#04

「根拠?」

 女子生徒は自信満々から一転、きょとんとした顔になる。

「そう、根拠よ。証拠があるならそれでいいわ。私たちのなかに犯人がいるって言いたいなら、その証拠を見せてちょうだい」

 当然の反駁だ。己の推理を正当化したいのであれば、それに見合った証拠が必要になる。ノックスに逆らって第六感で推理を行う探偵が現実にいたとしても、根拠のない推理には往々にして疑念が付きまとう。疑念を払拭するためにはさらなる推理が求められるが、第六感にも限界があるだろう。証拠というのは探偵にとって、犯人を追い詰める剣であり、疑念から推理を守る盾でもある。

「証拠……証拠ですか。もちろんありますよ」

 じろじろと周囲を眺めたあと、咳払いして女子生徒は口を開く。

「みなさんの素性は存じ上げませんが、あなたは在校生ないし上級生ですね。なぜならあなたは先ほど、そこの男子生徒のことを『御子柴』と呼んでいましたから」

「そもそも、今湊川の制服を着ているのは、新二年生と三年生くらいじゃないかな」

「………………むっ」

 ぽろりとこぼした言葉に、女子生徒の頬が膨れる。

「なんですかあなたは。推理の邪魔をする気ですか」

「いや、そういうわけじゃないんだけどね。名探偵の助けになればと思って」

「容疑者に助けを請うた覚えはありません」

 仰る通り、周吾郎は閉口した。

「……私が新三年生なのは事実だけど、それが何か?」

「ええ。あなたは二年生ですから、校舎内に自由に出入りできます。もちろん私たち受験生も隙を見て立ち入ることはできますが、制服が違うので怪しまれます。その点、先輩は怪しまれることなく犯行に及ぶことができます」

「ちょっと待って。それじゃあ、あなたは私が犯人だって言いたいの?」

「はい、可能性の話をすると、そうなります」

「ふざけないで!」

 山崎は声を荒げる。女子生徒はひっと怯えて縮こまった。

「私は伊勢谷先生に話を聞いて、辺りをくまなく探し回ったうえで、それでも見つからなかったから御子柴や橘くんに手伝ってもらっていたのよ。それを在校生だって理由だけで犯人扱いされるだなんて、到底容認できないわ」

「そう、山崎さんは私が頼んで、一緒に名簿を探してもらってたの」

 山崎を宥めながら、伊勢谷が言う。

「それに、山崎さんには職員室内で事務作業も手伝ってもらっていたのよ。他の先生に話を聞けば、名簿がなくなったときも山崎さんが職員室にいたことを証言してくれるわ」

 実際に話を聞くと、すぐに疑惑は晴れた。山崎は合格者に配るためのパンフレットを整理する作業を手伝っていて、職員室に残っている何人かの教師がそれを目撃していたのだ。職員室を出てすぐに、女子生徒、もとい名探偵何某はぽろっと呟いた。

「おかしい……そうか、先輩が誰かと結託していた可能性が……」

「あなたねえ……!」

「せ、先輩! ひとまず落ち着いてください!」

 今度こそ怒り爆発というところで、御子柴が間に立って仲裁する。山崎は怒り心頭、伊勢谷は一貫してオロオロしているままだったので、周吾郎は手持ち無沙汰になった。女子生徒は怯えた様子から困り顔に変わって、ひたすら思案しているようだった。合格発表の時間まではいくばくもない。片をつけるなら早めが良さそうだ。

「となると、犯人は一体……」

「思うんだけど、犯人がいる前提で考えるからダメなんじゃないかな」

 周吾郎はたまらず口を挟む。女子生徒が不満に満ちた目で周吾郎を睨んだ。

「何を言いたいんですか」

「固執してるってことだよ。ええと……」

 そういえば、周吾郎はまだ女子生徒の名前を知らなかった。閉口した理由を察したか、女子生徒は上目遣いのままで言う。

「……小日向です」

「よろしく、小日向さん。それで、小日向さんは犯人が誰かって言うことにこだわっているけれど、僕は間違っていると思う。名簿を盗んだところで、合格不合格の事実が変わることはなくて、ただの遅延行為にしかならない。大勢に迷惑をかけることはできるけど、盗む側には何のメリットもないよ」

「確かにその通りですが……」

 女子生徒――小日向は眉根を寄せる。

「では、あなたは名簿がどうなったと考えているんですか。これが盗まれたのではないとすると、事件は迷宮入りですよ。ますます謎が深まります」

「謎は深くならないよ。原因は深く思い込んでしまう人間にある」

「それは私のことですか」

「はは……」

 笑って誤魔化しながら、周吾郎は思う。

 名簿が盗まれないにしても、足が生えて勝手に歩き出すことはない。ものを移動させるためには、偶発的な霊的現象や事故でも起こらない限り、誰かの手によって運ぶ必要があるだろう。盗む気がないにもかかわらず運ぶとなると、善意の行動によるものか、誤った行動によるものか。判断するためには、もう少し情報が要りそうだった。まあ、あと少し現場検証をすれば、きっと片がつくだろう――と呑気に構えながら、周吾郎は考えてみることにした。

「先生、名簿はどんなふうに保管されていたんでしょうか。袋に入れていたとか、畳んでファイルに入れていたとか。まさか、インクジェット紙をぐるぐる巻いたものに輪ゴムをかけて放置していたわけではないでしょう」

「もちろん。合格者の名簿は大事なものだから、金属製のハードケースに入れてありったのよ。鍵もしてあったんだけど、まさかそれごと盗まれてしまうとは……」

「ハードケースですか。ずいぶんと大切に扱われているんですね」

「湊川高校の合格者発表名簿は、伝統的に手製のものを使用することになっていてね。書道部に協力してもらって作っているの。だからすぐには替えが利かない」

 なるほど、と周吾郎は相槌を打った。

「ケースは一般的なジュラルミン製ですか?」

「そんな感じだけど、汎用のものではなかったわよ。名簿専用というわけでもないけど、細長いものを入れるのに使用するタイプ、というのが正解なのかな」

「それを廊下に置いていたんですね。名簿から目を離している間、なにか変わったことはありましたか?」

「変わったこと? 特には……」

「なんでもいいんです。いつもと違う様子とか、音とか、なんでも大丈夫です。先生にとっては当たり前でも、僕から見ると異質なことだってありますから」

「たしかに、君の言う通りだけど」

 伊勢谷は面食らった様子だ。

「とはいえ、本当になにもなかったのよね。廊下を通る部活動の生徒が騒がしいのはいつものことで、それがなにかおかしいかと言われるとそうではないし」

「部活動ですか。職員室の前は、部活動をしている生徒がよく通るんですか?」

「上の階は文化部の部室があるから、当然ね。昇降口や連絡通路も近くて、生徒が部室の鍵を借りに来ることも多いから、特にめずらしいことではないわ」

 周吾郎は周囲を確認する。廊下はロッカーや本棚の類いが置かれていないため、ケースを隠すというのは無理がある。窓を隔てた先には件の掲示板が見え、受験生でごった返しているのがよくわかった。

 廊下のなかほどに職員室があって、両隣には教職員用トイレと大道具室、さらにそれらを挟むようにして両側に二階への階段がある。各学年の教室は別棟になるらしく、二階から四階にかけては文化系の部室が並んでいる。さらに廊下を進んだ先には保健室で、突き当たりの扉を出ると体育館に向かう連絡通路がある。もう一方の突き当たりは図書館につながっているようだった。特別おかしな点はなかったが、大道具室の鍵が開いているのが周吾郎は気になった。

「ここは何に使う部屋ですか?」

 部屋のなかを覗くと、段ボール箱をはじめとした荷物が多く保管されている。最近積み出しがあったのか、ぽっかりとがらんどうになっている部分もあったが、それでも圧迫感を感じるほど、たくさんの荷物でひしめいていた。

「部活動とかの荷物を保管している部屋ね」

 周吾郎の質問には山崎が答えた。

「最近だと美術部が写生のためのカンバスとかを置いていたかしら。あと吹奏楽部がマーチングバンドの大会が近いそうで、大きい楽器とか装具を保管していたかな。生徒会でも使うことはあるだろうし……まあ、平たく言えば物置ね」

「なるほど、ありがとうございます」

 周吾郎は満足そうに笑みを浮かべた。探偵何某はそれを見逃さなかった。

「もしかしてあなた、犯人がわかったんですか?」

「……まあ、そんなところかな」

「本当か周吾郎! 名簿を持って行ったのは誰なんだ」

 女子生徒を皮切りに、文太も周吾郎に駆け寄る。周吾郎の顔から満足げな笑みは消え、代わりに困ったような微笑を湛えていた。見ると、山崎と伊勢谷も興味深げに周吾郎のことを見つめている。山崎のほうは、こんなことで犯人がわかるわけないだろう――と言いたげな表情をしているようにも見えた。あまり信用はないようだ。周吾郎が同じ立場でもそう思ったに違いない。

 周吾郎はひとつため息を吐いて、続ける。

「一〇〇%ではないですが、おおよその答えは導けたと思います」

 脳裏の推理をまとめながら、周吾郎の視線は上の空を向いていた。

 口元では笑っているが、両目は興味のない映画を眺めるような、ぼんやりとした雰囲気に満ちている。四人に名簿の行方について話しながら――しかし心はどこかに消え去ってしまったように、魂が抜け落ちたように、周吾郎は気の抜けた表情を浮かべていた。それはほんの僅かな表情の機微で、注視しなければとても気づけるようなものではなかった。当の周吾郎でさえ、ほとんど意識などしていなかった。


 ただ――――、

 少し離れて立つ小日向だけが、周吾郎の顔をじっと見つめていた。

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