24. 最後のドゲザ

 昼は算数の宿題を進め、夕食後に原稿執筆に取り組む。

 実に健全な夏休みだ。ゲーム時間が取れれば、さらに健全になるだろうけど、それは今晩次第。

 用意できた食事は原稿用紙二枚とちょっとで、千字も無いと思われた。

 定刻通り八時に現れたラルサは、案の定、食べた原稿の量に文句をつける。


「これじゃ少ないよ。飢え死にさせるつもり?」

「そう?」

「やる気ないねえ。いいよ、他で補充するから」

「やめた方がいい」


 目を光らせ始めたラルサは、途中で動きを止めて首を傾げた。


「どうして? えらく余裕だね」

「契約を破棄しないと、ラルサのことを全部書いて皆にバラす」

「ギュルッ、そんなことできないようにしないとねえ。一週間くらい丸ごと食べとこうか。お腹も空いてるし」

「バラすのは、オレじゃない。オレの記憶が消されたら、友達がネットに書き込むことになってる。一斉に、何回でもね」


 一瞬、ラルサが言葉に詰まったように見えたのは、気のせいじゃないだろう。

 しかし、すぐに尊大な口調で、オレをあざ笑ってきた。


「愚かしい。ネットだろうが、書籍だろうが、我の力は及ぶ。何を書くつもりか知らんが、全て消せばいいことだ」


 部屋が一息で血の色に染まる。

 本気のラルサは、遠慮もためらいも無く、全てを消し去るつもりだ。

 息が詰まり、眼の前がグニャリと歪む。


 ギュルギュルギュルッ。


 神経を逆なでする笑い声は、オレの皮膚という皮膚を震えさせ、気持ちの悪い鳥肌が沸き立った。

 ダメだ、反論しないと。

 もう一歩なんだ――!


「……それは、嘘だ」

「ん?」

「消せや……しない」

「馬鹿にするなよ、人間め。我がいかほどの力を持つか、その身で味わうが――」

「なら、なんで……第三版は……消せ……ないん、だ?」

「ギュッ……」


 お前こそ、人間をナメるなよ。

 荒俣彦々が加筆した第三版は、羊たちによってボロボロにされた。彼らに都合が悪いことが書かれたからだ。

 ミューズの力は本を回収させ、印刷された情報は残っていない。


 では、ネットはどうだろう。

 昨日も引き続き、山田はネット上の情報を集めてくれた。

 彼によると、第三版についての書き込みは消え過ぎ・・・・らしい。


 創作掲示板に限らず、どこで話題になろうが、“荒らし”が発生して記録ログ流し・・てしまう。

 大量の文字を書き込んで、本題を過去に追いやるってことだ。どうやったのか、中にはいきなり記録が消去された例もある。

 ひたすら“羊”の文字を並べる謎の人物は、羊ハッカーとか、シープクラッカーなんて名付けられ、一部で噂になっていた。


 だが、羊たちの仕事は、完璧とは言い難い。

 ネット保管所アーカイブにコピーされたもの、個人の端末に残った履歴キャッシュ、運よく閲覧した不特定多数の人間の記憶。

 消えそびれた記録なんて、まだまだいくらでも存在する。

 高度に発達した現代のネット社会は、羊の能力を上回り始めていた。


 ラルサの動揺を誘えたのだろうか。

 赤い光は心持ち薄れ、酸素が再びオレの肺を満たす。


「みんながしつこく書き込んだら対処しきれない、だろ? 親友が考察してくれたよ」

「ギュギュッ……」

「問題は、何をそんなに言い触らされたら困るのか、だった」

「べ、別に困ることなど――」

「二語の呪文、いや、ミューズの帰らせ方だ。せっかく呼んでもらっても、すぐに追い払われたんじゃマズいんだ!」


 それだけじゃない。

 召喚方法があるってことは、逆に言えば全く自由に出現できるわけじゃないってこと。

 鏡があればどこからでも現れる、なんてラルサは言ったけど、これも嘘だ。


 今まで出入りゲートに使われたのは、手鏡と山田のスマホ。

 波崎の話だと、彼女の部屋の鏡台とエレベーターの鏡。

 召喚者の身近にある鏡、あるいは、召喚者の視界にある鏡が、ゲートになる条件じゃないだろうか。


 こいつらは、召喚した人間が近くにいないと、こっちの世界に出て来れない。それが蓮の結論だった。

 遠く離れた友人にまで、即座に赤い光を浴びせるのは不可能なんだ。

 どうやってか皆の記憶を消せたとしても、時間差があれば書き込みはできる。

 蓮には、五百円じゃとても足りない借りができてしまったな。


「帰れと鏡に願う、だったか。単純だから、バラしたら簡単に実行できる」

「やめろ」

「血を与えたら契約になるから注意しろってのも、付け加えとこう」

「やめてくれ」

「契約解除したらね」

「頼む、バラすのはやめて」

「契約を破棄しろ」

「無理なんだって! イジメないで!」


 全身が泡立つのは、攻守入れ替わってラルサの番だ

 ラルサの毛が、ザワザワと海藻のように揺らめく。新手あらての攻撃かと身構えたけど、どうもそうじゃない。

 ギュエギュエ声を詰まらせながら、ラルサは必死で思い留まるように懇願した。


 血肉の契約は、ラルサ自身にも変更できない絶対のおきてである。

 契約した以上、契約相手からしか食事がもらえない。

 毎日食べないと、本当に飢えて死んでしまう、と。


「せめてゴールを変えられないの? 百万字を二万字にするとか」

「できないよ! ボクが決めたんじゃないもの」

「じゃあ、決めたヤツに頼めよ」

「そんなの、昔からそういうものなの! お願いだから、百万字は書いて。赤いのはやめるから」


 両の前脚を畳に投げ出し、頭をこすりつける黒羊。

 まさかドゲザされるとは。

 さすがに少しなら、譲歩してやろうかという気になった。


「契約は絶対なんだな?」

「絶対! 羊は嘘つかない。ギュルに誓って本当!」

「嘘つきまくってるじゃん。騙したら、やっぱりネットに書くぞ」

「騙さないって!」

「ノルマを下げろ。一日に百字なら書いてやる」


 ギュエーッと悲鳴が上がった。


「それじゃ餓死一直線だよ! 一日五千字にして」

「馬鹿言うな。二百字で手を打とう」

「死ぬって。殺される!」

「バズーカ型らしいぞ」

「ギュエ? 何が?」

「ケンの新兵器。スズメバチも倒せる銃タイプの殺虫剤だってさ」


 飢えるより先に毒殺するつもりかと、ラルサの絶叫が窓ガラスを震わせた。

 母さんが飛んでくるから、静かにしろと叱り付ける。


「妥協して、四百字だ」

「千字にして……お腹が……」

「六百字、これが限界。国語ばっかりやってられるか」


 たっぷり一分はうなっていたラルサも、最後はこれを認めざるを得なかった。

 たまにはオヤツも加えて欲しいとか言ってたけど、それくらいなら気が向けば書いてやろう。


 百万字は撤回できなかったものの、一日のノルマを激減させて、羊との新規契約が成立した。

 ふふん。


 ま、こんなもんだろうよ。

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