40 優しい竜の物語
「セオ様、貴方は昨夜見回りに行ったのではなかったのですか?
私は貴方の指示通り制御装置の改良をして、休む間も惜しみ働いていたというのに…
まさか、イシュタル様と一夜を過ごしているなんて」
「セバス様、それは誤解で…
「セバス、悪かったな。だが、あまり細かい男は嫌われると大昔言ったじゃないか。忘れたのか?」
慌てるイシュタルを余所にセオは低血圧なのかめんどくさそうに返した。
「イシュタル様もあまりご自分の評価をお下げにならないように。
貴女は今日は一日中暇でしょうし、良ければお使いを頼まれてはくれませんか?」
「私に出来ることでしたら是非やらせてください」
イシュタルに断る理由なんてなかった。いや、この会話の流れで断るという選択肢がなかったのだ。
「よいお返事で助かります。ではこの
セバスの有無を言わさぬ瞳に、イシュタルは何度も頷き
そして身支度を整えるとイシュタルは小瓶を二つ大事そうに抱えて中庭へと出た。
◇◇◇
『捕まえたぞっ!!!
みんな、猛毒の尻尾に注意しろ!』
何故か分からないが急に手足を縛られ身動きがとれない。俺が何をしたってんだよ。
「 グゥォオオオァァ!!!」
吠えると少し怯んだが、特殊な魔法は自慢の尻尾を完全に封じていた。
『くそっ!怯むんじゃないっ!!
よし、ここで尻尾は切り落としていくぞ!気絶させろ!!』
それだけはやめてくれ!
俺は無我夢中で体を動かすけどびくともしない。男が斧のような武器を高々に掲げる。もう駄目だ。
そう思った瞬間、強い痛みとともに意識がなくなった。
次に目を覚ましたのは見ず知らずの場所だった。
まわりを石の壁が囲っていて、体は魔法が付与した鎖に繋がれていた。焼けるようなひどい痛みに目線を向けると、あるはずの尻尾が切り落とされている。
─ 絶対に殺してやる
だが、鎖が邪魔だ。しかも立つことさえ出来ないほど強力な魔法のようだ。
『目を覚ましたようだな、竜神様。
死なれちゃあ鱗が剥げねぇからなぁ~ 鋼がくすんじまって強度がさがっちまう』
そう言うと男はペンチのようなもので鱗を挟み、
剥いた。
「グゥガァァァアア!!!」
『はーい、いちまーいっと!ヒャヒャヒャ!』
男は笑いながら俺の鱗を舐める。まるで子供が遊ぶように、次々に挟み剥いていく。
『どーせすぐに生えてくるの、知ってんだからねぇ?』
そして、苦痛しかない地獄の日々が始まった。
あれからどれ程たったのか。
体は本能で回復に力を使い、鱗は出血を止めるために生え続けた。生えては剥がされて、生えては剥がされて、最早命が尽きるのも時間の問題。
─ やっと死ねる
俺はいつの間にか諦めていた。死ねる、そう思うと徐々に痛みを感じなくなった。
今日も男はニヤニヤと笑みを浮かべて近付いてくる。が、顔が青ざめ足が止まる。
「あなた達だったのですね。竜の鱗を加工して国外で売り捌いていたのは。
今この場で第一王女、このエリザベスの名において命じます!!大人しく処罰を受けなさい!」
そう言ったのは少女であった。
少女の言葉を合図に、騎士達が次々に男達に縄をかける。主犯の男は暴れたものの、半ば強引にひこずられるようにして連れていかれた。
騎士達が出ていくと、代わりに杖を持った魔法使いがぞろぞろと竜を囲む。
俺は、抵抗する力もなく見ていると少女が鼻先を撫でた。
「なんて酷いことを……竜は平和の象徴であり守り神でもあるというのに…
こんなになるまで、助けられなくてごめんなさい」
こいつが何故涙を流すのか俺にはわからなかった。
そして、魔法使いが交代で寝ずに回復魔法を使って、今日で五日目になる。
俺はなんでもすると言った少女に、包帯を巻かれた尻尾を動かした。案の定包帯を交換すると、微かに残った毒が染み込んでいて、少女の手は爛れていた。次の日も、次の日も俺は同じことを頼んだ。だが少女は苦痛の表情を浮かべるものの、毎日包帯を取り替える。
ある日包帯を落とし手を押さえた少女に、部下が駆け寄り言った。
「" エリザベス "王女様!!率直に申し上げます!
この竜は日に日に弱っていく貴女のお姿を見て楽しんでいます!!…っ、こんな、…どうして、」
「心配してくれてありがとう。
でもね、仕方がないのかもしれないわ…
だってもしあなたが竜ならばこの怒り、憎しみ、受けた痛みをその矢先を誰に向けますか?私は、それが竜神様の望みならばそれでいい。これは私が招いた結果だと、受け入れる他ありません」
そう言って少女は包帯を拾って巻き始める。俺はなんとなく目線を向けると、少女は無駄に綺麗な目を見開いて青白い顔でこっちを見ながら、
「あなたと目が、初めて合ったわ…
すごく綺麗ね、まるで絵本の湖のような美しい
そう言って微笑んだ。
─ なんだコイツ
それが俺の率直な感想だ。
なんで笑うのかわからない。こいつに毒が効いてないなんて、そんなわけはない。そもそも、部下だって気付いてんのになんで毎回素手で触る?毒があるって知ってんだろ。罪滅ぼしのつもりかなんかか?
─ 俺の怒りはこいつを殺せば消えるのか?
そんなもん知るか。死ななきゃわからない。
考えるのをやめた俺は、瞳を閉じて眠りについた。
やけに騒がしい声に薄く目を開くと、少女の部下達が顔の前で叫んでいた。腕にはぐったりとした少女の姿。毒は全身に回ったようで、虫の息といったところか。どうせ命乞いにでも来たのだろう、
「頼むっ!!…エリザベス王女様を助けてくれ!
このお方は、このお方は、あんたを助けるためにずっと…っ!!」
そらみろ。俺の知ったことか。
この毒は竜の体内でつくられたものだ。だから竜の血には自身が死なないように解毒作用が含まれているし、この世に解毒剤は存在しない。まぁ要するに血を飲まなきゃ死ぬってわけだ。やらないけど。
どうせ次は武器をもって脅してくるんだろう?
生憎、体は回復してくれたおかげで、いつでも鎖は外せるんだよな。
「くそっ!なにも答えないのか!
…こうなったら、力尽くでもやるしか、
「 やめな、さい 」
気を取り戻した少女は部下達に下がるように命じると、両手をあちこち宙に泳がせる。痛々しい右手が冷たい鱗に触れると、安心したように笑った。
「ごめんなさい、もう目が見えないの。
…あの人間達が竜神様にしたこと、許してくれとはいいません。でも全ての人間があなたの敵ではないことは、覚えておいて。それを理解してくれるなら、私の命も報われます」
なんなんだ、こいつは。涙を流しているが、顔は喜びに満ちている。泣き叫んで、悲願さえすれば助けてやってもよかったのに。
少女が膝から崩れて地面に倒れる。
部下は下がっていて誰も来ない。
呼吸が段々と遅くなり、
─ やがて止まる。
バキィ 、バキバキバキッ!!
土埃が舞って視界が白く濁る。凄まじい音に驚いて部下達が少女に駆け寄った。
その後なにが起こったかは正直なところ詳しくは覚えていない。
「あんた…っ!
ありがとう、あり、がっ…助けてくれ、たんだな 」
大の大人が顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いて言った。視界が開けると、そこには生気の戻った少女に砕けた鎖。気付けば俺は少女に自身の血を与えていた。
それからというもの、少女は毎日両手いっぱいに摘んだ花をかかえて現れた。
「ごめんなさい、まだあなたの翼は空を飛ぶには無理でしょう?だからせめて外の匂いだけでもって思ったのだけれど… 」
たくさんの濃い花の香りが充満して、ありがたいことに薬品の臭いは気にならない。
最近長い時間一緒に居るせいか少しだけ人間の言葉が話せるようになった。まぁだからといって話すつもりはないのだが。
忙しなく包帯を持って動き回る少女を横目に、小さく溜め息をついた。一カ月経つというのに、今だ何故助けたのか分からないままである。ただ、この少女は竜の血を体に巡らせていて、もう俺の毒は効かないだろう。それを証拠に、尻尾に触れても被れすらしないのだ。
─ まぁ体が治れば、あとは殺せばいい
そう自分に言い聞かせて、深く瞳を閉じた。
毎日毎日、増える貢ぎ物に顔の回りは花が溢れていた。はなから警戒心の け の字もなかった少女は、今や自身の鼻先を背もたれにして眠っている。普段の表情とは違い、寝顔は年相応といったところだ。
─ いくらでも殺せる機会はあったはずだ
まさに絶好のチャンスである。口を開けば簡単にその柔らかい体を噛み砕くことが出来るだろう。なのに、何故か少女がいる事に慣れてしまった自分がいる。この沸き上がる感情がなにかは分からないけれど、ただひとつ分かったのは、
─ 少女は敵ではない
ということだ。
わざと顔を少し動かせば、少女が小さく唸って目を覚ます。
「んっ…、いつの間にか私、眠っちゃったのね うわっ!!もうこんな時間!!
起こしてくれてありがとう、竜神様!お稽古に遅れるとばぁやがうるさいの」
片目を薄く開くと少女は手を振りながら出ていった。
─ どうせ" お花のお稽古 " だろ 知ってるっての
少女のお決まりの口癖である。遅刻して叱られた日は暗い表情なのですぐにわかった。だからといって別に起こしてやっている訳ではない。ただ、俺が寝返りをうつタイミングが偶然にも一致しただけである。勘違いされては困るのだ。
俺は再び目を閉じてゆっくりと翼を広げる。まだ至るところに傷はあるものの、自然治癒でも充分なほどに治っていた。あと数日もすればこの監獄ともおさらばできそうだ。
心のなかで小さく笑うと、そのもっと奥がなんだかチクリと痛む。一瞬脳裏に何故か少女の姿が浮かんだが、それ以上考えると痛みが酷くなりそうなのでやめた。
ここには窓がないから断言はできないけど、きっと外に出る頃には葉は赤く色付いて、好物の木の実がたくさん実っているだろう。そうだ、その為にはさっさとこんな場所出ていかなくては。
そして俺はまた目を閉じて眠る。瞼には自身の故郷を思い描いた。
─ ここに根付いた気持ちを蔑ろにして
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