#03

「名簿が?……」

 周吾郎は素直に驚いた。合格者発表は湊川高校を受験した中学生――もちろん湊川に限らないが――およそ三〇〇名にのぼる生徒が待ちわびている大切なイベントだ。合格発表に使用する名簿がなくなってしまったとあれば、間違いなく現場は大混乱だろう。耳を澄ますと、職員室から騒がしく話し合っている声が聞こえてくるような気がした。代理の名簿を急ピッチで作っているのかもしれない。

「なくなったというのは、誰かが持って行ったんですか?」

「それもわからないの。伊勢谷先生によれば、三〇分くらい前までは職員室外の廊下に立てかけてあったのに、少し目を離したらなくなっていたんだって」

 不用心だなあ――と周吾郎は呟きそうになったが、伊勢谷が気の毒で閉口する。

「……最初は盗まれたと思ったんだけどね。結果が決まった以上、合格者一覧なんて盗んでも仕方がないから、誰かが掲示しに行ってくれたのかなと思ったんだけど、まだ貼り出されてなかったから、おかしいなと思ったんだ」

 伊勢谷は予想通りの弱々しい声で話す。

「山崎さんに手伝ってもらったけど見つからなくて、それで山崎さんが御子柴くんを呼んでくれて、みんなで考えていたんだけど、それでもわからなくて……」

 伊勢谷の考えはもっともだった。合格者一覧の名簿を盗んで、たとえばそれを改ざんしたところで入学が認められるわけではない。ならば在校生が後輩のために蛮行を働くかというと、それも可能性は低いだろう。くそ真面目で実直な文太であれば、馬鹿げた策略を巡らせる前に教鞭でもとったらどうだ――とでも言っていたに違いない。周吾郎なら、聞くだけ聞いて断っていたところだ。

「三人で考えても行き詰まってしまったから、誰かの知恵を借りようかと思って、メールの受信履歴を見ていたんだ。そこで、周吾郎の名前が目に入った」

「ははあ。とんだお鉢が回ってきたもんだ」

 飛躍がすぎると悪態をつきそうになって、やめる。貸すほどの知恵を持っていないのはたしかだったが、たしかに文殊の知恵も三人よりは四人のほうが効果的と言えるかもしれない。情報が錯綜する危険性もあるが、状況を考えれば致し方ない。万策尽きたとなれば、新たな探偵役が必要になることもあるだろう。

 周吾郎は視線を落として、目蓋を閉じる。

 外部の人間が名簿を盗み出すとは、少々考えにくい。内部の反抗ならお咎めだけで済むかも知れないが、外部になると警察沙汰にも発展してくる。公文書偽造とまではならなくとも、相応の罰は受けるだろう。逮捕の危険を顧みず合格者発表を阻止したい気持ちがあるのなら、せめて裏口入学とか、他の手段を考えるのが賢明だ。となれば、消失の原因は誰かの故意か過失が有力になってくる。盗む理由は乏しいと考える以上、可能性としては過失――つまり「誰かが何らかの原因で誤って持ち去った」のほうが高い。イタズラでクラス名簿を隠すというのは少し幼稚な発想だ。

 そうなると――――

「これは事件です」

 熟考にふけっていた脳裏に、第三者の声が割り込んでくる。少女らしき声だったが、山崎の発したものではない。周吾郎が声の方向に視線をやると、腕組みした女子生徒が屹立しているのが見えた。

「合格者の名簿がなくなった――つまり、名簿は、誰かに盗まれたんです」

 女子生徒は茶系の髪を肩ほどで切りそろえている。湊川の制服とは違う、少し格式高いセーラー服を着ており、おそらく受験生であることがうかがえた。歩み寄る足取りは堂々としていて、顔にはきりりとした眼差し。顎に添えた手は往年の名探偵を彷彿とさせる。少女は周吾郎たちに交じるほどの距離に近づいて、立ち止まった。

「そして――」

 腕をばっと掲げると、周吾郎たちのほうを指さして。

「犯人は、このなかにいます!」


「……御子柴。この子も、君が?」

「い、いえ、俺は何も……」

 山崎と文太は面食らった様子だった。どちらも件の女子生徒と知り合いではないらしい。伊勢谷は「犯人」という言葉が効いたのか、オロオロのレベルが一段階ほど上昇しているように見えた。女子生徒はというと、腕組みをし、自信に満ちた笑みとともに一行のことを見下す――いや、見上げている。上背はそこまで高くなく、ゆえに威圧感もさほどなかった。

「えっと……あなたは?」

 一歩踏み出して、山崎は女子生徒と対峙する。

「見たところ湊川の制服じゃないから、受験生のようだけど」

「名乗る名前はありません。私はこの怪事件を解決するだけのものです」

 だ、そうだった。

 女子生徒は自信ありげだ。周吾郎は怪事件でも何でもないと思っていたが、女子生徒氏がいかにも探偵然としているからか、どうにも口を挟めない。文太に目配せすると、処置なしという様子で頭を掻いていた。こういうタイプは苦手なようだった。

「よくわからないけど、あなたは私たちの誰かが犯人だって言うのね?」

 一方で、山崎はあくまで強気だ。

「ええ、その通りです」

「だったら、その根拠を教えてもらいましょうか」

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