エピローグ

最終話 12歳の夏休み

最終話 12歳の夏休み



 今年の夏は暑くてこたえると、母さんはこぼしていた。

 照り付ける日差しより、アスファルトから立ち上がる熱気でゆでられそうだ。


 ラルサと一応の決着をつけた翌日の昼前、その成果を報告するために蓮の家へ歩いて行く。

 金も返さないといけないので、電話より直接出向いた方がいい。

 蓮の推理が正しかったこと、一日に書く量を減らせたことを伝えると、ハイタッチを求められた。

 パチンと乾いた音が、蓮の家の前で心地好く響く。


「契約自体は残ってるんだけどな。『千呪』書くのも、飽きてきたよ」

「それなんだけどさ……」


 図書館で創作の技法書を借りて帰った蓮は、羊関連以外の部分にも軽く目を通していた。

 ある本は文章力の鍛練方法として、様々なジャンルに挑戦することを勧めていたらしい。

 ミステリ、恋愛、ホラーにアクション。

 長編だけでなく短編や、もっと短いショートショート。


 そして、文芸とは何も小説だけを指すのではない、とも。

 社会問題を扱うノンフィクション。

 美術や音楽を解説する評論書。

 自分の思いを綴る随筆。


「日記とかエッセイってあるだろ。あれなら、修一もネタに困らないんじゃないのか?」

「やったなあ、夏休み日記の宿題。今年は出てないけど」

「羊にしか読ませないんだし、好きに書けばいいんだ。毎日の出来事を」

「その手があったか」


 家に帰り、山田と剣沢にも連絡を入れた頃、波崎からも電話がかかる。

 彼女も交渉成功を喜んでくれたあと、パールレの話を切り出した。

 ラルサと違って、契約していないパールレは縁を切るのも簡単だ。

 実際、“お泊り会”でそのことに気づいた波崎は、羊を拒絶するため、いち早く帰宅しようとした。


『悩んだんだけど、帰らせるのはやめた』

「なんで? 羊がいて、いいことなんてないじゃん」

『そうでもないかも』


 ミューズが来てから、文章を書く意欲は上がったと感じない? そう尋ねられ、オレも改めてこの一週間を振り返ってみる。

 あんなに嫌いだった作文が、今では原稿用紙数枚なら、なんてことはなく思う。

 これがラルサの影響だとしたら?


 それに、本を読むのもイヤじゃなかった。『サリー』のような長い小説、以前の自分でも短時間で読破できただろうか。

 せっかく父さんから借りた本は、今も机の上に放ってある。

 あれも少しずつ読んでみようと思う。


 国語力が向上したかは不明だけど、ミューズが創作の神とされてきたのは、あながち嘘ではないのかな。

 もっとも必要に迫られれば、誰だって一所懸命書くもんだけど。


 オレが課題を終えるまで、波崎は自分の羊とも向き合うと決めていた。

 一緒に執筆を頑張りましょう、そう言う彼女に、やっぱり図書委員だなと苦笑いする。


「ところでさ、なんでオレだったの? 国語が苦手なヤツなら、他にもいるじゃん」

『それは、きっかけに……』

「ん?」

『隣の席だからよ! もうっ』

「いや、なにもそんな、おいっ! ……うへぇ、切りやがった」


 怒ることないじゃん。

 女子はこれだから厄介だ。まったく。





 この日から、ラルサとの長い付き合いが始まった。


 六年生の夏休みは、友達が頻繁に家に遊びに来て、ずいぶんと賑やかに過ごす。

 ネタを仕入れたと言っては山田やケンが顔を出し、波崎から聞いたマルやカネまで来る始末だ。

 オレのことを、小説家志望だと教えたらしい。余計なことを。


 机に向かう時間が増えたので母さんの機嫌も良く、女子が来るならと楽しそうにケーキを買ったりもしていた。

 蓮の日記作戦は、なかなかのアイデアだ。夏休みもあと一週間の今まで、書く内容に詰まることはなかった。

 花火大会に夏祭り、叔母さん家族が来た翌日なんかは、ラルサが待望するオヤツ・・・も書いて渡す。


 盆前にあった旧校舎のお別れイベントはかなり盛大な催しで、いつもの数倍は日記が書けた。

 満腹だと跳ねて喜ぶ羊を見ていると、本物のペットを飼っている気分になる。


 八月二十五日の夜八時。

 今晩の食事は、それまでと趣向を変えてみた。


「味はどう?」

「美味しい。量もバッチリだよ。やっぱりボクは、日記よりこういう物語の方が好みだなあ」

「日記と似たようなもんじゃん」


 ちょっと反則気味だけど、美味しいのならよかった。

 書いた物語はデジカメで撮ってあり、また波崎にも読んでもらうつもりだ。


「これってでも、ボクがモデルだよね?」

「そう。白羊に百万字を書かされる男の子の話。そのうち出版されたりして」

「ギュハーッ、人間はすぐ調子に乗るんだから。次の契約者には最初から厳しくしないと……ギュルギュル消してやる……」


 なんだか不穏なことをつぶやいていたけど、聞き流してやった。

 秋はこの物語を、ゆっくり書いていく。

 百万字を達成したら、ラルサはまた別の作家志望者の元へと行くんだろう。そう遠くない先だといいな。

 次は書くのが得意なヤツにしてやれよ、と、他人事ながら願ってしまう。


『大人の知らない百万字の世界』


 九割くらいは、本当のことさ。

 これを読んだら、鏡に手を当ててみたくなるかもね。






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大人の知らない百万字の世界 高羽慧 @takabakei

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