24 桐生院知花の憂鬱 -7-

「……」


「……」


 いきなり千里に連れ出された。

 連れ出されたけど…車の中は、沈黙が続いてる。

 あたしは、窓に映る自分と千里の横顔を見ながら、その沈黙をやり過ごしてた。



 …夕べ、千里と少しだけ言い合いになった。

 朝起きたら、千里はもう仕事に行ってて…

 お昼に少しだけ事務所に行ったものの、会う事もなく…あたしは帰宅。

 あたしが会わない間にも、カンナさんとは会ってるのかも…なんて…


 気になるなら確かめに行けばいいのに。

 そんな勇気もないあたしは、ずっと一人で悶々としてた。

 …変な被害妄想ばかりを膨らませて。



 千秋さんに…どうしていつも自信のなさそうな顔をしてるのかと言われた。

 …自信…


 あたし、そんなに自信なさそうに見えるのかな…

 仕事は楽しいし、時々任されるアンプの分解も楽しいし、子供達は可愛いし、千里…


 …自信が持ててないとしたら…千里との事かもしれない。


 やり直すって決めたのに。

 あたし、どこかで千里の事…疑ってるのかな…

 カンナさんという、誰から見ても綺麗で自信に満ち溢れた、千里をよく知る人。

 そんな存在が現れて…焦った。


 …焦った?

 どうして?


 千里は、あたしとやり直すって言ってくれたのに。



 結局、無言のまま車は走り続けて。

 あたしは外の景色を見る余裕もないほど、考え事に没頭してた。

 そうしてたどり着いたのは…



「…え…」


 目の前に広がる湖。

 昔、千里が連れて来てくれた…三日月湖。


「懐かしーな。」


 車から降りた千里は、両手を伸ばして空を見上げる。


 今夜は星も月も雲が覆ってて…光がない。

 …まるであたしの気持ちみたいだ…って思った。



「…夕べは悪かった。」


 湖に視線を向けたまま、千里が言った。

 ハッとして俯いてた顔を上げると、千里の背中が…何となくしょんぼりしてるように見えた。

 あたしは…無言でその背中を見つめる。



「俺は…朝霧あさぎりの事、本気で信頼してる。あいつは俺が出来ない事をしてくれた。」


「……」


「ただ、嫉妬がないかと聞かれると…ゼロじゃないのは確かだ。」


「っ…」


 声が出掛けたけど、千里が振り返ったから飲み込んだ。

 …光史こうしに嫉妬って…


「しょーもねー嫉妬だよ。華音かのん咲華さくかの可愛い時期を間近で見てやがる。」


「……え?」


「朝霧だけじゃない。早乙女さおとめりく聖子せいこも…まこ…まあ、あいつはいいか。」


「……」


 あたしは、不思議な気持ちで千里を見つめた。


 その嫉妬って…



「本当なら俺が、って。でもそれは全部俺が招いた事で、いくら俺が嫉妬や後悔をした所で、時間は戻らねーし事実は消えない。」


「……」


「…昨日、俺、じーさんち行ったんだ。」


「えっ?」


 千里のバツの悪そうな顔での告白に、あたしは目を丸くした。

 昨日…って…

 あたし、行ってたよね…

 でも千里には会わなかったよね…



「…どこにいたの…?」


 あたしの問いかけに、千里は俯いて溜息を吐くと。

 乱暴に前髪をかきあげて…


「…っ…」


 突然、ギュッと…あたしを抱きしめた。



「…おまえと千秋の膝で子供達が眠ってて。」


「……」


 電子基盤を改造してた時…?


「庭から見てた。」


「…庭から?」


 あの時って…

 あたしが落ち込んでたから、千秋さんが励ましてくれてたんだっけ…



「…おまえが、千秋と話して赤くなって俯いた。」


「……」


「それを見た千秋が、すげー優しい顔で笑ってた。」


「……」


「まるで家族みてーだって思うと…入っていけなくて…」



 耳元で聞こえる千里の声は、何だか…とても千里らしくなくて。

 だけど、千里のそんな弱い面を知れて…


「…ふふっ…」


 つい、笑ってしまった。


「…笑うか?」


「だって…」


「何。」


「…あたしが赤くなったのは…」


 千里の腕の中。

 あたしは…ここでも赤くなって俯いてしまう。


 やっぱり…誰よりも大事な人で…

 誰よりも愛しい人。



「…千秋さんの声って、下向いて聞いてると千里が喋ってるみたいで…」


「……」


「それで…千里、こんな事言わないよねって思いながら…赤くなっちゃった…」


「……」


 あたしがそうつぶやくと、千里は抱きしめてる腕に力を入れて。


「…俺になんて言って欲しいんだ?」


 耳元で…

 いつもの千里らしい声で、言った。


「い…言って欲しいって…」


 急にそんな事言われても、浮かぶわけがない。


 でも…本当はたくさんある…はず。

 あたし、千里に…



「…あたしの…どこが好き?」


 勇気を出して聞いてみる。

 千里の服をギュッと握ってしまうと、頭上から小さな笑い声が聞こえた。



「…料理ができて言葉遣いが良くて、金がかからねー。」


「……」


 何だか…そういうのって、違うんじゃない…?


 そう思って、少しだけ唇が尖る。



「あと…素顔も綺麗だし、タバコ吸わねーし…ピアスしてねーし、ブランドとかも興味ねーし…」


 ……あれ?


「かと言って、無頓着なわけでもねーし…さりげなく可愛い事してやがるのに無自覚で…」


 顔を上げたくなった。

 だけど千里はあたしの頭を抱え込むようにして、それを許してくれない。


「誰にでもこんな顔すんじゃねーぞ。って思うのに、俺だけが知ってるのは勿体ねーって…矛盾な気持ちもあったり…」


 千里の胸に顔を埋めてるあたしは…

 もう…真っ赤を通り越してると思う。


 …聖子が言ってた、千里がメディアで語ってた『好みのタイプ』って…


 あたし…?



「心配になる事も山ほどある。おまえ、ほんっと自覚足りねーって時あるし。」


「…何それ…」


 何て言っていいか分からなくて…つい、そんな言葉をこぼす。

 だって…

 顔見たいのに…

 …ううん…今はあたしも見られたら…恥ずかしいかも…



「…どこが好きかって聞かれたら…もう、全部って言うしかねーよな…」


「……」


 胸の奥を、ギュッと強く掴まれた気がした。

 嬉しいのに泣きたくて…でも泣くのは違うよね…って踏み止まる。


 …どうしよう…

 こんな事、言ってくれるなんて…

 あたし、贅沢過ぎるよね…?



「…全部なんて…」


「…しょーがねーだろ。全部なんだから。」


「……」


「じゃあ…おまえはどーなんだよ。」


「…え?」


「その…俺のどこが…好………」


「……」


「いや、やっぱいい。今のは忘れろっ。」


 千里が…照れたような口調で言った。


 …もう。

 バカ。

 どうして、忘れろなんて言うの。

 どうして、あたしにも言わせてくれないの?



「…ほんとは…前髪長いのは好きじゃない…」


「……おい。」


 正直に打ち明けると、低い声が返って来た。


「言葉遣いが悪いのも…目付きが悪いのも…好みじゃない…」


「おまえ―…」


「…でも、千里だから好き。」


「……」


「…あたしも…全部…千里の全部が、好…」


 言葉の途中、後頭部をそのまますくわれるようにして上を向かされた。

 驚いた瞬間には、唇を塞がれてて。

 目を開けたまま…千里の唇を受け入れてしまった。


 ギュッと抱きしめられて、ようやく上を向けたあたしの目に。

 さっきまで曇ってた夜空に浮かんだ月が映った。

 一緒にボートに乗った時と同じ…三日月。



「…愛してる。」


 耳元で囁かれた愛の言葉。

 あたしは目を閉じて、それを三日月と共に胸にしまい込む。

 そして両腕を千里の首に回しながら、少し背伸びをして…口にした。




「あたしも…愛してる。」

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