25 神 千里の日常 -8-

「…何だ?このメンツ。」


 遅れて来た千秋が、苦笑いしながら席に着いた。


 今日は、ここ『香津こうづ』で。

 千幸と玲子さん、俺と千秋の四人で飯を食う。



「嫁さんも連れて来れば良かったのに。」


 千幸がそう言ったが。


「ああ、そのつもりだったんだけど…」


 そう。

 今日は知花も一緒に来るはずだった。


 が、今日の午後。


「ごめん…今夜、あたしはやめとく…」


 青い顔をした知花が、F'sのルームに来た。


「どうした?顔、青いぞ?」


「うん…何だろ…ちょっと体調悪い…」


 額に手を当ててみるが、熱はなさそうだ。


「じゃあ飯は延期する。一緒に帰ろう。」


 知花の頭を撫でながら言うと。


「ううん。皆さん予定空けてらっしゃるだろうし、千里だけでも行って?」


「……」


「次は、あたしも参加出来るように…体調整えておくから。ね?」


 体調が悪いと言うのに…首を傾げて可愛い顔をしやがった。

 確かに…

 千幸は夫婦で出掛けるとなると、色々大変そうだ。


 そんな知花の気遣いで、俺だけ参加。



「知花ちゃん、体調悪いんだ?ストレス…かな?」


 俺の隣にいる千秋が、真顔でそう言った。

 ストレス…な。

 知花は分かりやすい所があるから…千秋は自ら相談に乗ったりもしたんだろうな。

 …カンナの件とか。



「ああ…そこそこにストレスもあったみたいだが、そっちは解決。」


 刺身を食いながら小さく頷く。

 そう。

 解決した。



 三日月湖に行った夜…

 家に帰ったら帰ったで…まあ…どうしても盛り上がって…

 何回も…。


 翌朝、どれだけ浮かれてんだ?って思うほど、知花は鼻歌連発で。

 麗と誓が知花と俺を何度も見比べてた。


 …見ても何も教えねーけど。




 背伸びをして俺に抱き着いた知花の頑張りに、小さく笑いながら耳を寄せると。


『あたしも…愛してる。』


 そう…耳元で囁かれた。


 …知花の声が好きだ。

 その声で放たれた愛の言葉の破壊力は…ハンパなかった。

 十分に俺に自信をくれたし、知花のためなら何でもしてやる気にもなった。



 ―ほんとは前髪長いのは好きじゃない―

 ―言葉遣いが悪いのも、目付きが悪いのも好みじゃない―


 それを言われた時は、嫌いなのかよ!!って思ったが…


『でも…千里だから好き。千里の全部が好き。』



「……」


「何一人でニヤけてるの?」


 目の前にいる玲子さんが、苦笑いしながら俺のグラスにビールを注いだ。


「…幸せでね。」


「はいはい。ごちそうさま。」


 俺と玲子さんの会話を聞いても、千秋は無反応で。

 千幸は吹き出しそうな仕草を見せた。


「千里がこんな事を堂々と言うなんてなあ…嫁さんの力は大きいな。」


「まあな。」


「…それなのに、何で一回別れたんだろうな。」


「……」


 千幸との会話に割って入った千秋は、いつぞやも聞いて来た言葉を口にした。

 そう言えば…やたらと別れた理由を知りたがってたな。

 もしかして、あの頃から知花に目付けてたのか?



 俺は箸を置いて三人を見渡すと。


「俺が一度知花と別れた理由なんだけどさ。」


「……」


 なぜか、三人も同じように箸を置いた。


 いや、マネしなくていいっつーの(笑)



「あの時、あいつらに渡米の話が出て。シンガーとしては嫉妬したし、男としては…離したくねーって思っちまったんだよな。」


「………え?」


 三人同時の間抜けな『え?』に、鼻で笑ってしまう。

 まあ…え?だよな。


「俺の器が小さかった。それだけだ。」


「い…いやいやいやいや…マジでそんな理由で別れたのか?」


「彼女、その時まだ十代だったわよね。かわいそう…」


 千幸と玲子さんにそう言われて、俺はうんうんと頷いてみせる。


「あいつだけじゃねーよ。俺も若かった。とにかく…惚れ過ぎてたからな。」


 また箸を手にすると、千幸と玲子さんも同じように箸を持った。

 …ふっ。

 何なんだよ。



「…面倒な男と一緒になったなあ。」


「ほんとね…」


 目の前の夫婦は顔を見合わせて、ついでに小さく乾杯なんぞする。


「何とでも言ってくれ。それでも知花は俺がいいって言うんだから。」


 俺が口元を綻ばせながらそう言うと。


「はーっ。俺いいじゃなくて、俺いいのか。今度本人に聞いてみないとな。」


 千秋が突っかかって来た。


 …待ってたぜ。



 三日月湖で知花が言った事が…気になった。

 俺と同じ声の千秋の言葉に、赤くなったと告白した知花。


『…千里、こんな事言わないよねって思いながら…赤くなっちゃった…』


 千秋は…どんな言葉を知花に言った?



「そう言えば、千秋は知花と仲いいよな。あいつ、とろいから合わねーと思ってたのに。」


 千秋のグラスにビールを注ぎ足しながら問いかける。


「とろい?とろくなんかないだろ。」


 何なら少し怒ったような千秋の口調に、千幸が俺を見て笑った。


 確か千秋…

 最初に千幸と三人で飯に行った時、知花の事を『オドオドして暗い』って言ってたもんな。



 その後、千幸の店の話や千秋の研究の話をしながら、一時間が過ぎた頃。


「おい…千秋、大丈夫か?」


 トイレにでも行こうとしたのか、立ち上がろうとした千秋の足がもつれた。

 すかさず千幸が立ち上がって千秋を支える。

 …優しい兄貴だぜ。


 俺としては、千秋が知花に惚れてる確証が欲しかった。

 分かれば…ハッキリと釘を刺せるのに。



「へーきへーき…」


 そう言ってる千秋の目は、もう随分眠そうで。

 こいつ、神家の人間にしては酒よえーな。と痛感した。

 何でも出来る天才にも、弱いものがあるとは。


「いーから、ほっといてくれっ。」


 付き添おうとする千幸の手を振り払う千秋。

 俺と玲子さんがそれを見て笑ってると…


「どーせなら、玲子がいい。」


 千秋が…玲子さんを呼び捨てした。


 俺は一瞬ヒヤッとしたが…


「おまえ、人の嫁さん勝手に呼び捨てんなよっ。」


 千幸はカカッと笑いながら、千秋を担いで部屋を出て行った。


「……」


 玲子さんを見ると、二人に向けてた視線を戻して…酢の物を美味そうに食い始めてる。



「…玲子さん、千秋と何かあった?」


 遠回しなのもどうかと思って問いかけると。


「何かって?」


 玲子さんは首を傾げた。


「…千秋の奴、この前酔っ払った時も…『玲子』って名前呼んでたから。」


「あら。『レイコ』って名前、意外と多いのよ?」


「まあ…そりゃそーだろーけど…」


「昔の彼女がそんな名前なんじゃない?」


「千秋の昔の女ねえ…」


「初めての相手とかね。」


「……」


 ニッと笑った玲子さんに、なぜか言葉を失うと。


「でも、気を付けた方がいいかもね。」


「あ?」


「千秋、知花ちゃんの事好きなんじゃない?」


 玲子さんは、意外と真顔で言った。


「…どうしてそう思う?」


「昔、千幸さんに聞いた事があるの。」


「…何を。」


 玲子さんは酢の物の入った小鉢をゆっくりとテーブルに置いて。

 俺の目を真っ直ぐに見て言った。




「兄弟の好きなものを好きになるって。」

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