21 猫

イシュタルは朝食をとった後、シンに教えてもらった通りに中庭へと向かった。セレネは心配そうに止めたが、気晴らしもしたかったので我が儘を言って今に至る。


「す、すごい… !!」


扉を開けるとそこは一面色とりどりの花に埋め尽くされていた。優しく風が流れ、ふわりと舞い上がった花の香りに包まれる。イシュタルが奧へと進むと、花畑の真ん中に一本の大きな木を見つけた。下には長椅子が置いてあって、濃紫色の猫が気持ちよさそうに昼寝をしている。恐る恐る近付くと、イシュタルに気付いていたのか片目を開けて鳴いた。


「 ニャー 」


「っ!ご、ごめんね、起こしちゃったね!」


イシュタルが慌てて謝るが、猫は一層うるさいと言わんばかりに顔を背けた。静かに隣へ腰かけると風に揺れる花々を見つめる。イシュタルは刺さるような視線を感じ顔を向けると、猫がじっと見ていた。


「アナタはここで飼われているの?」


猫は返事をすることはなく、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。


「もしここがアナタのお家ならアナタは幸せね。だってここは美しいものばかりだもの。それに住む人達はみんな私みたいな人間でも優しくしてくれる」


「 ニャー 」


猫はイシュタルにひと鳴きすると、体を丸めて寝入った。そんな姿を見てイシュタルは微笑むと、揺れる花々に視線を戻す。暖かい陽の光がいい具合に葉の隙間から射し込み、ゆっくりと眠気が襲う。駄目だと思いながらも逆らえず、イシュタルは完全に夢の世界へと落ちていった。



「イシュタル様、こんなところで寝ていると風邪をひきますよ」


肩を優しく叩かれて、イシュタルはゆっくりと目を開く。そこには困った顔をしたセレネの姿があった。少しのつもりが三時間程寝入ってしまい、イシュタルが慌ててセレネに謝る。


「大丈夫ですよ、まだ昼食には早い時間ですので。体が冷えているようですから一度部屋に戻りましょう。イシュタル様は寒くなかったのですか?」


「え? はい、むしろ気持ちいい位の陽気でした。花もすごく綺麗だし シンさんに会ったらお礼を言わなければ」


「…そうですか。それはとても良いものが見れて良かったですね」


二人は話をしながら城の中へと戻っていく。すると急に立ち止まったイシュタルは、くるりと振り返って言った。


「じゃあね、猫さん 今度はお名前教えてね」


手を降って戻っていく後ろ姿を猫は静かに見つめていた。イシュタルはセレネに猫の事を聞くが、なにも知らないと何故か笑って言われた。セレネの様子に少し引っ掛かるが、また会えるような気がしてイシュタルは胸踊らせるのだった。



そして二人が居なくなった中庭には猫が一匹。あくびをすると、椅子から降りて城の方へと歩いていく。

刹那、霧のような靄が足下から発せられたと思うと、瞬く間に猫の体を包んでいった。それが消えるとそこには、バステトの姿があり深い深いため息を吐く。


「どーしてこうも人間は気付かないものかにゃ~。“ 猫化ヒポクリシー “もだけど、まさかローズベリーの“ 幻覚ハルーシネイション “さえ気付かないとは…

それにしてもイシュタルあの子にはこの庭がどんな風に見えてたんだろうにゃ」


そう言うとバステトは城へと戻っていった。辺りはぼんやりと曇っている。陽など射し込むはずのない地面には、いたるところを木の根がうねうねと這っていた。鮮やかな真っ赤なローズベリーも、もはやこの空間では気味悪さを感じさせる。


「これが“ 綺麗 “か、ウチにはさっぱりだにゃ」


バステトがドアノブに手をかけて、ちらりと振り返って言う。入った後、軋む扉が小さく音を立てて閉まった。




部屋に戻ったイシュタルとセレネは、遅めの昼食をとってゆったりと過ごしていた。夕食前、二人でお喋りに花を咲かせていると、ノックの音が部屋に響く。セレネが出ると、そこにはセバスの姿があった。


「夕食前にすみません、セオ様が堕獄の間に集まるようにと。私はイシュタル様をお迎えにあがった次第です」


そう言うと、すたすたと椅子に座っているイシュタルの前でセバスは、そっと手をとって立たせる。すると、一瞬にして部屋から堕獄の間へと移動した。


「来たか。すまんなイシュタル、休みのところを。ムタとアフロディーテも帰ってきたし、情報の擦り合わせを行うぞ」


そこにはセオをはじめ、他の全員の姿があり、イシュタルはセバスに促されるようにセオの隣へ並んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る