#02


 県立湊川高校は、県全体で見て中の上付近に位置する自称進学校だ。

 高校のある鶴見市は街全体がなだらかな斜面に乗っかった扇状地で、扇の要に近い山麓を背に、湊川高校はそれなりに広い敷地を構えていた。三〇年ほど前までは溝山という私立校だったそうだが、あるときいくつかの小さな学校を吸収して、公立高校として生まれ変わった歴史がある。公立高校となった湊川はあらかじめ受験者数が調整されるため、受験時の倍率はせいぜい一・二倍というところ。案の定、テスト全般が苦手な周吾郎でも手応えありと思えるほどに入学試験は淡々と終わり、焦燥感や期待感に駆られることもなく、合格発表の日を迎えた。初めての入学試験があっさり過ぎ去ったのは些か寂しい思いもあったが、昔の知り合いと遭遇して、昔話をしたことは収穫といえるだろう。

 今日は受験生念願の合格発表。湊川の部活動は通常通り行われているらしく、校門をくぐった先は受験生のみならず、伝統の紺の制服をまとった在校生も数多く歩いていた。時刻は八時四十五分。九時までには昇降口前の掲示板に合格者名簿が貼り出されるとのことだったが、周囲のざわつきを感じるに、発表自体はまだのようだった。念のため掲示板も覗いてみるが、それらしい掲示物は見当たらない。こうなると少々億劫だ。合格の是非がわからないうちは結果発表まで荷物を置いて図書館へ――ということもできず、近くのコンビニで暇を潰そうにも微妙な時間だ。単純な往復だけでも十五分。行って戻ってくるだけで時間切れとなるのなら、じっとしていたほうがいくらかましだろう。

 仕方なしに周吾郎は昇降口付近のベンチに腰掛け、発表のときを待つことにした。校舎からは吹奏楽の練習が聞こえてくる。心地よい陽気で、のどかな春模様だ。読みかけの文庫本でも持ってくるべきだったかな――と考えていると、ポケットに入れていた携帯が鳴った。校内への携帯の持ち込みは禁止されていないが、それでも突然携帯が鳴ると疚しい思いが湧いて、つい人目が気になってしまう。携帯を見ると、どうやらメールが届いたようで、本文はやけに差し迫った様子だった。

『周吾郎、もう学校には来ているか』

 差出人は「文太」と書かれている。周吾郎の知っている文太といえば、小学校時代の同級生・御子柴文太みこしばぶんたのことで、先日の入学試験では三年ぶりの再会を懐かしんだ間柄だ。嘘をつく理由もないので、周吾郎は手短に返信する。

『ああ、もう来ているけれど。文太はまだ来てないのかい?』

『いや、そういうわけじゃない。ちょっとおかしなことがあったんだ』

『おかしなこと?』

『できれば手を借りたい。職員室前まで来てくれないか』

 何が起こったのか説明する時間も惜しいと見えた。周吾郎は念のため確認する。

『職員室って、まさか湊川のかい』

『そうだ』

 貸すほどの知恵はないよ――と返そうとして思いとどまり、周吾郎は『わかった』とだけ返して携帯を仕舞った。小さな吐息が漏れる。できれば、ということだから手伝う義理はないだろうが、数少ない級友の頼みを断るのはそれこそ人として義理を欠く。周吾郎は重い腰を上げて、目立たないように昇降口から校内に入った。文太も同じ受験生だろうに、なぜ既に校内にいるんだろうかという疑問符も浮かんだが、ひとまず忘れることにした。

 職員室の場所はすぐにわかった。昇降口から角をひとつ曲がった廊下に、教師らしきスーツ姿の男性が一人と、男子生徒が一人、女子生徒が一人いたからだ。男子生徒の容貌には見覚えがある。向こうも周吾郎が近づいてくるのを見つけると、大して遠くないのに大げさにぶんぶんと手を振った。

「やあ、すまないな周吾郎」

 精悍な見た目通りの低い声で、男子生徒――御子柴文太が言う。周吾郎は第一声にうんと皮肉を込めた。

「合格発表当日に級友を校内に呼び出すなんて、どうかしてるよ」

「成り行きだ。気にしないでくれ」

 文太は濁した言い方をする。茶系の髪を短く揃えていて、見かけこそ粗野な文太だが、中身は実直という言葉がよく似合うどこまでも律儀で品行方正な男だ。それでもって情に厚く、何事に関しても仁義を通す。ゆえに人助けの先陣を切ることが多い。小学校時代も、クラスの委員長に立候補するのは決まって文太だった。

 同席している残りの二人は、見る限りでは女性教師と女子生徒のようだ。かなり若く見える女性教師は少し困った顔をして、しきりに辺りを見渡している。胸元のネームには伊勢谷奏子と書いてある。女子生徒のほうはしかめっ面で考えごとをしている様子だった。胸元の徽章が桜の文様――湊川高校の校則に則るなら、女子生徒は二年生だということになる。三月の時点で二年生ということは新三年生だな――と周吾郎は気まぐれに考えた。

「山崎先輩、彼は橘周吾郎です。小学校が同じでした」

「そうなんだ。よろしく、橘くん。御子柴が世話になってるね」

「はあ、どうも」

 山崎はニコッと頬を緩めた。短めの髪が似合う、サバサバ系という言葉が似合いそうな風貌だった。今どき珍しいなと思ったが、高校生にもなると珍しくはないのかもしれない。ところで素性はわからないままだ。周吾郎が視線で説明を求めると、文太がそのまま後に次いだ。

「山崎先輩は中学が同じだったんだ。ちょっと縁があって、合格発表前だけど今日は手伝いをさせてもらってる。で、こっちは伊勢谷先生。生徒会顧問の先生で、先輩を通して少し面識があった」

 伊勢谷のほうは「よろしくね」と申し訳なさそうに会釈した。申し訳なさそうと言うよりは、自己紹介どころではない――と言いたげな表情だ。文太は昔から人脈に長けている男だったが、入学前に顔見知りが何人もいるところを見ると、その手腕は相変わらずのようだった。

 昔からの顔なじみに、その先輩と、生徒会の顧問。全員の素性がわかったところで、周吾郎が言う。

「それで、おかしなこととは一体何でしょうか」

「なくなっちゃったの」

 誰ともない問いには、山崎が答えた。

「合格発表で貼り出す合格者一覧の名簿が」

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