第7話 どんな子が好みですか

 船倉くんに「紅羽」と呼ばれ、私は頭がパーになった。

 いつも「津布楽さん」という一歩距離を置いた呼び方に多少の不満を抱いていた私は、ずっと下の名前で呼ばれることを切望していた。津布楽さんと呼ばれる限りは異性の友だちという範疇から絶対に出ないだろうし、鈍感な彼はいつまでも私を恋愛対象として見ない。だから私たちの未来のためにもファーストステップとして呼び捨ては絶対事項だったのだ。

 そしてようやく言わせることができた。

 紅羽と呼ばれた瞬間、私は脳内麻薬のエンドルフィンを大量にどばどば分泌してかつてない強大な多幸感に襲われた。頭の中が砂糖で溢れかえっているような、とてつもなく甘い感情が脳全体をそっと包み込んだ。天国ってこういうところなのかなとぼーっとする意識の中でふと思った。

 

「よーし、取れた取れた。これくらいなら楽勝だな」


 気付けば船倉くんはコウテイペンギンを抱いていた。たった四回で取ってしまったらしい。

 

「津布楽さん、これ」


 そっとぬいぐるみを渡される。私は無言で受け取ってコウテイペンギンちゃんをぎゅっと抱きしめた。ふわふわに柔らかくて可愛かった。

 私も言わなきゃ。

 よーし、言う。私は言う。船倉静真、船倉静真、よしいけそう。


「ありがと……。しずま、くん」

「う、うっす……」


 私はぬいぐるみのお腹に顔を埋めた。思わず叫びそうになる自分を押さえ込む。

 どうしてこうなっちゃったんだろう。

 何であんな嘘をついちゃったんだろう。

 本当に嘘をつかないと船倉くんに近づけなかったのだろうか。素直に作品作りに協力してって言っていればこんな窮屈な思いはしなかったかもしれないのに。

 私はぬいぐるみを強く抱いた。彼だと思って、彼の中心にいると思って、私は心の中でこの恋を叫んだ。


 顔を上げると船倉くんは私ではなく別の方向に首を曲げていた。

 

「あそこにいるの、喜太郞か……?」


 その方向にはアーケードゲームをプレイ中の松本くんがいた。彼はよく船倉くんとよく話している。でも何を話しているかはよく解らない。私が近づくといつも無視されるから。


「ちょっと行ってみるか」

「船倉くん。そこは違うでしょ」

「え、何が?」

「普通は、自分の彼女の近くに男を近づけたくないと思うよ? だからこの場合は私と一緒に離れるのが正解じゃない?」

「まぁそれもそうだけど。あくまで疑似だからいいんじゃね?」

「そ、そうだよねぇー……!」


 よくねぇよ! 空気読めよ鈍感!

 恋を知らない設定が恨めしい。恨めしくて狂いそう。

 でもしょうがない。彼は私に気がなさそうだから私がどう足掻いても全部空回りするだけだ。もし気持ちを伝えたとしてもきっと彼は苦笑いをする。ただの自傷行為だ。気まずくなって避けるようになり、作品作りも頓挫するだろう。

 やっぱり嘘は正解だったかもしれないなぁ。

 船倉くんの後に付いていき、アーケードに居座る松本くんの元へと近寄った。


「おい喜太郞」

「目玉の親父かよ。静真、今集中してるんだ。話しかけ――」


 松本くんは私を見ると急に目の光を失った。そんなに私のことが嫌いなのか。いいもん。私だって君のこと興味ないし。

 

「お前なぁ……。言っておくけどな、津布楽さんはお前を悪く言うような人じゃないから拒絶する必要はないと思うぞ」

「……信用ならん」

「大丈夫だって。津布楽さんは好き嫌いに鈍感だからさ、警戒するだけ滑稽だぞ」


 自己紹介してるんですか。鈍感なのは船倉くんだからね。


「ホントだよ~。何なら私のこと女の子だと思わなくていいよ。人間っぽい生き物程度でいいよ」

「……じゃあそうする」

「うわぁ、やっと私と喋ってくれたぁ」

「調子乗るなよ、尻軽女。スカート短く履いてんじゃねぇよ、汚ぇ」


 は? なにこいつ。私が尻軽女? 私がどれだけ一途な乙女か知らない癖になにいってんの、このデブ。オークとかゴブリンの鬼畜責めにしてやろうか。オメガバース設定で化け物産ませてあげてもいいな。


「ふふ~よろしく~」


 なんてことを船倉くんの前で言えるわけがないので穏便にしてやった。

 これは戦いだ。

 松本くんは唯一の友だちである船倉くんを取られたくない。

 私はラブコメ作りのためにも恋のためにも船倉くんを取られたくない。

 人類史に記録されない壮絶な冷戦が今日、始まった。


 



「似合うかな」


 ゲーセンを出た後、私たちは洋服のチェーン店に寄った。

 適当に店内をぶらぶらしていると伊達眼鏡を発見したのだ。眼鏡好きの私は早速試しにかけてみた。


「似合う似合う。というか津布楽さんは何でも似合いそうだな」

「それって褒め言葉……なのかな?」

「多分褒め言葉では?」

「しっかりしてよー。恋人っぽく振る舞ってもらわないとラブコメ描けないよー」

「頑張るっす……」


 そう忠告はしたけれど、実際にはもう十分すぎるほど甘い気持ちにさせてくれた。なので欲張っているだけである。減るもんじゃないし存分に糖分を摂取させてもらおう。

 それに良いインスピレーションもちゃんと浮かんでいる。名前の呼び捨てで感じ取ったあの繊細で温かい気持ちは絶対ネタに使える。これだけであらゆるラブを描けそうだ。


「津布楽さんって告られたことある?」

「うぇい!?」


 意表を突かれて変な声が出てしまった。慌てて伊達眼鏡を商品棚に戻して戸惑いを誤魔化す。


「告白されたって噂とか全然立たないから不思議だと思って。裏でバンバン告られてるのか?」

「ちょぉぉぉーっと待って。どうして私がたくさん告られてるって思うの?」

「男子から人気があるから」

「どうして人気あると思うの?」

「どうしてって……。そりゃモテる人間だからじゃないのか?」

「モテる、とは?」

「……可愛い、から?」


 私は、可愛い!?

 船倉くんは私のことを可愛いと思っている!?

 私は確信した。船倉くんが私のことを可愛いと思っているのならば、私を好きになってくれる未来はある。私の頑張り次第で彼は私にメロメロだ。

 こうしちゃいられない。女を磨きまくって魅惑的なレディへと生まれ変わる必要がある。世の中には恋のライバルが三十五億人もいるのだ。私はその三十五億人の女たちを蹴散らして船倉くんの隣に座らなければならない宿命がある。


「船倉くん。女の子の好みってあるー?」

「好みかぁ……。つってもおれは普通だと思うぞ」

「いいから言ってみてよー。創作の参考になるからー」

「綺麗で笑顔が素敵な子、かな」


 ちっ。なるほど、面食いか。

 生まれた時点で勝負が決まってしまう厄介なパターンのやつだ。


「へぇ~やっぱり男の子は見た目で選ぶんだね。性格とかは?」

「性格も普通だと思うけどな。明るくて純粋なタイプとか」

「ふむふむ。じゃあ嫌いなタイプは?」

「嫌いなタイプか~。ヤバいやつじゃなきゃ大丈夫だな」

「ふぅん、そうなんだぁ。ちなみに私は小中なら何回か告白されたことあるよ。高校はまだないかな」

「おっ、さっすが」


 船倉くんの語彙力の低さに絶望だよ。

 とにかく私は今後どんなレディになればいいか大体解った。つまり良い子になればいいんだ。多分。

 高校生活は残すとこあと二年。この二年で漫画も恋も大躍進させようと決めた。


 今日は大収穫だった。

 創作のいい刺激になったし、船倉くんのことも深く知れた。

 船倉くんと別れた後、私は急いで家に帰った。頭が「物語を描きたい」という欲に満たされていたのだ。この最高のコンディションが消えないうちにぶつけたかった。

 帰宅して自室に入るとスカート、靴下、ワイシャツをぽいぽい脱ぎ捨て、早速ペンを握った。描きたい情景、景色、表情、肉体など部分的にスケッチブックの一枚に埋めていった。そうして創造したい世界を構築していくのだ。

 散らばったパーツが綺麗に繋がるよう、描いた絵を見て物語を考える。これをおざなりすると醜いものになる。例えるならばフランケンシュタインのようなものだ。ちゃんと生きているように見せなきゃいけない。

 それから途中で夕食を摂り、数時間集中して考えた。

 疲労を感じそうになったら席を立ってはベッドに横たわり、船倉くんから貰ったコウテイペンギンちゃんを抱きしめた。回復したらまた席に戻って物語を簡素な文章に起こす作業に戻る。

 ふとスマホを見るとメッセージが届いていた。船倉くんを無視していたかもしれないと思って焦ったが、相手は椿つばき先輩だった。


『【下克上、ヤれるもんならヤってみろ】って漫画持ってる? 持ってるなら明日貸して欲しいんだけど』


 こんなくだらないメッセージを寄越した先輩が腹立たしい。こっちは集中してラブコメのストーリーを考えているというのに最悪だ。副会長なんだからより良い学校生活っていうものでも考えていればいいのにと心の中で愚痴った。

 けれど場所を提供してくれた恩人であり、大切な腐女子仲間なので残酷に無視することはできない。私は休憩を兼ねて返信した。


『あったので明日持って行きますね。紙袋で渡します。放課後、あの場所でいいですか』


 すぐに返信が来た。


『ありがとう。じゃあ放課後お邪魔するぞーい』


 適当にペンギンのスタンプを送って会話を終わらせた。

 先輩はBLのことになると自分のキャラを忘れて血走る。とても神聖視しているので先輩と一緒に語るときは絶対に否定しないよう心がけている。

 本棚から該当の本を手に取り、忘れないうちにビニール袋に入れて表紙を隠してから紙袋に入れた。この闇取引は何度もやっているから慣れたものだった。取引ごとに報酬としてパフェを奢ってくれるのでいくらでも貸し出すつもりだ。でも学校では腐っていることを隠しているため手渡すまでが怖い。

 友だちは誰一人知らないし、そもそも私が漫画好きなのも知らないだろう。学校ではぴちぴちの女子高生なのだ。だからギャル寄りの女子や陽キャといることが多い。これはこれで楽しいから今の生活は絶対に崩したくない。

 

「明日は、戦いだ……」


 私は再びベッドに寝転んでコウテイペンギンちゃんをぎゅーっと抱きしめた。

 明日は全神経を尖らせ、警戒心マックスで一日を過ごす必要がある。今はゆっくり休んで船倉くんとのデートでも思い返そう。

 パンツ一丁、Tシャツ一枚でそのまま眠ってしまった。

 案の定、冷えてお腹が痛くなった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る