第43話・止められる者のいない悪だくみ

 「じゃ、始めるわよー……って、あんたたちどしたの?」


 三郎太の部屋に入ってくるなり、胡座でブスッと互いにそっぽを向いていた弟二人を見て、吾音は怪訝な顔をした。

 別にケンカをするのが珍しいわけではない。殴り合いになることこそ最近は滅多に無いが、それでも男兄弟のことだから険悪な空気になるくらいならそう珍しいことでもないのだ。


 「…別に」

 「気にするな、姉さん」


 それでも毎回のことであれば、二人とも吾音の顔を見るなり「あっちが悪い」みたいな弁解をするものだから、揃って姉の顔を見て何でも無いみたいなことを言うのは記憶に…無くも無いなあ、そういえば…と思い直した吾音は、腰を下ろして持ってきたお盆を畳の上に置き、言う。


 「言いたくないなら聞かないけど、ってなんでわたし見て変な顔すんの」

 「だってそりゃ、なあ?」

 「……まあ」


 煮え切らない態度。

 吾音は知る由も無かったのだが、二人がこういう態度をとるのは大概、姉であり実は妹でもある吾音のことについて、見解の相違があった時だ。それは本人に言えるものでもないだろう。

 ちなみに今回の微妙な空気の原因は、宮島浩平が吾音に何事か兄弟にとって都合のよろしくない思念を抱いていた件についてである。いつも通り次郎が妨害というか阻止を主張したところ、三郎太がやや曖昧な態度であったことに端を発する。

 ただしその事実については、当の本人には伏せておくことで意見の一致は見ていたが。


 「言いたいことあれば言いなさい、っての。まあいいわ。それよりもそれなりに収穫はあったんでしょ?聞かせなさいよ」


 毎度のことだしこの二人の間にしかきっと相通じない物事に理解のある吾音は、聞いても無駄だろうとさらっと流して話を始める。

 それは無論、夕方吾音が未来理を教室に送っていっている間にあったことだ。

 三郎太は一年の宮島浩平と話をしに行き、次郎は情報収集と称して自治会の業務中だった伊緒里のところへ行った。もっとも次郎については収穫なく雑談に終始しただけで、そう告げて吾音にドヤされるかと思ったら生温かい視線で見られたのだったが。


 「ああ。神納の兄は中等部のあまり良くない傾向の連中とつるんでいるらしいな。そいつらが何を企んでいるか、となると先日調べた通りのようだが。動機、となるとどうも家庭に何か面白くない問題でも抱えている、とみるが」

 「そりゃまたなんで?」

 「そこまではな。だが中坊が親や家に反発することなど珍しいことでもあるまい。そう深刻に見る必要も無いと思うが。姉さんはどうだった」


 軽く扱っているわけではないだろうが、三郎太は特段重苦しい空気を醸しもせずそう言う。


 「…姉貴?どしたん」


 だが、二人に見せる表情としては比較的珍しいものが、吾音の顔にあって次郎は若干戸惑いの声をあげる。

 三郎太にしてもそれは同様なのか、俺何か拙いことを言ったか?みたく、眉をひそめて次郎の方を見たものの、次郎も肩をすくめるばかりで答えは無かった。


 「…三郎太、あんたは割と素直ないー子だからあんまりそういう感覚と縁が無いかもしれないけどね。よっと」


 吾音は二リットルのお茶のペットボトルのキャップを開け、三人分の湯飲みにそれを注ぐ。

 鵜ノ澤家は真夏でもお茶は急須で煎れるもの、と決まっているが、こうして三人で話す時は口を滑らかにするために、買ってきた冷たいお茶を用いる。もっとも、味については三人とも熱く濃いお茶に軍配を上げるが。


 「わたしの方の話をするわね。未来理ちゃんのお兄さん、神納典次くん、っていうんだけど、最近あまり家に帰ってないみたいなのよね」

 「家に帰ってないっつーと…家出みたいなもん?」

 「あまり、って言ったでしょ。別に家出じゃないわよ。時々友だちの家に泊まってたり、自分の家に帰って来ても極端に遅いとかそんな具合。まあ、友だちって言っても三郎太の聞きこんできた話じゃあ、怪しいものだけどね」

 「そこまでする理由は何だ」

 「ん、未来理ちゃんを送ってきたついでに典次くんの担任の方にも話してきたんだけどさ。ご両親からも相談があって、どーもね……未来理ちゃんを避けてる、みたいな雰囲気なのよね…」


 いたましい表情の吾音に、二人も些か合点のいく思いがする。

 部室であれだけ楽しそうでいた未来理が、教室に戻るかと促されて、今までであれば特に躊躇いも見せなかった。

 未来理は決して学校が嫌いなわけではない。今のところは。

 けれど、教室に戻り、そして家に帰るとなった時、家庭の空気もどこか自分に優しくないものがあるとすれば、未来理にとって居心地のいい場所は学監管理部の部室しかない、ということになるのだろう。それは帰るのを渋ることだってあるに違いない。


 「未来理ちゃんさ、実際いい子だからあんまり気にしてなかったけど、軽度の発達障害があるってことで、ご両親も未来理ちゃんのことにかまけて典次くんを気に掛けられないでいるのかもしれないわ。三年の担任の先生はそう言ってた」

 「だからといって妹も家も放置していいというわけではあるまい。どんな男なのだ、神納典次というヤツは」

 「あのね、三郎太。未来理ちゃんに感情移入するのはいーけど、思い込みでお兄ちゃんを非難するのはやめときなさいってば。そーいうところ三郎太の悪いとこよ」

 「む、そうか…」


 ごく親しい間柄の人間であれば誰も知るところだが、三郎太は時に思い入れが深すぎて対象を絶対視することがある。今のところその最大の対象が吾音であるから、傍目には少々度の過ぎたシスコン、と見られることが多いだけだが。


 「三太夫はなんだかんだ言ってなあ、優しいとこあっからな」

 「三太夫ではない。三郎太だ。あと次郎にだけは言われたくないものだな」

 「未来理ちゃんに言われるのはいーのか?」

 「お前な、顔に畳の跡をつけたいか?」

 「はい、そこまで。あんたたちが仲良いのは分かったからそれくらいにしときなさい」

 「あいよ」

 「おう」


 膝立ちにまでなりながら、あっさり矛を収める二人。そこのところは長年培った、家族としての空気の読み方によるのだろう。祖父が見たら微笑ましく思うだろう光景だった。


 「ま、そういうことだから…」

 「あ、そうだ姉貴。あれどういうことだよ」

 「あれ?って、何が」

 「ほら、ノート開いたらメモ帳にあったやつ。紐の心配してたアレ」

 「あー。なんか二課の気配がするから気をつけろ、ってだけよ」

 「それだけではあるまい。PCを使うな、というのであれば何か根拠もあるのだろう?」

 「んー、それはわたしの勘に過ぎないけど。ただ、どーも行く先々で二課に先回りされてる感じがしてさ。VPNって言ったって所詮学内の話でしょ?こっちが何を調べているのか筒抜けになってる可能性もあると思うのよ」

 「………」

 「…やっぱ、話の聞き込み先でなんかあった?」

 「あった、って程じゃないけど、ちょっと話が上手いこと進みすぎかな、って。中等部の先生に話ししに行っても、なんとなくあらかじめ話が通っていたみたいな雰囲気あったもの」

 「葵心さんから話行ってたんじゃなかったっけ?」

 「期待以上だったのよね。あと、椎倉さんに頼んでいなかった、三年の担任まで訳知り顔だったから、疑念は強化されたわね」


 うーむ、と腕組みをして唸る次郎と三郎太。

 こう見えて吾音は、普段から根拠もなく暴れ回ったりしているわけではない。無茶と無理を両手に掲げて押し通るのではなく、根回しを充分にした上で、一番美味しいところをかっ攫っていくだけだ。そちらの方がよほどタチが悪い、と伊緒里に言われたことがあるが。

 その姉の嗅覚に引っかかるものがあるというのであれば、何も無いということはあるまい。

 そう結論づけて、三郎太は言う。


 「それでこれからどうすればいい」

 「方針は変わんないわよ。ただ、未来理ちゃんが学校で楽しく過ごせるようにしたい、ってだけじゃなくて、場合によってはお家のことも考えないといけないかもだけど」

 「そこまでやる必要はねーと思うけどなあ…」

 「いや」


 流石に家庭の問題にまで口を挟むのは、と言いかけた次郎を遮り、三郎太が肩をいからせ言う。


 「これは俺達の問題でもある。妹を蔑ろにする兄など、その性根を正してやらねばならん。そうは思わんか?次郎」

 「………まあ、なあ」


 ジロリと据わった目付きで見られ、次郎は曖昧に応じた。一度吾音を見てからのことだったから、何か自分にあるのか、と吾音は首を傾げていた。


 「…なんで三の字がやる気になったのかは知らないけど、あんたたちが未来理ちゃんのためにならないことをするとも思えないしね。で、話はどうするか、ってことになるんだけど」

 「待て待て、俺の話もあんだから」

 「次郎?あんた伊緒里と遊んでただけじゃなかったっけ?」


 会議はお終い、と言わんばかりに湯飲みを空にした吾音を押し止めて口を挟んだ次郎に、別に揶揄する風でもなく吾音は尋ねた。


 「阿方じゃねーよ、ソースは。姉貴がデジタル使うなっつーから培った人脈ってのを頼っただけだ」

 「伊緒里以外の人脈、ねえ…」


 胡散臭そうに次郎を見る吾音の視線には、半ば以上本気の色がある。

 どうも次郎が伊緒里と無関係のところから拾ってくる話となると、途端にゴシップ臭くなるのだ。もちろん誤解であって次郎の普段の行状が災いしているだけの話だが。


 「えらい言われようだ…けど俺の話聞いたら姉貴だって見直すぜ、俺のこと」

 「別にあんたのことを見くびってたりしてないわよ。御託はいいからさっさと言いなさい」


 少しくらい勿体ぶらせてくれてもいいじゃねえか、とブツブツ言いながら次郎が話を続ける。褒められたはずなのだが、全くそんな気にならなかった。


 「未来理ちゃんが三太夫の眼鏡取ってこい、って言われた件だよ」

 「………あーあー、そういえばそんな話もあったわね。未来理ちゃんと三郎太がなんか勝負してるのが面白くて、そもそもなんでそんなことになったかすっかり忘れてた」

 「おい」


 本気で「今思いだした」感を醸し出している吾音。


 「……重要なことなのか?」


 …と、三郎太だった。一応「あと三太夫ではない」といつものを後に続けたが。


 「お前らなー、話の発端を忘れてどーすんだっつーの。で、だな。どうも未来理ちゃんにそれをふき込んだの、三年の連中らしい。いや厳密に言うと三年の連中が未来理ちゃんのクラスの男子にそう言わせた、ってことだな……って、なんでそんな呆れた顔してんだよ」

 「だってねえ」

 「うむ、今更過ぎて納得するのも勿体ない話だ。次郎の話が無くとも当たり前の話だろうが、それは」


 詰まるところ、三郎太に何かしらよろしくないことを考えている連中が、首の代わりに眼鏡を取り上げて凱歌を上げよう、としたのだろう。

 そして彼らが自分ではそれを出来ないとなって一年生に下請けを出し、上級生に言い含められたか脅されたのだか、どちらにしてもさらにクラスの中でも立場の弱い未来理に孫請けに出した、ということになる。

 三郎太の言う通り、ここまでの話を整理すれば容易に想像のつく話だということに過ぎない。


 「そんな話をありがたがって拝聴させよーだなんて、次郎の情報収集能力も地に落ちたものねー」

 「まったくだ。会長と乳繰り合ってるうちに大分脳細胞が錆び付いたのではないか?」

 「まだ乳繰り合ってねーよ!……あ、いや…」

 「『まだ』?へー、次郎そーいうつもりはあるんだー。ほー、ふーん、なるほどー」


 イヤらしい笑いで煽られ、顔を赤くしてどもるに至っては語るに落ちる、というものだ。

 もっとも、吾音の想像の中の伊緒里は、そんなことを言われたとしても恥じらいつつも「い、いいわよ……少しくらいなら…」などと言ってそうだったのだが、武士の情けとはいえそこまで教えてやるつもりも無い。


 「…ま、いいだろう。兎にも角にも、その三年の連中を絞めれば済む話だ。俺の出番だろうな」

 「ちょいと三の字。締め上げるのはいーんだけど、人目に触れないところでやんなさいよね」

 「あのな、姉貴。また去年みたいなのは勘弁して欲しいのは同感だけど、せめて止めるフリくらいしろよ…」

 「止める?なんで?……未来理ちゃんをそうも追い込んだバカをやり込めるのに何の躊躇がいるってのよ。いいわ三郎太。ケツはわたしが持ったげるから、存分にやんなさい」


 あ、一応バレないよーにはしてよねなるべく、と付け加える姉と、不敵且つ獰猛な笑みでそれに応じる弟を見比べて、次郎はため息をつくしかないのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る