エピローグ

「いやあ、おもしろかったね。国城さん、あれ内心キレてたよ」

 水喰土礫は、紫橋小桜の研究室へ事件の最終報告に来ていた。一つ開けて隣の席には先程までゼミを受けていた青梅蛍がいくらか疲れたような様子で座っている。今にも机につっぷしそうだった。先生の前で失礼な奴だなと水喰土は思う。

「そんなにおかしかったですか」青梅がはずかしそうに言った。

 水喰土は青梅を見る。なんの変哲もない普通の人間にしか見えない。目立った輝きも隠れた才能もあるようには思えない。

「な、なんですか、じっと見てきて……」

「見つめている」

「なにもでませんよ」

 そうだ、なにもない。

 それなのにだ。この人間はなんなのであろうか。なにもないように見えるけれど、わずかに心惹かれるような気持ちが内心に芽生えていることは否定できない。もっと良い目を持てば、正体がわかるのだろうか。水喰土は尊敬する人間に視線を移した。

「ああ、その光景を見てみたかった」紫橋がコーヒーをすする。とても機嫌がいいようだ。「私もずっと昔、誘われました。養子にならないかと」

「断ったんですよね」青梅が跳びはねるような調子で言った。

「もちろん。私が母と呼ぶべき人間は育ててくれた人、一人だけです」

「え……、ああ。意外とお母さん思いなんですね」青梅が愛想笑いのような表情を見せた。

「別の言葉を思い浮かべませんでしか?」

 以前、紫橋からは血の繋がった母親とは会ったことがないと聞いた覚えがある。しかし、水喰土はなにも言わなかった。

「それにあの人のことは嫌いですから」紫橋が微笑んだ。

「わー、それ言っちゃうんですか。私もです」青梅が喜んだ声をあげる。

「能力的には当然、尊敬に値しますけれどね」

 水喰土は青梅が期待するような眼差しでこちらを見ていることに気付いた。

「僕? 好きとか嫌いとか特に感じはしないかな。疲れるからもうできれば相手にしたくないとは思うけど」

「嫌いということですね」

「強いていえば、今の君に対する気持ちと同様だと言える」

 冗談だ。青梅の反応には間があった。なにかを考えているのかもしれない。

「それ、バカにしてます?」

「天才だと褒めているのかもしれない」

 青梅は怒ったような様子を見せた。

 それにしても今回は本当にめんどうで疲れた。しかし、それでも解けてしまった。迷うところがありはしたが、それは選択の問題でしかなかった。もっとなにもわからず、考えることを諦めるに至り、惨めに助けを請いたかった。誰かが解決してくれるのを無責任に願うような傍観者になりたかった。

 どうしてもっと頭の悪い人間になれないのだろうか。

「氷さんが教えてくれましたが、問題の男性は密室で自殺していたそうです。当時の資料には他殺だと考えられるような証拠はなかったらしいですが、どうもかなり悲惨な様子で発見されたようです。狂ったような部屋で惨たらしくと。これ、やっぱり……」

「だろうね」

 そもそもの発端となった顔もわからない男性の研究者。自殺だとされているが、きっと国城環の手にかかったのだろう。当時の技術ではまともに現場を検証することも難しいのではないか。それでは天才の犯罪を暴けはしないだろう。

「もうずっと昔の話です」紫橋がつぶやいた。「当然、時効を過ぎていますし、誰も真相を望みはしないでしょう。それでも挑むというのなら応援はしますが。見ている分には楽しそうですし」

「やめておきます」青梅が言った。

 いろいろ想像しているのかもしれない。同じく、少し思い浮かべただけでも手を引きたいと感じる。

「今回、よかった点は、歳をとるとバカになるというのが確認できたことだね。少しだけ未来に希望が持てた」

「あれで、ですか?」青梅が言った。

「あれで、だよ」水喰土は答える。

「そうでしょう。昔から独特の鋭敏で強堅な思考を感じはしましたが、今回、聞いた限りでは、どうもそれとは違い、衰えによる硬直化があるように思います」

 青梅が震えるようなジェスチャーを見せた。

「元のできが人間じゃないからね」

「はあ……」青梅がため息をはいた。「今回の件で、今度は私達が付け狙われたりしませんかね」

「達というか君でしょ」水喰土は言った。「怒らせたし」

「気に入られたでしょうね」紫橋も続けた。「気に入るだろうと思って紹介したので想定通りですが」

「はあ? やめてくださいよ」

「それをここで言ってもね。電話してみれば、国城さんに」

「いやですよ。墓穴じゃないですか」

 青梅がふてくされたような顔を見せる。

 水喰土は紫橋の方をそっと見た。

「どうかしましたか?」と紫橋。

「あ、いえ」水喰土はあせって視線を逸らす。顔が赤くなるように感じられた。「国城さんの言葉からは先生をいたく気にしていた様子が感じられました。もしかしたらと」

「そうでしょうね。私を巻き込みたいと考えていたのでしょう」

 紫橋も狙われていたのではないか、と水喰土は考えていた。それは事件への参加というだけではなく、手元に引き入れる、もしくはそうならなかった場合の命までを。ゆえに、この事件の依頼を紫橋へ持ってきたのではないか。しかし、水喰土はそこまで口にしなかった。紫橋ならすべてわかっているだろう。青梅はよくわからない、という顔を見せているが。

「なので代わりに行ってもらいましたし、次からは興味の対象が青梅くんに移るので私は安泰というわけです」

「私は生贄ですか」

「お供え物です」

「人身御供」水喰土はつぶやいてから声を出して笑った。

「そんながんばってくれた青梅君にプレゼントがあります」

「なんですか!」青梅が明るい声を出す。

 無邪気な奴だ。

「そこの布を外してください」

「これですか」青梅が立ち上がり指示された布のかかった何かの前に行く。布のかかった何かは青梅より背が高い。「前からありましたよね、よっと」

 青梅が布を外した。青梅の表情は見えないが、空気が重くなっていくのがなぜか感じられた。布の下から現れたものは最近、見た覚えのあるあの箱によく似ていた。国城環に壊された人形の入っていた箱。

「なんですか、これ?」青梅が震える声で言った。

「知りませんか。中に人形が入っているんですよ」

「入ってるんですか!」青梅が声を荒げる。

「それは人に尋ねるより開けてみるほうがいいと思います」

 鍵はついていないようだ。青梅が恐る恐るという動きで箱を開き、ゆっくりと体をひねって紫橋を見た。中からは美しい人形が出てきた。今まで見てきたレプリカやあの事件の人形とは違う。壊されていない。完全な姿。いくらか色のくすんだ着物を纏い、しかししっかりとした佇まいで立ち、目の前の世界を見つめている。

 ああ、これが本物か。

 水喰土は人形から腑に落ちた何かを感じ取った。

 壊れていないからではなく、たとえ壊されていたとしても国城の屋敷で見たものとは違うと思えるだろう。

「なんですか、これ?」

 青梅が紫橋に言った。さっきとセリフが変わっていない。

「人形です。由来はよく知りませんが、ある家に代々伝わってきたものらしいです」

「それは知ってます。なんでここにあるんですか。あの壊されたやつは?」

「偽物です。私が入れ替えておきました」

 青梅が、意味がわからないというような叫び声をあげる。人形はそんな声にも驚かない。

「いつのまに行ったんですか? あんなに警察とかいたのにすり替えなんてできたんですか?」

「三十年前ですね」水喰土は言った。

「ええ。三十年前の同じイベントに私は招かれていました。その際にある方から依頼されたのです。家に代々伝わる人形を取り返してほしいと」

 紫橋が説明する。国城家は元をたどると別の家の分家で、人形は宗家に伝えれるはずのものだったと。あるとき分家の罠にかかり没落した宗家からこの人形は国城家に奪い取られたらしいとのことだ。

「ずっとずっと昔の話です。あの天才が生まれるよりも前のね」

「泥棒じゃないですか」青梅が言った。

「まあ、そうですね。若気の至りです」紫橋がコーヒーをすする。「長らく海外に移住されていた依頼者の元に保管されていたのですが、その方が最近、亡くなりましてね、私の元にまわってきたのです。どうも遺言もあったようで」

「まさか殺人事件の犯人も……」

「それは解いた方です。正確には私の友人がですが」

 青梅が人形を見つめる。上から下まで視線をすべらせているのがわかった。

「本物……」

 青梅がつぶやいた。誰に聞かせるつもりもない、つい出てしまった独り言だろうか。

 人形はそこまで素晴らしい美術品としての価値はないように思えた。大きさもあるのでそれなりの値はつくかもしれないが、国城環に説明されたとおり、ただ代々伝わってきたもので、家の人間だけが特別な意味を見出すようなものなのではないか。

 それでもどこか怖さを感じさせる。

 この青い目が、国城環を見つめ、怨まれるに至った。

「儀式に名前がなかったでしょう? あれは本来、元の家の名前がついていたのです。それが国城家に移った段階で都合により削除され、名無しの儀式となったそうですよ」

「これどうするんですか」青梅が紫橋に尋ねた。

「プレゼントだと言ってるじゃないですか。好きにしていいですよ。部屋に飾ったらどうですか」

「嫌ですよ」青梅がわずかに遅れてから言った。一応、律儀に想像したのかもしれない。「そもそも国城さんの物なんじゃないですか?」

「どうでしょう。法律には詳しくないですが、年数が年数ですからね。まあ、返してくるというのならそれでもいいです」

「嫌です!」青梅が叫んだ。さっきよりもはやく、声が大きい。「絶対、もっとめんどうなことになるじゃないですか」

「怨んで壊したものだからね」水喰土は話す。「戻ってきても喜びはしなさそうだ。どんな顔をするか見てみたい気もするけれど」

「しません」

「じゃあどうする?」水喰土は青梅に尋ねる。

「うっ……」青梅が言葉を詰まらせる。

「売る?」

「それもばれたらまずいことになりそうで」

「みんなで壊して捨てますか」

 紫橋が楽しそうな声で言った。引き出しから工具箱を取り出して机の上に置く。

「今からですか!」

「善は急げといいますし」

「善……」

 青梅が所在なさげに人形を見る。人形は答えてくれない。たとえ今から彼女を壊そうとしていても、逃げ出すことも怯えることもなく、ただ立っている。それはこれまでに壊された二体の人形も同様だっただろう。彼女たちはなにを考えているだろうか。答えは存在し、存在しない。

「ちゃんとばらさないと通報されそうですね」

 水喰土はゼミ室の長机と椅子を壁の端に寄せ始める。広く場所を取ったほうが最初は作業がしやすいだろう。

「なんでやる気になってるんですか……」青梅があきれたという調子で言った。

「楽しいですよ」

 紫橋が話す。

「人形殺し」

                              <了>

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老賢者と人形たちの密室 犬子蓮木 @sleeping_husky

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