14 救出

「…っ、な、なん、だこれは…?」


男が手を叩いた瞬間、辺りが目を開けられない程の眩しい光に包まれる。イシュタルも同様、痛いぐらいの眩しさに出来る限り目を隠した。その光が落ち着いて目を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。


「お、…おい、 …っ!!ジルッ!!」


ランダイが手下のジルと呼んだ男に駆け寄るが反応は無く、動く気配もない。何故なら眼球は収まっているのが不思議なほどに突き出し、だらしなく開いた口からは流れ出る血が水溜まりをつくっていた。

それを見てイシュタルは、吐き気が再び襲ってくるも胃はすでにすっからかんになっていて、えずくだけでなにも出てこなかった。


「テ、テメェ!!よくも…よくもジルを殺りやがったなァァ!!」


「なにそれー。ホントにさぁ、言ってんの?

…殺ったのアンタでしょ」


「黙れ、黙れ!殺してやるっ!!

… ま、さか 」


ムタが笑って言った。

ランダイは持っていたナイフを向けると、何かに気づいたのか自身の手を怯えたように見つめる。そして気付いたのか、手からナイフが滑り落ち床を跳ねて転がった。


「おっ!分かっちゃった? そのまさかだ。

正解はずぅーっと、俺ちんだと思って刺しまくってたのはなんと、お仲間のジルさんでしたー!!」


「う、…嘘だ、俺は…これは、なにかの幻覚だ!!!」


「はぁー。…そんなに信じられないなら見せてやるよ お前の目ン玉はちゃんとそれを視てんだからさ」


ムタはランダイとの距離をつめると顔を鷲掴みにする。咄嗟に避けようとしたランダイだが、あまりの速さと信じられないほどの握力に成す術もなかった。なんとか逃れようともがくランダイに、ムタは言い聞かすように言う。


「ほらほら、静かに …始まるよ」


その瞬間、ランダイの記憶が意思とは無関係に一気に巻き戻される。浮かぶのはムタの" 支配の鎖ヘクト チェーン "に縛られる姿、" 麻痺毒ナムポイズン "に侵されて倒れ込む姿。脳内にあるその記憶のどの顔も、すべてがジルへと変わっていった。


「…っ、こんな、 こんなの嘘、だ !!」


「だから、嘘じゃないって。 …あ、そうだ!お嬢さんいいもの見せてあげよう」


顔をイシュタルの方に傾けて言ったムタの瞳は、長い前髪でやはり見えない。イシュタルは止めることも出来ず格子の間から怯えた目をむけた。


「… 狂った人って見たことある?」


「や、や めて、やめてくれ、 ゔっ ぐああ゙あ゙あ゙あ゙」


突如ランダイの悲鳴が響き渡る。ムタの手を除けようともがくが、数秒後糸が切れたように脱力して座り込む。ムタが離してもランダイは動く気配すらなく、俯いたままであった。


「あーりゃま、ずっぽり洗脳ハマっちゃったか」


乱暴にランダイの前髪を掴んで頭を持ち上げると、興味が失せたように呟いてムタはイシュタルが捕らわれている檻へと歩む。頑丈な南京錠を軽く指で弾くと、それは糸も簡単に外れた。


「お嬢さんまたせたね。さぁおいで

って、うげっ… 吐いゲロちゃってたか。きったねぇー」


そう言うとムタはイシュタルへと手を伸ばし、強引に立たせて檻の外へと引かれた。


「早く帰らないと魔王サマに怒られちゃうから、ちんたらしないでよー

んん?声でねぇのか?…あぁー、"空虚の鳥籠ヘクト ゲージラング"かけられてるな。ほい、これで喋れるだろ?」


ムタがイシュタルの鎖骨の間を指で触れると、一瞬暖かい光を放つ。すると、麻痺していた喉の感覚が徐々に戻って、掠れ掠れの声でイシュタルは言葉をつなぐ。


「た 助け くれて、ありがと ござ ます」


「はいはい。それとあんまり下を見たら、またゲロるぞ」


腕の拘束も解けて、イシュタルが座り込む男の隣を通りすぎる時、目に写ったのはまさしく"狂人"の姿であった。口はだらしなく開いて涎が垂れる。目は瞬きを忘れたように見開き、ずっと何かよく分からないことを、ひたすら呟いていた。

そして何度も刺されて息絶えた男の屍の周りには、大きな血溜りが広がっていて、むせかえる血の臭いにイシュタルは口元を押さえる。無惨にも殺された少年はその悲惨さゆえに目を逸らしたが、ふとその視線が左手で止まる。少年の緩んだ手の中には、何かが握られていた。それは少年自身の血で汚れてはいたが見覚えのある星のヘアピンだった。もしかするとあの少年の妹も、自分と同じように閉じ込められていたのだろうか。そう思うとイシュタルは涙を堪えるように目を瞑った。


「…あのさ~、そんなに 私は悲しいですー みたいな顔されても困るんだけど。

アンタ、殺されかけてたんだよ? んで、アンタを殺そうとしてた奴らが死んでるだけじゃん。当たり前だろ?じゃないとアンタが死んでたんだからな」


「で、でも、…あまりにも無惨で、かわいそうです」


「こいつらが死んでくれたおかげで、アンタは今生きてる。良かったじゃない」


そう言われて、イシュタルは無性に怖くなった。自分の命と引き換えに失った命が、今やこの空間にいくつも転がっている。


「わ、わたしはやっぱり、セオ様の所へは戻れません…、すみません」


「はぁ?急にどうしたのさ?」


「私は、奴隷です… 奴隷の私が他の人の命を踏み台に生きるなんてできません。同じような少年を見ると心が痛い。身内もいないし生きる価値のない私が誰かの犠牲で生きるなんてできませんよ…」


そう言って動かない少年に、イシュタルは涙を滲ませる。きっと、この子は兄妹で助け合ってきたのだろう。生きるため必死に、毎日を過ごしていたのだ。そんなことを思うと、涙は止まることを知らず関をきったように溢れ出す。

だが、そんなイシュタルにムタから発せられた言葉は、思いもよらぬほど冷たいものであった。


「うわっ… 聖書バイブルにでも書かれてるような綺麗事だね! 他人が犠牲になるくらいなら自分がって …アンタ、奴隷のクセに" 修道女シスター "にでもなったつもり?」


声をあげて笑うムタに、イシュタルは何も言い返すことが出来なかった。そんなイシュタルを見て、ムタが追い討ちをかけるように言う。


「それで、アンタは自分を犠牲に他人を救って …じゃあこの男みたいに滅多刺しになれるの?この子の替わりに殴り殺される?」


「そ、それは…」


「ほら、結局は出来ないんじゃない。所詮人間は嘘つきなんだよ。だとすると魔王サマの所に戻らないと言ったのだって、俺達から逃げるための嘘なんじゃない?

…例えば魔族の情報をどっかに流してるとか」


その瞬間、イシュタルの体は動かなくなった。頭は動けと叫ぶのに、指の一本すら動くことは許されなかった。ムタの真っ赤な舌が、イシュタルの頬を流れる涙を捕らえる。


「セオ様のお気に入りかなんかは知らないけど、俺ちんはアンタを信用してないよ。どうせ"人間下級生物"は嘘ばっかりだし。 あ、いいこと思いつーいた!面白い技を見せてやるよ。」


きつく目を閉じたイシュタルだが何も起こらず、恐る恐る開いた。だが周りや自身に何も変化はなく、体も動かないままであった。


「これは" 聖者の声オネストチャット "。いつもは拷問の時ぐらいしか使わないけど、使うの何年ぶりかな…。この技は、簡単に言えば嘘がつけなくなる。

まぁ試しに今から言うことに、全部"肯定はい"で答えてみろよ。」


「じゃあアンタは人族ヒューマン?」

「 はい 」

「奴隷?」

「 はい 」


「性別は 男 ?」

「 むんんっ!! 」


「そうゆーこと。嘘をつこうとすると声が出なくなるんだ。この技、今は弱くかけてあるけど、強くかければもっと相手を支配することが出来る。今少しあげたから、今からお前は自分の意思に関係なく口が勝手に動く」


まるでオモチャで遊ぶ少年のように笑うムタは、楽しそうに話しを続ける。


「嘘ついたら即刻殺すからなぁー。

じゃあまず第一質問、魔王サマの所に戻らず何処に行く気だったの?」


「はい、特に決まっておらず、どこも行く宛はありません。」


機械のようにスラスラと答える自分に、イシュタルは驚いた。本当に勝手に口が動いているようで、まるで他人の話を聞いているような感覚だった。


「え~じゃあ第二質問、何で戻らないって言ったの。どうせなんか秘密があるんでしょ?」


「いいえ、それは全くありません。これと言って知り合いや人の繋がり等ないため、先程述べた理由が虚偽の可能性は低いです」


イシュタルは動く口を必死に止めようとするが、体は動かず、意識をしても無駄なようだ。ムタはイシュタルの答えが思っていたのと違って、呆気にとられたような苛立ったように言う。


「はぁ?じゃあ何なんだよ。」


「はい、戻りたくないと言ったのには理由があるようです。一点目が奴隷である、ということです。奴隷である自身が他の奴隷達より、裕福な生活する事に罪悪感を抱いているようです。」


「…はぁ、他には?」


「はい、二点目は、捨てられる未来を考えて躊躇していると言った所でしょうか。彼女はセオ様に対等な人としての扱いをされて、儚い好意を抱いたようです。が、その反面いつか自身が必要なくなったとき、捨てられた時にまた奴隷に戻れるのか不安なようです。

これは、人間の思考にて私には理解不能説明不可能です。」


「はぁ!?人間下級生物がそんなバカみたいな理由なんて、嘘に決まってるだろ …絶対になんかある、他には 」


未だイシュタルの答えに納得できず、ムタは声を荒げる。イシュタルは自信の意志が筒抜けで、恥ずかしさを隠しきれない様子であった。

イシュタルは早く終わってほしいと願い、次の問に身構えていると、ムタの言葉が不自然に途中で止まる。ムタの顔に汗が一筋はしり、どことなしか口元が引きつっているように見える。

その瞬間にムタの後ろに漆黒の魔法陣が浮かび上がり、そこから二人の姿が現れた。


「なんとも可愛い理由じゃないか。それならば俺は飽きられないように努力せねばな。

そんなことより、随分と楽しそうじゃないかムタ。俺も交ぜてくれよ」


セオがムタの肩を掴んで言った。イシュタルから見えるムタの顔は青ざめていて、汗が止めどなく流れていた。

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