48 神 千秋の幸せ

「……」


 今日は…千里の結婚式か。


 研究所に、千幸から連絡が入った。

 千里の結婚式が急に決まったから、連絡しろ、と。

 …しねーよ。


 千里と知花ちゃんの結婚式なんて…見たくもない。


 二人の幸せを遠くから祈る。

 それと同じぐらいに…不幸も。


 大事な二人には違いない。

 千里は唯一…俺が弱音を吐いた人間だ。

 弟であり、友人でもある。と言っていい。


 だが…ライバルでもある。



 諦めたはずだったのに。


「日本を発つ前に、知花ちゃんと話がしたい。」


 なぜ千里は…あの日、俺の願望を叶えてしまったんだろう。



「……」


 研究所の窓から外を眺める。

 周りには何もなく、荒れ野原が広がるだけ。

 俺は胸のポケットに入れたままのボールペンを取り出して、カチカチ、と耳元で鳴らす。



『はいじゃなくて、好き?』


『…好き…です…』


『愛してる?』


『……愛してます…。』



「……」


 荒れ野原を眺めながら、その声を拾う。

 俺の事じゃない。

 分かってる。

 だけど…彼女の声が『愛してる』と言う。


 あの日、このボールペンをポケットに入れたまま…知花ちゃんの声を録音した。

 そしてそれは今、俺の宝物…いや、生きる糧と言ってもいい。


『……愛してます…。』


 少しはにかんだ知花ちゃんの声。

 遠く離れてしまったと言うのに…なぜか前よりも彼女を想っている自分がいる。


 …バカだな。


 知花ちゃんの前は、ずっと玲子の事を想い続けていた。

 初恋だった。

 千幸の彼女だと知っていても…振り向いて欲しいと思った。

 だから、結婚すると言われた時は…我ながら、今思い出しても恥ずかしい。

 泣いて引き留めるなんて。


『……愛してます…。』


 玲子を押し倒して…泣いた。

 泣き続けた。

 押し倒したのはいいが、その先、どうすればいいのか分からなかった。

 玲子に触れたい衝動に駆られたクセに、俺からは何も出来なかった。

 だけど…

 突然、玲子に唇を奪われた。


 唖然とする俺に、玲子は『泣き止むかと思って』と、キスした理由を言った。

 …確かに泣き止んだ。

 泣き止んだが…


 その後、無言のまま。

 二人で一夜を明かした。

 好きな女と二人きりだったのに、手も出せなかった。

 これは…墓まで持って行く出来事だ。



 …好きになった女が、兄貴の嫁と弟の嫁。

 俺は、そういう星の下に生まれてしまったのか。

 誰かのものでしかない女を…好きになるなんて。



「……」


 カチカチ…カチ


 ボールペンを操作して、知花ちゃんとの会話よりも古い物を取り出す。


『これ、千秋のボールペンだ。』


『あら、困ってないかしら。』


『ボールペンなんて、いくらでもあるだろ。』


『そう?あの子、結構こだわるから困ってないかしら。』


『…そうか。千秋はそうだったな。うん……玲子、時間があるなら、届けてやってくれないか?』


『…あたしが?』


『ああ。』


 この録音機能は、無音になると録音を止める。

 その次に入ってる言葉は…ホテルについてからの物だった。


『……らしくないわね…緊張してるなんて。』


 玲子の…独り言。


『…千秋…』



 ボールペンを返しに来た時。

 玲子は…


「今日は忘れ物を届けに来たの。はい、これ。あなたのでしょ?千幸さんが、千秋が困ってたらいけないから持って行ってやってくれって。」


 そう言った。



 …大嘘つきめ。

 何なんだよ。



 この音声に気付いたのは…こっちに帰ってからだった。

 知花ちゃんの声を何度も聴いてる最中、間違えて違うフォルダを開いたらしい。

 だけどまさかそこに…



 今は。

 玲子の事も、知花ちゃんの事も。

 もう、奪う気はない。


 俺は、この荒れ野原に佇む研究所で、気が済むまで研究をする。




『はい、じゃなくて。好き?』


『…好き…です…』


『愛してる?』


『……愛してます…。』




『…千秋…』



 好きだった女達の声を、目を閉じて聴き入りながら。



 これはこれで、幸せなんだ。と。


 今幸せなら、それでいい。と。




 俺は俺の幸せを生きる。







 13th 完

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いつか出逢ったあなた 13th ヒカリ @gogohikari

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