12 拘束

少年が前を走り抜けた瞬間、少年は驚いたように目を見開いてイシュタルを見ていた。両腕のなかから溢れるようにリンゴがひとつ、地面に転がった。それ追うようにイシュタルは振り返ったが、人混みに紛れて少年の姿は見当たらない。

キョロキョロとしていると、老婆が一人心配するように近づいてきた。

「お嬢さん、大丈夫かい?危なかったねぇ」


「あ、はい。大丈夫です、ぶつかってもないですし」


「そうかい、それじゃあ安心だね、…おっとっと」


ふらついた老婆に、イシュタルは手を伸ばして体を支えた。足元に倒れている杖を拾って持たせるが、未だ足は覚束ない状態である。


「すまないねぇ、どうも歳をとると体にガタがきちまって…今日は歩きすぎちゃったかね」


「大丈夫ですか?あそこの店の隣に椅子があります、そこで少し休みましょう」


イシュタルは老婆の手を握って、ゆっくりと歩く。ちらりとセオの方を見たがまだ店主と話をしているようで、こっちを振り向く様子はなかった。

やっと椅子までたどり着いて座らせると、老婆は大きく息をはく。


「ふぅー…本当にありがとうね、助かったよ。すまんねぇ、手間かけさせちゃって」


「いえ、じゃあ私はこれで。どうかお大事になさってください」


イシュタルは老婆にお辞儀をしてセオの元へと戻る。

が、勢いよく右腕を捕まれて足が止まった。


「どこに戻ると言うんだい?……着飾った奴隷がよ」


振り返るとそこには先ほどの老婆の姿があった。だが、腕を握る手は老婆から想像もつかないほど強い。さげすみ笑う顔を最後に、イシュタルの意識は遠退いていった。

老婆は一瞬にして男の容姿に変わると、意識を失い脱力したイシュタルの体を担いで裏路地へと消えた。




大きく体が揺れてイシュタルは目を開ける。そこは真っ暗で、手足を縛られ身動きがとれない。口には布のようなものを噛まされていて、声は魔法で封じられているようだ。何かに乗せられているのだろうか、車輪が軋むような音が下から聞こえてくる。

しばらくしてどこかに止まり、音と揺れが静かになった。すると足音が近付いてきて男の声が聞こえる。


「おい、さっさとそいつを下ろせ。」

「手足縛ってますがどうします?」

「そんな事ぐらい自分で考えろよ。

足だけ外せばいいだろ、逃げないようにちゃんと捕まえとけよ」


するとイシュタルの足を縛っていた紐が乱暴に解かれる。ついでに視界を覆っていた布も外されて、光がぼんやりと目に入ってきた。

どこかの建物だろうか、灯りが足元を等間隔に照らして奥へと続いている。

男の一人に引っ張られながら、倉庫のような所に連れていかれた。見上げると両端には何段もある高いラックが列をなして並んでいる。


「コイツ、どうします?どっか縛っときましょうか?」


「そうだな……

おっ、いいモンあるじゃねぇか。その檻にでも入れとけ」


男は返事すると隅にあった檻の中にイシュタルを放り込んだ。外から南京錠で施錠してリーダーの男の方へと戻っていくと、煙草を吸いながら雑談を始めていた。


─ なぜだか声も出ないし助けも呼べない


イシュタルは檻の中を見渡す。床は薄汚れていて鉄格子には黒いシミがいたるところに付着していた。足元にキラリと光るものを見つけてしゃがむと、少し錆びた星の飾りのヘアピンだった。自分と同じように捕まった人がいるのだろうか。そう思うと背筋に冷たいものが走る。イシュタルはこれ以上考えまいと首を振り、男達にバレないように手の拘束を解こうと試みた。鎖で縛られているうえ、後ろ手ということもあり簡単には緩みそうにない。音を立てないように手を動かしていると、奥の扉が勢い良く開いて男達の会話が止まる。


「俺の…、俺のラナをどこに連れていった!!」


入ってきたのは、あの時の少年であった。少年は檻の中のイシュタルに見向きもせず、男達の元へと向かう。


「チッ、うるせぇガキだな。わかった、わかった、また後で連れてきてやるよ」


「今すぐだっ!!奴隷変わりを見付けたらラナを返す約束だったはずだ!返すまで、俺はここを動かねぇぞ!」


「まぁ、咄嗟にあの娘の手首の烙印に気付いたのは褒めてやるとしよう、結構上玉だしな。」


イシュタルはあの時の違和感を思い出した。そしてその違和感が今はっきりとする。あの時、少年が見ていたのは自分の手首にある" 奴隷の証烙印 "だということに。そしてそれを見ていた男のどちらかが老婆に化け、まんまと騙されてしまったようだ。


「だーけーどぉー、お前が今すぐだって言うなら仕方ねぇよな。なんせ約束したもんなぁ …おい、今すぐ妹の所へ案内してやれ」


そう言われた男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべて頷いた。そして少年に近付いて言う。


「お前もせっかちなヤツだ。あー、まだ煙草だって火ついてんのによぉ。そんなに急がなくてもすぐに会えたってのに…なぁっ!!」


瞬間、少年を押し倒した男は拳を握る。腕は動かないように自身の両膝で押さえて、笑いながら何度も何度も殴り続けた。血が周りの床へと飛び散り、骨が砕けたような鈍い音が響く。少年の呻くような声も次第に小さくなり、やがて消えた。


「はぁ、はぁ、ったく、これで兄妹水入らずだな。妹もアッチの世界で首を長くして待ってただろうよ…コイツどうします?臓器ぐらいは売り飛ばしますか?」


「後処理が面倒だ、そこらへんで燃やしとけ。おっと、そうだそうだ」


殴った男が血で汚れた手を少年の服で拭いていると、リーダーの男がイシュタルの檻に近付いてくる。イシュタルはその残忍な行為に、その少年の亡骸から目を背け、必死に涙を堪えていた。恐怖から小さく震える体で男を見ると、男は格子越しにしゃがみこみにやけながら言う。


「お前もわかっただろ?あんな風になりたくなかったら、静かにしとくこった。俺はすぐに女子供でも殺しちまうからなぁ」


イシュタルが首を振って下を見た時、男の影が異様に揺らめいているのに気付く。そしてその黒い影は湯気のように立ち上ぼり、膨らみ、やがて人のような形になった。しゃがんでいる男は気付かずに未だ喋っているが、イシュタルはソレから目を離せないでいた。


「にしても、お前本当に上玉だな。…くくっ、ちょっと売る前に味見してやるか」


「いいねぇー、それ。俺ちんも仲間にいれてよ、…味見って、大好きなんだよ」


影は段々と薄くなりやがて消えた。するとそこには気味の悪い笑みを浮かべたムタの姿があった。

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