10 たとえ夢であっても(完)

「エレスタンさんよ」

 彼は口の端を上げた。

「――もう二度と! 出てくるな!」

 叫んでシュナードは、スフェンディアを水晶の真ん中に突き立てた。

 剣は肉を断つよりも容易に、岩のなかに入り込んでいった

 光が走る。眩いが、目を開けていても痛くない。それはあのときの、白い世界のように。

(信じてるぞ)

 そう思ったのはスフェンディアに向けてだったか、アストールに対してだったか、それとも、レイヴァスに。

 光が静かに消えていく。シュナードはゆっくりと柄から手を離し、唇を噛んで、そっと振り返った。

 彼を迎える、三対の瞳があった。

「よくやった……シュナード」

 レイヴァスが口の端を上げ、がくりとその場にくず折れた。

「おいっ」

 慌ててシュナードは少年に駆け寄った。

「どうした! いまので、何か」

「いちいち焦るな、気持ちが悪い」

 床に手を着いた少年は、じろりと戦士を見上げた。

「少し目眩がしただけだ。目を覚ましたときからだるくて仕方がない」

「そりゃお前」

(――死んでたんだから)

 どうにかその言葉を飲み込んで彼は咳払いをする。

「かなり出血したからな。おそらくそのせいだろう」

 カチエが言う。

「聖水も、失われた血を取り戻してはくれない」

「そんなに酷い傷を負ったのか」

 判らないと言うように少年は自らの身体を見た。自分が死んだなどとは――当然だろうが――思わなかったようだった。

「いまはじっくり休んで、食事を取って、療養することだ」

「食事」

 レイヴァスは顔をしかめた。

「好きじゃない」

「『好き嫌いをするな』ってのは普通、食事の内容に関して言うもんだが」

 食事そのものを好まないと言われてはどうしたらいいものやら。

「まあ、とにかくお前の場合、少なくとも一日に一度は食え。――もしかしたら」

 呟くように彼は続けた。

「今後は、普通に……一般人並みに、腹が減るようになる、なんてことも」

「何を言っている?」

「いやいや、別に」

 何でもないと彼は手を振った。

(封じた)

(「何を」封じたことになるのか、俺にも正直、よく判らん)

(だが、俺が願ったこと)

(「守りたい奴をみんな」ってのが、もしも叶えられたなら)

 きゅっと彼は両の拳を握った。

 耳に残る、レイヴァスの声。

 「早くやれ」と。「よくやった」と。

(まさか……な)

 彼はそっと首を振った。

「とりあえず、ここから出るか」

 シュナードは気分を変えるように声を明るくした。

「あんまり長居はしたくない場所だ」

「いいんでしょうか」

 ぽつりとライノンが呟いた。

「何がだ?」

「その、主に、剣です」

 未練がましく学者の卵はスフェンディアを見やった。

「せっかくあんな素晴らしいものが手に入ったのに……」

「たとえ本当に俺がアストールの子孫だろうと、二流戦士にゃ分不相応だよ」

 ひらひらとシュナードは手を振った。

「そもそも封印だ。持って帰る訳にもいかんだろう」

「でも……もしかしたらなんですけど、あの剣は」

 ライノンは剣の刺さった岩を眺めた。

「その、ええと……」

「何だよ」

 はっきりしない青年に、戦士は苦笑する。

「――もう力を失ってしまったかもしれません」

「あ?」

「いや、その……判らないんですけど」

 小声で言いながら、ライノンはちらりとレイヴァスを見た。

「あ、ああ……」

 気づいたシュナードもはっきりしない声を返す。

(成程、レイヴァスがその……帰ってきたのはスフェンディアの力による、というのがライノンの考えか)

 有り得るのかはやはり判らないが、仮に有り得るのだとすれば、彼自身の傷が異常に早く治癒したように感じられることともつながる。

「おい、じゃあ、封印は?」

「わ、判りません」

 気の毒に、ライノンは青い顔をして囁いた。

「ただ、その、彼が……『勝った』のであれば、少なくとも当面は大丈夫かと思いますが……」

「曖昧だ」

「す、すみません」

「泣くな、お前さんを責めちゃいない」

 こんなこと、誰にだって判るはずがない。判るのは、当の――。

「何だ、何をこそこそ話している」

 当の本人が不機嫌そうに口を挟み、シュナードは息を吐いた。

「剣の話をしてただけだ。俺の剣を新調しなくちゃならん」

 彼は適当に話を戻した。

「スフェンディアを使ったあとじゃどんな得物にも満足いかなさそうだが、何、すぐに慣れるだろう」

「新調? いつもの剣はどうしたんだ」

 レイヴァスが問う。

(お前さんに砕かれた)

 という言葉は飲み込み、シュナードは肩をすくめた。

「強力な魔術を使う魔物でな、粉々に」

「そうか」

 少年は両腕を組んだ。

「ずいぶんと惜しいことをしたな。そのような魔物を見てみたかった」

「お前な……」

 いまのがどれだけ呑気な台詞か、当人が知ることはない。

 そのはずだ。

「食事の話をしたら、腹が減ったな。町まで戻って飯でも食おう」

 首を振って気分を変え、彼は提案した。

「ちょいと肉が食いたい気分だ。通ってきた町で、よさそうな串焼きの店を何軒も見た。あれを食いに行くとしよう」

「ふん」

 レイヴァスは鼻を鳴らした。

「呑気なことだ」

 殴ってやりたい、とシュナードは思った。


 いささか、いや、相当に文句は出たが、実際のところレイヴァスはよろよろと歩くことしかできず、シュナードに背負われるしかなかった。

 それでも少々の魔術は使えるようで、燭台に灯された火は全て消された。剣と岩が闇に消えていく姿は、奇妙にシュナードの心に残った。

 洞穴を出るまではまた光の球が活躍したが、少年の息が少々荒くなったのを感じた戦士は、足早に外へと向かった。

 死なせてなるものか、と思う。強く。

 せっかく、帰ってきたものを。

 夕暮れ前のやわらかな陽射しの下に戻ってきたとき、彼らは一様に安堵した。少年ですらそれを隠さず、「太陽リィキアはいいものだ」などと呟いた。

 そのあとめっきり静かになったと思ったら、眠りに落ちてしまったらしい。

(こうしてりゃ)

(可愛いんだが)

 シュナードは前にも思ったことを思った。

「あの、シュナードさん」

 レイヴァスが寝入っていることを確認するようにしてから、ライノンが小声で彼に話しかけた。

「ん?」

 戦士は片眉を上げた。

「カチエさんも」

「どうかしたか」

「……どう思いますか。これを」

 彼はレイヴァスに目をやった。

「全ていい方向に落ち着いた――ように見えるが」

 まずシュナードはそう答えた。

「何か、違うか? いや、責めてるんじゃない。もし」

 彼も声をひそめた。

まずいことがあると思うなら、遠慮なく言ってくれ」

「情けないですが、さっきと同じで……僕には判りませんとしか」

 学者の卵は首を振った。

「封印は、成されたのだと思います。ですが剣の力と、それからレイヴァスさんの記憶……」

「記憶は、ないみたいだな。俺が剣を抜いた、あのあとから」

 微かに感じている疑念を隠して、彼は恍けた。

「本当でしょうか?」

 もっともライノンは、直接的にその的を射抜いてきた。

「嘘だと、言うのか?」

「判りません」

 首を振ってライノンはまた言った。そしてちらりとレイヴァスを見る。

「ただ、もし覚えていて、それでいてとっさにあれだけの自然な演技をしてみせたのなら……たとえ早熟の天才だとしても、十六歳には思えません」

「言いたいことは判るつもりだ。危惧も」

 封印は成された。

 だがそれは「あれ以上」魔術王に力が戻らない――との意味だけにはならないか。

 レイヴァスにはやはり、エレスタンの片鱗が残っているなどということは。

(早くやれ)

(――よくやった)

 あの言葉。あれを言わせたのはレイヴァス少年の正義感か。はたまた、エレスタンの記憶にレイヴァスが打ち克ったというようなことが、あるだろうか?

(それが判るのは)

(当の本人だけ、か)

 シュナードは首を振った。

「考えても仕方ない、んじゃないか?」

 彼は言った。

「俺たちには判らない。だが、仮にスフェンディアがこいつを癒やしたんだとすれば、アストールもそれを認めたってことで……なんてのは、英雄サマの威光を笠に着るようではあるが……」

 苦笑いのようなものが浮かび、そっと首を振る。

「だいたい、疑いがあるから殺せ、なんてのは、少なくとも俺は請けがたい」

「そ、そんな物騒なことは、僕だって言いませんが」

 ライノンは目をぱちぱちとさせた。

「私だって、そんな過激なことは言いたくない」

 聞いていたカチエも呟くように声を発した。

「いまはまだ、様子を見るしかないだろう。確かに、判らないとしか言えないんだ」

 神殿のことや姉のこと――カチエの役割を思えば、「疑いがあるから殺せ」という立場に立ってもおかしくはない。だが彼女は、そうしたくないと言った。

「そう、か」

 判らなくても、殺すか。

 判らないから、殺さないか。

 彼らは後者を選んだ。そう、選んだのだ。

(これが大間違いで……俺たちが騙されているのであれば)

(そいつはもう)

(仕方がない、とでも思うしかないな)

 信じよう。

 不思議な力が取り返した少年の命を。

 たとえ夢であっても。

 いまは。

「……ん?」

 シュナードは、レイヴァスを背負ったままで空を見上げた。

 何か大きなものが視界をよぎった気がした。

「え? 何かありましたか?」

 釣られたようにライノンも空を見た。

「いや、それが……」

 見えた気がした。

 大きな黒い翼を持つ生き物が、彼らを見つめるようにしてから飛び去ったのが。

「ただのビルク、だろう」

 目をしばたたいて、彼はそう言った。

 太陽がゆっくりと西のかたに沈もうとするなか、戦士は背中の重みをしっかりと感じながら、灯のある場所を目指した。


「英雄の末裔」

―了―

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英雄の末裔を探して 一枝 唯 @y_ichieda

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