2章 壊された人間

   1


「能上さんに連絡してみます」

 四條が携帯電話で文字を打つ。電話にでないからメッセージだけでも送ろうということだろう。

「鍵あったほうがいいですよね」四條が携帯電話を操作しながら言った。

 鍵? 鍵はその能上という人が持っているのではないか。あったほうがいいに決まっているがそれがないから困っているのではないか。

「そうですね」水喰土が言った。「合鍵のカードを持ってきてもらいましょう」

 ああ、と青梅は合点がいった。さっき聞いたばかりなのに忘れていた。合鍵は外部に預けられているのだ。

 四條が電話をかける。相手は管理会社だろう。

「国城の者です。連理の間のカードを持ってきてもらえないでしょうか。はい。なるべく急いでもらえますか」

 四條が電話を切った。

「三十分ほどで持ってきてもらえるそうです」四條が携帯電話をポケットに戻しながら水喰土を見る。「申し訳ありません。しばらくこちらでお待ち頂けますか。私は国城先生の元へ伝えてきます」

「連絡するだけではだめなのですか?」水喰土が尋ねる。

 携帯電話でなにかしら伝えられるだろう、ということか。

「それもいいのですが、そのようにするとたぶん先生はこちらへ来ると言われるので」

 つまり迎えに行くということか。とても優秀な従僕である。

「私もお手伝いします」弓海が言った。

「いえ、お客様だけを残してはいけませんので、弓海さんはここをお願い致します」

 そういうと四條が早足で戻っていく。弓海が微笑んだように見えた。

「さて、どうしようか」水喰土が笑う。

「なんで笑うんですか」

「涙を流すよりはふさわしい」水喰土がさらに笑った。「この人形の死を悲しんでもいいけれどね」

 足元には人形が転がっている。もとは人の形をしていて、その原型は残しているけれど、人間だったならば必ず死んでいるだろう姿だった。

「この人形は力づくで壊されたみたいかな。道具で切断したというよりは叩き折られているように見える。これがさらに首吊りのような形で出てきたわけだ」

 水喰土が見ると、八田がうなずいた。

「それは綺麗な姿でした」弓海が話す。「完成を通り過ぎたような、壊されたことによる美がありました」

「そう」水喰土が弓海を見る。「なら、君も壊されると綺麗になれるかもしれないね」

 弓海がびくっと震える。ふいの言葉に怯えているようにも見えた。

「子供になに言ってるんですか」青梅は語気を強めて言う。

「理屈だよ」

「人間と人形は違います」

「人の形を模したものだけどね。魂の差かな。人間にあるのかどうかは知らないけれど」

「いえ」

 弓海が前にでて微笑んだ。

「魂さえなければ、と停止した世界の美しさを求めることは誰にでもあるでしょう」

「そう」水喰土が飽きたように言った。

 わずかに沈黙。風が吹いて庭園を鳴らす。二人のおかしな会話がまったく理解できない。

 八田が青梅に近づき小声で尋ねてきた。

「あの人は、いつもああなの?」

 水喰土の方を見ている。

「あの、私も昨日あったばかりで……。助手もアルバイトなんです」

 八田が驚いた顔を見せた。

「よくわからないですけど、変人だというのはすぐわかりました」

 ため息をはく。それでも昨日、言われた出会いのセリフは話さなかった。気分が悪い。

「仕事というのは大変だからね。なにかあったら相談してくれていいから。やばそうなら早めに辞めるのがいいよ」

 なぐさめられた。そして辞めることを勧められた。そういった気持もなくはないが、お金はほしいのだから難しい。

 少しして、四條が国城環と共に戻ってきた。ゆっくりと歩く国城の斜め後ろをなにかあったときに支えられるようにと四條が遅れて歩いている。ただ、そんな転ぶようなことがあるようにはまったく見えなかった。国城の歩く姿は、若者のように元気なものではないが、老人としての気品が感じられるような落ち着いたものであった。

「あらあら」

 国城が壊れた人形の前でしゃがむ。折れた腕の部分をつまんで持ち上げて、そして落とした。

「誰が出したのでしょう?」

「僕ではありません」水喰土が言った。

 そんなことはわかっている。

「こんなところまで来ていただかなくても」

「心配ですから。中が」国城が、すうっと立ち上がる。「三十年前もいろいろ事件があったようですし」

 三十年前? なにかあったのか。

「殺人事件ですか」水喰土が普通な調子で言う。

「ええ」国城が夕食のメニューを決めたような調子で答える。「私はアメリカにいたのであとになって聞いただけですが」

 なにを言っているのだ、この人たちは。わけもわからず慌てていると水喰土がさらに驚くべき言葉を続けた。

「そうですね、経験上から言えることですが、中で誰か死んでいるかもしれません」

「なに言ってるんですか!」青梅は思わず声をだす。

「可能性、可能性」水喰土が笑った。「可能性はなんにだってある。ゼロにはできない。できることはできるだけゼロに近づけようとすることだけなのだけど、こういった特殊な場はそれに反する力が働くものだ。経験上」

「それはないと思いますが」四條が声を出して笑う。「中をはやく確かめたほうがいいことは確かですね」

「イデムは?」国城環が四條に尋ねた。

「電源が切られているようです」四條が答える。

 またイデムか。いったい何なのだろうか、と青梅は思う。

「そろそろカードが届くと思いますので家の前で待つようにします」四條が言った。

「助手を連れて行ってもらっていいですか」水喰土が言った。

「えっ?」青梅は声をもらす。

「可能性だってば」水喰土が青梅を見てから、四條に視線を移す。「ご迷惑なら結構ですが」

「構いませんよ」四條が答える。「では、行きましょう」

「は、はい」

 急ぎ門の方へと向かおうとする四條と青梅に国城環がやさしい口調で言った。

「転ばないように」



   2


 四條葵が庭園を早足で進んでいくのを青梅蛍は遅れないように追っていた。はやくはあったが追いつけないほどではない。たぶん、ほんとうはもっとはやいのだろうけれど、後ろに女性がいるからと気を使って追いつけるはやさに抑えてくれているのだろう。

「すみません」

「なにがでしょうか?」

 四條が立ち止まり、振り返って首をかしげる。

「わざわざついてきてしまって」

「ついていくように言われたのは探偵さんでしょう」

「それはそうですが……」

「ご自身が悪くなければ、謝らないほうがいいと思います。癖になりますから」

 嫌味な感じはまったくしない。それが一番いいと自らが本当に信じているという様子だった。四條がまた前を向いて歩きはじめる。さらにスピードが落ちて、もう早足とは言えないほどだった。

「あせってもしょうがないですよね。持ってきてくれる方がまだだったら待つことになるだけですから」

 なにか返事をしようと思ったが、どうにも言葉がまとまらない。そういうときは天気の話でもすればいいだろうか。いやちがう。聞きたいことがあるから、それ以外の言葉が落ち着かないのだ。

「あの、ちょっと聞いてもいいですか。国城先生と四條さんのことを」

「いいですよ」四條が上半身だけ振り返って微笑んだ。「話せないことはそう答えるかもしれませんが」

「いえ、ちょっとしたことなんですけど、四條さんが国城先生のもとで働くようになったのはどういう縁があってなのかなと」

「働くというほどのことはしていませんけどね。まだ大学生で、平日は学校にも行かせてもらっていますし」

 やはり同じぐらいの歳だったか。それは驚きではなかった。けれど働くというほどのことはというのは違うように思える。かなりの重要なことについても任されているような。この鍵を取りに行くのだって、その前に連絡したことも、慣れているし、もうずっと携わっているように感じる。

「ここに住まわせてもらうようになったのは中学生の頃からです」

 中学生。驚きの声をあげそうになった。それはもう何かの内弟子というか職人などになるための今の時代では古く感じられる徒弟制度のようなものに聞こえる。何年だ。中高と今の大学と考えると七、八年はここで暮らしていることになる。それは慣れるはずだ。人生の三分の一を過ごしていることになるのだから。

「はじめて国城先生と会ったのは小学生の頃ですね。全国学力テストのようなものを受けたら、ある日、小学校の校長室に呼ばれたんです。びっくりしますよね。ドキドキでした」

 ドキドキなんてしそうもない四條の今の姿を見ているとそんな小さな頃が想像できない。昔も物静かで平然と受け入れるような子供だったのではないだろうか。

「すごい点をとったとかですか。オール満点とか」

「いえ、私の子供の頃はそんなに成績がよくありませんでした。悪くもなかったですが七十点や八十点ばかりというタイプですね。そんな普通の子供が校長室に行くと青い顔をした校長先生と国城先生がいました。子供ながらにすぐわかりましたね。どちらが優れているのか」

 校長先生はどんな気持ちだったのだろう。国城先生だけがふらっと来たのならば、噂に聞くような人だとしても、まだわけのわからない人が来たとでもできたか。でも、全国学力テストに関連して、その中からひとりを目当てにやってこられるのだ。明らかに国家機関レベルのバックがついていることはわかる。

「はじめて会った国城先生は言いました『あの解き方は素晴らしかった』と。あとで聞きましたが、学力テストに先生の用意した問題がいれられていたそうです。そして、その問題は答えの成否だけでなく解き方まで裏で見られていた。その解き方を選んだのが私、一人だった、というわけです」

 四條の声がうれしそうにはずんだ。

「震えましたよ。普通、子供がそんなに解き方なんて覚えていないでしょう? でも、そのときの私は国城先生がどの問題について言っているのかもすぐにわかりました。それだけその問題を解いたときの気持ちが残っていたんです。すごい発見をしたんだ、というような嬉しさが、そしてそのことを友達や先生に話しても伝わらないもどかしさが。もっとも国城先生の手の上で踊らされていたわけですが」

 青梅は、四條の楽しそうな話を聞いて、寒気を覚えた。四條に対してではない、国城に対してだ。自らの求めるような子供を見つけるためにそれだけのことをし、見事、四條を見つけてみせた。誰にでも解けないような難しい問題を無理に出したわけではないのだろう。ただ、彼を見出すための問題を出してみせたのだ。

「それから週に一度だけこちらで教わるようになって、私の成績はどんどんあがりました。考えてもいなかった中学受験も候補にあがり、学費も先生が出してくれるということで、東京に出てきたわけです」

 ちなみに、と聞いた今までの学歴は、どこも聞いたことのある一流のところだった。予想通りといえばそうなのだが、自分のような普通の人間には入ることすら検討しないような名前の大学でもあったので、青梅は見えない壁のようなものを感じた。生まれ持った才能の差というか。

 青梅は記憶にあるところからずっと普通と言えるような人生を歩んできた。イレギュラーらしい、イレギュラーの経験は記憶にない。あるときで言えばトラブルや悩みのようなものも当然経験してきたが、後になって振り返ってみるとそれもその歳では普通に体験するようなものばかりだ。それなりに勉強ができて、だけどトップクラスにはなれず、ほどほどの学校へ進み、運動も部活でしていても、全国を目指すような努力はしていない。ほどほどにがんばって、負けて、卒業した。今ではもう続けていない。そんな普通な自分がコンプレックスであった。だから探偵助手などという怪しい誘いに乗ってしまったのだ。そうして、少しでも変われるかと思うけれど、バカになりたい探偵であるとか、天才おばあさんであるとか、目の前のハイレベルな人間を見て、また自分はそういう人間ではないと実感してしまう。

「家族と離れるときはさみしくなかったですか?」

 月並みな質問だ。自分が大学生になって家を離れるときにそう感じたから。

「少しは、ですね」四條が言った。「それよりももっと国城先生と話せるという気持ちのほうが強かったです。自分がどんどん変わっていくのがわかりましたから。両親も応援してくれましたしね」

 正門についた。通用口から出る。まだ来てはいないようだったが、数分で車がやってきた。中年のおじさんが降りてきて、小さなケースを渡す。四條が蓋をあけカードを手に取り、記載されている内容を確認した。

「ありがとうございました。返却は後日にさせて頂きます」

 おじさんは一礼をして車に戻るとすぐにここを後にした。

「戻りましょう」

 四條の声に、残された排気ガスの匂いがかぶさって届いた。

 復路は青梅が四條に話を聞かれる番になった。社交辞令だろうか、と青梅は思う。四條のような異質で才能あふれる特別な世界を生きてきた人間からすればまったくもってつまらない話のはずだ。

「普通でありきたりですよ」

 聞かれてすぐ、そのように断ったが、捉えどころのない微笑みで、それは自らの体験とは違うから聞きたいのだと言われたので、仕方なく話しはじめた。

「中学のときはサッカー部でした。女子サッカー」

「それはめずらしいのでは」

「そうでもないですよ。ちょうどそのころ、女子サッカーの日本代表が大活躍してたじゃないですか」

 そう確認を求めたがどうも知らないらしい。興味がない人にとってはそんなものなのか。四條が特殊なのかはわからない。

「してたんですよ。世界一になったり。それで友達がもりあがっちゃって、それまでなかった女子サッカー部が結成されたというわけです。けどまともな指導者もいるわけもなく、それまで運動部に入ってもいなかったようなメンバーが集まってテキトーにボールを蹴って遊ぶだけなので上手くもなりません。一度だけ、試合に出ましたがそれはもうひどかったです」

 真面目に取り組んでいる学校に、ボコボコにされたのだ。

「なにせスタメンの中にオフサイドがわかってない人がいるぐらいでしたからね」

「私もオフサイドはわかりませんね」四條が言う。「ちゃんと教わったことないので。前にずっといるのがだめだとは聞きましたが」

「……運動は苦手ですか?」

「基本的な運動能力は悪いですね。ああ、いったものは練習しないとそもそもの体力がつきませんから」

「ですねー。練習量の差で時間がたてばたつほどつらくなって、思い出したくもないぐらいの点差でした……」

 サッカーではなくバスケットとのようだったといえばいいだろうか。ただし片方はサッカーのものだけど。

「悔しかったですか?」

「泣いている人はいましたね」

 その頃、一番仲がよかった友達だ。彼女が部を作った。

「青梅さんは?」

「泣くほど努力していませんでしたから。悔しかったかもしれないですが、負けたことよりも、自分がそんな相手側のような道にいなかったことが悔しい感じですかね」

 真剣にやっていなかった。そしてそれは友人に対しても思うことだった。自分は誘われたから気軽に乗っただけで、彼女は自らの意志で部を作り、試合をするまでに持っていった。だから、たとえ恥ずかしいぐらいのボロ負けでも、悔しさに泣くことができたのだ。

 屋敷の入り口が見えた。さらに進んで、土間で靴を脱ぐ。話はサッカーから変わって友達の他愛もないことなどに移っていた。テスト勉強の話などをしても伝わっているのかわからない。それでも楽しそうに聞いてくれるので話し続けた。こんなに優しくされて好きになってしまったらどうすればいいのだ、と冗談を思い浮かべるが、そういう対象にならなさそうなぐらい壁を感じるようにも思う。

 渡り廊下を歩いている。もうすぐあの部屋だ。

「こんなところですかね。私のつまらない普通の話は」

「いえいえ、おもしろかったです」

 向こうに見えた弓海が四條の名前を呼んだので、四條がそれに答えるように手を軽くあげる。水喰土と八田が立っていて、その足元に国城環が座っていた。なにかあったのかとも思ったが、ただ座って休んでいるだけのようだ。

「普通に生きるのは、とても難度が高いことだと思いますよ」

 四條がつぶやいた。それは四條にとってという意味だろうか。たぶんそうだろう。確認することはできず、目的地についた。

「お待たせしました」

 四條が国城の前へ手をのばす。国城がそっと四條の手をとり、立ち上がった。映画のワンシーンのように絵になる光景だ。

「あけましょう」国城が奥の部屋の扉に向かう。

 四條が先立ちカードを壁の白くでっぱったところへ当てた。おもちゃのような電子音と鍵の解かれる音がした。ノブに手がかかり、扉が開かれる。

 ゆっくりと室内の様子が視界に入る。

 可能性が成立した。



   3


 通報を受けてやってきた警察の人々が、能上照之の遺体を取り囲んでいる。能上は連理の間の中央に置かれていたレプリカの人形用の箱に吊るされて、壊された人形と同じ姿で発見された。本来ならば、ここにその姿で吊るされた人形を見に来たのだった。それなのに、代わりに人が吊るされていた。

「どういうことか説明してもらえますか」

 女性の刑事らしき人が水喰土に詰め寄っている。知り合いだろうか。黒いスーツにメガネ、ぎゅっと結ばれたひっつめ髪という見た目からなんだかきつそうな人に見える。三十代だろうか。とてもスリムでシャープなラインのような体型をしていた。

「通報されたとおりですよ。氷さん」水喰土が言う。「密室でお亡くなりになっていました」

「どうみても自殺はないよ」氷と呼ばれた女性がつぶやいた。「めんどくさいな」

 こんなわけのわからない場所であてもなく、水喰土のもとへ近づくと氷と目があった。

「彼女は?」

「新しい助手です」

「前の彼は?」

「旅立ちました」

 どこへだよ、と思う。

「昨日から助手になりました青梅蛍です」

「氷です」

「こおりさん? 変わった名字ですね」

「名前です」氷が警察手帳を前に出した。「名字は好んでいないので、名前で呼んで頂ければありがたいです」

「彼女は名字で呼ぶと怒るんだ」水喰土が笑う。

 手帳には永水氷と記載されていた。両親は名前をつけるときに何か気にしなかったのか、気にしたからこうなったのか。そしてなぜ名前ではなく名字を嫌うのか謎が深まる。おかしな名前をつけられたから名前を嫌うというのなら理解できるのだけど。

 しばらく指示の通りに動きつつ様子を伺っていると、どうやらこの現場を仕切るのは氷さんらしいとわかった。まだ若い女性なのにすごいことだ。もっと偉い人は職場から出てこないで座っているのかもしれないが。

 関係者が何名かずつに分けられて別室で個別に話をすることになった。先に国城家の者から行われているので青梅と水喰土は外の椅子に座って待っていた。口裏合わせなどを封じるためか見張りのおまわりさんに監視されている。

「永水刑事さんはお知り合いですか?」

「氷さんと呼ばないと怒られるよ、本当に」水喰土が見張りのおまわりさんと視線を合わせる。「ですよね?」

「ええ……」強面のおまわりさんが恥ずかしそうに言った。

 そんなことを知っているということは知り合いということだ。

「優秀な方なんですか」

「そうでなければ任されないだろうね。半年前の事件を聞いたことあるかな。新宿の映画館で上映中に三人が殺されていた事件」

 ネットのニュースで見た覚えはある。バラバラの席に座っていた三人がほぼ満員の上映中に誰にも気付かれないまま殺されていたらしい。たしか発見者は上映後の掃除に入ったスタッフだ。犯人が捕まったのかは記憶にない。

「あの事件を主に担当していたのが氷さんだよ。いろいろめんどうな事件だったけれど、二週間後ぐらいだったかなあ、彼女が犯人を逮捕した。他にも去年、吉祥寺であった密室殺人事件なんかもそうだし、どこかのベンチャーで起きた密室殺人もたしか彼女が犯人を逮捕したとか聞いたかな」

「すごいじゃないですか。では今回の事件も安心ですね」

 水喰土が頬杖をついて覗き込むように見てくる。ほくろがどうしても目に入る。

「あの、なんですか……」

「自覚はある?」

「なんのです?」

「探偵助手」水喰土が顔をあげた。「事件を解くのは警察だけじゃない。君だって活躍してもらわないと」

 扉が開き、弓海が疲れた表情で出てきた。目があうと組み立てるようにして表情が笑みへと変わっていく。情報を隠したように見えた。

「では、お先に」水喰土が立ち上がって室内へ向かう。

 あっと思う間もなく扉が閉められた。私が、事件を? と青梅は思う。それは無理だろう。そんな特殊能力は持っていない。助手は助手らしく、探偵の活躍を支えるのがメインだ。もっとも、その探偵が本当にそんなにすごいのかが謎なのだが。氷さんという刑事がそんなにすごい人ならば、水喰土という変人の探偵はいらないのではないかと思う。それなら、青梅という探偵助手も不要になる。そうなるのが正しい形であるように思えた。探偵も探偵助手もイレギュラーな響きが強い。警察が犯人を捕まえるというのがどう考えても偽りのない正道だ。

 まあ、そんな風に普通に落ち着くのが自分らしいかもしれないな、と青梅は思う。なにより人が死んでいるのだ。人形が壊れた程度ならおもしろがっていられたが、人の命が失われた、とあってはそうもいられない。

 死体が見つかったときを思い出す。

 それはすぐに目についた。部屋の中央で人の形をしたものが吊るされていた。時間が止まったように静まりかえった空気の中で国城がゆっくりと歩いて行く。よくできた人形ではないか、と考えた。けれど遠目にもそれは美しさを魅せるために作られたような人形とは違うということがわかっていた。

 普通に生きてきた人間は、そんなに綺麗ではいられない。

 表情は突然の死に驚愕するように目が見開かれていた。

 吊り下げられた人の胸に、なにかが突き立てられているのが遠目に見えた。

 よくは見えない。しかし、きっと刃物であると想像できる。してしまう。

 水喰土が、八田に写真や、できれば動画を撮るようにと言う。人だけでなく、ぐるりと部屋中を撮るようにと依頼した。四條は国城の後に続いている。今になってわかるが、あれは誰かが隠れているかもしれない、と警戒していたのだろう。弓海は入り口の前で立っていた。四條を追おうとしたが入らないようにと止められたのだ。

 私は、どうしていたのか。

 弓海と同じく中に入らず、入り口から中の様子を眺めていた。誰に止められたわけでも、指示されたわけでもない。犯人が出てきたのなら、ここで止めようとか、そんなことも今なら思いつけるというだけ。ただ、どうしていいかわからずに立ち尽くしていたのだ。

 異様な光景。

 人が異常な形で殺されている。

 そしてさらに異様なのは人形たちがいることだった。

 広間には四隅に白い人形たちが配置されていた。古くからあるものではなく、新しいもので、ロボットと呼ぶべき見た目を備えている。頭があり、腕があり、胴体があり、足はない。代わりに胴体の中にタイヤでも仕込んでいるのだと思われる。頭からは黒子のような布を垂らしていて人形たちの表情は見えなかった。

 そうか、これがイデムか。

 青梅は理解した。目に映る不気味なロボットたちは、青梅の抱えていた疑問の穴に歪みなくあてはまるものだった。

 国城が吊るされた人の頬に手を伸ばしたように見えた。背に隠れてよくは見えない。

「お疲れ様でした」穏やかな言葉。

 国城が離れると吊るされていた人は目を閉じていた。

 水喰土が人の様子を確認する。そして、四條に警察への連絡をするようにと頼んでいた。

「はい、順番」

 気付くと水喰土が隣に立っていた。青梅は記憶の世界から引き戻される。

「どうかした?」

「いえ」

 青梅は椅子から立ち上がった。そして刑事の待つ部屋にはいった。音をたてないように扉をしめた。急ごしらえで用意されたような机の向かいには氷が座っていて、その後ろでは男性の刑事がノートパソコンを開き記録をつけているようだった。

「どうぞ」氷が座るように促す。

 まるで取り調べのようだ。いや、もう取り調べと言ってもいいのかもしれない。場所がお屋敷の一角を借りていて、生活感のある場所ではあったが、青梅自身が容疑者のひとりでもある。よろしくお願いします、と言ってから青梅は席についた。

「ではいくつかお尋ねしますので、思い出せる範囲で結構ですから話してください」

 氷から質問を受ける。内容はおおむね想定内のものだった。どうしてここにいるのか、探偵助手になったのはなぜか、どのような依頼だったのか。

「依頼については守秘義務がありますので」と青梅が言う。

「国城さんより、話してもらって構わないと言われていますし、内容も聞きましたので確認だけさせてください」氷がわかっていたという表情で話を続ける。「犯罪を予告する手紙が届いたそうですね。人形のことだと思い依頼されたようですが、まさか人間だったとは」

 予告の手紙? そんなものは聞いていない。依頼は人形を壊した犯人を探すこと、そして奥に仕舞われている大切な人形を守ることだ。

「いえ、違います……」

 口にしてすぐ、氷の言葉が嘘だったのだと気付いた。冷静に考えてみる。仮にそれが真実だったとしてもそんな話は聞いていない肯定しようがない。国城が探偵たちも知っているとは説明しないだろう。逆に国城が嘘をついたとすると、その嘘のために予告の手紙を用意するなんて必要が出てくる。そんなわざわざ警察を騙すような余計なことをする意味はないし、依頼を隠したいにしても用意が不要な嘘をつけばいい。

「そうでした」氷が笑わずにじっと見つめてくる。「依頼はもう一体の人形を壊されないようにすることでしたね。もしくは人形を壊した犯人を探すこと」

 氷は依頼の内容を知っているのだろう、と思う。二つ目に正解を持ってくること、詳細を知っていそうなことなどからあてずっぽうではなく、本当に聞いているように感じられる。

「いえ、それも違います」

 青梅はまっすぐと氷の目を見て言った。もちろん嘘だ。

 見つめていると氷の表情がほころぶ。わずかに声を出して笑いだした。こらえているが楽しそうだ。

「国城さんから許可を得ていることは本当なのだけど、それはもういいよ。正解はなんだった、と思う?」

「最初に、否定せず守秘義務を押し通すことでした」

「反射的に否定してしまった状態では、次の問いに対して守秘義務を持ち出すことはむずかしい。もし間違っているのならば、ひとつめと同様に当然、否定すべきとなり、かといって当たっているときのみ守秘義務を持ち出すことも、それが答えです、と教えているようなものになる。だからあなたはその状況での最善として否定し続ける道を選んだ。このあとに問いが続こうがすべて否定し『本当に話を聞いたのですか?』として国城の許可を明示的に求めるように進めるつもりだった」

 その通りだった。たとえ答えを聞いていたとしても、それを答えとして認めていいか、その許可があるのか、それはこの場では判断できない。

「悪くはない。でも正解でもない」氷がにこっと微笑んだ。「正解なんてないんだよ」

「どういうことですか」

「依頼の内容をあなたから確認できるかどうか。それはできればいいことではあるけれど、私にとっては些細なことでしかないの。私の問いは、打てば響く鐘の音を確かめるためのものだった」

 氷が、透明なスイカを叩くようなジェスチャーを見せる。

「あなたを評価するためにね」

 最初から踊らされていたということか。肯定も否定も答えないという答えも、どれも氷にとっては求めていたものだった。青梅は少々、苛立ちを覚える。しかし、さほど悪い気がしないという感覚もあった。青梅は頭のいい人間が嫌いではない。むしろ好ましく思う方だと自覚している。能力のある人は尊敬する。そのようにありたい、と思っている。ただ、そんな人間のいたずらに振り回されることが少々苦手というか、黒く滲むような嫌悪感が湧いてくるだけである。

「閑話休題。お屋敷についてからの話をしてもらえますか」

 青梅は落ち着いて順序どおりに話した。ここに来て、国城の話を聞き、人形を見るために部屋に向かった。そして鍵をあけ入ったところで、壊された死体を見つけた。そこからはさっき部屋の外で考えたとおりだ。間違いはないはず。

「死体を見て、どう思いましたか?」

 氷の言葉に、見つけた後の情景を思い出す。

 水喰土に促されるようにして、青梅は吊るされていた人に近づいて、まじまじと死体を観察した。四條の話では、彼が能上照之とのことだった。そして、はじめて会ったこの人は、もう言葉を発することもできず、年齢を重ねることもない。

 腕や首にロープが結ばれていて、

 箱から吊るされている。

 胸にはナイフが突き立てられていた。

 生きた人間から壊れた人形に成り変わったのだ。

 本当はここに、人形がいるはずだったのに……。

「装飾されていた……」青梅はつぶやいた。

「えっ?」氷が聞き取れなかった様子を見せる。

 背後の刑事はカタカタと音をたててパソコンに打ち込んだ。

「殺した人の意志のようなものを感じました」

「それは怨みとか?」

「いえ、それはわかりませんが、違うような気もします。なんというか殺すことが目的ではないような。手段と目的が入れ替わっている?」

 話していてわからなくなってきた。氷にもその様子が伝わったらしく質問が変わった。この屋敷に来てから会った人間で、近くから離れた人とその時間について尋ねてきた。

 部屋に向かう途中で四條が鍵を探しに行った、と答える。それから国城環を呼びにいったときもあったか。あとは国城環とは最初に部屋で話したあとはしばらく離れていた。国城の奥様と一瞬会っただけで別れ、弓海とは会うまでのことは知らないと答える。こんなところか。

「このお屋敷に来た時間は?」

「十四時です。その約束だったので。ただ、国城さんの部屋に入ったのはもう少しあとだと思います。庭が広いですよね」

「死体を見つけた時刻はわかる?」

「正確にはわかりません。話をしたり、鍵を待ったりしたので、十五時をそれなりに過ぎていたと思いますが。見つけてすぐ通報されていたので、その少し前です。鍵をあけたログも残っているはずです」

「通報は十五時四十分にありました。ログは十五時三十六分」氷が手元の資料を見ずに言った。「能上さんは、午後一時半まで生きていたことを確認されています。国城喬子さんともう一人のお手伝いさんとともに買い物に行っていて、タクシーで帰宅したのがその時間です。あなたが国城喬子さんと会われたのは帰宅後の着替えが終わり台所へ向かうところだったそうです」

 つまり、ほとんどの可能性として、私がここにいる間に殺された、ということなのか、と青梅は思う。そうでなくともやってくる直前、犯人は近くにいた可能性が高い。考えたくないとは思っていたが、出会い、話した人の中にいる可能性も充分にある。

 人を殺す人の気持ちがわからない。

 それをしなければいけない理由が思い浮かばなかった。

 だから今まで、普通の人として生きてこれたのかもしれない。

 それとも多くの人は、理由を得た上で、我慢しているだけなのだろうか。

 普通に生きていれば、世の中は人を殺しても得をしないようによくできている。

 それは傲慢な考えだろうか?

「以上で結構です。なにか聞きたいことなどありますか。話せることしか話せませんが」

「氷刑事さんは、優秀でいくつも事件を解決されているんですよね」

「氷だけでいいですよ」氷が眉をひそめる。「どこからそんな話を聞きました?」

 どこからと言われても、青梅がそんな話をする相手はひとりしかいない。だからか氷もわかった上で、ターゲットをロックしているようにも感じられた。

「探偵さん」

「……あいつ」氷が、ぼそっとつぶやいた。舌打ちを続ける。「聞いたのはどんな事件?」

「えっと、満員の映画館とか、吉祥寺の密室殺人やベンチャー……?」

 だったような気がする。

「前二つを解決したのはあいつだよ」

 はい?

「私は、あの水喰土が示した犯人を逮捕しただけ。もちろんちゃんと証拠集めや事実かを確認するための捜査はした。でも解決したのはあいつ。もう一個も似たようなもの」

 なんと言って良いのか言葉が浮かばなかった。プライドを傷つけるようなことにもなっただろう。そうなることがわかった上で、水喰土はあんな話し方をしたとしか思えない。なんて悪趣味な奴だ。手柄を与えるとかそんな善意あふれる行動ではないと断言できる。一見、他人を持ち上げるようで、最後にはどちらが上かがわかるようになっている。

「それでいいとは思っていない」氷がくやしそうな表情で言った。「けれど、優先すべきは私や警察のプライドではない。犯人を逮捕できるのなら、どんな嫌いな奴らの進言でも受け入れる」

 青梅の中で、氷の評価が定まった。優秀な人というのは少し違う。いや、この歳で仕事もできるからいろいろ任されているのだろう。女性でここまで来るのも大変なのではないかとも思う。ただ、優秀な人というよりも誠実な人だ。それこそ、刑事という仕事に一番、望まれるようなタイプとも考えられる。自身が仕事を遂行する上での能力というよりも周りから望まれる能力という意味なのが、憐れであるようにも感じられるが。

「今回も期待はしています」氷が言った。「しかし信頼はしていません」

 意味がよく取れなかった。そんな感情を読み取ったのか氷が続ける。

「話は聞きます。本当に確からしいと認められれば言われたとおりの犯人を逮捕もするでしょう。けれど、すべてを任せ、依存するようなことにはなりません」

 青梅は、実感してきた。とても複雑でめんどうなものに巻き込まれてしまったのだと。それは殺人や死体という非日常を体験してもそこまでは感じなかったものだった。なぜだろう。それは死んでしまえば逃れられるものだからかもしれない。生きている人たちが作り出す、複雑で、多層な、意識の戦争。そういったものによって、人が人を殺す理由が芽生えるのかもしれないとも思う。ある到達点のひとつとして。

 氷の目がまっすぐに強く前を向いている。

「いつだって、探偵が犯人であるかもしれないのですから」

 小さく、私は騙されない、とつぶやくのが聞こえた。

 氷がにっこりと微笑む。

「あなたにも期待しています」

 青梅はなんとか愛想笑いを返す。その言葉には、疑っていますよ、という意味を含んでいる。

「期待ついでに情報共有ですが、あの部屋は密室でした。鍵となるカードキーが遺体の胸ポケットから見つかりました」

 密室。そうはいっても……。

「あそこはオートロックですよね。鍵がどこにあっても別に問題はないのでは」

 勝手に施錠されるのだから、鍵が内側に存在しても不可能犯罪にはならない。先に扉を開けておいて、なにかで閉まらないようにとどめ、鍵を被害者のポケットへ戻してから、退出すればいい。あとは扉をしめれば、自動的に鍵もしまる。

「ログがありました」氷が話す。「犯人が部屋から出るために内側から鍵をあけたログ……」

 それはあるだろう。だがそれで終わりではないらしい。

「扉が開かれたログ。扉が閉められたログ。外からもう一度鍵があけられたログ。そのとき扉は開かれていません」

 すらすらと並べられた氷の言葉。一瞬、わけがわからなくなり、青梅は、ゆっくりと考えようとする。そんな青梅の悩ましい表情を見てとったのだろう氷が問いかけてきた。

「どの辺りが伝わりませんでしたか?」

「すみません、もう一度、ゆっくりとお願いします」

「まず、犯人が部屋から出る際に内側から鍵をあけたログと扉が開かれたログがありました」

「はい……」青梅がうなずく。

 それがなければ出られないものだ。

「続いて、犯人が退出しただろうあとに扉が閉められたログがありました。このとき、オートロックもかかりますが、扉が閉められるのと同時の場合は施錠のログはそもそも出力されません」

「はい……」

 つまり犯人が部屋の外に出て扉と鍵がしまったということだ。ここまではなにもおかしくはない。

「そうして、最後に外側から鍵があけられたログが残されていました。ただし、扉が開かれたというログは存在していません」

「鍵は部屋の外で発見されたのでしたっけ?」青梅が念のため自らの記憶を疑いながら問いかける。

「鍵は室内の被害者の胸ポケットから発見されました」氷が静かに返答する。

 つまりは、と青梅は考える。オートロックでないような施設で、外側から鍵をしめられ、そして内側で鍵が発見された、そういった状況が擬似的に作られている。そういうことだ。そう、青梅はやっと理解した。

 思考の速度があがっていく。

「なんのために」青梅は思わず声をだす。「だって意味がないじゃないですか」

 密室は、通常、誰にもその犯罪が実行できないという状況を作り出すために用意される。たとえ現実にそれが目の前で実現していても、密室の謎が解かれなければ誰にも実行は不可能であり、犯人を決めることもできない、とすることができる。

 けれど、今回は違う。

 密室の謎が謎のままだったとしても、部屋の中で行われた犯罪は実行可能であるのだ。アリバイがなく、実行したという証拠さえあれば充分逮捕できる。

 殺人を実行した犯人が、誰にも解けないような難しいクイズを出してきたとしても、そのクイズに正解しなければ逮捕できないというようなルールはないのだ。

 極論というほどでもない、密室はいまこの段階で忘れたって構わない。

「この密室は重要だろうか」

 氷が言った。青梅に尋ねてもいるし、自分自身に問うようでもあった。

 無視をしてもいいかもしれない。まあその場合は普通だ。逆に無視をしなければ、こちらから犯人につながる証拠やそれに類するものが見つかる可能性は否定できない。これが犯人による罠でなければ。否、罠だとしてもだからこそつながるとも考えられる。

 青梅は考える。走り出しそうな思考に一旦、ブレーキをかけて、ゆっくりと考える。いつもそうだ。なにかあるとすぐ暴走しそうになる。だからそれを止めるようにしなければならない。落ち着いて、落ち着いて。子供の頃に、おかしなことを言って、すぐ友達とケンカになった。大人からも変な目で見られた。小さな頃のことで、すぐに落ち着つき、そういったことはなくなっていた。だけど最近、どうそれに対処していたのか、無意識にしていたことが、少しずつわかるようになってきた。

 将棋でいえば、歩はひとつずつしか進んではいけない、そういう当たり前のことだ。

 氷からの言葉を内心で繰り返す。

 であるとことと、そう考えることは必ずしも一致させるべきものではない。

 青梅は思いついたソレとは違う言葉を発した。

「重要だと思います」



   4


  目の前にはたくさんの料理が並んでいた。豪勢というほどなにか特別にすごいというわけではないが、大家族向けの家庭料理そのものという感じだった。和室だったので、座布団の上に足を崩して座っている。目の前のテーブルは来客用の補助のようで、メインとなるものよりも少し低い。運ばれてきたお茶碗を受け取って目の前においた。白く輝くごはんは湯気がたっていてとてもおいしそうに見えた。

 殺人事件があったんだよな? と青梅蛍は思う。

 あれが夢で、ごはんだけごちそうになって帰れたらいいのにと思うけれど、それが夢でないことは部屋の端で見張りに立っているお巡りさんの姿からわかってしまう。仕事とはいえ、おいしそうな食事のシーンでただ見張っていなければいけないというのはつらいだろう。探偵や探偵助手も仕事のはずだが、役得なのかごちそうされる側として席に座って待っている。横に座る水喰土の顔を見ると食事が待ちきれないという様子で目が輝いていた。そんな表情はじめて見る。

 あのあと刑事さんによる聞き取りが一通り終わって、帰宅してもいいということになった。そして、では帰ろうかというところで、約束通りごはんを食べていってください、と誘われたのだ。食事自体は別に禁止されていないので、ごちそうになろうかという話になったが、ここまでとはちょっと想像していなかった。

 料理が並べ終わり、皆が席についた。

「黙祷しましょう」

 国城環が言った。

「黙祷」

 青梅は目をつむる。何に対してか、それは言葉にされなかった。青梅は亡くなった人のことを知らない。生前どんな人であったのか、どんな声をしていて、どんな顔をするのか。記憶にある姿は壊されて、殺されていた姿だけだった。

 安らかに眠ってください、とでも祈ればいいのだろうか。

 そんなことはできるはずないだろう、としか思えない。

 もし死後の世界があるのならば、あのような殺され方をして、受け入れることのできない怒りに包まれているだろう、と考える。だから、そんな世界などなければいい。死んで終わり。考えることもできない。最も平穏なのだ。

 あとは生きているものがどうするか、ということでしかない。

 私はどうするか。

 青梅は考えるが、知らない人なので復讐心のようなものも浮かばない。ただ、まっとうに探偵助手の仕事を果たすしかないか。そうして犯人を突き止められれば、たぶんそれが一番いい。

「それではいただきましょう」

 青梅は目をあける。またおいしそうな料理が目に入った。

「いただきます」

 皆が声をだした。青梅も小さくつぶやいた。それから料理に手を伸ばして食べ始める。お肉をとった。豚肉だ。口にいれるとタレがほどよく効いていておいしかった。ごはんが進む。

「おいしいでしょう」向かいに座っていた八田が話しかけてきた。

「はい」

「このごはんがあるからここから離れたくなくなるんだよね。住み込みで取材していたいような」

「取材が終わっても食べに来てくれてかまいませんよ」と国城喬子が微笑む。

「そんな厚かましいことできませんよ」八田が顔の前で手をふった。「そうですね、次は優秀な学生である四條さんの密着取材とかを申し込んで見ようと思います」

 話をふられた四條は、口に運ぼうとしていた箸をおろしてから言った。

「そんなに取材してもらうようなことはありません」

「そうですか。私も四條さんに取材してみたいです」弓海が話す。「謎が多いんですもの」

 四條が困ったように笑う。その隣に座っていた若い男性が顔を乗り出して言った。

「俺も取材とかされてみたいな。そんな経験ないよ。そんなすごいことも俺は本当にできないから仕方ないけどさ」

 みんなが笑う。誰なのだろう。その他にももう一人、弓海の隣にまだ知らない中年の男性が座っている。こちらはたぶん弓海の父親などかなと思う。婿養子に入った喬子の夫は、海外に出張中で来月まで戻ってこないらしいと聞いているから違うだろう。

 青梅は八田に小さな声で二人が誰なのか確認する。

「あちらの若い方が国城伊都さん。環先生のお孫さんね。今は大学を卒業して一般の会社員。もう一人は弓海さんのお父さんの上木亮平さん」

 八田がさらに声を小さくして言った。

「お母様の方は亡くされてるらしいよ」

 まだ若いのに、と青梅は弓海のことを考えて悲しく思う。青梅の両親はふたりとも健在だ。歳をとってきてはいるが、まだまだ死んでしまうところなどは想像できない。

 食事は和やかな様子で進んだ。ちょっとした雑談、それから四條がイデムについて説明してくれた。あの部屋にいた四体の白いロボットたちだ。

 イデムは外部からリモートで動かせるロボットらしい。PCや携帯電話から操作することが可能だとの話だった。ロボットの視界をそのまま端末で見ることもできるらしい。しかし、事件の発見時は、本体のスイッチが物理的に切られていたのでダメだったという話だ。

 事件の話が出て、少し空気が重くなる。

「能上さんのお葬式ですが」

 国城環が言った。皆が国城環を見る。

「彼には身寄りがありませんでした。ですから、お葬式はうちで執り行うことになるでしょう。ただ、警察の方での手続きなどがあり、しばらくは時間をあけなければいけません」

 明確な言葉にはしなかったが司法解剖などだろうか。それ以外にも捜査のためということもあるか。

「あの……」四條が言いづらそうに話す。「前に少しだけ話しを聞いたのですが、能上さんは若い頃に結婚されていて、別れた奥様との間に娘さんがいると聞いたことがあります」

 それは聞いたことがなかったと喬子が話す。

「奥様はかなり前に亡くなられたらしいのですが、娘さんはまだ健在ではないかと。うちでするにしても連絡だけはできないでしょうか」

「探してもらうようにしましょう」国城環が優しく笑った。「あとで依頼をしておきます」

 つてのある調査会社などがあるのかもしれない。ここにも探偵という人がいるのだけど、そちらへの依頼などはまったくない。とうの探偵も、もりもりとごはんを食べていた。

「お願いします。生きていれば三十歳前後だろうと思います。私がここに来た頃に、成人になったはずというような言葉を聞いた記憶がありますから」

 三十歳前後の女性か、とうつむいて八田の顔を思い浮かべる。まさかね。青梅は、一瞬、頭に浮かんだストーリーをすぐに却下した。それはできすぎだろう。ただ、顔をあげて前を向くことはできなかった。目があったら、疑ったことを気付かれてしまいそうで。

「八田さんと同じぐらいですかね」水喰土が言った。「年齢だけなら僕も近いですが。いや、もう少し下かな」

 青梅はあせった。何を言っているんだ、と自分が口にしたわけでもないのに冷や汗が滲んだのを感じた。ゆっくりと顔をあげる。

「そうですね」八田が笑う。「記憶にあるかぎり、私ではないと思いますが。両親に聞いてみましょうか」

「いえ、大丈夫でしょう。警察が調べてくれると思います」

 そういって、空気をかき乱した探偵はサラダに箸をのばした。一度、小皿にとってから、口に運ぶ。

 水喰土の一言で、もとからしんみりとしつつあった空気がさらに静かになってしまった。誰も上手く言葉を出せないような様子の中で、国城環が話す。

「もう一つ、伝えておけなければいけないことがあります」

 なんだろう。いいニュースであればいいな、と青梅は思う。

「来週の儀式は予定通り行います。能上さんが務めるはずであった役目については私が直々に行うものとします」

「危険です」

 四條が大きな声を出した。はじめて見る慌てようだった。遺体を発見したときよりも……。

「まだ犯人も捕まっていません。もし犯人の目的が儀式の中止であるならば、次は先生が狙われるかもしれない。どうしてもする必要があるのならば、せめて、私を能上さんの代わりの役目としてください」

「それも考えました」国城環が静かに話す。「しかし、これは国城家の祭り事です。危険があるというのならば、なおさら国城の者が責任を持って役目を果たさなければなりません。能上さんがこのようなことになったのは私の責任です」

 それ以上、逆らうことはできないということか、四條は悲痛な表情で席に戻り前を向いた。

「厳しいことを言い、申し訳のないことです。しかし、お願いをするのならば、私はあなたに守ってもらいたいのです。どうかその役目を果たしてください」

「はい……」

 それでもまだ納得はできていないようだった。それほど国城環の身を心配しているのだろうか。

「ごちそうさまでした」

 水喰土が箸を置いて、言った。

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