


「あ、あの、ごめんなさい!」


 もう一人の少女は男と茜を交互に見た後、最後にそう言いながらぺこっとお辞儀をして茜の後を追ってトンネルの先へと消えていった。


「……やっぱり、登るのか……やればいいんだろ。やればっ!」


 二人をぼーっと見送ったあと、男は天に伸びる螺旋状の階段を見つめ、ため息混じりに螺旋状の階段を登り始めた。



・・・

・・・・

・・・・・



 螺旋状の階段をものすごいスピードで登っていく人影がある。


 影は二つ。同じ姿をした影が二つ。

 しかし、本体は一つ。

 その二つの影が消える頃には遥か先にまた影が現れ、そこで人の目には見えないほどの一瞬だけ立ち止まり、また二つの影を残して消える。


「っと、あとどれくらいだ?」


 影が消え、本体が現れる。

 現れたのは螺旋状の階段を登り続け、ちょうど10分が経過した頃。


 半分辺りに設けられた少し大きめの休憩場の案内板の前に本体は現れた。


 男。


 遠くから見れば女性に見えるであろう中性的な顔にしかめ面をして案内板を見つめる。

 目付きの悪さが不機嫌さを物語っていた。かなりのスピードで風を切ってきたせいか、乱れた髪が更に拍車をかけている。


「ま、あと少しで到着ってとこか」


 そう言うと、また二つ影を残して消える。


「……ん?」


 今度はすぐに本体をさらす。

 階段途中に気になるものを見つけて立ち止まったのだ。


「……ふぇ~、もう登れないよぅ……」


 階段に抱きつくように倒れている少女を発見した。

 まだ幼げで、先ほど出会った二人の少女と同じ制服を着ていることで、あの二人と近い年齢だということが分かった。普段着だと、誰もが小学生だと思ってしまいそうなくらいの幼さだ。


 この雪の降りしきる中で、明らかに、冗談でもなく、死ねる寒さの中で雪の上にへこたれる度胸があるのは凄いことだと思わず関心する。


「……大丈夫か?」

「ひゃえっ!」


 後ろから声をかけると、少女は妙な叫び声をあげながらすぐに起き上がり、恐る恐る背後を振り向く。


「……だぁれ?」

「誰って言われてもなぁ……。ま、怪しい奴ではないと思う」


 そう言いながら、男はポケットから煙草を取り出し、吸い始める。


「そう言う人が一番怪しいんだよぉ!」

「……あ、さいですか。……もう登れそうもないんだろ?」

「そ、そうだけど……頑張るよ!」


 頑張るという意味なのか「ぐっ」と胸の前で両拳に力をこめる少女の、頭の左右の髪を結ぶ大きなリボンが揺れた。

 大きめのミトンのような手袋をしているため、力をこめるその仕草も幼さと相まって可愛く見える。


「……登れると思うか?」

「登るよっ」


 ……沈黙が辺りを支配した。


「……ま、俺が通ってよかったな。俺も上に用があるから、おんぶしてやるよ」

「ふえ? お、おんぶ?」

「あ? おんぶを知らないのか?」

「知ってるよぅ!……でも、恥ずかしいよっ」

「は、恥ずかしいぃ? その見た目で?」


 男は一度動きを止め、少女を見つめると、その少女の言葉に笑い出す。

 恥ずかしい意味がわかっていたが、反応が面白い。思わずからかってしまった。おんぶという提案も、もちろんからかうためだ。

 好きな女の子を苛める小さな男の子の気持ちを仄かに思い出す。だが、ふと思えば、これはいわゆるセクハラというものになるのではないかと、30歳となってまで何をやっているのかと考え直し、自分の馬鹿さ加減にため息が漏れてしまった。


「あうぅ~! 人が気にしてるのにぃ~……いい! 一人で登りきる!」


 少女は怒りのためか力強く立ち上がり、階段を登り始めた。勢いよく登り始める少女の姿がゆっくりと視界から雪と共に消えていく。


 少女の姿が見えなくなり、煙草を携帯灰皿に捨てると、雪が降り積もるだけのつまらない時間が辺りを支配する。


 かなり登ってきたおかげで見晴らしがいい。

 飛び降りたらさぞかし爽快なダイブができそうだ。

 間違いなく死ぬが。


 景色を満喫しようと町の方角を見ると、空は雲の厚さだけではなく、薄暗くなり始めていた。


「……ったく」


 男は呆れを表すため息をつき、階段を登り始める。


 一回りぐらいすると、少女が車にひかれた蛙のように、雪が降り積もる階段に、這いつくばっていた。


「……さむっ」


 そんなことを平然とできるこの少女が、とてつもなく寒さに強いことがわかった。見るだけで体が寒さで震える。


「ふぐぅ~。……もう歩けないよぅ……」


 そんなことを言ってへばる少女を、ひょいっと首元のマフラーを掴んで片手で持ち上げ、男は背中に背負う。


「子供は人の好意を素直に受け取れ」

「子供じゃないよっ」

「子供みたいな軽さだぞ」

「……ふにゅ……」


 少女を見ると、少女は眠たそうに目を擦っていた。


「う……ん。……あったかぁい……眠くなってきたよぅ……」


 声が少しずつ小さくなっていき、すぐに少女は軽く寝息を立て始めた。


「……ま、寝てもらったほうが早く着くからいいけど、な」


 そう言った直後、男と少女の姿が、その場から二つと一つ影を残して消えた。



・・

・・・

・・・・



 次に男が少女を背負って姿を現したのは、螺旋状の階段の頂上。大きな横広い二階建ての寮として使われている洋館の前だった。


「……何で、こんなところに寮なんて立てるのやら……いや、その前に」


 今目の前にある寮を見つめながら、男は片手で背負っている少女を支えながら携帯をポケットから取り出し、登録している番号を呼び出す。


 山奥で更に標高も高いため、圏外ではないだろうかと心配していたが、普通に呼び出し音がなる。電波が届いていることが何より助かった。


『どうかしました? カヤ君』


 男の声が携帯の向こう側から聞こえてくる。感度も良好。電波障害もないようだ。


「さて、今着いたわけだが、どうして『ここ』なのか、聞かせてもらうぞ、親父」

『結構早く着きましたねぇ。早い早い。お父さんは嬉しいよカヤ君』

「いやもうそんなのいいからとっとと答えてくれ。来る途中に余計な物を拾って手が塞がってるんだ。ここに来て何する。俺がこんなところに泊まったらまずいだろ? それとも、俺にここで一仕事させる気か?」


 軽い。

 さっきはそう思っていたが、いざ片手で持つと意外と重い。女性に対してそんなこと言うのは失礼だとは思うが、片手で一人の人間の体重を支えるのはかなり無理があった。


『ええ、泊まります。泊まっていいんですよ。でも、女の子に囲まれてハーレム的なそんなことは――って痛い痛いっ!』


 向こう側からとても痛そうな声が聞こえた。どうやら『母』に耳を引っ張られているらしいことが何となく経験上わかった。


『――っこほんっ。とにかくです。あなたは今日からしばらくそこの女子寮の管理人です』

「……は?」


 自分の耳を一瞬疑った。


 今、このカツオ君はなんて言った? 管理人?


『いやそのですね。正直なところ、本当に心から休ませてあげようかなぁとか思っていたのですよ。でもです。その……そこの管理人が不祥事を起こしちゃいましてね。どうしようかと頼まれてしまいまして、つい』

「つ……ついってなんだっ!」

『でも眺めは最高でしょう? 結構高いところにありますから。それにカヤ君的にも女の子いっぱいいて嬉しいでしょう? いたたっ!』

「雪が降っていて雪以外みえねぇよっ!」

『雪が止めばいい景色ですよ。では、頑張ってくださいね。苦情は瑠璃さんにお願いしますね。とにかく痛いから切りますね』

「おい、瑠璃さんってちょっとま――」


 ツーツーと携帯は空しく音を立てる。

 その直後に携帯はぴきっと音を出し見事に弾け飛んだ。


 圏外だろうが何だろうが、どっちでもよくなった。


「阿呆かあの親父はっ! 休養でもなんでもねぇじゃねぇかっ!」


 携帯の残骸を投げ飛ばしたくなったが遠くに投げるには後ろの荷物が邪魔すぎた。


「あ~……まあ、とにかく、いいやもう……寒いし、とっとと入ろう……」


 大きなため息をつきながらとぼとぼと歩き、入口らしい寮の豪華そうな扉を開け、中へと入る。

 


「それにしてもあのおじさん、ホントに登ってるみたいね♪」


 背後で扉の閉まる音の直後。

『大広間』と矢印型の白いプレートに黒文字で指し示された方向から声が聞こえてきた。


「おじさん、ねえ……」


 大広間へ向かうと、立派なソファーに寛ぎながら数人の少女と話し込んでいる様子の茜と呼ばれていた少女を発見する。


「お兄さん、だろ?」

「ひゃっ!」


 背後から声をかけると、茜は面白いほどの驚きの声を出す。


「ここまで接近しても誰も気づかなかったことのほうが俺には驚きだ」


 そう思いながら、とりあえず、驚いた表情のままの、茜と呼ばれていた少女の頭を軽くはたく。


「いったぁ~……っておじ……お兄さん、なんでこんなに着くのが早いの?」

「お前こそ、なぜこんなに早い。……その前に、お前がここの住人だったとは、な」

「住人って……住んでることは確かだね♪」

「……早い理由は?」

「専用エレベーターがあるから♪」


 周りの少女はここに男がいることに警戒してか、またはもともと人見知りが激しいのか、一歩距離をおいて会話を聞いている。


「ほう?……それを教えず、俺にあんな階段を上らせたのか。いい度胸だな」


 言いながらぽきぽきと指をならすと、


「ふぎゃ」


 そんな猫が尻尾を踏まれたときのような声が背後から聞こえて、少女を背負っていたことを思い出した。


「あ」

「いたいよぉ~……あ、じゃないよぉ~」

「じゃあ……悪い。忘れてた」

「それもおかしいよっ!」


 後頭部をさすりがら少女が辺りをきょろきょろと見渡す。


「……あれぇ? 寮に到着してる……お兄ちゃんが運んでくれたんだね! ありがと!」


 少し話がずれていたような気がしたが、どうやら痛みを忘れているようなので、話を続けようと、カヤは茜に目を向ける。


「……んで、どうお仕置きしてほしい?」

「お、おじさんが……」


 ぴくっと、眉が動いた。


「お兄さんがここに用があるって言ってくれたら専用エレベーターを教えたよ♪」

「教える気、全くなかっただろ?」

「うん♪」


 カコーンっと、見事なまでに、いい音が響いた。


「あの……失礼ですけど、ここに……何か用ですか?」


 二人の会話に、一人の少女が話を中断する。


「今日からここの管理人になる」

「……」


 全員が固まった。


「か、管理人!?」


 あっさりと言う男とは裏腹に、そこにいた少女達が一斉に驚きの声を上げた。

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