第9話 奪われたくない気持ち

「しずまー。あんたって映画好きなんだって?」

「一応」

「へぇ。私も結構観るんだよね~」


 教室で箒を持って掃除していると小蔦さんは唐突にそんな話を持ち出してきた。自分の趣味をおおっぴらにしていなかったから彼女が知っていることに少々驚いた。

 

「お父さんが映画好きで小さい頃からよく観てた。静真はどんなジャンル好きなの?」

「おれはヒューマンドラマ系が一番好きかな。でも基本的に好き嫌いは無い」

「へぇ、なんか意外。静真って無愛想だから陰湿そうな映画とか好きそうだと思ってた。ちゃんと血の通った人間なんだね」

「とんだ偏見だな」


 近い将来に訪れるSFの世界、超常的な未知が潜むホラーの世界、童話の生き物たちが活躍するファンタジーの世界とそれぞれ魅力的ではあるが、やはりおれの中では普通の人間同士が作るドラマを観ているときが一番楽しい。


「かのん、掃除は?」

「うちの班は洗面所だから一瞬で終わっちゃった。サボってないよ。暇だから話しかけてやってるんだし」

「洗面所とかアタリだな。つーか何でおれが映画が趣味って知ってるんだ?」

「紅羽が教えてくれた。静真ってどういうやつー?って聞いたら『映画が好きで、眼鏡がすごく似合ってる』って言ってた」

「眼鏡のくだりは余計だな」

「うん。でもまぁ、似合ってるっちゃ似合ってるよね。ちょっと眼鏡外してみなよ」


 言われたとおりに眼鏡を外した。途端に視界がぼやける。


「あはっ! ウケるー! あんた誰~!!」

「そこまで笑うか……」

「ごめんごめん。でも眼鏡無しの方がいいかもよ? 根暗っぽくないし。割と見てくれはいいんだからお洒落しなよ。恥ずかしいことじゃないんだから、さっ!」


 おれの背中をどつくと「わぁっはっはっは」と古くさい悪役みたいに豪快に笑って立ち去っていった。

 小蔦さんっていい人だな。それともおれがチョロいだけだろうか。

 

 一方、彼女の友だちである津布楽さんは何故かツーンとしていた。

 今日は木曜日だから創作のスケジュール的に「ストーリーと設定はこれでいこう」とはっきりさせる重要な日だ。なのに彼女は手の甲に顎を乗せてあさっての方向に顔を向けたままだ。

 とりあえずおれから話を進めよう。


「津布楽さん。ラブコメについてなんだけど」

「『津布楽さん』、ねぇ……」

「? 月曜日に決めた通り、今日はラブコメの概要を確定させる日だ。もう少し時間を延ばすならそれでもいい。津布楽さんのペースが一番大事だから判断は任せる」

「そう、私は『津布楽さん……』」


 自分の名字を二度も読み上げて一体どうしたんだ。今更自分の名字について何か思う節でもあるのだろうか。

 

「そういや珍しい名字だよな。それに三文字名字って格好いいから憧れる」

「ふぅん……。そーゆーもんなんだねぇ……」

「それに津布楽つぶらって音とつぶらな瞳の『つぶら』が同音だから良いよな。津布楽さんの瞳も綺麗だし、素敵な苗字だと思う」

「そうねぇ……」


 おかしいな。恋人っぽい発言をしてみたのに彼女は半眼のままで心ここにあらずだ。感情がこもっていなかったからか? ゲーセンではエモいだの尊いだのと終始興奮気味だった彼女は何処へ行ってしまったのか。

 そんな膠着状態の空気の中、来訪者が現れた。


「お邪魔するわ」

「椿先輩。何かご用ですか」


 隣の生徒会室から椿先輩がやってきた。息が詰まりそうだったので助かった。


「進捗を覗きにね。私にも作品を見せるって約束したでしょう?」

「そういえばそうでしたね」

「さぁて、紅羽。どんな感じなのか教えてちょうだい」


 先輩は津布楽さんの隣に座って催促した。それでようやく津布楽さんはのそのそとバッグから資料を取り出し机に置いた。修正された点があるか気になっていたが、先輩が素早く手に取って自分のものにしてしまった。

 再び津布楽さんの冷めた表情を観察することになった。しかし彼女はおれに目を合わせてきた。

 

「船倉くん」

「は、はい」

「かのんと仲良いね」

「かのん? あぁ、でも確かに相性は良いかもな」

「あっ、相性っ!? ナニソレ!? 肉体的な相性ってこと!?」

「趣味の相性だ。かのんっておれと同じく映画を見るのが趣味らしいからさ。津布楽さんがかのんに教えたんだって? おれが映画好きなこと」

「ナニソレ……、ナニソレ! かのんかのんってー!」


 先輩、女の子って何なのでしょう。おれにはよく解りません。

 でも桃色の頬をぷくっと膨らませた表情はとても可愛かったので文句は言えない。


「こらこらイチャイチャしてんじゃないわ。あぁ目の毒。見せるなら男同士にして」

「先輩、津布楽さんはきっとイチャイチャの意味は解ってません」

「え、そうなの紅羽」

「そんなわけないじゃないですか……。私を誰だと思ってるんです」

「エロ漫画家」

「い、言い方ってものがあるじゃないですかぁ……!」


 涙目のエロ漫画家に肩を叩かれる先輩は冷静沈着に「紅羽は正真正銘の変態じゃない」と追い打ちをかけた。別におれは何とも思わなかった。津布楽さんの作品を読めば一目瞭然だからだ。

 

「でも紅羽、やっぱりあなたラブコメでもやっていけると思うわ。ラフ画も可愛い。お話も面白そう。早く読んでみたいから頑張って」

「先輩もそう思ってくれますか!?」

「えぇ。楽しみね」


 大丈夫そうだな、とおれは安堵した。

 津布楽さんの資料をもとにおれは概要を作り始めた。彼女が作りたい物語を解りやすい文章に起こすのだ。この作業はブログでやりなれたものだった。

 作業中、女性陣二人はBL話に花を咲かせ、時々津布楽さんが絵の描き方をレクチャーしていた。盗み聞きしていると先輩は過激な作品が好みだという非常にどうでもいいことが判明した。外面と内面は必ずしも一致しないらしい。

 そんな話をBGMにしながら完成させた。

 

「できました」

「ねぇねぇ、紅羽。参考にしてるものってあるの?」

「参考ですか……」

「あの、できたんですが」

「だってアレとか普通思いつかないでしょ。あんな際どいアングル、ビデオじゃないと構図的に描きづらくない? 何を参考にしてるか教えてよ」

「うぅ……。先輩、船倉くんの前ではちょっと……」

「おれのことは気にしなくていいんで、とりあえず目を通してください」

「今更恥ずかしがる必要ある? 彼、私たちの世界を理解してるわ。ほら、耳元で」

「はぁもう、言います言いますってばぁー」


 津布楽さんは先輩の耳元でコソコソと何かを話した。早く終わんねぇかなこの茶番。 

 

 まとめた概要は二人とも好評だった。特に先輩から「君は綺麗な文章を書くね」と褒められたことが嬉しかった。そう感じ取られるとは思っていなかったので虚をつかれた思いだったが、先輩は余計なことを付け加えた。


「官能小説書いてよ。多分売れるよ」


 この性欲お化けは早く何とかしないとダメだと思った放課後だった。



 


 金曜日。

 連休前日になるとおれはいつも土日は何をしようかと考える。まずは来週提出する課題を先に終わらせることが先だ。そしたら何をしよう。上映中の映画でも一本観に行こうかな。

 そんなことを朝のホームルームが始まる前の教室でぼんやり考えていた。


「おっはよー」

「おはよう」


 朝の眠気なんて感じさせない気分の良い挨拶は小蔦さんだった。


「静真って明日暇ー? 暇っしょー?」

「暇だな」

「じゃあ私と映画観に行かない? 今面白そうなのやってて観たいなーって思ってたんだ。私、映画館は一人で行けない人だからさ、お願いっ!」

「おれなんかでいいのか? 女子の友だちと行った方が楽しいと思うぞ。津布楽さんとかさ」

「いや無理無理。だって第二次世界大戦中の話だから。絶対一緒に観てくれない」

「絶対観ないな」

「うんうん。てなわけで来てくれる?」

「そこまで言うなら……。解った」

「いぇい。時間とか昼休みに話そ」


 人と映画館に行くのは久しぶりだ。おれは一人でも行く人間なので二人で観るのは中々新鮮味がありそうだ。それに何となく小蔦さんは映画を語れる人な気がするのでそれも楽しみだ。

 そして入れ替わるように喜太郞が前席に座った。


「静真、二股か。浮気してんだな」

「ゴシップ記者にでもなりたいのか」

「悪いことはいわない。浮気はやめとけ。確かにお前がハーレムものを――」

「ハーレムのくだりは前も聞いた。それにおれは好きな人とかいないからな。小蔦さんは趣味が合うだけだ」

「ほうほう。さては静真殿、異性の友だちってものを信じていると?」

「ここ最近、お前面倒くさいな」

「忠告してやってるんだ。よし。数々のラブコメアニメ、恋愛アニメ、百合アニメ、ハーレムアニメ、エロアニメを観てきたおれが予言しておいてやる」

「聞いてて恥ずかしいからやめろよ……。おれが辛くなってくるわ」

「お前は近いうちに『真の恋』を知るだろう」


 顎をしゃくりながら予言者を気取る喜太郞におれは呆れるしかなかった。真の恋ってことは少なくとも現実における恋なのだから、アニメで語る彼には無縁の概念だと思う。それに彼は魔法使い同盟にのっとって女子との交流を絶っている。そんな彼がいかにして恋を語るのか。

 結論、虚言である。


「そうか。その真の恋とやらが訪れることを祈ってる。ちなみにおれが恋するのか? それとも誰かがおれに恋するのか?」

「そこは知らん。神社に行って訊いてこい」

「最後は神頼みかよ」

「来期のアニメについて語ろうぜ」

「真の恋はいずこへ」


 彼が本当に真の恋というものを知っているなら是非津布楽さんに教えてやってほしい。おれみたいな中途半端な恋愛観を持っているやつの話を参考にする必要もなくなる。

 

 三時限目は体育だった。

 体育館で男女混合のバレーをする。最初はチームごとの練習となり、円になってトスの練習を始めた。

 おれは運良く運動神経抜群のBL漫画家・津布楽紅羽さんと同じチームになった。彼女がいれば怖いものなしだ。


「おらぁ受け取れ静真ァ!」


 そしてメンタル面で最強の選手がチームに入った。何を隠そう、松本喜太郞だ。彼は自称「動くデブ」らしく、異名に恥じない滑らかな動きでボールを繋いでいた。回ってきたボールをおればかりにトスするところはやはり彼らしいなと思った。

 練習時間が終わると待機チームはコートの周りで観戦になった。

 おれのチームは次だ。ステージに座って試合を観戦した。

 そんな中、津布楽さんがおれの隣に座った。お互いの太股が触れるか触れないかハラハラする距離だったので緊張が走る。

 制服の着こなしのように彼女はここでもギリギリを追求している。サイズが合っていないのか、身体の凹凸がとてもクッキリと浮き出ている。お腹がちらっと見えそうで危なっかしい。

 おれは悟りを開こうと頑張った。体育服装で興奮してしまうと人生が終わるからだ。きっと健康優良男児なら解ってくれる。


「ねぇ船倉くん。明日どこかで疑似恋愛しない?」


 津布楽さんは本当に凄いことをおっしゃる。まるでサイバーパンクの世界みたいだ。感情を持つ自律機械との愛は成立するのか、みたいなテーマの映画に出てくる台詞をさらっと言えてしまう彼女に畏敬の念を抱いた。

 

「いいけど」

「ほんとに!?」

「特に予定は――あ、忘れてた。実は明日、かのんと一緒に映画を観に行く約束を先にしてて……」

「ぇ……」

「申し訳ない……って、え!? ちょっと津布楽さん!?」


 一粒の涙が頬を伝った。悲しみも苦痛も垣間見えない無表情だったから彼女の心境が一切解らなかった。どう気遣えばいいのか解らず、おれはただ彼女の顔を覗き込んで心配した。


「ど、どうしちゃったんすか、津布楽さん」

「ううん。ごめん、目が乾燥しちゃって……」

「今日の湿度は高いですよ」

「そうなんだ。残念だけど、かのんと楽しんでね」

「本当に大丈夫か……?」

「だいじょーぶ! じゃあ今度付き合ってね! ラブコメ作りの材料が不足してるんだから頼むよ~、船倉く~ん?」

「解った。今度な」


 津布楽さんって難しい。

 身体が密着するハプニングがあった時の平然としていた彼女を見て「本当に鈍感なんだなぁ」と当時は思ったがどうも最近違う気がしてきた。喜怒哀楽が激しく、恥ずかしいって気持ちもちゃんと解ってる。

 喜太郞の言う「真の恋」というものが解れば彼女の心を少しでも感じられるだろうか。

 

 


 

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