am02:40~

   am02:40


 金坂大学第三研究所にて、連絡を受けた大学長、氷川結城は、すぐに警備員に盗聴器有無の調査を命じた。

 警備主任が死亡したため副主任が指揮を取っている。

 その様子を氷川結城が見ているが、仕事をしているかどうかを見張っているというわけではなく、自分も電波探知機を手にして調べている。

 他の警備員に比べて明らかに作業効率は緩慢だが、単に自分自身が気になる箇所を調べているだけなのかもしれない。

 どちらにせよ、どこにも不審な電波は検知されない。

「大学長、やはりどこにもありません。向こうの早とちりではないでしょうか?」

 警備室を調べ終えた警備員の一人は、探査の終了を求める。

 精密機器を扱うため、安全上の問題から研究所の壁には電波を遮断する素材が埋め込まれている。

 盗聴器を仕掛けても届くはずがないのだ。

 大学長の命令で念のために調査したが、やはり結果は予想通りだ。

 しかし大学長は答えず周囲を見渡し、通風孔に目をとめる。

「それを貸してくれ」

 工具を警備員から借りて留め金を外しにかかった。

「そこにはなにも検知されませんでしたよ」

 一応の結果を警備員は知らせ、言外に無駄だと伝えたが、しかし氷川結城は無言で作業を続け一分ほどで金網を外した。

 そして手を通風孔に入れて、なにかを取り出した。

 レーサーカーを模した市販のラジコンの玩具だ。

 なんらかの器具が付属され、細いコードが通風孔から延びている。

「こ、これは?」

 絶句する警備員に、大学長は命令を冷淡に告げた。

「屋上だ」

 警備員に命令すると氷川結城も同行して屋上へ向かう。

 普段は安全上の問題のため出入り禁止になっているが、エレベーターの屋上スイッチはカバーを外せば誰でも押すことができる。

 到着した屋上で、すぐに通風孔を探し、密集している竪穴のすぐ側に、スチールトランクが置かれていた。

 中には通信機器と思しき機材が入っており、簡易アンテナが立てられ、通風孔から延びているコードが繋がっている。

「やはり有線式か」

 これなら建造物内では電波探知機に反応しない。

 電波を遮断する壁も無意味だ。

 氷川結城は珍しく怒りという感情を表し、トランクを蹴り飛ばした。

 しかし次にはすぐに冷静に戻る。

「それを破壊して、通風孔を徹底的に調べ直せ」

 そして調査を始めた警備員を後に置いて、先にエレベーターに乗った。



   am02:42


 氷川結城はエレベーターのボタンを押してしばらくすると、少し体が浮いた感覚が体に訪れる。

 二秒後、突然雷鳴に似た爆発音が轟き、地震に似た振動が坑内に伝わった。

 エレベーターが急停止し、勢いで氷川結城は床に叩きつけられた。

 電気配線に断絶が生じたのか蛍光灯が消え、暗闇の中で痛みを堪えて立ち上がった時には、内臓電池による赤い非常灯が代わりに点灯する。

 警備室に連絡を入れようと、緊急連絡用の受話器を取るが、しかし誰かが対応にでるどころか、コール音さえならない。

 盗聴器と一緒に仕掛けられていた爆弾による爆発は、研究所内の主要箇所を機能停止に陥れ、特に最も多くの量を仕込んでおいたスチールトランクは屋上の警備員を全て吹き飛ばした。

 スプリンクラーは正常に作動したので、大規模火災には至らなかったものの、研究所内は突如として騒然となり、また研究所内情を知らない一般大学生が、消防者や救急車に通報してしまった。

 対応に追われた研究員らは、停止したエレベーターのことに気を回す余裕はなかった。気にしたとしても間に合わなかっただろう。

 閉じ込められた氷川結城は事態を知る術もなく、救助を待つ他なかったが、頭上の金属音でその時間がないことを理解する。

 金属音というより断絶音。

 爆発の影響で、エレベーターを支えるワイヤーが一本ちぎれた音。

 再び金属の断絶音。ワイヤーの屋上に程近い箇所に、爆発によるなんらかの影響で切れ込みが入ったために、一人しか乗っていないエレベーターの重量にも耐えきれなくなってしまっている。

 エレベーターを支えるワイヤーは全部で四本。残り二本。

 全てのワイヤーが切断されれば、エレベーターは落下する。

 氷川結城はその冷静さを失いつつあった。

 使用不能だとわかっている緊急用受話器を手にして、何度もフックを押すが、やはり反応はない。

 次は階を指定するボタンを何度も押すが、それも同じく反応しない。

 しばらくして、二つの方法を諦めると、助かる方法を求めて、エレベーター内部を見渡す。

 天井に通風口が見えた。人間が通れるほどの大きさで、ふたを外せば出入りが可能になる。

 そこからエレベーターの上に出て、出入り口に手が届けば、そこから脱出できるかもしれない。

 幸い、通風口の蓋を外す時に借りたドライバーをポケットに入れたままだ。

 氷川結城はとにかく試そうと思い、通風口へ手を伸ばすが、高い位置にあるため、届かない。

 氷川結城は縁に掴むことはできないかと、軽く跳躍した。だが、掴めるようなところはなく、さらには着地と同時に、ワイヤーの切れる音が響いた。

 残り一本。

「……あ……はぁ……う……」

 氷川結城の全身に冷たい汗が吹き出し、滝のように皮膚を流れる。

 呼吸は乱れ、その冷徹を失わないはずの目に、明らかな恐怖が浮かんでいた。

 動けなかった。

 迂闊に動けば、重心の変化でワイヤーが切れるかもしれない。

 ネクタイが苦しくなり始め、緩めようとしてが、しかし手の動きの変化でさえ、ワイヤーは耐えられないかもしれない。

「うあ……く……」

 打つ手がない。

 今や自分にできることは、ここで一歩たりとも、一センチ足りとも動かないことだけ。

 そして氷川結城は翌日の朝になるまでエレベーターに閉じ込められ続けた。

 いつ終りが訪れるのかわからない、籠の中の実験動物のように。



   am02:43


 護送者は存在が判明されたため不要となった盗聴器に仕掛けておいた、爆薬の起爆スイッチを押し、次に自分が晒されている爆破の危険に意識を集中した。

 アクセルペダルを踏みつけ、ダークグレーのセダンを加速させる。

「シートベルトは締めたか!」

「だ、大丈夫! 締めた!」

 春日歩は南条彩香にもしっかりベルトが付けてあるのを確認してから答えた。

 確認を取ると護送者はハンドルを急激に切ってT字路を曲がり、後部座席の二人に横殴りの重圧がかかる。

 体の弱い二人がどの程度乱暴な運転に耐えられるのかわからないが、現実問題として二人を気にしている余裕はない。

 相手は意識を集中しただけでダイナマイトと同等の爆発を起こすことができる。

 一撃でも受ければ終焉。

 とにかくランダムに道を曲がり、相手に攻撃の余裕を少しでも減らすしかない。

 車体後方の近距離で爆炎が巻き上がった。轟音が耳を劈き、車体が爆風で振動する。



   am02:44


「№42! なにをしている! 俺たちが合流するまで攻撃するんじゃない」

 ヘッドホンの向こう側で叫ぶ仲峰司に言い返す。

「無線機のことがばれちまったんだよ! 今猛スピードで走ってるんだ、こうでもして止めないと話にならないだろ!」

 言いつつもう一つ火種を飛ばした。

 しかしバイクを駆りながら発火能力を使用するのは難しく、予想以上に狙いが定まらない。

 それに火種を形成するには常に片手を必要とするため、ハンドル操作にも困難を伴う。

 放った火種は標的の後方で爆発し、車体は揺らいだがそのまま走行を続けている。やはり命中させるのは難しい。

 しかし少しずつだが慣れて来た。

 あともう少しで命中することができるだろう。

 奥田佳美の発火能力とは、厳密には火を熾す能力ではなく、念力によって原子運動を加速させる力であり、本質は鈴木鳶尾と同じ念動力だ。

 当然ながら、研究所で最大の念動力を有する鈴木鳶尾も同じことをしようとしたが、原子運動の加速という感覚を理解することができなかったため、すぐに諦めてしまったようだ。

 もっとも奥田佳美も、物質を直接動かすということがどうしてもできなかった。

 念動力の影響を与える対象は個人によって違い、後天的に覚えることは極めて難しい。

 しかし覚えなくとも、彼女の能力は衰退することはなく、逆に飛躍的に向上していった。

 だが任意の生物を加熱し、それも殺傷可能な高温まで達するには、対象に反撃可能な時間を与えてしまう。

 無生物ならばより早く高温に達するにもかかわらず、生物を対象にするとなぜか加熱が鈍い。

 対象の抵抗力の問題らしく、この現象は鈴木鳶尾の念動力でも同じことが起きた。

 その時間の余裕を克服するために、彼女自身の研鑽で火種を創造する方法を考案したのだ。

 火種の形成原理は、原子運動の加速という単純な力を応用することにある。

 微量の念力によって掌程度に圧縮した空気をプラズマ化寸前まで加熱し、圧縮空気に針ほどの穴を開ける。

 目標方向に投擲したそれの穴からは熱が噴出され、ジェット機と同じ原理で加熱圧縮空気を推進させる。

 そして固体物質の接触によって、圧縮空気の膜は破裂し、中に封じ込められていた超高熱は爆発的に周囲に拡散する。

 有効範囲内の物質で可燃性の物質ならば、それの温度は一瞬で発火領域に達する。

 命中率に難のある方法だが、彼女は訓練の末、野球のボールと同じ程度にはコントロールすることが可能になった。

「とにかくすぐに追いつく! それまで待ってろ!」

「努力するよ!」

 仲峰司の制動に嘲笑で答え、再び火種を飛ばした。

 青白の光線が一筋走り、路上接触点で爆熱が撒き散らされる。

 影響で一部の建造物で火災が発生しているようだったが、それで彼女は自粛することはなく、逆に笑みさえ浮かんでいる。

 彼女は炎が好きだった。

 その能力が発端であったのかどうかわからない。

 しかし物心ついた時から炎を見るのがなによりも好きだった。

 歓喜の輝きで空を埋め尽くす打ち上げ花火が好きだ。

 憤怒の如く全てを焼き尽くす火災を見てははしゃいだ。

 悲哀の涙のような蝋燭の灯火を眺めて恍惚とした。

 享楽を倍化させる夜の薪火を囲んだ時は性的な欲求すら感じた。

 そして幼少の頃に発火能力に目覚めた時から、炎は常に彼女と共にあった。

 自分を力ずくで言うことを利かせようとした、体ばかり大きくて脳味噌の足りない男など、少し火傷させただけですぐに泣き出す弱っちょろい奴らばかりだった。

 聖人を気取ってしたり顔で力を使うことを禁じるように説得する連中など、ほんの少し脅しただけで悪魔だの化け物だのと喚き、仏面を剥ぎ取ることができた。

 炎は自分の味方で、けして裏切らない友達だった。

 両親はこの力を悪霊の仕業だと嘆き恐れたが、彼女の心はすでに両親から自立していた。

 中学を卒業した時、両親のほうから研究所に引き渡した時も、裏切られただの、捨てられただのとは思わなかったし、悲嘆や哀愁など微塵も感じなかった。

 寧ろ研究所で積極的に力を誇示することで、待遇をより良くすることができた。

 自分の能力を活用して、地位、金、権力を手に入れる。

 これは一般社会でも変わらないはずで、超能力を専門的に扱う機関は寧ろ彼女の格好の居場所であった。

 勿論やり過ぎないように自己抑制も忘れなかった。

 鈴木鳶尾はその辺をわかっていなかったが、私は頭の悪い馬鹿とは違うのだ。

 天才と自惚れているわけではないが、それぐらいの分別はある。

 そして自分が実は、鈴木鳶尾以上に戦うことに喜びを感じる人間であることを自覚していた。

 だからこそ自制心を常に働かせ、自分を制御していた。

 自分の心に宿る炎の女神は、一度火が付くと全てを焼き尽くすまで止まらないから。

 №45・鈴木鳶尾が倒された時に感じた衝撃は、仲間の死の悲しみか、怒りか、それとも仲間を倒せる人間に対する恐怖だったのか、あの時はわからなかった。

 なぜあれほど動揺したのか自分自身で上手く認識することができなかった。

 しかし今はわかる。

 自分たちに対抗し得る存在と、全力で戦うことができるという、歓喜だったのだ。

 今や炎の女神は、器に並々と注いだガソリンに火が点いたように燃え始めた。

 彼女が一番好きな炎は、もっとも単純明快なる爆発だ。

 生命の全てを一秒にも満たない一瞬にして燃焼し切ってしまい、その余韻が吹き荒れ周囲構わず薙ぎ倒す、破壊の炎の芸術。

 №42・奥田佳美はいつしか高笑を上げていた。

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