第10話 波紋

 ヴィラローザは、憂鬱な気分でため息をついた。

 ずっと視界をうろついていた長身が、今日に限ってはどこに行っても姿を見せないのだ。


 最近は、魔獣が繁殖期をむかえ気性が荒くなる時期だ。街道周辺まで降りてくる事も、皆無とは言えない。そのため、哨戒任務として外へ出る事になっていたヴィラローザは、集合場所である門の前で何度目かのため息をつく。


(…………飽きたんでしょうか)


 もともと何を考えているか、さっぱり分からない男だ。

 いや、もしかしたらルイスが自分との会話を教えて、人違いだと気が付いた可能性もあると思い至り――また、ため息をつく。


「ヴィラ、ため息ばかりつくと、幸せが逃げるわよ」

「……ステラ。貴方も外ですか?」


 同僚の女騎士は、ヴィラローザに片手を振ると近付いてきた。


「うん。あたしだけじゃないよ。……ほら、向こう」

「向こう……――っ」


 言われて視線を向けた方。数人の騎士達が集まっているそこに、頭一つ飛び抜けた長身を見つけた。

 赤い目が視線に気づいて動いた瞬間、ヴィラローザは思わず目をそらしてしまう。

 そして、こそっとステラの陰に隠れる。


「ヴィラ?」

「……危うく、見たくもないものを見てしまうところでした」

「それにしては、顔が真っ赤だけど?」

「暑いからです」

「そっか。わかった、そういう事にしておいてあげる」


 こそこそするなんて性に合わない。

 それなのに、あの赤い目の男を直視出来ない。

 腹が立つ……とも、違う。憎たらしいとか、そういった感情では無い。


(……苦しい……)


 恋は、苦しい。

 自覚してしまった感情は、ヴィラローザの意思に反して胸を締め付けてくる。

 そんな事など、頼んでいないのに。


(……いてもいなくても……私を苛々させる男です。本当にもう、大嫌いです)


 胸中では強気な言葉を吐き出すが――本当に嫌いであれば、ギルフォードの事になどいちいち関心を払わない。

 矛盾してばかりの自分の行動を、何というのか知ってしまったヴィラローザはまたしてもため息をつく。

 すると、ステラのちょっと弾んだ声が、現実に引き戻した。


「あ、こっち来るわよ」


 何が?

 そう思って顔を上げて、ヴィラローザはぎょっとした。

 ギルフォードが、何を思ったのか自分たちの方へ近付いてくる。

 任務に当たる騎士達が、仕事前に親しい者達と会話している中を、迷いなく歩いてくる。

 当然、噂話は騎士団中に流布している。

 誰もが会話に興じているようで、好奇の視線はいくつも突き刺さった。


「す、ステラ……」

「なに?」

「わ、忘れ物を取ってきます……!」

「へ!?」


 ヴィラローザは、ぐいっとステラの背中を押した。

 前に押し出される形となったステラからは、素っ頓狂な声が上がる。しかし、ヴィラローザは猫のような素早さで門の中へ飛び込んだ。

 城壁に背中を預け、しゃがみ込み――自分の顔を両手で抑える。真っ赤に染まった、自分の顔を。


(嘘です……! 嘘です、嘘です、嘘です! この私が……、ヴィラローザ・デ・エルメとあろう者が、こんなっ……こんな無様な体たらくをさらすなんて……!!)


 なぜ恥ずかしいなどと思ったのか。

 どうして、顔を見られたくないなどと思ってしまったのか。

 彼から、決定的な言葉を聞きたくないなんて――。


(あぁ、そうです。……私の言った事は、ルイスから伝わっているでしょう。……だから――)


 道ばたに転がった石ころをみるような無関心さで、間違いだったと言われるのが怖かったのだ。

 もちろん、自覚した恋心を持て余し、恥ずかしさが暴走した……というのもあるが。


(私は、こんなに臆病だったんでしょうか)


 ヴィラローザ・デ・エルメ。

 いずれこの国一番の騎士になる女。

 恋をすれば、その夢を失ってしまうのだろうか。

 先輩が騎士をやめたように。母が、大切なものができたからと、剣を捨ててしまったように。


「ヴィラローザ」

「きゃあっ!」


 しゃがんだまま、考え込んでいたヴィラローザは、頭上から振ってきた低い声に驚き、思わず悲鳴を上げた。


「…………」


 見上げれば、無口、無愛想、無表情の化身が、ぬぼーっと突っ立っている。


「ぎ、ギルフォード……! なぜ、ここにいるんですか……!?」

「……追いかけてきた」

「は? わ、私を?」


 こくりと、長身の男は頭を縦に振る。


「逃げたから、追いかけてきた」

「逃げたからって……し、失敬な……! 私は逃げてません! 忘れ物を取りに来ただけで」

「こんなところに?」


 ここは、城壁である。

 こんな所に、何を忘れるというのだ。

 日頃は何事にも関心を示さず、ぼうっとしている男のくせに、今日に限ってはいらない事に突っ込んでくる。


「う、うぅ……心の準備的な……そんな何かを忘れていたんです……!」

「そうか。それで?」

「……は、はい?」

「準備は出来たのか?」


 もっと突っ込んで、嫌な質問をされるかと思った。

 しかし、ギルフォードはあっさりと引き下がる。

 喜ぶべきか、悲しむべきか――いつも通り、“また私を見ていない”と怒るべきか。

 迷って、迷って、ヴィラローザはツンッとそっぽを向くことにした。


「貴方には関係ありません。どこかへ行って下さい」


 可愛げがない奴だ。

 ルイスあたりなら、遠慮無くそう言い放つだろう。

 それこそ、耳にたこができるくらいに言われ慣れた台詞だ、今更どうという事も無い。

 ギルフォードが同じ事を言ったら……自業自得でも少しだけ悲しいかも知れないが――別に気にするまでもない。

 そう割り切って、ギルフォードを遠ざけようとしたヴィラローザだったが、日頃唐変木だなんだと文句を付けていた男は、動かなかった。


「……ヴィラローザ。この任務が終わったら、話がある」

「お話ならば、今ここで済ませればいいでしょう」

「ここでは、駄目だ。……ちゃんと、話がしたい」

「…………」


 じっと、ヴィラローザは睨むようにギルフォードを見上げた。


「……驚きました。ルイス・テノーラ抜きで、会話ができるんですか?」


 本当に、可愛くない。

 我ながら満点で可愛くないと、ヴィラローザは眉をひそめた。

 しかし、言われた方のギルフォードは、素直に頷いた。


「出来る。……話すことは、あまり得意では無い。だが……お前のためなら、俺は、出来る限り、言葉を尽くす……だから、……今度こそ、俺の話を、聞いて欲しい」

「失礼な。私が、まるで常日頃から、人の話を聞いていないかのような言い方は、やめて下さい」

「――…………」


 ギルフォードは、驚いたように目を大きくした。

 そして次の瞬間。


「だが、お前はすこし、早とちりだ」


 笑った。

 ――ほんの少しだけ、口元を持ち上げ目尻を下げただけの、淡い笑みだったが、向き合っていたヴィラローザの目には、はっきりと映る。


「そして、俺はどうやら無神経らしいから。――ちゃんと、話がしたいんだ」

「…………」

「駄目か?」

「…………」

「ヴィラローザ?」

「…………し」

「し?」

「仕方がありませんから……! じ、時間くらいとってあげます……! あ、ありがたくおもいなさい、ギルフォード!」


 笑うと、雰囲気が柔らかくなる。

 長身で、無表情で、陽か陰かといわれたら、陰気に振り切れているような男だが――笑った顔は、少しだけ幼く見えた。

 動揺のあまり、とんでもなく偉そうな言葉を吐いたにもかかわらず、ギルフォードは笑みを浮かべたまま、しっかりと首を縦に振った。


「あぁ、思う。――楽しみだ」


 赤い目がきらきらした光を宿して、自分を見下ろす様に、ヴィラローザは思った。

 ――宝石のようだ、と。


「ふ、ふん! 私はもう、戻りますから」

「一緒に戻ろう」

「嫌ですよ! 噂のせいで、誰にどんな目で見られるか! 貴方も、少しは人目を気にしなさい」

「ならない。――俺は、お前の目にさえ映っていれば、それでいいから」


 赤い目。

 きらきらした、宝石のような赤い目が、ヴィラローザを見下ろして、笑みの形に細められる。

 伸びてきた手が、自分の手を掴み、一度だけ力を込めてきゅっと握ると離れていく。


「だが、お前が嫌なら、自重する。……また、後で」


 ヴィラローザは思った。

 前にも一度……いつか、どこかで……こんな事がなかっただろうか、と。

 宝物を見つけたような、高揚した気分で――赤い目を見つめた事はなかったか?


 深く考え込むには、もう時間が無かった。


「ヴィラローザ?」


 数歩離れた場所で、躾られた犬のように待っていたギルフォードに名前を呼ばれ、ヴィラローザは我に返った。

 気を引き締めなくてはいけない。

 これから先は、騎士としての任務なのだから、と。

 再び門の前に戻ると、ステラが「大丈夫だった?」と心配そうに問いかけてきたので、謝罪して頷く。

 整列し、それぞれ割り振られた場所へ向かう最中――。


「……目に物を見せてやる、首狩り魔め」


 とある数人の騎士達が、小さく小さく呟いた。

 不穏なそれは、彼らの中でのみ伝わり――かき消された。

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