第23話 デッドリーアリゲーター



 そして一行がやって来たのは見渡す限りの湿原。そして冬なのに暖かい。おかげで蚊が飛んでいて痒いし煩い。汗が出てくるので毛皮の上着を脱ぐ。

 ここはベーベル湿原。冬でも凍らない温暖な湿地帯で、多様な生物の住む水の豊かな土地である。


「ここには毒虫も多いからこれを着けておきなさい。虫よけの臭い袋よ」


 レーベは師に渡された悪臭のする臭い袋を我慢して身に着けておく。臭いが蚊に刺され続けるよりはマシだ。こういう時は骨だけのエイリークが羨ましい。

 見渡す限りの草と水。確かにここなら水辺の生き物は豊富だ。レーベはきっと魚でも捕まえるのだろうと思った。釣り竿も網も無いが、魔法なら大抵何とかなるので、きっと師には策があるのだろう。


「それで先生、いい加減何の生き物を採るのか教えてください」


「ワニよ」


「――――ワニ?あのワニ?あれ食べれるの?」


 レーベは信じられない。ワニは凶暴でとてもではないが食欲をそそる外見をしていない。そもそも家に居た時も外でもそんな生き物を食べたなどと聞いた事もない。師が無知な自分をからかっているのかと思ったが、彼女が嘘をついた事が一度も無い事と、エイリークも否定していない。つまり自分の常識が間違っていたのかと疑いを持つようになった。


「そうよ。けどタダのワニじゃないわよ。このベーベル湿原のワニの中には魔法生物に変異した種も居るの。それを狩るわ」


「儂の時代では珍味扱いじゃったが、ワニは結構美味いぞ。あー、儂の身体があればまた酒の肴にして食えるんじゃがのう」


 戸惑うレーベを残してメルとエイリークはワニ談合に花を咲かせている。食べた事のあるエイリークの話では、肉は鳥に似て身が締まっていて淡白だが、やや脂が乗っていてそれなりに美味しいらしい。後は肉には臭みがあるので、香辛料を使ったり濃い味付けをすれば美味しく食べられるそうだ。


「肉以外にも皮も有用よ。変異種のデッドリーアリゲーターの皮は柔らかくて強靭、水の魔力を纏っている。その上、軽くて下手な鉄鎧より扱いやすいから、坊やの防具に使えるわよ」


「もしかして食材を採るのはオマケですか?」


「そうでもないわよ。デッドリーアリゲーターの体内にある核も素材として有用だから採るの。肉も美味しいんだから、言う事無しよ」


 レーベは少し疑わしいが、誰も損をしないし嫌な思いをしないだろうと思い、湿原の中で比較的高い岩場にテントを張る準備に取り掛かった。


 拠点を作った一行はさっそくデッドリーアリゲーターを捕まえるための準備をする。

 まずは湿原に棲む大ネズミを捕まえて餌にした。大ネズミは名前の通りネコほどもある大きさのネズミで、これを捕まえて首を斬って血を流す。ワニは血の臭いに敏感なので、これでおびき寄せる事が出来た。

 ネズミの死体を水辺に浮かべると、ほどなく周囲には何匹ものワニが水の中から寄って来る。どれも腹を空かせて気が立っていた。


「あの中に居ます?」


「居ないわね。デッドリーアリゲーターは普通のワニの倍は大きくて体色が黒いの」


「倍って、あのワニ達だってイグニスドレイクぐらいありますよ。あれの倍って…」


 薄緑の体色のワニはどれも3~4メードはあるが、あれの倍となるとレーベには想像がつかない。

 ワニ達は我先にと一頭のネズミに殺到し、その鋭い牙と強靭な顎で獲物を奪い合った。さらに食事の邪魔をする相手に齧り付いて妨害し、比較的小さな個体はそのまま身体を引き千切られてしまった。その隙に一頭のワニがネズミを丸呑みにしてしまったが、まだ彼等の食事は終わっていない。今度は飯にありつけなかったワニが小さく傷付いた同族に次々襲い掛かり、あっという間にバラバラに引き裂いて食べてしまったのだ。

 生まれて初めて共食いを見てしまったレーベはショックで言葉も出ない。冒険者稼業で命を賭ける少年にも同族でさえ弱ければ餌にされる様は自然の恐ろしさを肌で感じさせた。


「さて、ここからが本番よ。ライトニングアロー」


 メルの杖から雷光が放たれ水辺が揺れる。ワニ達も感電して次々ひっくり返って水の上に腹を晒した。


「憶えておきなさい、水は雷を通しやすいのよ。さて、餌は撒いたわ」


「ほう、デッドリーアリゲーターとやらはとんでもない大食漢で悪食じゃの。こりゃあ倒すのに苦労するわい」


 エイリークの軽口にメルはそうでもないと否定する。どういうことか問い返すも、その前にワニの浮かぶ場所へと近づく黒い巨体が居たため、そちらに注意が向いた。

 黒い巨体は自ら頭を出し、浮いた状態のワニを巨大な口に放り込み、グチャグチャと音を立てて噛み砕いて呑み込んでしまった。


「うわっ大きい!」


「あれが本命よ。基本的に何でも食べるけど、一番の好物は同じワニ。気質はとんでもなく獰猛で、ちょっとでも近づくか手を出したら相手を食い尽くすまでどこまでも追いかけてくるしつこさもあるの。だからこうするの」


 メルはあっという間に気絶したワニを片付けてしまったデッドリーアリゲーターに向かって小石を投げた。小石は巨体に当たらなかったが、食事の邪魔をした相手に気付き、じっとメルを見続けている。そしてドラゴンの咆哮と聞き違えるような雄たけびを上げて、物凄い速度で水中を移動し、こちらに近づいて来る。


「水辺で戦ったら死ぬわ!奥の陸地に逃げるわよ!」


 メルの命令にレーベとエイリークは遅れて逃げる。デッドリーアリゲーターは水から陸に揚がり、その巨体で地面を揺らしながら俊敏に追いかけた。レーベはどこか冷静に、ドラゴンに追いかけられるのはこういう事なのかとぼんやりと考えている。実際、聞き伝えられるドラゴンの大きさに遜色の無い巨体と獰猛さに恐怖で感情がマヒしていた。


「坊や、魔法を使うから私を担いで!」


「は、はい。失礼します」


 言われるままにレーベはメルを担ぎ、彼女は追いかけてくるデッドリーアリゲーターにライトニングアローをぶつけた。青白い矢に撃たれて悲鳴を上げて動きを止めるが、まだまだピンピンしている。ワニは怯みはしたが、怒りを露わにし、こちらを威嚇する。


「で、ここからどうすんじゃ?こやつ、生命力だけなら魔人を超えるぞい」


「一度動きを止めれば大した事無いわよ。コールドブレイズ」


 余裕綽々のメルは杖から強烈な冷風をデッドリーアリゲーターに与え続ける。これには普段温かい場所に居る爬虫類のワニには堪らない。徐々に体温を奪われて動きが弱まり、眼は半分閉じかけて今にも眠ってしまいそうだ。


「元がワニなんだから寒さに弱いのよ。坊や、こうやって寒くしておけば安全だから、もう少し近づいて口の中にクラッカーを二、三個投げ込んできて」


 レーベはまだ恐いが、ここで恐れていてはドラゴンなど夢のまた夢と思い直し、言われるままにデッドリーアリゲーターに近づいていく。こちらが近づいても対象はほぼ眠っている状態だ。無数の鋭い牙も今はただの置物でしかない。そろりそろりと刺激を与えないようにゆっくり近づき、息を吸うときに開く口のタイミングを計って中にクラッカーを三つ投げ込んだ。

 数秒後、連続する破裂音がワニの中から聞こえ、口から大量の血を流したデッドリーアリゲーターは力なく沈んだ。


「外を傷つけたくない時はこれが一番。どんな生き物でも内臓までは弱いままよ」


「おっかないお嬢ちゃんじゃの」


「煩いわよ。楽に勝てるならそれに越した事は無いじゃない。さあ、無駄口は閉じて皮を剥ぐわよ」


 メルの号令でレーベとエイリークは巨大なワニの解体作業に入った。

 デッドリーアリゲーターの外皮は柔軟性に富みながら強靭なので生半可な刃物では文字通り歯が立たないが、レーベ達にはイグニスドレイクの角で作った短剣がある。火属性を宿す短剣は容易く水の魔力を宿した外皮を切り裂いて、巨大な一枚の皮を剥ぎ取れた。

 レーベは巨大な肉の塊になったワニを感慨深げに眺める。元はあれほど恐怖を振りまく存在だったのに、現在はただの肉である。師が強いのか、こいつが思ったほど強くなかったのか、自身には分からなかった。


「あっさり勝てたのが不思議?」


「うーん、まあそうですね。威圧感とかは魔人並みにあったのに、凍えて動けなくなるなんてちょっと見掛け倒しかなって」


「弱点がある生き物はそういうものよ。上手く嵌まれば簡単に倒せる。でもそうでなかったら、こいつは水辺ならドラゴンともまともに戦える怪物だって事を忘れては駄目よ。勿論ドラゴンに同じ手は通じないから」


 ついでに言うと、この手法はイグニスドレイクにも通じないらしい。あちらは元々魔法生物寄りで魔法耐性が高く、体内の火の属性が冷気を防ぐそうだ。世の中早々上手く行かないらしい。それに魔法が無ければ使えない攻略法なのでレーベにはどうにもならない。火なら代用品が幾らでもあるが、冷気はそう簡単には手に入らない。ただ、普通ならそうだろうがここには規格外が居る。


「あるわよ、冷気を作る魔法具。来年になったら教えてあげるわ」


「はあー。先生って本当にすごいですね。でもそんなにすごいのに全然名前とか聞いた事無いんですけど」


「坊やと違って唄になんて興味が無いし、お金にだって執着が無い世捨て人の研究者なんて知られてなくて当然よ。薬の顧客だって貴族や金持ちの商人ばかりだから、痛い腹を探られたくなくて必要以上に吹聴なんてしないの。さ、無駄話は後にして、肉の解体をするわよ」


 巨大な肉の塊に取り付いた三名はかなりの労力と時間を費やして肉を解体し尽した。大量の肉はメルの魔法で氷漬けにして、取り出した核は大切に保管した。骨は頭部のような一部魔力の籠った部位を除いて処分した。後は湿原の獣達が処分してくれるだろう。その夜は獲ったばかりの肉を食べた。香草や薬味を大量に入れて泥臭さと獣臭さを消した肉は中々美味しく、熟成が進めばもっと美味しくなると分かるとレーベは今後が楽しみで仕方が無かった。


 翌日、大量の戦利品を持って帰った一行は屋敷に帰り、その日はずっと肉を塩漬けと燻製にする作業に追われるのだった。


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