09 黎明

一人になったイシュタルはティーカップを持ってバルコニーへと出る。外は風が少し吹いていたが、寒さは感じない。夜空を見上げると沢山の星々が煌めきあっていた。

今日は色々な事が一気にありすぎたと思う。ついさっきまで奴隷だった私が、今や貴族のように扱われている。


─ まるで夢のようだ ─


なぜ私を助けたのか。

なぜ私に優しくするのか。


なぜ、私なのか。


少しぬるくなった紅茶を一口飲んで、ため息を吐いた。すると、急に隣から声が聞こえる。


「それは俺が"一目惚れ"とやらをしてしまったからだ。」


驚いて見ると、手すりに座るセオであった。驚いた顔が面白かったようで、セオが声を出して笑う。ムッとして睨むが、全く効いていないようだ。


「すまん、すまん。散歩をしていたら姿が見えたもんだから、脅かすつもりはなかったんだ。眠れないのか?」


「いえ、眠れないわけでは…、あの、"一目惚れ"って何故私なんかに?」


セオは顎に手をやって考えている様子で、時折小さく唸りながら首を傾げる。すると、眉を困ったようによせて笑った


「俺にもわからん。教会でお前を見つけた時に、絶対なにがなんでも城に連れて帰るつもりだった。…まぁ正直泣かれなくて良かったよ。俺だって流石に無理矢理は後ろめたいからな。」


「でも、私は奴隷ですし、何も持ってませんし…。助けてもらえるような人間じゃないですよ…」


だんだんと小さくなる声に合わせて、目線も気付くと足元に向いた。セオはどんな顔をしているのだろうか、こんな私に。

すると視界に手が入ってきた瞬間、体を引き寄せられる。勢いあまってぶつかったが、セオはびくともしなかった。


「少し目を瞑っていろ」


言われた瞬間に足下がふわりと浮いて、服にしがみつく。セオの背中からは大きな羽音と共に、漆黒の翼が生えていた。バルコニーの手すりを蹴って飛び出せば、月に手が届きそうな所まで上昇した。うっすら目を開けて見た景色は余りにも綺麗で、イシュタルは息を飲む。


「まだまだこんなもんじゃないぞ」


そう言うと、セオはスピードを上げて降下を始めた。森にはイシュタルの悲鳴とそれを面白がるセオの笑い声が残っていく。

どこまで行くのだろうか。そんなことを考えていると、ゆっくりと上昇して足が地面に着いた。


「もう目を開けても大丈夫だ。」


イシュタルはゆっくりと目を開く。


そして言葉を失う。そこにはこのうえなく眼福な光景が広がっていた。誇らしげに咲く花々は、月明かりを浴びて色々な色へと変化する。角度が変われば同じ様に色も変わって、まさに神秘的とはこのことだろうか。瞬き、呼吸、からだの全てで惹かれて、それは吸い寄せられるような感覚であった。


「気に入ってくれたようだな。これは" 黎明の花アルバローズ "と言ってここにしか咲かないクリスタルの薔薇だ。まぁ、何故かはまた今度話すとして、ほら、これを」


セオは足元に生えるアルバローズをとって、イシュタルへ渡す。すると花弁は様々な色に輝き、やがて淡紅色になった。


「ほう…、綺麗だな。この花は持った者によって色が変わるんだ。一応、神々の祭壇に手向ける花だから心の清い者が持つと色鮮やかに染め上がる。俺がやると…ほらこの通り、真っ黒だ」


セオはそう言って困ったように笑った。イシュタルの手の上には艶黒の薔薇と淡紅色の薔薇、非対称のふたつが並ぶ。


「これって、髪飾りの薔薇によく似て…」


「そうだぞ、よくわかったな。メイドが取ってきたんだろう、俺達魔族は決まって黒薔薇だからな」


「本当に…とても、綺麗です。」


これほどまでに綺麗な" 黒 "はあるのだろうか。それは底無しの闇のようである。吸い込まれるように魅入って、出口がなく抜け出せないような闇だ。月の光すら飲み込んで自身の輝きとして放つ。

まるで、" セオ "のようであると思った。


「やっぱり、笑った顔が一番だな。」


「え…?私、笑ってましたか、?」


「ああ、ヘンテコな作り笑いとは大違いだ。バレてないとでも思ってたのか?」


騙そうとしてやったわけではなかった。体に染み付いている、という表現の方が正しいだろう。奴隷をしていると、主人の顔色を読むのも仕事の一貫だった。笑えと言われれば笑うし、馬鹿にされても笑顔を貼り付けていればいい。そう思ってやってきてしまった、いわば" 癖 "のようなものだ。


「笑いたくないなら笑うな 。笑いたい時にだけ笑えばいい。これは約束だ、いいな?」


セオに乱暴に撫でられる頭は、せっかくセレネが解いてくれたというのに、乱れていく。解放されて手櫛で整えていると、それを見ておもしろそうにセオが笑った。


それから様々に色を変えるアルバローズを見ながらゆっくりと時間を過ごした。特に会話という会話はなかったが、それでも心地よかったのだ。どのぐらいいたのかわからないが、セオに言われて立ち上がる。


「イシュタル、そろそろ帰ろう」


手をひかれ、後ろの花々に目をやればセオが困ったように笑った。


「また今度来よう。後数時間もすればこの花も輝きを失う。」


「輝きを失うって…何故ですか?」


「これは夜に咲く花なんだ。だから陽が昇れば、もうただのクリスタルだ。…大丈夫、別に枯れるわけではない。イシュタルは本当にアルバローズを気に入ったようだな」


セオは笑って軽々とイシュタルを抱き上げた。所謂" お姫様抱っこ "と言うものである。小さな悲鳴が聞こえたが、気にせず羽ばたく。

怖そうにしがみつく姿を見て、ゆっくりと雲ひとつない空を進んだ。夜はいっそう深くなっていて、星のざわめきさえ聞こえて来るようであった。



─ この人は 良い人 なのだろうか


イシュタルはちらりと目線をあげる。そこには気持ち良さそうに夜風を浴びるセオの姿があった。


─ 『笑いたくないなら笑うな、笑いたい時にだけ笑えばいい。これは約束だ、いいな?』─


正直、戸惑ってしまう。相手に合わせて、自身の感情は殺して。笑えと言われれば笑うし、泣けと言われれば泣く。


【 言われた通りにすればいい 】


そんな風に生きてきたのに、無理な話だと思った。だが対照的に、干からびた心は水を得たように潤い、狂ったように動き出す。欲が溢れだしそうで怖かった。鎮まるように言い聞かせて瞼を閉じると、そのまま意識は暗闇へと落ちていった。




「セオ様、随分と長い逢瀬、お楽しみいただけましたか?」


また面倒臭い奴に捕まってしまったと、セオは最後の抵抗で、腕の中で眠るイシュタルを翼で隠す。セバスは肩を大袈裟に落として、皆に聞こえるほどのわざとらしいため息を吐いた。


「セオ様、イシュタル様を寝室に御運びしますので…セレネ」


「はい。セオ様、失礼します」


渋々イシュタルをセレネに託すと、セレネは早々と寝室へ去っていった。


「セオ様、そのアルバローズは?」


セバスが指差した胸ポケットには淡紅色の薔薇が刺さっていた。ああ、そうだ。イシュタルが落とすといけないから、持っておいたのだ。


「セバス、悪いがイシュタルの部屋に飾っておいてくれないか?気に入っていたから、目につく場所がいい」


手渡すと、セバスはまじまじと見て言った。


「承知いたしました。ですがこのアルバローズ、花柄にいくにつれて色が暗くなっていますね、珍しい」


「そう言われればそうだな。月明かりの下だったから気付かなかった。それじゃあ、俺も休むとするか」


セバスの隣を通りすぎると、背中へ声がかかる。


「セオ様、私達はあまり人族ヒューマンのことを知りません。ですので、心配ないとは思いますがくれぐれも、御注意を。」


「分かってる、セバスは本当に心配性だな。第一、イシュタルに俺が殺せるなら俺はここまで生かされてないさ。勇者を待たずして死んでるだろうよ。じゃあ今日は休むとするかな。風呂は明日の朝に入る、セバスも早く休めよ」


振り返ることなく手をふって部屋へ戻った。メイド達には自室に戻るように言ってあったから、中には誰もいない。灯りを消した寝室には、相変わらず月の明かりが射し込み室内を照らす。

乱雑に服を脱いで床に放ると、ベッドへ倒れ込んだ。目を瞑るとさっきまでの事を思い出す。そんなことをしていると、自然と意識は落ちて眠りについた。



セオに頼まれたアルバローズを持ってイシュタルの寝室へと入るセバス。

気持ち良さそうに寝息をたてるイシュタルを見て、呆れて溜め息が出る。人族ヒューマンには危機感というものがないのだろうか。


「…よく、知らない場所で寝れますね。普通だったら殺されて今頃腹の中ですよ、まったく。」


サイドテーブルに花瓶を置いてアルバローズをいけながら、独り言のようにぽつりと言った。だが、イシュタルは起きることなく未だ夢の中。

この人間もそうだが、我が王も王である。昨日、今日会った相手を信用していいものか。そもそも、何故この人間なのかも理解不能だった。今までで一番深い溜め息を吐く。


─ まあ、すぐに飽きるだろう。なんせ生きる世界が違いすぎる。


そう思うことにして、部屋をあとにした。

明日は人族ヒューマンの世界を見に行くのだから、万が一に備えて計画を立てなければいけない。自室に戻れば、仕事が山程残っている。


─ 『お前も早く休めよ』 ─


ふと、さっき言われたセオの言葉を思い出して、足を止め少し考える。最早、休んでもいいんじゃないかと思い始めていた。呑気な二人を見れば、1日位放棄したところでバレないだろう。もう、仕事への意欲は本日休業といったところだ。

そうと決まればセバスの行動は早い。自室に戻り、着替えを持てばすぐに部屋を出る。そして足は休むことなく進み、扉の前で立ち止まった。


セオの為に自ら湯をはった大浴場を、セバスはひとり満喫するのであった。






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