10 桐生院知花の憂鬱 -3-

「知花ちゃん。」


 事務所の前で声を掛けられて、立ち止まってキョロキョロすると…


「あ…千秋さん。」


 なぜか、脚立に上ってる千秋さんがいた。


「夕べは千里はお世話になりました。」


 ペコペコとお辞儀をする。


「ははっ。世話になったのは俺の方だけどね。」


「え?」


 千秋さんはあたしと会話をしながらも、ポケットから工具を取り出して作業を続ける。


「…何をされてるんですか?」


「防犯カメラの位置をね。俺好みに変えてるの。」


「千秋さん好み…」


 確か千秋さんはビートランドのセキュリティに関わる仕事を高原さんに持ち掛けた…と、光史に聞いた。


 …実は工具を持って作業をする事が好きなあたしは。

 つい、マジマジと千秋さんの手元を見てしまう。

 うわあ…

 いい工具。



「今日、時間ない?」


「え?」


 ドライバー片手に、視線は防犯カメラに向けた千秋さんからそう言われて。

 あたしは少しキョトンとしてその姿を見上げたまま、次の言葉を待った。


「ちょっとお茶でも付き合って欲しいなと思って。」


「あたし…ですか?」


「うん。」


「……」


 二人きりでと思うと緊張するけど、千里の小さな頃の話を聞けるいいチャンスかも。

 それに、あたしは今日…結構暇だ。


「じゃあ…はい。」


「え?いいの?」


 言い出した千秋さんが、驚いたような顔であたしを見下ろす。


「え?」


「いや、が妬くからダメって言うかと思った。」


「ちー…?」


「あっ、今のは聞かなかった事に。」


「……」


 千里、ちーって呼ばれてたんだ…

 ふふっ。

 可愛い…。



 千秋さんと、二時にロビーで待ち合わせる事にして別れた。


 夕べ…

 早く帰ると言った千里が、お酒の匂いをプンプンさせて帰って来て。

 あたしはすごく不機嫌になった。

 咲華と約束してたのに…

 しかも、何の連絡もなく遅くなって。


 それが、お義兄さん達と食事に行ったから。というのを、今朝、母さんから聞いた。

 …そういうの、ちゃんと連絡してくれてたら…あたしだって、不機嫌な声で『おかえりなさい』って言わなくて済んだのに…。



 ミーティングルームで、二時間ほど打ち合わせをして。

 その後、メンバーが各自個々の仕事に散らばって…

 特に何もなかったあたしは、ルームでまこちゃんのキーボードの改造を始めた。



 コンコンコン


 改造を始めてどれぐらい経った頃だろう。

 ふいにドアがノックされた。


 メンバーはそんな事しないし…誰かな?と思ってドアを開けると。


「千秋さん…?」


「何かあった?」


「え?」


「時間になっても降りて来ないから、来てみた。」


「……」


 え?と思って時計を見ると…二時過ぎてる!!


「あっあああああっ…ごごごめんなさいっ!!」


 あたしはあたふたと作業道具を片付け始め…あっ、ダメだ!!今やめたら音が鳴らない!!


「…ごめんなさい千秋さん…もう五分だけ…待ってもらっていいですか?」


 深く深く頭を下げて言うと、千秋さんは…


「いいよ…って、アレ、何やってんの。」


 あたしが分解してるキーボードに視線を向けた。


「あ…ちょっとキーボードを改造しちゃおうかと…」


「えっ。知花ちゃんが?」


「はい…」


「そんな知識、どこで?」


「何となく…昔からアンプとかスピーカーとか、バラして中を見るのが好きで…」


「……」


「す…すみません。すぐ片付けますから。」


 あたしはそう言い置いて、キーボードに向き直る。


 まこちゃんごめん!!

 明日また、ちゃんとやるから!!

 心の中でまこちゃんに謝りながら、分解していたキーボードを元通りにした。



「いやー…ビックリした。」


 どこでお茶するのかな。と思ってたら…

 社食だった。

 あたしとしても、ここの方が落ち着く。

 だって、やっぱり…まだ緊張しちゃうし。


「まさか、千里の嫁さんに、そんな趣味があるとはね。」


「あはは…ですよね…でも実は母も電気系統強くて、二人で話してると妹に目を細められちゃいます。」


「へえ~。それは俺も仲間に入れてもらいたいね。」


「えっ、本当ですか?」


「うん。興味深い。」


 わあ…嬉しい…!!


 千里は全然分解や改造に興味ないし。

 陸ちゃんとセンとで、ギターやアンプの改造をする事があっても、あの二人にも…


「おまえにはついてけねー。」


 って、距離を置かれちゃう。



「さっき千秋さんが持ってたドライバー、イタリア製ですよね。」


 あたしがウキウキしながらそう言うと。


「……」


 千秋さんは丸い目をして絶句。

 あれ…

 もしかして…ドン引きされてる…?


「え…えっと…あの、そっそう言えば…」


 話を変えよう!!

 と思ったものの…

 あたしはそんなに話し上手じゃない…!!


「えーと…その…」


 どうしよう。

 頭の中が真っ白になっちゃった。


 結局無言になってしまったあたしに、千秋さんは…


「…ふっ…」


 突然、鼻で笑った。


「……え?」


「あ、いや。ごめん。なんつーか、のんびりしたイメージだったからさ。」


「…あたし…ですか?」


「うん。だから驚いた。俺の手元までしっかり見てたなんて。」


「あ…あはは…すみません…すごくオタクで…」


 ああ…

 まだ内々でしか知られてない、あたしの度が過ぎる趣味。

 まさか…千里のお兄様にバレてしまう事になるなんて…



「俺はあまり工具にこだわりないんだ。」


「えっ…そうなんですか?さっき持ってらっしゃったドライバー、レリート社の優れモノですよね?」


「うわ…そこまで見てたか。知花ちゃんは?どこの工具使ってるの。」


「あ…あたしはホームセンターで色々見繕って…」


「ははっ。ホームセンターに行ったら帰れなくなるタイプだね。」


「そうなんです。そこからアレンジするのが楽しくて。」


「アレンジ?」


「ええ。好みのグリップの物を、どんな場面にでも使えるように。」


 調子に乗って喋ってしまった。と気付いたのは。

 千秋さんが何度か瞬きを繰り返して。


「…へえ。」


 と短く言われた時だった。


「す…すみません…」


 や…やばい…

 本気で呆れられたかもしれない。

 弟の嫁、変人だ!!って…


 あたしが俯いて小さくなってると。


「改造とか分解以外に好きな事は?」


 千里に似た、だけどすごく優しい声が聞こえて来た。


「…え?」


「スポーツが得意とか、料理が得意とか。」


 見ると、千秋さんはテーブルに頬杖をついて…優しい笑顔。

 初めて会った時から、少し…威圧感を覚える、『笑顔だけど笑ってない』って表情に思えてたから…

 これは、初めての笑顔…な気がする。



「…料理は…好きです。」


「あー、そう言えば篠田が言ってたな。」


「え?篠田さんが?」


「うん。胃袋掴まれたって。」


「そ…そんな…」


 嬉しいけど恥ずかしくて、両手で頬を押さえる。

 すると千秋さんは小さく笑って。


「俺も食ってみたい。知花ちゃんの料理。」


 そう言って…テーブル越しに、少し顔を近付けた…。

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