41 優しい竜の物語 2

ある朝、いつもなら静かに開く扉が勢いよく開いて音に驚き目を覚ます。


「竜神様っ!!聞いて欲しいのっ!!あなたは明日、外に出られます…

やっと、やっと、解放されましたね 」


そう言うと少女は涙を流して抱き付いてきた。

最初は勢いに圧倒されていたが、どうやら俺はここから出られるらしい。俺はお払い箱ってことだ。


─ お払い箱…?


違う。

胸がまたチクリと痛んだ。だけど少女は心底嬉しそうに微笑んで、審議がどうのと言いながら部屋を出ていった。それから少女は日が変わるまでここに訪れることはなかった。




「今回は大規模な広範囲魔法且つ上位魔法となりますので、皆さんの息を合わせるのが重要です。この懐中時計の秒針が丁度頂点を指したとき、技の発動をお願いします。


それでは皆さん、始めてください 」


少女は左手を竜に触れた。右手からぶら下がる懐中時計が小さな音をたてて時を刻む。


─ そしてそれが真上を指した時


回りを囲む魔法使い達が杖を掲げた。

目映い光に包まれたと思えば、鼻を擽る懐かしい匂い。忘れることなど出来るだろうか、ここはずっと思い描いた瞼の裏の故郷である。そこには燃えるように鮮やかな赤が途方もなく広がっていた。目を見開く俺に少女が安堵の表情を浮かべる。


「どうやら成功したようでよかった…

竜神様の故郷はとても美しい場所ですね。戻るのに時間がかかりすぎてごめんなさい」


少女の手が優しく頬を撫でた。ふたりの間を静かに風が通り抜け、ひらひらと落ち葉が舞い上がる。


「竜神様、私達人間が貴方に行った酷い事、改めて謝罪させてください。本当に申し訳ありませんでした」


─ お前がやった訳じゃねぇだろう、お前は、


「ですが、この先きっと他にも竜神様に悪事を働く人間はいます。だから決して人間には気を抜かずに、まずは疑って下さい。御武運を御祈りします」


少女はそう言って鼻先に口付けを落とした。


「どうか、どうかいつまでも、お元気で…

またいつか、お会いできる日を待ってます」


眩い光が少女を包み込んで、それは別れを告げた。

キラキラ光る少女をまじまじと見て、俺は何故か焦り、慌てて慣れない言葉を出す。


『 マッデイル イヅマデモ 』


うまく伝わっただろうか。

花が咲くような笑顔で笑った少女の両手に、思いを乗せた。散るように光が消えてなくなった時、そこに少女の姿はなかった。


一方少女は眩い光がおさまり目を開く。

そこには無事に帰還した自身を喜ぶ歓声に、竜のいなくなっただだっ広い空間。これで良かったのだと慰めるように、両手を自身の胸に重ねた。すると手には見たことのない小さな鉱石が握られていた。

それは美しく光を屈折し輝いて、それが世界に伝わる秘宝の″ 竜の雫 ″だとはすぐに理解は出来なかった。



◇◇◇


あれから何年か経った。

あの少女がここに現れることはなく俺は一人、今だ少女と最後に別れた場所から離れられないでいた。


ある日、急に空間が歪んで一人の魔法使いが現れる。少女かと期待して踊った心を隠すように爪を翳した。

が、その魔法使いの男は命は手を下さぬとも事切れるようだった。


「あんたは… ぐっ、ここ、の、主だったのか?」


俺は何も答えずに見下ろした。


「たの、むっ!ここにも直に追っ手が来るだろう

あんたの地を汚して申し訳ないが…この際悩んでいる暇はない。私の全てを払うから頼む!俺の話を聞いてくれっ!!」


男は口から乾いた弱い息を吐きながら、血混じりにそういった。


『 ナニガ ノゾミダ 』


暇潰しには丁度いいかもしれない。

久しぶりに発した声は慣れていないせいか、微かに震える。そして久しぶりに聞いた少女の名前に驚き目を見開いた。


「あんたを救ったエリザベス様は今、国の反逆者として捕らえられてるんだ…竜の一族と裏で繋がっているとあらぬ疑いをかけられている。それに、きっとこのままでは近々処刑されることが決定した」


男は言い終えるとなにやら急に地面に魔法陣を書き出して、咄嗟に俺は距離をとる。眩い光の中から出てきたのは歪な形をした短刀だった。


「説明している暇はない。敵はすぐそこまで来ているんだ。

この短剣は前者の持つ全てを後者に受け継ぐことができ秘宝″ 継承の剣 ″と呼ばれている。頼む、今は黙って私を信用して欲しい。エリザベス様を助けたいのならば…

─ あんたがあの時の竜ならばな」


はっと、俺は思い出した。そうだ、この男は少女の世話係だ。少女が毒に侵された時に命乞いをしてきたやつだ。


「すまない、もう追っ手が来たようだ。きっとあとは私の記憶で理解できる…頼んだぞ

─ ″ 必ずエリザベス様を助け出してくれよ ″」


そう言って男は短剣で自身の心臓を刺した。また空間が急に歪んだと思うと、突如そこには武装した沢山の兵士が現れた。


『 ─ 失せろ 』


俺の口からは勝手に人の言葉が出て、猛毒の粒子が発生しそれを吸い込んだ兵士達が悶え苦しみながら倒れていく。その身体は黒ずんで消炭のようになり塵となって消えた。


『なっ、どうなってんだ …ゔっ!』


体がやけに軽いと思えば視線も低い。自身を見れば鋼の竜の体ではなく人間の姿になっていた。脳内に流れ込む夥しい量の男の記憶に、体が拒絶し激しい頭痛と胃の中のものがせり上がってくる。全て出し終えた時には吐き気もおさまり仰向けに寝転んだ。

他人の記憶が脳内にあるとは不思議な感覚だ。何故少女が捕らえられているのかが、男の記憶で分かる。怒りと憎しみの感情が、心の空いた隙間を埋めていった。

男のお陰で自身がどこに行くべきか、その行き先も分かってる。そして少女を救った暁には思う存分責め立ててやろう。この姿ならきっとうまく喋れるだろうし、きっと少女は泣いて謝るのだろう。これだけ待ちぼうけをくらっていたんだ、バチは当たらない。

こうしてはいられない、早く少女に会いに行かねば。未だ怠さが残る身体を起こして立ち上がると、少女のいる国へと急いだ。



向かった先に見える景色は、なんとも寂びれたものだった。すれ違う人間はくたびれた服を着て、裏路地には痩せこけた老人が壁にもたれて座っている。かつては活気づいていたであろう市場も、屋台の外枠だけを残してもぬけの殻だ。

ひとまず男の記憶に強く残る酒屋の扉を叩いた。


「…なんじゃ、衛兵か。金ならもう払っただろうに、他をあたれ」


『エリザベスを助けに来た。中に入れろ』


「も、もしや、貴方はあの時の…さぁ、早く中へお入り下さい」


店主の老夫が扉を開いて辺りを見回す。そして路地に誰もいないことを確認すると、静かに後ろ手で閉めた。


「お待ちしておりましたぞ、竜神様…きっと、きっと、来てくださると信じておりました」


手を合わせて泣き崩れる老夫に、どうしていいか分からず後ずさる。様子を伺っていたのか奥からぞろぞろと人が出てくると、俺の姿に歓喜の声をあげた。


俺がいなくなってから、この国はすっかり変貌を遂げたらしい。隣国との関係が悪化して冷戦状態が続いているうえに、国王の急死。取り敢えず王妃が実権を握るが、ここから歯車が狂いだす。王の政治をよく思っていなかった側近達が王妃を丸め込み、裏で支配を始めた。平和主義だったこの国は今や軍事国家として武力向上に全力を注いでいる。


「もはや王妃様はただのお飾りだ。権力を持った貴族や商人は希少種を狩って強力な武器を生産し、国内外から秘密裏に多額な資金を集めている。その中には竜の鱗も含まれていて、それを知ったエリザベス様は猛反対したんだ。」


『それで反逆罪で捕まっているんだな』


がたいのいい男は悔しそうに頷いた。王女を思いむせび泣く音がやけに耳に残った。


『…で、処刑はいつだ?』


「それが急に予定が早まって明日になった。きっと俺達の動きに王国が勘づいたんだろう。俺達は明日なんとしてもエリザベス様を助け出す。だから竜神様にはエリザベス様を連れて逃げて欲しいんだ。遠く遠く、追っ手の届かない所まで」


頼む、と頭を下げる男に俺は頷いた。人ひとり逃がすぐらい朝飯前だ。なにをそこまで大袈裟な、と正直思った。


「ありがとう、ありがとう竜神様っ!!

よし!そうと決まれば話は終いだ、さぁ飲むぞ!ほら、竜神様も飲んだ飲んだ!!」


『お、おいっ!』


半ば無理矢理にジョッキを握らされる。初めての飲み物だったが、毒ではないようだ。テーブルいっぱいに様々な料理が並び、子供達のはしゃいだ声が響く。女達は花が咲いたように笑い、酔った男達は歌って踊った。老人が幼い頃の少女の話をすると、皆がそれに聞き入り涙を流す者もいた。

俺には何故こいつらが笑っているのか分からなかった。このおかしな、まるで祭り事のような雰囲気が俺にはやけに印象に残って離れないでいた。


─ そして日は昇り、処刑日を迎える。


「処刑は正午に行われるそうだ。広間には制御魔法が張られていて大技は勿論、竜神様も竜の姿には戻れないだろう。」


「そうなると長距離の移動魔法も不可能だな…だがそれは相手も同じこと。こんなこともあろうかと、武器はたんまり集めてあるぞ」


偵察に行った男が皆を集め神妙な顔をして言った。俺は子供達に懐かれたようで、隣で眠る少年の頭に手をおいて話を聞く。


『俺はなにをすればいいんだ?』


「竜神様にはなんとしてもエリザベス様を守り、この国から脱出して欲しい。あとは俺達がなんとかする。竜神様も必要ないとは思うが一応、武器を選んでおいてくれ」


運ばれてきた武器箱から二本のダガーナイフを選んで腰に下げた。男達も武器を選び、それ以外は懐に爆薬を忍ばせる。


「作戦決行はエリザベス様が処刑台に上がった時だ。俺の攻撃を合図に奇襲を仕掛ける 失敗は許されない、絶対に遅れはとるな。

…よし、三時間後に広間へ向かおう。それまでは待機だ」


武器の手入れをする者、なにかを書き残す者、涙ながらに思い出を語り合う者。それを俺と子供達が不思議そうに見ていた。


長いようで短かった三時間がたち、少数のグループに分かれて酒屋を出る。


「竜神様これね、あげる!」


袖を掴む少年に渡されたのは、青紫色の糸で編まれたブレスレットだった。


「これはね、お守りだって王女様がみんなにって作ってくれたんだ!きっと、竜神様を悪いやつから守ってくれるよ」


『…ならお前が持て。俺は心配されるほど弱くはない、それに大事なもんだろう?』


「だ か らっ!だから、竜神様にあげるの!

ね、約束だよ?絶対に王女様を助けてね」


少年は無理矢理俺の腕にブレスレットを着けると、屈託のない笑みを向ける。断ると面倒くさそうなので、礼の代わりに頭を撫でた。


「竜神様、俺達も行こう。

…子供達のことはお前に託したぞ。許せ、最愛なる我が息子よ」


「うん、父さん。言われた通りちゃんとするよ、父さんも気をつけて」


別れを惜しむように抱き合う二人を横目で見る。男が少年に包みを手渡すと、微かに独特の嫌な臭いがした。


『待て、なんだそれは、』

「竜神様!…っ、さぁ行きましょう」


男に背中を強引に押されて酒屋の外に出た。後ろを見ると少年が手を降っていて扉が閉まる瞬間、酷く悲しそうに見えた。



『あいつはあんたの息子じゃなかったのか?あの包みからは毒の匂いがした、それも猛毒の…』


俺は前を歩く男に向かって言った。


「…頼む、もう何も言わないで欲しい。俺達も随分かかってやっと決断できたんだ、すまない。」


顔だけをこちらに向けた男の頬に、涙の筋ができる。その会話を最後に一言も話すことなく、二人は広場に向かった。

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