14

 次に目を開けたときには、炎は壁を焼いて屋根まで到達していた。体が重く、動けなかった。黒い煙に取り巻かれ、あっという間に視界が狭まった。

 旧体育館は校舎本館に密接していた。この勢いなら燃え移るに違いない。昇二はもうろうとした意識で考えた。何もかも燃えてしまえばいい。

 そのとき、煙の中から何者かが現れた。

「起きろ」

 二十三回留年の男だった。

 昇二は、何度か頬を叩かれてようやく正気を取り戻した。

「ここにいたらやばいぞ」

 昇二は二十三回留年の男に助け起こされると、そのままステージ裏に連れていかれた。

 そこには、どこから持ち込まれたのか分からないような家具や家電、大昔のものらしい文化祭の看板などが無造作に打ち捨てられていた。粗大ゴミを避けて奥へ進むと、突き当りのところに机があった。

 二十三回留年の男がそれをどけると、地下へおりる階段が現れた。

「これは?」

「いいからついてこい」

 地下には人がすれ違うこともできないほどの狭い通路が続いていた。いくつも脇道があり、複雑に入り組んでいるようだった。

 二十三回留年の男は、迷うことなくどんどん進んだ。昇二は、壁に手をつきながら必死でついていった。頭がずきずきと痛んだ。

「どこへ?」

「みんな待ってる」

 二十三回留年の男は、振り返りもせずに言った。

「みんなって?」

 二十三回留年の男は答えなかった。

 その後ろ姿を見て、昇二はふいに何かに気がついた。二十三回留年の男は体つきこそ昇二より一回り大きかったものの、背格好はどこか通じるものがあった。こうして見てみると、まるで自分自身を見ているような気さえするのだった。この男はもしかして――。

「また留年することになった」

 二十三回留年の男が振り返って言った。

「あなたは一体――」

「死ぬまで留年を繰り返すんだ。おれは永遠にここから出られない」

「どうして?」

 二十三回留年の男は少し考えるような表情をしたが、それ以上何も言わなかった。

 やがて、地上に出る階段にぶつかった。

 昇二は、二十三回留年の男について階段をあがった。

 楽園のような明るさだった。そこは新体育館で、旧体育館より三倍から四倍も広いフロアには温かい拍手が鳴り響いていた。

 全校生徒が揃っていた。教師たちもいた。101匹チアガールや実は小説家の用務員もいた。毒虫姿の父親と母親もいた。校舎裏の雑木林で首を吊っていた男もいたし、観光案内の市民ボランティア、図書委員、中学の同級生の田中もいた。

 全員が、昇二を温かい拍手で迎えていた。

「これは?」昇二は戸惑いを隠せなかった。

「表彰式だ。みんな、きみを待ってたんだ」

 笑顔で言ったのは、入学式で一度見たきりの校長だった。

「表彰式?」

「さあ、こっちへ」

 昇二はわけも分からないままステージに上がらせられた。校長は、マイクが備えてある演台の前に立つと、軽く手をあげて拍手をやめさせた。

「改めて紹介しましょう。一年五組の蓮正寺昇二くんです」

 生徒たちから歓声があがった。

 信じられない光景だった。新体育館は和やかな雰囲気で、誰一人として昇二に敵意を持つものはいなかった。それどころか、みんなが昇二を讃えていた。

「我々は、本日ここに彼を表彰したいと思います」

 校長は授賞理由を話しはじめた。

「蓮正寺くんは、人生に仕掛けられたありとあらゆる罠にかかって我々を楽しませてくれました。私たちは普通、最低限の義務だけをこなし、危険を避けて、どちらかと言えば自分勝手な楽しみのために、ときには平然と他人を踏みつけにして、のうのうと日々の生活を送っています。でも、彼はそうではない」

 聴衆は感心した様子でうなずいた。

「滑って転んでつまずいて。それが蓮正寺くんの生き方です」

 誰かが指笛を鳴らした。何人かの生徒が囃し立てた。

「彼は行きたくもない場所に無理やり行かされ、一緒にいたくもない人間たちと一緒になり、やりたくもないことを、やりたくもないやり方でやらされた。親からも教師からも、クラスのみんなからもバカにされ、まともに取り合われず、何一つ楽しいこともなかった。蓮正寺昇二くんは、生きていたくもないのに生きていた。そして、その七転八倒の姿によって我々を楽しませてくれた。これは誰にでもできることではありません」

 聴衆の中から自然と拍手が沸き起こった。

「本人から受賞の言葉をいただきましょう」

 校長は昇二を演台のところに招いた。

 昇二は、緊張に目を泳がせながらマイクに口を近づけた。

「あの、ありがとうございます。何の賞なのかよく分からないけど」

 生徒たちが笑った。

 昇二は、一つ呼吸を置いて続けた。

「学校を燃やしてごめんなさい。本当はみんながいるときにやれたらよかったんだけど。本当の本当の本当は、そうしたかったんです。いや、自分の家に火をつけるのでもよかった。多分、それが一番だったかもしれません。でも、御覧の通りの結果に」

 昇二は肩をすくめた。

「ここにいる皆さんは、ぼくをとことんいじめて追いつめた。ぼくは学校を燃やした。これはフェアな取引だと思います」

 誰もが深く納得した様子でうなずいた。

「どうしてこんなことになったのか、胸に手を当てて考えてもらえれば分かると思います。あの、他に取り立てて言うことはありません。まさか、こんな思いがけない歓迎を受けるなんて。思いきってやってよかった。見てください」

 昇二が促すと、聴衆たちは地下から上がってくる階段口のところを見た。いつの間にか、煙がもうもうと立ちのぼってきていた。

「それからあっちも」

 体育館の出入り口も煙に取り巻かれていた。

 会場はざわつき、みんなが昇二に注目した。

「ここも長くはもたないでしょう。みんな燃えて跡形もなくなります。それでいいんだと思います。最後に、こんな、何の賞かよく分からないけど、賞までいただいてしまって。まるで夢でも見てるような――」

 昇二は、渦巻く黒煙の中で夢を見ていた。

 彼の体は、燃え上がり溶けかかった床の上に横たえられていた。

 もう誰も、彼を不快な起こし方で起こしたりしないだろう。



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毒親育ちが転生しそこなって普通に進学したら絶望しかなかった つくお @tsukuo

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