第41話・悪党未満たちの対話というか対決

 顔を見せた途端、受付の女性が引きつった顔を見せたのは当然というかなんというか。


 「こんにちは。高等部二年の鵜ノ澤といいます。研究二課の仁藤課長と約束があるんです」

 「は、はい…ただいま確認します…」


 前回とは違い、今度は真っ当にアポイントメントをとっての訪問だ。門前払いされる謂われもなく、吾音は内心はともかく表面的にはしれっと初対面みたいな顔で、もう飼っていたハムスターの仇でも見るような視線を受け流していた。


 「…はい、そのように伝えます。………仁藤は今降りてまいります。外でお話したいとのことですので、そちらでお待ちください」

 「はい。ありがとうございますね」


 内線の通話を終えた受付の女性は、ホールの隅にあるソファを示してそう告げた。

 心なしかホッとしていたように見えたのは、前回訪れた経緯を思えば当然のことだろう。また中で暴れられたらたまったものじゃない、と。

 いくら吾音でも、一人で大立ち回りをするようなつもりは「それほど」無かったから、これまたにっこり微笑んで素直に言うことを聞く。険しかった女性の表情がいくらか緩んだのは、指示に従ってくれたことに安堵しただけではないのだろう。


 (中に入れない、ってことは前のことだけじゃなくて、佐方同徳を同席させたくない、って意図もある…わね、きっと)


 仮に同席せずとも、二課の庭であれば盗聴や監視カメラで観察などをされるかもしれない。そう考えればサシで仁藤亜利と対話出来る。

 好都合だ、と吾音は表情を変えずにニヤリとした。


 今日ここを訪れたのは、この件について二課が噛んでいるかどうかの確認のようなものだ。

 未来理について活動をしているうちに、吾音は二課の関わりがあるのではないかと疑いを持つようになり、名前は聞くがまだ対面していなかった仁藤亜利という人物の見極めをしておく必要も覚えている。

 佐方同徳は、自分たちの動勢に影響が無いのであれば吾音にとっては「おもしろいオッサン」でしかない。だが経営研究所の研究二課となれば自分たちだけでなく伊緒里にも無縁ではいられないのだから、その長という肩書きの人物であれば知っておいて損は無い。場合によっては単なるオッサンではない佐方同徳に対して優位に立つ材料にも出来る。

 …模範的な高校生であればあまり考えないようなことを思ううちに、エレベーターが止まる気配がした。

 そちらに目を向けると、いかにも「きゃりあうーまん」然とした女性が一人姿をあらわし、受付と一言二言言葉を交わしてからこちらにやってくるのを認めた。

 あれが仁藤亜利、か。

 割と与しやすそう、と不遜なことを思って、だが吾音は礼儀正しい優等生のように立ち上がり、女性を迎える。


 「こんにちは。鵜ノ澤吾音さんね?私が仁藤です」

 「初めまして仁藤先生。高等部の鵜ノ澤吾音です。今日はわがままを聞き入れてくださって嬉しいです」


 理知的な印象を与える眼鏡の向こうが、微かに揺らいだように見えた。

 タイトスカートに白のブラウス。上着のスーツを羽織っており、この暑い中なんとも大変そうだ。

 それから小さなショルダーバッグを手にしている。すぐに外に出られるようにしてきたのだろう。


 「…少し中が立て込んでいてね。外でお話うかがってもよろしい?」


 「立て込んで」の辺りを妙に強調する口振りに吾音は気付かないフリ。どうせこの間の乱痴気騒ぎについてのイヤミの一つでも言いたかったのだろう。気持ちは分からないでもないが、未熟なこーこーせーにやる真似としてはえらく大人げない…と図々しいことを思う内心などおくびにも出さず、「はい。お任せします」とだけ答えたら、少し肩を落としていた。またなんとも、稚気の至りみたいな態度だった。




 嘉木之原学園は法人としては職員の福利厚生に気をつかっているようで、二課の入っている棟の近くでも喫茶店や飲食店はそこそこ充実しているようだ。

 もちろん高等部の生徒が出入りするような機会はそうそう無いから、吾音でもそれらに入ったことはない。

 だから亜利の後についてログハウス調の建物に入っていった時は純粋に好奇心だけが先走り、割とそれも満たされたようだった。


 「気に入ったかしら?」

 「ええ、とっても!まさか学校の中でこんな美味しいケーキを頂けるなんて思いませんでした」


 吾音とて一応は仮にも現役の、どこにでもいる女子高生だ。身内の一人は失笑し、あるいは別の一人は苦笑しそうな事実だが。

 なので、甘い物は人並みに嫌いでもなんでもない。この暑い時期に高等部の校舎から歩いてきて、キンキンに冷えたアイスティーと共に丁度良い按配に冷やされた、生クリームの比率多めなモンブランなどを頂けば機嫌が悪くなろうはずもない、というものだ。


 「ふふ、良かったわ。現役の子の好きなものなんてもう分からないものね」

 「あは、仁藤先生だってまだ若いじゃないですか」


 きょとんと首を傾げてそう言うと、亜利は意外なことを言われたように驚き目を丸くしていた。それが自分への評価に対する驚きなのか、吾音の評判やらを知って意外なことを言うものだという驚きなのかは、表情からはうかがい知れなかったが。


 「ありがとう。けれど気に入ってもらえて良かったわ。ほら、遠慮しないでどうぞ」

 「はい。ご馳走になりますね」


 まあ美味しいと思ったのは事実だったから、吾音は観察を中断して目の前のケーキを貪り食らう。弟が二人も下にいると、食べ物に感しては油断しなくなるものだ。

 そんな吾音の仕草は、自身がそう装ったようにどこにでもいるただの高校生にしか見えない。

 容姿には恵まれた方だろうが、放課後に甘い物を食べて喜んでいる姿に、「高等部の燃える赤」いうあだ名が定着して大人を時に手玉に取るなどと、同徳が心底感心したように語る印象はあまり見てとれないというものだ。


 「ふー、ごちそうさまでした。あの、このお店って高等部の生徒でも出入りしていいんですか?」

 「基本的には職員向けのお店だから、ちょっと難しいわね」

 「そうですかあ…友だちやウチの弟を連れてきたかったんですけど…」


 吾音、しょんぼりと肩を落とす。


 「…そんなに気に入ったのなら持ち帰りをしてもいいのよ。職員価格で。私がいれば大丈夫だから」

 「あ、それは嬉し…ああいえいえ、ちょっとお小遣いが心配なので…残念ですけど」

 「私が奢ってあげましょうか?」

 「……いいんですか?あの、図々しくてスミマセンけれど、焼き菓子とかでいいので少し…お願いしても、いいですか?」

 「ええ。会計の時に言ってくれれば払ってあげるわ。ケーキじゃなくていいの?」

 「あはは、流石にこの暑い中ケーキは傷みそうなので。じゃあ、お願いしますね」


 無邪気に喜ぶ吾音を見て、亜利は実家の妹を思い出しほっこりする。

 なんだ、悪い子じゃないじゃない。

 そう思った。思わされた。


 (んー、こんなにチョロくて佐方のおっさんの上司とか務まるのかな、このひと)


 吾音が他人事ながらそう思うくらいには、あっさりと、だった。

 これで話を自分の好む方に運ぶのはそう難しい話でもなさそうだ。けれどそれは吾音の矜持に関わる。それに、目の前の大人に簡単になられては自分たちの成長にも繋がらない。

 だったら…楔の一本を打ち込むくらいはしてもいいのではなかろうか。


 (やってみるか)


 素早く考えをまとめて、吾音は言葉を続けた。


 「お話を聞いてもらうだけじゃなくてお土産までもらってしまって申し訳ありません、仁藤先生」

 「……そうね。お話の内容次第では今のはナシにした方がいいかもしれないわね」

 「ちょ、ちょっとそれは勘弁してもらいたいなあ…弟に恩を売る折角の機会なので。あはは」


 戯けた吾音を見つめる亜利の眼光に冷徹なものが戻っていた。表情は相変わらず年下の稚い少女を見守るもののままだが、目が笑ってない、というやつだった。

 吾音から話があってこういう場を設けたということを、今更ながら思い出したようだ。

 上等。そうでなくちゃね。

 吾音は我知らず舌なめずり。ついでに唇の端についていたクリームを舐め取っておいた。


 「……それで、鵜ノ澤さんのお話というのは?事務方の江藤さんから今日聞かされたので、何も用意などしてないのだけれど」

 「ええと、江藤さんには直接面識無いですケド、よければお礼言っておいてくださいね。で、お話というのはですね」

 「ええ」


 ここで吾音がした話というのは、未来理との関わりにおいて同じ中等部に未来理の兄がいる、ということを含まない、自分たちのやってきたことを一通り、である。

 未来理に友だちを作ってやりたい、というのは素直な願いだったが、そこを少しく偽悪的に述べたのは余計なことだったのだろう。話しているうちに吾音の捻くれた部分が鎌首もたげて、そのように伝えてしまったものである。


 「…そう。そんなことが」


 それで結果的には亜利に警戒心を抱かせてしまったのだから、成功したのか失敗したのか。吾音的には失敗ではないと言い張るだろうけれど。


 「それで、私に何をして欲しいのかしら」


 吾音が熱弁を振るっている間にズレた眼鏡を直しながら、亜利がそう尋ねる。

 高等部の生徒が語った内容としては若干青臭く感じて、けれど相手は油断のならないと聞く曲者だ。ただ話を聞いてもらうだけで済むはずが無い。そんな表情だった。


 「何を、と言いましても、ケーキごちそうしてもらてお願いするのもアレな話なんですけど。ただ、中等部の先生に話をしてもらいたいなあ、っていうのが、一つ」

 「それは構わないけれど。確かにうちの立場上、教務の方と話をする機会はありますから」

 「ええ。お願いします。それともう一つはですね」

 「………」


 吾音が舌なめずりしたのが、獲物を狙う肉食動物のように見えたのは気のせいだっただろうか。

 背筋にうそ寒いものを覚えながら、亜利は吾音の「お願い」とやらに耳を傾けた。



   ・・・・・



 退勤時間のとっくに過ぎたオフィスの自分の席で、亜利は腕組みをしながら考えこんでいた。

 二課のオフィスは人影がまばらである。もちろん、職員というか研究員たちは帰宅したのではなく、いまだに研究内容の検証やフィールドワーク、各所で話をしていたりと労基が顔をしかめるような真似をしているのだが。


 「…難しい顔ですな」


 そんな中、夕方に会ってきた少女とはまた違う意味で油断のならない人物に声をかけられる。言わずと知れた佐方同徳だった。


 「ちょっと目下の研究で息詰まったところがありまして。あなたこそどうしたんですか?」

 「いや、こちらは通常運転ですな。カフェインが切れたので補充に戻ってきただけでして」


 構内の喫茶店は当然閉まっている。オフィスにあるコーヒーサーバーで調達してきた紙コップ片手に亜利の机の前に立っている同徳は、確かに本人の言う通りくたびれたスーツを着た、いつものムサい格好だった。


 「目下の研究、というと例の神納未来理という生徒のことですかな?相変わらず難しい立場のようだが、こちらの研究と繋がりは続いているようで、何か助けになることがありますかな」


 そのあなたご執心の少女がまた難しいことを言っていたんですよ、とは言わなかった。

 吾音が傾いた日差しの差し込む喫茶店で亜利に告げたのは、端的に言えばこういうことだ。


 大人の事情に首を突っ込むつもりはないが、そっちは子供の間のことに口を挟むな。


 ついでに亜利の印象を付け加えれば、二課が、というより同徳の存在がチラついていることも薄々察しているような口振りでもあったように思える。


 (私の研究、であって佐方の意向ではないんですけどね)


 短く、嘆息。

 紙コップを口にしていた同徳が、それとなくこちらの顔色をうかがっていて、目が合った。


 「…特に何も。協力を申し出てくれたことに感謝はしますが、本来私の仕事ですからね」

 「左様ですか。ま、私の研究には悪くない影響が出ているので、こちらはそれでも構いませんが」

 「あまり迂闊な真似はしない方がいいと思うのですけれどね」

 「……それは、どういう意味ですかな?」


 同徳の、貧乏揺すりじみた動作が鳴りをひそめた。

 動揺を隠そうとしている。なんとなく、そう見てとれた。

 鼻持ちならない部下の、いつもに無い態度になんとなく胸のすく思い。鵜ノ澤吾音は面白いことを言ったものだ。


 「いえ、別に。足を掬われないように気をつけましょう、というだけですよ。お互いに」


 今日のところは帰った方が良さそうだ。あの、にこにこと人当たりはいいくせに全く油断のならない少女のことを考えると頭が疲れる。あんな子を相手に渡り合おうとしているこの男が、無性に癪に障る。


 「…心しましょう。で、課長にそこまで言わせる程の何ごとがあったというのですかね」

 「一般論ですよ。それだけです」


 立ち上がり、椅子の背もたれにかけてあった上着を羽織る。もうすぐ学科は夏休みに入る時期なのだから、夜も大概蒸していて、駐車場に行くまでの間だけでも汗ばむくらいはしそうだ。

 だが、どういうつもりかは分からないがこちらを睨むように目を逸らさない同徳の所作に、なんとなく「ざまーみろ」とでも形容出来そうな品の無い感情を抱きつつ、亜利は考えこむ部下の姿に背を向けて「お疲れさま」と自席を後にしたのだった。 

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