第8話 小蔦かのんは白き小悪魔

 水曜日。

 疑似恋愛という謎設定で昨日は津布楽さんに振り回された。おれなりに恋人というものを演じてみたが彼女にとっていい刺激にはなっただろうか。ラブコメ作りに繋がってくれれば幸いだ。というか繋がってもらわないと困る。恥を忍んでやったのだから少しでも心に響いてもらわないとあのゲーセンにいた船倉静真はただのイタい男子高校生でしかない。

 でも楽しかった。

 パンチングマシーン、クレーン、洋服店と、その先々で交わすちょっとした何気ない会話が心地よく、ついつい笑みがこぼれた。その笑みに演技はない。自然と表に出た感情だった。

 きっとおれは彼女に惹かれている。


【恋】こい。

 特定の人物に強く惹かれること。または愛情を寄せること。


 これは恋か、否か。

 先週の木曜日、初めて真面に喋ってからまだ一週間も経過していない。たったこれだけの時間で恋とは成立するものなのか。恋と呼べるのか。

 しかしもっと短い時間で恋が成立することがある。創作物のヒロインだ。

 映画は約二時間という限られた時間の中で視聴者に恋をさせることができる。テレビアニメだったら約二十四分で恋させることも可能だ。その恋は本物だろう。本物だからこそ、写真集、グッズ、フィギュアなど購入して現実化を図ろうとするのだ。恋じゃなきゃそんなことはしないと思う。

 だから時間的には十分かもしれない。でもおれの場合は未成熟で何もハッキリしていなかった。

 津布楽さんはこの発展途上のもやもやとした気持ちを知らないのか。気楽そうでいい。


「何も隠してないー!」


 二時限目の休み時間に津布楽さんが女友だちと何か言い合っていた。

 口げんかではなく単なるじゃれあいだ。そのじゃれ相手は白ギャルの小蔦こづたかのん。津布楽さんとよく連んでいるところを目撃する。

 漆塗りの如く艶やかなショートカット、汚れのない白い肌とモノクロの世界からやってきたような白黒の少女だ。性格は多分、小悪魔系。おれもよく知らなかった。


「紅羽。あんたって結構解りやすいよ? バッグに何隠してんの?」

「だから何もないって~! かのんいじわる!」

「私の目はだませませーん。何か隠すときのあんたって自分の席から全く立たないよね?」

「た、立つしぃ……」

「立ってまっせーん。あんたの習性はもう解ってるんです~」

「ぐぬぬ……」


 小蔦こづたさんの指摘通り、確かに今日の津布楽さんは大人しかった。いつもは教室内をウロチョロしているのに今日に限ってはずっと自分の席に座ったままだ。

 そんな彼女たちを盗み見ていると小蔦さんと目が合った。マズいと思ったがもう遅く、彼女はにんまりと口角を上げた。


「解った。紅羽、ゴム隠してるんでしょ」

「はい!?」

「別に私は言いふらさないってば~。ゴムくらい持ってても不思議に思わないって」

「持ってないし! 輪ゴムなんて持ってないし!」

「今更とぼけるなんて往生際が悪い。最近船倉と仲良いじゃん」

「仲良くないしゴムなんて単語も知らない! 私何も知らない!」

「赤くなっちゃって、かーわうぃ~」


 小蔦さんがおっしゃった単語については紅羽さんはよく知っているはずだ。なぜなら彼女の処女作の中に、それがベッドの上で大量に散在している描写があったからだ。忘れもしない衝撃的な一コマだったから鮮明に覚えている。

 津布楽さんは恋を知らないと言ってはいるが元々男遊びの激しそうな派手めの格好をしているため、おれは納得してしまった。そんな目で見たくはないけれど彼女が作品にぶつけている過激なエロスがおれの首を縦に振らせてしまったのだ。

 心の中で津布楽さんにさよならを告げると、いきなりおれの机に握りこぶしが振り落ちた。ドンッという勢いで机からシャーペンや消しゴムが落っこちた。


「死ねぇっ!!」


 拳と暴言の主は喜太郞だった。つばを飛ばすなー、つばをー。

 たいそうご立腹なようで、親の敵のようにおれを睨み付けた。


「何でキレてるんだよ……」

「見損なったぞ!! プラトニックラブなら何とか許していたところだが、まさか……!! お前はクズだ!! お前は人間の糞尿から生まれたクズだ!!」

「おれよりお前が敵視する女子の話を信じるのかよ」

「黙れウンコ!! どうせおれとゲーセンで会った後におっぱじめたんだろ!?」

「何もねぇよ! そんなにおれが信じられないならいい加減友だち辞めるぞ!」

「はい、すみません」

「いやそこは流れ的に少し抵抗しろよ……。冗談だし、辞める気もないから……」

「アニメの話しようぜ」

「人にクズだの何だの言ってたのに随分と都合が良いな」


 彼は今期のおすすめアニメを語り出した。最近どれがいいのか解らなかったから悔しいがタメになった。高校生活を削ってまでアニメやその他サブカルチャーを貪欲に吸収しているだけある。

 彼ほど一長一短な人はなかなかいないだろう。




 

「ふーなーくーらぁー」


 四時限目の授業が終わるとすぐ単調なトーンで名前を呼ばれた。

 声の主は小蔦かのんだった。彼女は自分の席に来るよう手招く。嫌な予感しかないが行くしかなかった。


「一緒にお昼食べない?」

「え、おれと?」

「嫌?」

「別に嫌ってわけでは……」

「じゃあいいじゃん。くーれはー、お昼食べよー」


 津布楽さんはギギッとこちらに首を捻ると苦笑いを浮かべて「しゅ、宿題忘れてたから……」と断った。

 

「あれま。ま、いっか。船倉は弁当?」

「今日は弁当だ」

「オッケー。自分の椅子持ってきてよ」


 どういう意図があるのか推測する間もなく言われるがままに動いた。

 一つの机で女子と弁当を食べるのは初めてだ。付き合っていないとこんなことはできないだろう。いや、例え付き合っていたとしても同性の友だちと食うのが普通か。

 

「いかにも男の弁当って感じ~。茶色い」

「まぁこんなもんだろ。うまいものに限って見た目が悪かったりするからな」

「それはあるかも。それに、美味しいものって大抵健康に悪いからね」

「だな」


 意外と普通に話せていることに驚いた。以前から親しかったわけでもないのに不思議だった。彼女の気さくさがそうさせているのだろうか。

 

「船倉はどう思う? 紅羽は何を隠してると思う?」

「なんだろなぁ……」

「私はゴムだと思うんだけどぉー」

「ブッ」

「ちょいちょーい口から出さないでよー?」


 あやうく吐きかけて咳き込んだ。

 異性にもこのフランクな口調をするなんてもはや格好いいな。


「ウブだなぁ。紅羽が持ってるわけないじゃん」

「突然そんなこと、しかも女子から言われたらビビるっつーの」

「ごめんちゃい。でも勘違いしないでよ? 私、こんなメンヘラっぽい見た目だけど結構清楚だから」

「安心した」

「でもホント何だろうなぁ。紅羽って時々あんな感じになるんだよね。子供を守る親鳥みたいに近くに寄る人全員を警戒するの。何でだと思う?」


 多分BLでも持ってきているのだろう。津布楽さんが隠すものと言えばおれが知る限りそれだ。

 でもそれを暴露することはできない。彼女は死に物狂いで隠しているようだったし、ビンタは食らいたくない。なのでとぼけるのが一番だ。


「小蔦さんが解らないのにおれが解るわけがない」

「え~? 仲良いくせに~、うりうり~」

「や、やめ……」

「うりうり~、白状しろこの~」


 指先で額をぐりぐりと押される。耐えるんだ、おれ。こういったボディタッチは彼女にとっては何の意味もない、呼吸に等しいくらい普遍的行為なのだ。。こんなことでドキッとしたり意識していたら小蔦さん無しじゃ生きていけなくなるぞ。

 

「私のことは『かのん』でいいよ。こづたって堅苦しいし、男の子の名前みたいで嫌なんだ」

「解った、かのんさん」

「呼び捨てでいいし。私も静真って呼ぶからね」

「了解」


 すんなり呼び捨てできそうだ。津布楽さんのときは絞り出すように頑張ったというのにこの差は何だ。もしかして相性がいいからか? 気を遣う必要がないって素晴らしいなぁ。

 その後は他愛もない話をした。バイト先の居酒屋で大学生がウザいとか、ネイルを始めたとかそんな日常の一部を語ってくれた。彼女のトーク力が高いからか、無限に会話のキャッチボールが続きそうな勢いで口が止まらなかった。


 放課後。

 おれは先に廊下に出て津布楽さんが出てくるのを待っていた。

 教室では津布楽さんと距離が近すぎると小蔦さんみたいに勘違いされると思ったからだ。気にしすぎかもしれないが一応、松本喜太郞という実害は出ている。無意味ではないはずだ。


「おまたせー。はやくいこっ!」


 津布楽さんは教室から出ると足を止めることなく歩いた。ベルトコンベアにでも乗っているかのような華麗な移動だった。

 例の教室には待ち構えていたかのように椿つばき先輩が窓辺で外の景色を眺めていた。


「来たわね」


 あぁ、なるほど。先輩は津布楽さんからBLを借りに来たんだ。

 津布楽さんは「あああ~、やっと重荷から解放される~」と大きく息を吐いた。そしてバッグから紙袋を取り出し、先輩に手渡した。


「おぉ……!! 来た来た待ってたわー!」

「もー、今日はヒヤヒヤしっぱなしで疲れましたよー。ビニールに入れて厳重にしておきました」

「ありがと、紅羽。今度パフェ奢ってあげる」

「楽しみにしてます」


 学校でこのような取引が行われているなんてまだまだ知らないことだらけだな。

 おれの前では気にせず取引するということはおれもそっち側の人間だと思われているのだろうか。どうも腑に落ちない。

 目的を終えたのだから出て行くのかと思ったら先輩は窓際の椅子に座った。紙袋、ビニールと開けていってブツを出すと目を輝かせた。


「あ、私のことはお構いなく。気にせず例の創作してちょうだい」


 今読むのか。それくらい楽しみにしていたということか。でもその気持ちは解らないでもない。おれも楽しみにしていた漫画を買って待ちきれず、バスの中で読み始めたりする。

 気になって表紙のタイトルを見ると「下克上、ヤれるもんならヤってみろ」と書かれていた。なんとも恐ろしい。内容が大体解ってしまう自分も恐ろしい。

 先輩はいつもの凜とした表情を崩してニヤニヤし始めた。


「船倉くん。昨日、大まかにラブコメのストーリーを考えてみたんだけど聞いてくれる?」

「いいよ。おれは何を答えればいい?」

「単純に面白いか面白くないかでいいよ。面白かったらこれを軸にして展開とか考えるから、まずは良いかどうか」

「解った。聞いてみるよ」


 それから津布楽さんは簡潔に述べ始めた。設定、登場人物、人物同士の関係性を淡々と説明してラフ段階の絵も公開した。

 内容を全て聞き終え、おれは小時間考えた後答えた。


「ありがちだけれど面白いと思う。恋愛対象として見られていないヒロインが、幼馴染みの主人公をあの手この手で惚れさせようと奮闘するっていう設定は王道に近いから期待値も高そうだ。でもそれ故に個性を出さないと埋もれてしまう危険がある。それが課題になりそうだな」

「そうだよねぇ……」

「そこは津布楽さんの個性で勝負すればいいと思う。絵はうまいんだし、官能的な身体は描き慣れてるんだしさ。恋に無頓着な主人公を振り向かせようとするヒロインをめちゃくちゃ可愛く描けばそれだけでも一定の面白さは獲得できる。あとは展開だ」


 ふと思ったことがある。

 この恋に無頓着という点が津布楽さんと似ている気がする。彼女が語った主人公の人物像がどこか津布楽さんを彷彿させるのだ。

 もしや自分自身をモデルにしているのだろうか。


「なんか、津布楽さんみたいな主人公だな」

「え!? そ、そんなことないと思う!!」

「まぁそれもそうか。この主人公は恋を知ってそうだもんな。つーか、津布楽さんラブコメ描けてるじゃん」

「いやぁ、でもラブコメと言えるかどうかはまだ解らないよ」

「十分ラブコメだ。何か安心した。恋を知らないっていうからとんでもない物語を聞かされると思ってたんだ。おれの助言が無くともやっていけると思うぞ。そもそもおれは全然役に立っていないが」

「ダメダメ! 船倉くんは絶対必要だから!!」

「そうかぁ? だっておれが手伝えそうな分野って今だけだと思うぞ。絵を描き始めたら何も口出しできないし」

「船倉くんは居なきゃダメなのー! 主人公は高校生の男の子なんだから男の子の意見が欲しいの! それに物語は描いているうちに変化していくものなんだよ!? カオスな流れにならないよう客観的な目が欲しいの! だから君が欲しいの!」

「はぁ……」

「この無頓着ダメダメ男!」


 椿先輩がひゅーひゅーと口笛で茶々を入れた。先輩は黙ってBL読んでてください。自分が美人なクールキャラということを忘れないでください。


 そこまで求めるなら協力しないわけにはいかなかった。おれが携わる必要性は未だ疑問が尽きないが、自分の趣味が役に立つというなら協力した方がいいだろう。おれは損はしないし、彼女も損はしない。むしろお互いWin-Winだ。つまらないわけがない。

 帰宅時間になるまで津布楽さんと意見を出し合い、延々と語り続けた。

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