第34話その涙は誇りに満ちて――たけど、やっぱり泣きたくなるもので




 スゥゥゥゥ――と宿の机に姿を現わしたカエルは、目を点にしながら呆然とセレネーを見つめていた。


(ああ、この展開……あと少しで号泣するわね。今回はすごくうまくいきそうだったもの。話も息も合ってたし、まさかこれで失敗するなんて思いもしなかったし……本当に干からびるまで泣きそうな予感しかしないんだけど)


 一部始終を知る者として、泣くなとは口が裂けても言えない。こうなったら徹夜してでも慰めようとセレネーが覚悟を決めていると、案の定カエルの目に涙が溜まり始めた。


 しかし大きな粒に膨れはするものの、涙は落ちずに目の下で震えるだけだった。


「……いつもみたいに泣かないの、王子?」


 セレネーの問いかけにカエルは口端だけを引き上げて微笑む。


「泣きたいところですが、悲しいだけではないので……きっとお兄さんと一緒に近衛兵として国に仕えている内に、国を想う気持ちが育まれたのでしょう。そんな方と心通わせられたことが嬉しいですし、誇らしく思います」


 ぱちり。カエルが目を瞬き、大粒の涙が左右からひとつずつ落ちる。そして新しい雫は出てこなかった。


 結果は残念でも、カエルの中で得るものはあったらしい。別れて心に傷を負って嘆くばかりでなくて良かったと、セレネーはほんの少しだけ思う。やはり解呪できればそれが一番なのだけれど。


 号泣を肴に慰め酒なんてことにならないなら、それに越したことはない。セレネーは部屋の隅に置いてある荷袋の中から、密かに解呪をカエルと祝うために購入しておいた蜂蜜酒入りの瓶を取り出す。


「別れたばっかりで気が立って寝付きにくいと思うから、これでも飲む? また明日から新しい乙女を探しにいかなくちゃいけないから、気持ちを切り替えるためにも――」


「頂きますっ。気持ちを引きずらないためにも……」


 食いつき気味に答えたカエルの様子に、セレネーは小さく息をつく。それから自分用のコップと、カエル用の小さな人形用のコップを取り出し、蜂蜜酒を注いだ。


「お疲れ様。次はいけるわよ、きっと……だから、飲んで寝たら元気出しなさい」


 労いの言葉にカエルは「ありがとうございます」と笑みを浮かべ、コクコクと酒を喉に通していく――一気飲みだった。


「あ、ちょっと王子! そんなに急に飲んだら――」


「ゲコッ……きっと、私がもっと頼もしく、ユベールを支えられる人物であれば……ゲヒッ……こんな結果には……っ、ゲ……ゲロ……ゲルォォォォォォォンッ」


 飲むにつれてカエルの目がとろんとなった途端、号泣ガエルに変身してしまった。


 一旦大泣きしてしまうと容易に泣き止むことができないカエルを、セレネーは眉をひそめながら小さな背を指でさする。


「王子は十分に頼もしいわよ。こんなに小さくてカエルの姿のままで、あそこまで相手に想われて、真剣に将来のことを考えてくれるってすごいことだから。あんまり自分を卑下しちゃだめよ」


「し、しかし……ケロォ……結果に手が届かなかったら、やっぱりそれは、私の力が至らなかったせいだと……ゲコッ……思わずには……ゲロォォッ、ゲッ、ゲコォォォ……」


 カエルからどんどん涙が溢れ、机の上に水たまりを作っていく。結局この展開になってしまうかと、干からびてしまわないようにセレネーは酒を継ぎ足すフリをして、水差しの口を傾けてカエルのコップに真水を入れる。


 酒が水に変わっていることに気づく様子もなく、カエルは泣きながらコップをあおる。飲んでは泣き、飲んでは泣き、セレネーはちびちびと飲みながら机の上の涙を拭き取り続けていた。




 一刻も泣きっぱなしだったカエルが疲れ果て、机に突っ伏して眠る。

 その姿をほんのり頬を熱くしながら眺めると、セレネーはおもむろにカエルを指でつつく。


「王子ー、起きなさいよ。せめて寝るなら枕元に移動しなさいよ」


 呼びかけてもカエルの反応はない。いつもより力尽きるのが早くて、それだけ全力で泣いていたのだとセレネーは察する。


「はあ……仕方ないわね。ちょっとしばらくそのままにするわよー」


 コップに残っていた蜂蜜酒をすべて口に入れ、喉へ通しながらセレネーは服を脱ぎ、宿の備え付けの寝間着をまとう。それからカエルを両手で持ち上げ、枕元にそっと置いた。


「アタシもさっさと寝るとしますか。今日は疲れたし……」


 ランプの灯りを消し、ベッドへ横たわろうとする。

 静かに眠るカエルが視界に入り、セレネーは目を細めた。


(はやく解呪して、元の姿に戻してあげたいわね……でも……ユベール以上に王子を愛そうとしてくれる人っているのかしら? 探せばいるのかもしれないけど、なかなかいないような……こんなに手こずると思わなかったわ)


 水晶球の予言を見ながらでもこの散々たる結果。カエルがあのままひとりで解呪の旅を続けていたら、人に戻ることなく寿命を迎えていたかもしれない。そう考えると心の中で不憫さに混じり、申し訳なさも滲んでくる。


 人の愛というものを簡単に考え過ぎていた。ここまでままならないものだと分かっていたなら、最初から解呪の旅に同行して支えていけたのに……理不尽さの底なし沼へ、無責任に頑張れと突き飛ばしてしまったような気がしてならなかった。


(……アタシもまだまだね。もっと頑張っていかないと……)


 セレネーはひとしきり反省した後、顔を近づけてカエルを覗き込む。


(ここでアタシがキスして解呪できれば楽なのにね……一回試してみようかしら?)


 ふとそんなことを考えてしまい、セレネーはしばらく考え込んでしまう。


 寝ている間に試せば、元に戻らないと分かって気まずくなることはないし、万が一元に戻れば――それは絶対にあり得ないだろうけど――どうして戻ったのかを原因不明にして自分がしたことを誤魔化せる。


 ものは試し。ダメで元々でも、やっていないことをやってみるのは意味がある。

 今なら自分だけがそれを知ることができる――思わずセレネーは首を伸ばしかけ、思い留まる。


(あー……ダメね、疲れてるわアタシ。寝ている相手を襲うようなマネしてどうするのよ。あとアタシじゃ絶対に無理だから……寝よ寝よ)


 上体を起こして一度大きく背伸びをすると、セレネーは布団に潜り込んで横になった。



 自分には無理。

 魔法はいくらでも使えるけれど、誰かの呪いを真心と想いで解くなんて無理。


 ――だってアタシが呪いをかけてしまったアイツを、未だに助けることができていないんだもの。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る