11 神 千秋の暇つぶし -4-

「ふあああ…」


 何んとなーく…つい、来てしまうビートランド。

 まあ、今の俺はここに雇われてるんだから?

 来るのが当然なんだけど。



 今まで色んな企業に出入りした。

 それこそ世界中のトップレベルの物から、どーでもいいような物まで。

 セキュリティに関してだけじゃなく、俺の才能で対応出来る全ての事に首を突っ込んだ。


 どーでもいい奴から、世界のトップ5に名前を連ねるような奴まで…色んな奴らと仕事をしたが…

 ここの会長、高原夏希ほど、俺を惹き付けた奴はいないかもしれない。


 …ま、だからこうやって、何だかんだ言いながらも真面目に来てしまうんだけどな。



「千秋さん。」


 マフラーを巻き直してるところに声を掛けられた。

 振り返ると、そこには…千里の嫁さん。



「…や。」


「昨日はありがとうございました。」


「とんでもない。俺こそ貴重な話をありがとう。」



 昨日…

 俺は、この女と社食でお茶をした。

 玩具とかペットってレベルで可愛がりたいタイプだよなー。と思ってたが…


 とんでもない女だった。


 俺が使ってたドライバーを、グリップを見ただけでレリート社の物だと言い当てた。

 さらには改造や分解が趣味で、工具はホームセンターで見繕った物をアレンジする…と来た。


 使えればなんでもいい。

 俺は何でも器用に使いこなせるから。

 そんな俺には、アレンジする時間が面倒だし勿体ない。と思うのに…

 何となく、アレンジ能力もないのか。と言われた気がした。


 そんなわけで。

 こんな小さな事で、滅多に俺の中に湧いてこない闘争心とやらに火が着いた。

 最高の暇つぶしになる予感。

 この女…どうしてくれよう。



「昨日、帰って千秋さんとお茶した事を話したら、千里が千秋さんの好物を教えてくれて。」


 隣に並んでエスカレーターを上がる知花ちゃんが、そう言って俺を見上げる。

 …うん。

 この、ちょっと猫っぽい所は…本当可愛いよな。

 どうしてくれよう…


「それで…ちょうどバレンタインだしと思って、チョコレート作って来ました。」


「…え?」


「千秋さん、チョコレートが好きだって千里が。」


「あ…ああ…それで、俺にチョコを?」


「はい。」


「手作り?」


「はい。」


 差し出されたのは、小さな包みだった。

 俺はエレベーターホールで、無言でそれを開ける。

 中からは、ほんのりオレンジの香り。


「フルーツ系のチョコが好きだと聞いたので…」


「これを、知花ちゃんが?」


「はい。」


「……」


 篠田が絶賛してた腕前。

 見た目は文句ない。

 味は…


 せっかちと言われそうだが、俺はその場で一つを口に入れた。


「…んまっ。」


 つい、口から言葉が出てしまった。

 それほど、『あと数ミリグラムほど苦味が欲しかった』と惜しい思いしか覚えのない俺に、ベストマッチした美味さだったからだ。


「良かった。お口に合って。」


「…こりゃ、みんなが胃袋掴まれるはずだ…」


「ふふっ。今度うちにも食事に来て下さい。スイーツ以外も食べてもらいたいので。」


 実のところ…

 俺は頭を使う事が常で、食に関してはそこまで興味がない。

 千里が俺の好物をチョコレートだと言ったのも、それを見た回数が多いからだと思う。

 手軽に食えて、脳にもいいからな…


 それでも。

 素直に、この女の飯は食ってみたい。と思ってしまった。


「…それは是非お邪魔しないとな。」


 そう言いながら落とした視線の先に、紙袋いっぱいの…


「それ、全部チョコ?」


「え?あ、はい…メンバーのと、お世話になってる方々のと…」


「…チョコじゃないのもある…」


 どうした…俺。

 あさましいぞ。と思いながらも、紙袋の中を覗き込む。


「こっちはチョコが苦手な人にと思って…クッキーと、こっちはマフィンです。」


「……」


「…多めに作ってるので、一つずついかがですか?」


「あっ…いや、物欲しそうに見てた?ごめん。」


「いえ。」


 クスクス笑われて少し目を細めたが…その…クスクスも可愛い…


「…やっぱ、もらっていい?」


 エレベーターに乗り込みながら、顔を覗き込む。

 何やら…自分が得体の知れない感情に突き動かされている気がしたが、それはまだ追及しない事にしよう…


「はい、どうぞ。」


「…サンキュ。」


「あ…」


「ん?」


「いえ…今のサンキュ、千里にそっくりだなって…」


「……」


 うわー…

 なんだ?これ。


 すげー……面白くない。



「…今日は配って歩くだけで一日終わりそうだね。」


 つい嫌味っぽくそう言うと。


「ですよね。この後、おじい様の所にも行こうと思って。」


 嫌味を嫌味とも取らず、知花ちゃんは笑顔でそう答えた。


「…へー…じーさんちに行くんだ。」


「篠田さんにもいつもお世話になってるので。」


「……」


「あ、じゃ、あたしはここで。」


「あ…ああ。これ、サンキュ。」


 手にしたクッキーとマフィンを掲げて言うと。


「ふふっ。良かった。」


 …めちゃくちゃ可愛い笑顔を返されてしまった。


「……」



 昨日の朝、玲子に会ってどん底な気分になった。

 八年も前の事を引きずってる俺を、正面から張り倒して思う存分踏み付けて帰って行った玲子。

 この腹いせに…誰かの幸せを壊したい。

 そう思ってたが…


 幸せを壊す…じゃなくて…



 俺が。


 幸せが欲しくなった。



 * * *



「おう。真面目に来てるんだな。」


 二階の会議室を独り占めして、新しいネットサーバーの構築を進めていると…千里がコーヒー片手に現れた。


「…会長がいい人過ぎて、真面目にやらざるを得ない。」


「へー。千秋も情に厚い所あんだな。」


「何だそれ。」


「あ、これ知花の?」


 隣に座った千里が、足元にあったゴミ箱の中にある包みを見て言った。

 …目ざといな、こいつ。


「ああ。チョコの他に、クッキーとマフィンももらった。」


「絶品だったろ。」


「……」


 悔しいが…絶品だった。

 クッキーもマフィンも、今まで食った事なんてないぐらいの美味さだった。


 …実は、もう胃袋があの味を恋しいと言っている。

 そんなわけで、俺はこの後…

 じーさんちに行く気でいる。



「…おまえ、嫌じゃねーの?」


「あ?何が。」


「嫁さんが、大勢の男にチョコ配るの。」


 俺の言葉に千里は斜に構えて。


「あいつが配るメンツって、バンドメンバーと社内の人間と身内だけだからな。別に妬く対象にはならねーよ。」


 得意顔で言い切った。


「社内に嫁さんを狙ってる奴がいるかもしんねーぜ?」


「はっ。狙っててもなびかねーよ。」


「…自信満々か。」


「まーな。それに、あいつの料理上手を見せびらかしたいし。ま、幸せのおすそ分けってとこだな。」


「……」


 つい…目を細めた。


「おまえさ。」


「ん?」


 恐らくわけも分からないだろう千里は、コンピューターのディスプレイを見て首を傾げてる。


「そんなにベタ惚れな嫁さんと、何で一回別れたんだ?」


「……」


 …んっ?


 俺の何気ない問いかけに、千里は意外にもシリアスな顔になった。

 そしてコーヒーを一口飲むと、何かを言いかけたが…唇を尖らせて飲み込んだ。


 これは―…

 何かあったに違いない。

 …しかも。

 掘り起こしたら、面白くなりそうな何かが。



 幸せが欲しい俺は。

 まずは…



 楽しい事を始めるとしよう。

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