第24話 来年への期待



 レーベがベーベル湿原から戻ってから数日。今日は今年最後の日だ。と言っても日々の日常と大した違いはない。朝起きて午前中までエイリークと剣の訓練をしていた。

 エイリークとの訓練は実に有意義な時間だ。彼の剣技は基本を納めつつ長年の経験に裏打ちされた重みがある。何より魔人を含めた様々な生物との戦いを経験した技は、対人戦闘の訓練しか受けていないレーベにとって千金の価値を持つ。

 訓練の合間の休憩中にも知識の伝授は欠かさない。


「坊主よ、魔人はのう強いが弱点もあるんじゃよ。――――そう、首から上を潰されれば奴等も死ぬ。まあ軍勢の主、魔神『ナイ』だけはその例外じゃったが。そこは置いておくとして、他にも奴等は自分達が強いと知っておる。だから儂等ヒトや亜人を下に見る。そこが狙い目じゃの」


「侮っている間に倒してしまうと?」


「そんな所じゃ。どんな強者でも相手を舐めて掛かると負ける事がある。これから先、坊主も余裕を持つのは良いが、弱い相手でも瀕死の相手でも見下すのは絶対にするな。儂の仲間の中にはそれで連中の眷族に殺された奴もおる」


 当たり前の事だろうが、その当たり前が常に出来ないのも人だ。エイリークも口煩い爺と思われても後進への忠告は怠らない。楽なのは教えを乞うレーベが素直な少年という事だ。多少冒険心や英雄嗜好が強いが、年齢を考えればよくあるレベルだと思っている。

 剣の才はそれなり以上。天才には遠いが十分秀才と呼べる。今後真面目に修練と経験を積めば、十年後には達人として名を馳せるだろう。暫くあの世に行くのが惜しいと感じるぐらいにはレーベを気に入っていた。


 休息を終えてレーベとエイリークは剣を握る。今は訓練なので専ら木剣と木盾を使っていた。

 午前中の訓練は数十を超えるレーベの敗北で爛々と飾られた。


 訓練でボコボコにされたレーベは昼食をモリモリ食べて疲労を癒やす。今日の主菜はワニ肉とカブの香草煮込み。身が締まって癖の強いワニ肉をトロトロになるまでカブと共に煮込んで臭みを全て取り除いた手間のかかった料理だ。成長期の少年にとって食べる事も強い肉体を作るための訓練だった。


 大量の食事を摂って軽く昼寝してから、レーベはメルのアトリエに居た。午後からは調合の勉強兼手伝いだ。

 アトリエの調合机には白い花が積まれている。この花はフィーンの花と呼ばれ、秋に咲く花だ。一般に薬効などは確認されていないので見向きもされないが、ここにあるという事はメルには利用価値があるのだろう。

 それと樽が一つ。この中には秋にストル湖で採集した湖の水を蒸留した純度の高い蒸留水が入っていた。


「今日はこのフィーンの花から成分を摘出するわ」


「何の薬ですか?」


「薬と言うより化粧品ね。美容液とも言うの。それを肌に塗ると水分を吸って張りが戻るのよ。まあ、私は坊やには関係の無い物ね」


 師の言うとおり化粧をしない自身には関係の無い物だ。女性である師もこの三ヵ月ずっと一緒に居るが、一度も化粧をしたのを見た事が無い。元が良いので自分の母と違っていらないのだろうと思っている。

 だが、必要の無い物なら何故わざわざ作るのだろうか。商品として誰かに売るつもりなのか。


「これは贈呈用。年始にパーティーがあるから、この地を治める領主や息子の奥方への土産にするの」


「へー。先生はここの領主を良く知ってるんですか?」


「ここに屋敷を構える時に色々とね。さあ、無駄話はここまでにして調合を始めるわよ」


 メルはフィーンの花を一つ手に取って花びらを毟る。必要なのは花びらだけなので、それ以外は不要だった。レーベもそれに続いて花びらを毟り続ける。

 用意した花の花びらを全て毟り取ったら一枚一枚丁寧に洗う。それから花びらを魔力を込めてナイフで切り刻んでおく。

 刻んだ花びらを釜に入れて、蒸留水と共に火にかけた。そこでもかき回しながら魔力を込めるのを忘れない。

 二時間以上煮込み、花のエキスが出たのを確認したら、上澄み液を汲み取って蒸留器に入れて蒸留する。

 一滴一滴雫となる美容液を眺め続けるのは根気がいるが、これもまた調合の作業と言われればレーベに怠ける気は無い。

 粗方、上澄み液の蒸留が終わり、冷やした美容液を小瓶へと移し替えると大体十本程度出来上がった。レーベはその内の残った僅かな液体を指で触って感触を確かめていた。


「ふーん、これを顔とかに付けるんですか。よく分かんないです」


「それはそうよ。坊やぐらいの歳の子はそんな物使わなくたって肌に水気があって張りがあるもの。女はね、20を過ぎたら誰でも肌に潤いが無くなって皺が出来てくるの。そういうのを見られたくないから、こういう化粧品を求めるのよ」


「でも先生は付けてませんよね?皺とかだって無くて綺麗な肌してます」


 まじまじと観察していたレーベは彼女に頭を叩かれた。


「まったく、坊やが女を口説くなんて五年は早いわよ。それに口説く相手が違う。師匠を口説いてどうするの?」


 レーベからすれば口説いたつもりはなかったのだが、言われた側からするとそうではないらしい。呆れと共に、ほんの少し頬が赤くなっていたが、振り向いて美容液の小瓶を箱に詰める作業をしていたので、レーベが気付く事は無かった。



 多少のアクシデントはあった物の、何事も無く今年最後の調合は終わった。

 夕刻にはアトリエ内の大掃除も終わり、二人は風呂に入って一年の垢を落とし切った。勿論風呂は別々に入った。

 空腹を抑えながら食堂に行くと、そこは饗宴の場が整い、着ぐるみのエイリークが待ちくたびれたと言って出迎えた。

 テーブルの中央には鶏の丸焼きが、その周りをワニ肉のフルコースが取り囲んでいる。スープ、グリル、蒸し物、揚げ物、炒め、燻製、サラダ。二人では食べきれない量の料理が乗っており、さらにレーベの目を輝かせるのは何種類もの果実を使った生クリームたっぷりのケーキ。思わずケーキを切り分けようと手を伸ばそうとした彼の手をムーンチャイルドが止めた。


「おいたは駄目ですよレーベ様。そのような事はメイドの私が致します。それにケーキは一番最後にと決まっています」


「ちょっとぐらいダメ?」


「ダメ」


 お堅い人形メイドに咎められたので渋々諦めて自分の席に着いた。

 食事はいつも通りの面子だったが不思議と今日は食が進む。と言っても体が竜牙兵のエイリークは注がれたワインを前に喋っているだけだ。本来は食卓に座る事さえ不要だが、彼は生前の習慣をそれなりに大事にしており、毎回こうして卓にいた。


「やはり祝いの席はいいのう。家族が居た頃を思い出すわい」


「悪いわね、私達だけで食事を楽しんで」


「良い良い。死人を気にする事など無いわい。しかし何百年経とうと新年を祝う習慣は廃れておらんのう。うむ、ここは儂の魔人との戦いの歴史を語るとしよう」


 そう言ってわざとらしく咳払いをしたエイリークは自らの戦いに身を投じた半生を語る。その英雄譚にレーベは心躍らせ、メルは魔人の生態や当時の歴史に興味深く聴き入った。

 気分が良くなれば酒も進む。普段は呑まない二人だが、祝いの日なら特別といってレーベはシードルを、メルはワインを飲んでいた。すると大して飲んでいないのに酔いが回ったレーベは陽気に笑い、いつの間にか眠ってしまった。

 楽しみにしていたケーキすら食べずに夢の中に居る弟子をメルは苦笑しながらも骸骨兵に部屋まで運ばせた。



 目が覚めたレーベが辺りを見渡すと、いつの間にか自分の部屋に居た事を疑問に思う。最後の記憶は確か食堂でご馳走を食べていたが、それから先の記憶が無い。


「――――――ケーキ食べてない」


 どうやら自分は普段飲まない酒に酔って寝てしまったらしい。あれだけ楽しみにしていたケーキを食べそこなったのは痛恨の極みだ。

 気分が沈むレーベはふて寝を決め込もうとしたが尿意には勝てず、身の震える寒さの中、トイレに駆けこんだ。

 用を足して部屋に戻ろうとした時、ふと思い立って二階のテラスに足が向いた。外は屋敷の中より寒いが、清浄な空気がどこか心地良い。そして椅子に座り、ただ無心になって満天の星を眺め続けた。


「風邪ひくわよ」


 後ろを振り向くと、寝間着姿のメルが立っていた。彼女はレーベに自分の着ていた外套を被せて空いていた椅子に腰かける。外套を返そうとしたが、その前に彼女は腕に着けたブレスレッドを見せて首を横に振る。素直に外套を羽織った。


「こんな寒空で星を眺めてるなんて、坊やって星が好きだったの?」


「いえ、そういう訳じゃないです。ただ、何となくここに来た日の事とか、来年はどうなるのかを考えてました」


「先の事なんて分からないけど、どうなりたいかを考えるのは悪い事じゃないわ。何かしら目標があると人間はそれなりに頑張れるものよ」


 なら師にはどんな目標があるのか。レーベはまだ一度も師の目指す物や魔導師になったきっかけを聞いた事が無かった。会ったばかりの時は聞けなかっただろうが、今なら少しぐらい答えてくれると思ったレーベは、思い切って尋ねてみた。

 彼女は少し考えてから、大した事が無いと前置きをしてから話してくれた。


「私は元々身寄りの無い女だった。それを師匠が拾って生きる術を教えてくれたの。そして一人前になった時に言ったのよ『世界の真理を、答えを見つけなさい』それが私の生きる目的で、研究者をやってる理由。どう、満足した?」


「真理ですか?うーん、よく分からないです」


「当然じゃない。私だって分からないから今でも足掻いているのよ」


 分からないと言う割に師は嬉しそうだ。彼女は己の意思で分からない物をひたすらに追い求め続けて、答えを得る事に生涯を費やす求道者なのだとレーベは思った。

 そして彼女は弟子にもう寝ろと言って席を立ち、屋敷の中へと入る。しかし立ち去る前にレーベに向かって優しく声をかけた。


「来年も頼むわよ」


「はい」


 短い応酬で満足したメルは口元を緩めて去り、レーベもまた風邪をひく前に自分の部屋に戻った。

 日の出と共に新しい年が来るのは必然だが、師弟にどのような年が訪れるのかは誰にもわからなかった。


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僕の先生は年齢不詳の悪い魔女 卯月 @fivestarest

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