第42話・動き始めた?何もかも

 通算二勝目の勝ち鬨を上げた未来理は、それはもう無邪気に「やったぁ!さぶろーたせんぱいに勝ちましたあ!!」と、吾音が蕩けてしまいそうな笑顔で勝利の味を満喫していた。


 「あは、良かったね未来理ちゃん。三郎太?これは見事にリベンジされたわね」


 まだ突っ伏して肩を震わせている三郎太の姿は、数日前に未来理が同じようにしていた時の裏写しのようだ。


 「で、次郎は何をぼーっとしてんのよ」

 「……いや、だって、なあ…」


 一方、まだ起き上がれないでいる三郎太の隣の席では、次郎が信じられないものを見たとでもいう風に弟の後頭部を見下ろしていた。


 「…三太夫が腹抱えて笑ってるトコなんて生まれて初めて見た気がするんだけど」

 「三太夫ではない。三郎太だ…うぷっ」


 そこはいつものやりとりの義務とでもいわんばかりに体を起こした三郎太は、次郎の発言を訂正しつつ未来理の顔を見て、また破顔しかけた顔を必死に両手で覆っていた。


 「さぶろーたせんぱい、もっとわらったお顔みせてください」

 「断る!……くそ、神納にそんな技があったとは…」

 「いっぱい研究しました!」


 満足そうに笑う未来理。

 先日の復讐戦として未来理の提案でなされた三人での(吾音が長考した末に「………ちょっと、こまる」と辞退した)にらめっこにおいて、三郎太は前回披露した技を…姉と兄の前だったために用い得ず、一方未来理の方は斯くあることを想定して仕込んできた新たな奥義により、三郎太を仕留めたのである。

 ちなみに未来理がどのような顔をしていたのか。同席して見ていた吾音と次郎には「???」となるばかりで笑えるかどうか、となると微妙、だったのだが、どういうわけか三郎太のツボにはドはまりしたようで、未来理がその顔をした途端、最初「ぶふっ?!」と吹き出し顔を伏せ、必至に堪えていた。

 だが、「どしたん?」と声をかけた次郎に何事かを言おうと顔を上げた瞬間、間近に寄ってきた未来理の顔を絶妙のタイミングで再度見てしまい、そして「もうダメだ!」と文字通り腹を抱えて笑い出したのだ。それを見てぽかーんとした吾音と次郎、そして変顔を解いて大喜びする未来理、というのがつい今し方まで学監管理部室で繰り広げられていた光景である。平和そのものだった。


 「…なあ、姉貴。未来理ちゃんの…」

 「いーんじゃない?未来理ちゃんは楽しそうだし、三郎太があんなに笑ってるトコ見て野暮は言いたかないって」

 「ま、それは同感なんだけどな…」


 ようやく手を下ろして顔を見せた三郎太に、また件の顔をして見せて慌てさせる未来理。

 何回もこの部屋に来てようやく遠慮のない未来理の笑顔、というものを見た気分の吾音だった。

 そして未来理は気が済んだというよりも、何かを達成した満足感からか、ひと勝負終えた後のお茶の時間を、心から楽しんでいたようだった。

 にらめっこ勝負の時とはうって変わっていつも以上に仏頂面の三郎太を、今度は次郎と吾音が散々に弄り倒し、それを見て未来理はニコニコとしていた。

 次郎も、未来理には普段気易く声をかけてる割にはどこか一歩引いた物腰で接していたことなど忘れたように、郎太破顔の功をしきりに褒めそやして未来理を喜ばせている。

 吾音はそんな三人を前に自分から率先して話題を提供することは無かったが、時折目が合う未来理が思わずほにゃっとするくらいだったから、吾音も笑顔を絶やすことは無かったのだろう。


 ただ、放課後の集まりはそれほど多くの時間を楽しめるものではない。

 時間を気にし始めた三郎太に促されるような形で、吾音はこの楽しい集会の散会を宣言する。


 「…よし!じゃあ未来理ちゃん?今日のところは未来理ちゃんの勝ちってことで、教室に帰ろっか?」

 「だな。送ってってあげるから……どしたん?」

 「ん?…神納?」


 そして、今し方まで満面の笑顔でいた未来理が、急に顔色を昏くするのに三人は気付いた。

 四人が並んだテーブルの上には、ほぼ空になった菓子鉢。

 各々の席の前にある、お茶だのジュースだのといったものが入っていた紙コップ。

 それらは確かに宴の終わる寂しさを醸すものだったが、急に俯き、立ち上がった吾音に続くのを拒むような肩には、それらと関わりなく気落ちした様子がうかがえていた。


 「未来理ちゃん?どしたの?」

 「……なんでもないです!じろーおにーさん、おねがいします」


 なんでもない、という顔色ではない。教室に戻りたくない、という気持ちがありありとうかがえる表情だ。

 未来理に促された次郎は、どうする?という視線を姉に投げかけた。


 「……ん、未来理ちゃん?今日はわたしが送っていこうか。だめかな」


 それを受けた吾音は、何か考えがあるのか自分からそう申し出る。未来理は意外そうに吾音の顔をしばし見上げていたが、それでも三人から見て気丈に振る舞っているように思える様子で、吾音の誘いにこう答えた。


 「だめ、じゃないです。おねーさん、いいですか?」

 「ん。じゃあ、支度しよっか。次郎、三郎太。そういうことだから留守番よろしく」

 「ああ」

 「うむ」


 何をするつもりなのか、正直なところ不安が無いでもない二人だったが、その間何をしていればいいのかは言われなくても見当がつく。

 未来理が不安にならないよう、いつもと変わりなく三郎太は「また来い。今度は負けぬぞ」などと声をかけ、次郎は吾音が出かけたあとにすることの準備をさっさと始めて、やっぱり表情の晴れない未来理を送り出した。


 「…で、どうするよ」

 「どうするも何も、既に始めているだろうが」

 「まあな」


 多分吾音は、未来理の教室で何があったのかを確かめに行き、ついでにクラスメイトの塩原渚とも話をしてくるつもりなのだろう。その内容次第では中等部の担任に文句でもつけにいくのかもしれない。


 「姉貴も穏便に済ませてくれりゃいいんだがな。で、用意はしたけど…なんだこりゃ」

 「うん?」


 スタンバイから復帰したノートパソコンの画面上には、吾音からのメッセージがメモ帳に表示されていた。


 「なんだぁ?『紐の心配があるからツールは使うな』。なんのこっちゃ」

 「…VPN経由で学内の掲示板を見るな、ということか?しかし紐、というのは穏やかじゃ無いな」

 「だな。紐…っつぅと二課絡みか?そういや姉貴もなんか不穏なこと言ってたな。この件で二課がなんか関与してるかもしれないとか」

 「…おいまさか神納の境遇は二課の仕業だ、とかではないだろうな?」

 「俺が知るか、そんなこと。けど姉貴のこったから根拠も無くこんなモン残したりしねーだろ。どうする?」

 「ふむ」


 大体において三人の行動は、デジタルで情報収集して方針を決めてから、だった。別にそれに絶対の信頼を置いているわけではなく、単に効率の問題だが。


 「デジタルが禁じ手というならアナログしかあるまい。お前の得意分野だろう」

 「俺より姉貴の方が手練れだけどな。ま、そーいうことならそーするか。んじゃ俺は……おい、行く場所が思いつかねーんだけど」

 「役立たずめ。ならいつも通り校内の女子にコナでもかけてこい。俺は行くアテがある」


 ナンパのついでに情報収集するみてーに言うんじゃねーよ、と最近伊緒里の目があって以前ほど気軽に女子と会話も出来なくなっている次郎を置き、三郎太はスマホを取りだしアポを取りつつ、部室を出て行く。

 ちょうど未来理が来る前に宮島浩平から連絡があったところだ。落ち合う場所だけ指示して、まだブーたれていた次郎のことなど、既に頭に無いようだった。




 「どーも」

 「うむ。済まんな、面倒をかける」

 「いえ、いーすよ。で、中の連中から話集めて来ましたけど」


 前回と同じく講堂の裏手、よほどでない限りは人も寄りつかない場所で三郎太は浩平からの報告を受ける。


 「神納のヤツ、まだ縁が切れてねーみてーで。まあ向いてないのは自分でも分かってるだろうに何を考えてんだか」

 「…具体的にだな、その中等部のお前の後輩の連中が何をやらかそうとしているんだ?」

 「……あー、まあ、その、それを鵜ノ澤先輩に俺が言うのもちょっと腰が引けるんスけど。要するに俺らが出来なかったことをやってやろう、ってんですよ」

 「ふん、俺に対してまだ含むところがある、というのだな」

 「そういうことで。驚かないんスね」


 これは中等部の裏サイトを探った時に知った話なので、確かに三郎太に驚きは無い。それを説明して自分たちの情報ソースをひけらかすつもりもないので、努めて表情は変えておいたが、変化が微妙過ぎて浩平には悟られなかったらしい。


 「驚くというよりは呆れる、というところだな。高等部のたかが一生徒をどうにかしてヤツらの何が満たされるというのか、さっぱり分からん」

 「ま、俺もそうだったんで大きなことは言えねーですけど、上を雑に扱って自分が大物になったような気分になる馬鹿ってのは時々いるんスよ」

 「俺には分からん感覚だな」

 「そりゃそうでしょ」


 体躯に恵まれ喧嘩も強く、学業も平均以上に修めている三郎太に、自分の感覚としてそれを理解しろというのも容易な話ではない。


 「何かしら自分に足りないモンがあると知って、自分でそれを埋めようって気持ちのねーバカが外にそれを求めた結果、ってヤツですね。知ってます?中二病ってんです」

 「経験者は語る、というものか」

 「それは言わないでくださいって。反省はしてるんスから」


 三郎太に皮肉っぽく笑われ、浩平は苦笑いで誤魔化すしか出来ない。要は、そういうことなのだから。


 「しかしそれで神納の…神納がそいつらとつるむ理由にはならんがな。同じ病だというのか?」

 「俺の見たところ、そういう感じには思えないんですがねえ…。言ったらなんですけど、フツーの真面目クンですよ?いやま、パシリにしてた俺が言えた義理じゃねーですけど」

 「お前の時はどうだったのだ?」

 「俺の?あ、ああそうことすか。いや、自己弁護するんじゃねーですけどね、別に無理矢理仲間に巻き込んでたわけでもないですよ。大体、俺らの時って仲間ウチで景気のいいこと言って尻込みするよーなヤツは腰抜け扱いしてイキがってただけですし」

 「なるほどな」


 吾音の見立ての正しさに、今更ながら心中で舌を巻く三郎太だった。


 「まあ下のヤツらも一緒に騒いでただけで、その中で神納のヤツがどーしてたかってぇと…あんま印象に残ってねえんですよねえ…アイツ、いっつも騒いでる輪からは少し離れてましたし。まあなんつーか…」

 「家にいたくなかった、その都合のいい場所だった、という感じか」

 「あー、まあ言われてみれば確かにそうかもッスねえ。優等生にゃ時々いるんですよ、そういう思い詰めたヤツ」


 未来理の兄の成績なはそれほど上位というわけでもなかったから、学校的には目立って優等生扱いされる生徒でもなさそうだが、かといって、自分の居場所に反発して不良の群れに身を投ずことなどないとは言い切れない。

 逆の立場の三郎太には、却ってその気持ちが分からなくもない。自分の場合、姉の存在が不埒な道を辿ることを防いでいたものだったが。


 「ま、分かったのはこれくらいッス。参考になればいいんですけど」

 「そうだな。得意手を封じられていたので、正直助かった。何か礼がいるか」


 想像の範囲を越えた話ではなかったものの、パソコンを睨んでいても分からない話ではあったから、三郎太は素直に労を讃える気になる。


 「あー、いえ。前も言ったッスけど先輩には恩があるんで」


 その三郎太の申し出だったが、浩平は恐縮して殊勝なことを言うだけだ。

 そんな態度が可愛く思えなくもなり、三郎太は普段なら言わないことまで言ってしまうのだが。


 「遠慮なんぞせずともいいぞ。俺がここまで言うなど滅多に無いことだしな」

 「あ、そうすか。じゃあ…」


 そして、それに油断したのか浩平は、虎の尾を踏むようなことを、つい口にしてしまう。


 「…あのー、吾音先輩ですけどね…?良かったら紹介…してもらえねーかなー…と」


 紹介。

 男の子が、女の子を紹介してくれと言う。

 もちろん、その意味が三郎太には分かる。

 そして影になり日になり、姉に対してそのような接近を企てる存在を、兄と二人で排除してきた三郎太はどんな喧嘩の時でも発しないような気をその大きな背中から立ち上らせるのだった。


 「いえその、ですね。鵜ノ澤先輩との喧嘩の時に食ってかかろうとした吾音先輩の姿がなかなか…俺的にはけっこーどストライクでしてー…へへ、俺こんな気分になったの初めてなんで、どーすりゃいいか分かんなくて…ひぃっ?!」


 その、「殺気」と呼べるものは、一度三郎太にぼてくりこかされた経験をも遥かに凌駕する恐怖を、なんだか照れて体をくねらせていた浩平にもたらし、青ざめた顔を引きつらせた浩平は「い、今のナシでっ!……すませんすませんッ!!」と、平謝りに謝る。


 「……………いや、いい」


 いくらなんでも本人を前に大人げがなさ過ぎる、と三郎太はどうにか怒気を収め、気にするな、とまでは言わないものの浩平を安心させようという意図だけはある、強張った笑みで怯えた後輩を宥めようとしたのだった。


 「……あの、鵜ノ澤先輩てけっこー……いえっ、なんでもねーッス!」


 シスコンなんですね、と言ったらどうなったか。案外慌てる姿でも見られたかもしれないと思いつつ、山の中でヒグマにでも遭遇したような気分では口にするのもはばかられ、浩平は慌てて回れ右をしながらアイサツし、逃げ出すようにこの場を後にしていった。

 残された三郎太は、というと。


 「………あいつがな…また妙なこともあるものだ」


 事の意外な展開に動転しながらも、不思議と怒りではなく可笑しみを覚えた自分に、やや戸惑っているようなのだった。

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