am01:42~

   am01:42


 副所長杉原友恵は、所長門野誠一の死体を見て軽い精神的混乱に陥った。

 それは唾を吐きかけたくなるほど敬愛する上司の死を悼んだからではなく、いままで必死に御機嫌取りをしてきた相手が死んだことによって、今までの努力が結実することがない、つまり全てが徒労に終わったことに衝撃を受けたのだ。

 なんという人生の無駄。

 自分は然るべき地位に居る人間なのだ。

 そのための努力を惜しまず、不愉快な相手に追従し続けたというのに、それが一瞬にして水の泡になった。

 目の前が真っ暗になり、ヒステリーの発作が現れそうになったが、しかし寸前で押しとどめた。

 落ち着かなければいけない、冷静でなければいけない、と自分に言い聞かせる。

 逆境こそ好機は潜んでいる。

 それが効を奏したのか、不意に名案が閃いた。

 この戦闘実験を自分の手で継続させるというのはどうだろうか。

 実験体の奪回に成功すれば、大学長への交渉しだいでは、少なくとも実験体が一人死亡したことは大目に見てくれるだろう。

 上手くいけば無駄死にしてくれた男の地位を継げるかもしれない。

 独断で実験を継続し、その成功を元に昇進を願い出る。

 決断すると、彼女は仲峰司と荒城啓次を呼んだ。

 主要の研究員も集まってくる。

「さきほど大学長と連絡を取りました。実験は継続します。なお所長の代わりに私が指揮を執ることになりましたので、よろしく」

 勿論連絡など取っていない。

 それを覚られまいと余裕の笑みを浮かべようと努力するが、それは唇が引き攣っているようにしか見えず、しかし都市伝説に登場するような、杉原友恵の不気味な厚化粧の中に、不自然さは隠蔽されてしまい、結局誰も気がつかなかった。

「では、№13、実験体の居場所は特定できましたか」

「あー、それがですねえ、なんだか変なんですよ」

 荒城啓次は地図を広げてみせる。

「標的は車で移動しているみたいなんですが、どうもね、あっちこっちとグルグルジグザグに走り回っているみたいなんです。方向が一定しないから、正確な位置とか方向性はちょっと」

「なんとかしなさい」

 苛立ちを隠しえない甲高い声で一方的に命令を下す。

 しかし荒城啓次は、できないものはできないと困っていると、奥田佳美が不意に質問をしてきた。

「大まかな位置はわかるかい?」

「ええ、大体の位置なら。でも動いてますから、どうしたって後手に回りますよ」

 奥田佳美は傍らに停車させてあったバイクを軽く叩いた。鈴木鳶尾が所持していたものだ。

「こいつを使えば少しは足がよくなるだろ。こいつで追いかける」

 バイクとライトセダン、そして二台のバンによる捜索が始まった。



   am01:55


 護送者はネオンサインの乱舞する街の中を、本当なら交換するはずだったダークグレーのセダンを走らせる。

 用意しておいたグリーンのスポーツカーは戦闘で使い物にならなくなってしまった。

 強引に走行しようとすればできないこともなかっただろうが、故障寸前の車は逆に目立つ。

 また、寄り道せずに港へ直行すれば、交通状態がきわめて良好な現在の時刻ならば、一時間ほどで到着するが、相手は超能力によって自分たちの位置を捕捉できるらしい。

 もし港に到着しても出港するのは明朝六時だ。

 出港は約四時間後。明らかに、研究所の追跡に位置を判明させ追いつかれてしまう時間的余裕を与えてしまう。

 そのため出航時間に合わせて二時間程、自動車で県内を徘徊する。

 つまりこちらは、精度の悪い発信機を付けているのと同じ状態で、相手はそれを追跡してくるようなもの。

 それを逆手に取り、相手の動きを予想した移動を行えば、追跡と接触せずにすむ。

 そして盗聴によって相手の行動は筒抜けであるため、相手の動きを予測するのは容易だ。

 後部座席で春日歩は、護送する男から一通りの説明を受けながら、外の世界を初めて見るように、瞳を輝かせて街の光を見つめている。

「調子はどうだ?」

 何気ない質問に少年は一瞬戸惑ったが、すぐに答える。

「あ、うん。大丈夫」

 そして今度は春日歩が訊いた。

「それで、港に付いた後、僕たちはどうなるの?」

「秦港で海外行きの船に乗る。行き先は船の中で説明されるだろうが、到着先の養護施設で暮らすことになるだろう。あまり良い環境は期待できないが、研究所に居るよりかはましのはずだ」

 最後の意見には異議なく賛成だ。

 それにどこへ行こうと、側にこの少女が居るのであればなにも必要としない。

 少女は町の光に眼を向けることなく、ただ虚ろな眼をしている。それでも少年の手を握って離さなかった。

 微笑んでその手を両手で包んだ。

 その柔らかく温かい手をもう二度と離したくなかった。

「とにかく、しばらくドライブを楽しんでくれ」

 その言葉は護送者に似合わない冗談だったのだろうか。



   am02:00


「№42、現在156号線を北上している。標的はこの先でいいのかい?」

 深夜の街を自動二輪で疾駆する奥田佳美は、無線で荒城啓次に尋ねると、間延びした声が返ってくる。

「あー、今は32号線付近を走ってる。途中で曲がったんだと思うよ」

「くそ! またか!」

 奥田佳美のバイクと計測班のバンが一台、そして仲峰司が運転するライトセダンが、実験体を奪取した標的が使用していると目される、ダークグレーのセダンを探索している。

 工場に放置してあったエアロ仕様のスポーツカーに乗り換える予定だったらしいが、鈴木鳶尾との戦闘で廃車同然に破壊されたため、予定を変更し研究所で目撃されたセダンのままらしい。

 なお、探索のバンが一台減ったのは、荒城啓次が乗り物酔いを起こしたためだ。

「たく! こんな時に乗り物酔いなんかしてるんじゃないよ!」

「……しょうがないじゃないの。地図とにらめっこしてたんだから。車で本を読んだりするとすぐに酔っちゃうでしょ。それと同じですよ。ウエッ」

 まだ気分が悪いらしい。

 それでも能力に陰りが見えないのは流石と称賛するべきか。

 標的のセダンはどういう理由なのか、主要道を迷走している。

 そのせいで荒城啓次は千里眼での捕捉に難儀し、警備員の証言と警備カメラの記録から車体ナンバーまで割り出したというのに、未だに発見されない。

 今のようにようやく同じ路線に到着したと思えば、すぐに外れてしまう。先程から同じことの繰り返しだ。

 浜崎純也が内通者であるなら、戦闘実験配属の実験体について詳細情報を得ているだろう。

 当然、№13・荒城啓次の千里眼も知っているはずだ。それらの情報を分析して追跡班を惑わせる逃走方法を考案したのだろう。

 そうなると、実動している者が標的を発見するのは困難だ。

「№31だ、32号線に入った。方角は?」

 コンパクトセダンを運転している仲峰司から、先に32号線に到着した無線が入った。

「えーと、東へ向かってます……あれ? あ、八号線に移動しちゃいましたよ」

 奥田佳美が忌々しそうに舌打ちする。

「ええい! 一体なんだってんだい? さっきからあっちこっちフラフラと。啓次、あんたちゃんと見てるんだろうね」

「ちゃんとやってますよ。でもしょうがないじゃないですか、こんな動き回ってちゃ、あたしの目じゃ捕捉しきれませんって」

 泣きそうな声で言い訳する荒城啓次の言葉に、仲峰司は不意に無線に割り込んだ。

「№13、№31だ。ちょっと考えたことがある。その場を動かないでくれ」

「言われなくたって、動きませんよ」

 気分が悪いのだ。



   am02:19


 仲峰司はバンが駐車されてある大きな公園の駐車場に到着し、コンパクトセダンから降りると、周囲にいた研究員の一人が怪訝な表情を向けても気にせずに、バンの中へ入った。

中では荒城啓次が地図を睨んでいた。

 その隣で仲峰美鶴はなにをするでもなく、表情の変化もなく沈黙のまま座していたが、仲峰司の姿に気付くと、仄かに喜びの色が浮かんだ。

「ああ、仲峰さん。どうしました?」

 荒城啓次の質問に仲峰司は人差し指を口に当てて、沈黙を要求する。

 バンの中に一機だけ入れておいた、携帯電話程度の小さい電波探知機を引っ張り出してスイッチを入れた。

 だが、それはどんな電波にも反応するため、バン内の機器にまで反応してしまう。

「あ? №31、なにをする?」

 バンに常駐して計測記録を担当している二人の研究員の非難を無視して、車内設備のスイッチを全部切ってしまうと、それきり探知機は何処に翳しても反応はなくなった。

 一段落着いて探知機を元の場所に戻すと、荒城啓次に尋ねる。

「奥田はどうしました?」

「今、戻ってきたところだよ」

 仲峰司の問いかけと同時に奥田佳美がバンの中に入ってきた。他の研究員を外に押しやる形で椅子を占領する。

「で、なんなんだい? わざわざ呼び戻したりして」

 仲峰司は無言で無線を外せという仕草をする。

 奥田佳美は、意味は理解できたものの、意図はわからなかったのか怪訝な表情をする。

 しかし取り敢えず無線を外した。

 同時に杉原友恵が駆け込んで、元々歪んだ顔をさらに歪ませて金きり声を上げる。

「なにしてるの!? 戻って無駄話している暇があれば早く探しなさい!」

 処分同然の実験体に随分と執着することに、怪訝に思いながら、仲峰司が集合理由を端的に告げる。

「無線が傍受されている」

 研究員を含めて騒然となり始めた。しかしそれをかき消したのは杉原友恵の甲高い声だった。

「なにわけのわからないこと言ってるの!? そんなことあるわけないでしょ! 早く探しに行きなさい!」

 物事が自分の思い通りにならないと癇癪の症状を起こし、冷静に状況判断ができなくなる杉原友恵は、だから大学院から研究所に至るまで総合的に高い成績を収めているにもかかわらず、副所長に留まっているのだ。

「あー、ちょっと待ってくださいよ」

 荒城啓次が穏やかに、しかしいつものようにどこかおどけているように口を挟んで、彼女の感情の高ぶりを逸らす。

「確かに言われてみると、動きがあたしたちの話を聞いているように見えますが、でも周波数を決めたのは研究所を出る直前ですよ。どうしてそれを相手は知ったっていうんです。まさか内通者が他にもいるってんじゃないでしょうね?」

 研究員がお互いに疑いの視線を向けた。

 荒城啓次の発言が正しければ、可能性が高いのはこの中にいるということになる。しかし仲峰司はそれを否定した。

「いえ、それは考え難い。副所長、大学長には連絡を入れたんですよね?」

 苛立っていた杉原友恵は、不意に質問を振られ少し戸惑った。

「え? ええ、勿論よ」

 所長が死んだということは伏せてあるが、それは誰も知らない。

「では研究所の主要箇所に、盗聴器が仕掛けられているのだと考えるのが自然でしょう。この中にはなかった」

 警備室にでも仕掛けてあれば、追跡者が鈴木鳶尾の他に居ることも、その対応策に関する情報も、勿論無線周波数のことも、全て向こう側に筒抜けになってしまう。

「盗聴器の捜査は搬送直前に何度か行ったはずだよ」

 奥田佳美は別の疑問を投げる。

 機密防衛と警備上、外部との接触が多い時は重点的に行われるが、それを逃れる方法は仲峰司もいくつか考案していた。

「例えば盗聴器の発信がある程度任意に操作できれば、その時間だけ盗聴器を停止することで、電波探査器のチェックを避けることができる。または、特定の時間になってから作動すると言う方法もあるな」

 場を沈黙が支配した。

「副所長、誰かを研究所に直接走らせて、大学長に盗聴器の再捜査をするように伝えてください。標的に聞かれないように気をつけて。それから、無線機の周波数を変更しよう。……いや、ちょっと待ってくれ」

 仲峰司はふと妙案が閃いた。



  am02:35


 カーラジオから無線傍受した声が流れる。

「№42、現状報告を」

「156号線沿いを南下中だよ。目標はどの辺りだい?」

「えーと、32号線を北上中。全然違う場所だよ、戻って戻って」

「こちら№31、8号線を東へ走ってる。今、大見バイパス横を通過したところだ」

「はいはい、とりあえずそのまま走ってちょうだい。後でまた動きを知らせるから」

「№42、109号線、津本橋を通過」

「えーと、動きは合ってると思う。あ、また曲がった」

「くそ、またかよ。少しはじっとしてろってんだい」

 どうやら追跡は、盗聴器と無線傍受にまだ気が付いていないらしい。

 一度集合したことから、判明したと思ったが、作戦を立て直しただけか。

 もっとも後一時間もすればさすがに疑い始めるだろう。

 しかし、その時刻には、県境を超えた迂回経路で、港に向かう。

 脇道にそれることなく、だが追跡者に捕捉されても、待ち伏せも追跡も困難な経路。

 予定時刻まで残り三時間三十分近く。無線機発見予想時刻になる時間まで迷走してから、港に向かえば出向時間とほぼ重なり、追跡者との距離を上手くとれば、妨害されることなく二人は安全に乗船できる。

 護送の男はバックミラーから子供を窺った。二人とも眠ってはいない。

 緊迫状況下で睡眠を取れる人間は少ないだろうが、しかしこの年齢にとって睡眠を削るのは体力を多大に消耗するはずだ。

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

 春日歩は微笑んで答えると、窓の外へ、深夜の街へ再度瞳を向けた。

 南条彩香がその腕を抱きしめると、少年は少女へ瞳を向けて微笑んだ。

 その顔が急に強張った。



 am02:37


 春日歩は突然戦慄が走った。

 電撃が脳髄を刺激したような感覚に、思わず窓の外へ眼を向けた。

 だが身を脅かす危険はどこにもなく、そもそも自分がどうして慄然としたのかさえわからなかった。

「どうした?」

「……なんでもない」

 不審に思った護送者に、答える春日歩はしかし窓の外を見続けた。

 ラジオから声が流れる。

「こちら№31、八号線を東へ走ってる」

「№42、32号線を南下中。標的の姿はまだ見えないよ」

「あー、場所がずれてるね、少し曲がってちょうだい」

 春日歩の危機感に反応する。

 警戒が必要と状況にある。

 だが具体的になにがおかしいのかわからない。

 予知能力によるものか、あるいは単純な直感なのか。

 二つは似ているが異なるものだ。

 勘とは超常的な力ではなく、経験と知識、知恵、そして無価値と判断して切り捨てた情報に、空気の対流の皮膚感覚、雑音としか認識されない音、言葉の微妙なニュアンスの違いなど、意識に捕らえていないような微細な外部情報を取り入れた結果、それを総合的に無意識の領域で分析した答えが感覚として現れたものだ。

 さらに春日歩の場合は、未来を見通す予知能力が加わる。

 超常的側面と通常面の二つの能力による無意識の判断が、危険を告げていた。

「こちら№31、56号線に入った。方角は合ってるか」

「えー、一応合ってる。でも少し遠いね。とりあえずそのまま走って」

 護送者の男がラジオのボリュームを上げた。

 バックミラーに映った表情には、微かに怪訝を感じていた。自分と同じことを考えているのだ。

「あの。なにか、おかしいよね」

 尋ねると護送者の男は、一瞬だけ振り返った。

 その行動は些細なことだったが、自分の発言に含まれていた内容に少しだけ驚いたことを示唆していた。

 そして驚きという感情が彼の中に存在した時間が、一瞬であることも。

「わかるのか? いや、君はそうだったな。なにか見たのか?」

 予知能力のことを言っているのだろう。

 しかし確信を持っているわけではなく、明確な未来が見えたわけでもない。

 そして見えるのは、実はとてもよくない。

 見えた内容によるが、最悪の結果が見えたのならば、最悪だ。

「いえ、なにも。でも、感じる」

 護送の男は答えず、ラジオから聞こえる声に集中する。

 つられたように少年も耳を傾けた。

「こちら№31、32号線へ向かう」

 現在56号線を東へ向かっている。

 №31が同じ路線に入ったことを考えると、別の方向へ移動したほうが良いはずだ。

 しかし危機感の正体が明確に判別できないことから、護送者はそれを躊躇わせている。

無闇に動けば返って深みに嵌る。

「№42、32号線を南下中、標的は見つからないよ。標的は見つからない」

 見つからないことをなぜ繰り返すのだろう。

 春日歩に些細な疑問が湧いた瞬間、パズルの最後のピースがはまったように状況を理解した。

 追跡者は傍受していることに気が付き、こちらの動きを誘導させるため、周波数を変えずに符丁で連絡を取り合っている。

 少年が気付いたと同時に、護送者は即座にハンドルを切って十字路を曲がった。

「無線傍受に気付かれた。簡略な暗号で連絡している」

 彼も気付いたのだ。

 しかし後方でバイクが後を追って曲がってきた。

 バイクに跨っているのは、脱色した金の長髪がヘルメットから靡く、均整な肉体を誇示するようにフィットしたライダースーツの女だった。

 №42・奥田佳美。発火能力者。

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