第40話・自治会長、率先する

 「…次郎くん?」

 「ん?ああ、阿方か。どしたん?姉貴ならいねーけど」

 「吾音に会いに来てると思われるのは甚だ不本意なんだけど…」


 今日も今日とて学監管理部は絶賛活動中…と思いきや、自治会に向かう前に少し寄り道をした伊緒里を出迎えたのは、ノートパソコンに向かって何事かをやっていた次郎ただ一人だった。

 パソコンの画面から顔を上げ、ノックもせずに扉を開けて顔を覗かせた伊緒里の姿を見ると、次郎はパタンと画面を畳んで不意の来客を歓迎するかのように立ち上がって冷蔵庫に向かう…


 「何隠したの?」

 「………」


 …ところを止められる。次郎としては精一杯自然に振る舞ったつもりだったのだが、伊緒里の目を誤魔化せるものでもなかった。


 「いや別になんも?今さら阿方に隠すよーなもんなんかねーってば」

 「そう」


 しれっと口にした次郎の言い分など聞こえなかったように、伊緒里はとてとてと次郎の腰掛けていた席につき、ノートパソコンを開いた。


 「ログインして」

 「……あい」


 観念した次郎はパスワードを入力。

 そして現れた画面には、体のあちこちが現実ではありえないようなサイズに強調された女性のイラストが、デカデカと表示されている。その姿格好については…。


 「……なにこれ」


 伊緒里が繭をしかめて冷たい目で傍らの次郎を見上げたことで、知れるというものだろう。


 「……ごめんなさい」

 「……別に男の子だし、こういうものに興味があることを否定はしないけれどね。学校でやることじゃないでしょう?」

 「…だな」


 ホッとする次郎。追求の手は殊の外緩かった。自分の警戒センサーの正確さに感謝した。


 「で、こっちが本命なのね」

 「え?…げっ?!」


 のだったが、伊緒里はマウスを操って、タスクバーに表示されていた見慣れないアイコンをクリック。

 伊緒里が入ってきたことでパニックボタンを押して表示されたカモフラージュの画面の下から、また何か見慣れない黒背景に文字だけが表示されたウィンドウが現れる。伊緒里には一見してそれが何か分からず、次郎にどういうことかと尋ねようと再度その顔を見上げたのだったが。


 「ヤバい、って顔してるわね」

 「そ、そう……?」


 伊緒里はため息。聞いても無駄そうだ、と自分で理解しようとテキストに見入る。幸い、プログラムのコードなどではなく、アルファベットで表記されたコマンドと、その出力結果である日本語だけのようだ。

 そこで次郎が、「あ、手が滑った」などと強硬手段に出ないように一瞥して行動を掣肘しておき、伊緒里は表示された日本語だけに注目し、そしてその内容を理解した途端にしかめっ面になり、顔を逸らしていた次郎に糾弾するような視線を向けた。


 「…これ、どういうこと?」

 「…どういうも何も、その通りなんだろ」

 「その通りって…この通りだとしたら未来理ちゃんだけじゃなくてあなたたちの問題にもなるじゃないの」

 「まあ、そうなんだけど」


 伊緒里が指さしていた辺りに書かれていた内容は、中等部の生徒がよく使っている裏サイトの記述だった。

 サイトそのものが表示されているのではなく、そこのデータベースにアクセスして内容を表示したものだったが、ともかく内容はというと、三郎太に対するあからさまな敵愾心を煽るものばかりで、実行に移されたら警察沙汰になってもおかしくないものさえあったのだ。


 「…まだこんなものが使われていたなんて」

 「あ、いやこれはサイトに出ない過去ログだし、今は誰も見れるようにはなってねーって」

 「そこで安心出来るような内容じゃ無いでしょう、これは」


 実際、昨年の乱闘騒ぎを目の当たりにはせずとも起こったことを見聞きしている伊緒里には看過出来ない内容だ。

 それが伊緒里に自治会長選挙への立候補を決意させた原因の一つなのだが、それはともかく。


 「どうするのよ、これ。三郎太くんなら簡単にやられちゃうなんてこと無いにしても、絶対安全だなんてことはいのだし、それに次郎くんや吾音にだって危険が及ぶんじゃないの?!」

 「落ち着けって。姉貴が言うには『仲間内で粋がってるだけだし、本当に手出しする度胸なんか無いでしょ』らしいぜ?俺も三郎太も同感だけど」

 「去年実際に事件になったじゃない!…ああもう、なんであなたたち姉弟ってこうも時々呑気というか鈍感というか危機感がないというか…」


 阿方だって他人事じゃないと思うんだけどな、と思いはしたが、そんなことを言って余計に怖がらせるのも上手くない…あ、いや怖がらせて怯える姿を見るのも悪くねー……などと不埒なことを考える次郎だった。


 「…この内容、プリントアウトできる?」

 「出来なくもないけど、俺らがコレの存在知ってるとは知られたくないから断る」

 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょっ?!吾音はこのこと知ってるの?三郎太くんも!」

 「知ってるよ。知っててそれぞれの伝手に働きかけにいった。俺は留守番」


 じろり。

 お前は何もしないつもりなのか、とでも言いたげな眼鏡の奥の視線に、次郎は肩をすくめる。


 「とりあえず二人が何処に行ったのか教えなさい。相手によっては私も手伝うから」

 「あんまり首突っこまない方がいいと思うんだけどなあ……ああ分かったって、別に阿方にバラすなとか言われてねーし。まず三郎太だけどよ…」


 眼光の鋭さを増した伊緒里の剣幕に慌て、そう前置きしてから話し始めた次郎の言葉に、伊緒里は眉をひそめてあからさまに嫌悪の感情を示していた。



   ・・・・・



 一年三組。

 高等部の、であるから殊更に気後れなどもせず、三郎太はいつもよりも幾分厳つく改めた表情で入っていった。


 「二年の鵜ノ澤だ。宮島はいるか?」

 「ひっ?!…あ、ああ、いる…ッスよ。宮島ぁっ?!」


 そして手近な坊主頭の一年生に声をかけると、いきなり入ってきたいかにも荒くれ者という風体の上級生に畏れを成した彼は、慌てふためいて教室の窓際にいた軽く脱色したチャラ男風のクラスメイトを呼びに行く。

 その後ろ姿が辿り着いた先にいた宮島浩平は、教室の後ろ側の入り口にいた三郎太の顔を見ると一瞬ギョッとした表情になったが、呼びに来た坊主頭の少年には虚勢を張るように言葉を返し、些か緊張した面持ちで、だが口調はへらっとしたまま馴れ馴れしく三郎太の方に寄ってきた。


 「どーも、鵜ノ澤先輩。なんスか、珍しく」

 「話があってな。少し顔を貸せ」

 「ういっス」


 後をついてくることを疑わず三郎太は背を向け、その意に反しもせず、一年生は闊歩する三郎太の後ろについていった。


 いまだに校内で語り草にもなる、昨年の乱闘事件。

 この宮島浩平は、中等部三年生の折に三郎太襲撃を企図してその実行グループの中心人物だった。

 三郎太が目を付けられたのはとにかくその目立ちっぷりによる。学内一の高身長、ニコリとしたところなど一度も見たことがないと言われる風貌、ケンカが強いという評判で、粋がった中坊が名を上げようと標的にするのも無理は無い。

 彼らにとって誤算があったとすれば、三郎太がケンカが強い、というのが評判通りではなかったという点だ。評判倒れ、ではなく評判どころではなかった、のである。

 角材を持ち出して脅せば顔色無くすだろうとと思っていたら、木刀一本で無双された。武器を持ちだしたのはこちらが先だったのだから返り討ちにあって恨む筋合いでもない。

 出血は強いたが、立ち会いの末に立っていたのは乱闘の参加者では三郎太ただ一人だった、という有様だったのだ。入院こそしなかったものの、病院で手当を受ける羽目くらいにはなり、しばらくの間諸処から目を付けられることになったのも、今となっては彼ら自身も自業自得と諦観するところである。


 その後、襲撃グループは警察だのなんだのの厄介になるかと思いきやそんなことにもならず、風の噂によれば三郎太とその姉と兄が何やら手を回して穏便に済ませたとかなんとかで、結局浩平たちのグループは高等部に無事に進学することもかなって、今ではこうして三郎太とは親しく…はないものの、畏怖する先輩、という態で接する間柄になっている。


 「この辺でいいか。宮島、聞きたいことがあるのだが」

 「なんす?」


 人気の無い体育館裏、などといういかにもな場所に連れ込まれた割には、浩平も怯えた気色などないものだった。

 先に立って歩いていた三郎太は振り返り、後輩を睥睨して言う。


 「お前達、今も中等部の方に関わりはあるのか?」

 「中等部の連中に、スか?いえ、なんも。LINEくらいはやりとりしてますけど、別につるんだりは、全然」

 「本当か」

 「鵜ノ澤先輩にウソは言わねーですって。これでもオレら恩は感じてんスから」

 「………」


 いかにも、なチャラい外見ながら、三郎太を見返してキッパリ言い放つ浩平の顔に、巫山戯た様子は無かった。

 実際、放校という話もあった彼らを庇ったのは三郎太である。それだけで学園側の対応が変わるわけでもあるまいが、被害者の方が穏便に済ませろと言うものを無視出来るものでもなく、三郎太や吾音の働きかけでこうして無事に同じ学校で高校生をしていられるのは確かだった。


 (それだけじゃない、と姉さんは言っていたものだが…さて)


 「分かった。信じよう。それでもう一つ聞きたいことがある」

 「ういス。先輩の言いつけなら何でも聞きますよ」

 「お為ごかしはいい。中等部三年の神納という男子は知っているか?」

 「かのう、ですか?……あー、なんかそういえばそんなヤツもいましたっけ。オレらが中坊のころにパシ…い、いえちっと仲良ぉくしてましたっけ、ええ」


 パシリにしてた、と言いかけたら三郎太の形相が変化しかけたのを察して、浩平は言い換える。


 「…今もやりとりはあるか?」

 「ないです。そもそもアイツにしてみりゃあ、オレらの方から接触しねーのに、向こうから何か言い寄ってくる必要もねーでしょーし」

 「では今でも繋がりがあるとかいう連中はどうなのだ」

 「ンな話はしたことねーっすけど。あ、必要なら探り入れてみましょか?」

 「……そうだな」


 正直なところ、浩平の伝手などなくても調べられなくはない。だが、こうして三郎太の方から接触を図っておけば、浩平のグループもまた妙な動勢をすることもあるまい。


 「…頼む。神納が今付き合っている連中の名前のひとつでも分かればいい」


 そう思って、太い腕で浩平の二の腕を軽くたたき、言った。

 

 「りょーかいッス」


 それが妙にツボにはまったのか、浩平はニンマリとして請け合った。



   ・・・・・



 「…無茶するわね、三郎太くんも」


 三郎太の行き先を教えられ、伊緒里は大仰に天を仰いで呆れた。


 「そうでもねーって。アイツら三郎太には結構心酔してるっぽいからな。無視しとくと、まーたよからぬ真似をしかねないけど、こっちから接触してる分にはちゃんと抑えられるって」

 「そういうものなの?私には男の子の感覚って理解し難いわ」

 「そうか?姉貴と阿方の関係と似たよーなもん…いででで!」

 「余計なことを言うお口はこれ?これなのかしら?」

 「ひたいひたい!わがった、おれがわるかったっ!!………あでで」


 一頻り両の頬を引っ張られた次郎が、解放された顔を大事そうに揉んでいた。


 「それで吾音は?あの子が一番無茶しそうで心配よ」

 「心配?阿方が?姉貴を?……って分かった分かった!お口にチャックしとくから!」

 「茶化すようなこと言わなければそんなに怯える必要も無いわ、失礼ね。で、吾音は?誤魔化そうったってそうはいかないわよ」

 「……勘が鋭いっつーか、なんつーかもう…」

 「次郎くんが分かりやすすぎるだけ。で、吾音は?」


 これ以上隠し通せるものでもないか、と次郎は両手を挙げて降参の構えで、言った。


 「二課研。佐方のおっさんの上司に直談判しに行った」

 「……二課ぁ?」


 その時、すんげーうさんくさいものを見た時のような顔になっていた、と後日吾音にぼやいたら爆笑していた。そんな伊緒里の表情である。

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