第45話 月の裏の石


 菅野女史がさりげなく会話の間に割って入った。

「ドクター、先ほど条件付きでお帰りいただくようにとしましたが」


 まだ興奮しているハイドンが、自身の銀髪をワシワシと掴む。

「ぬぅ……しかし……」

「約束をたがえることになります」



 ハイドンはジッと俺を見ながら、

「……わかった」

 興奮を抑えきれない様子で口を開いた。


「わかった。わかった。わかった! よし、改めてお願いすることにしよう」



※※※


「こちらの椅子にお座りになられては?」

 菅野女史がそばのソファーに座るように勧めた。デスクの椅子はプリントアウトの山に埋もれて座れる状態ではない。


「う、うむ」

 ハイドンが幾分大人しくなり、ソファーに座った。少し落ち着いたようだ。咳払いをして、話し始めた。


「我々が何をしているのか、知ってもらう必要があるだろう」

「冗談じゃないわっ! 特別ナントカってのにされたくないもの!」

 すかさず悦田が食って掛かる。


「君たちは宇宙から来た何かと関わりがあるんじゃないかね」


「ひっ……」「!」「!!」

 悦田の声を無視していきなり核心を突くハイドン。

 その言葉に、思わず志戸が息をのみ、顔を伏せている先輩がビクリと身体を震わせた。

 密かに深呼吸をして、冷静さを取り戻そうとしていた俺も息を止めてしまった。


「ふむ」

 ハイドンがジロリと俺たちを射貫くように見つめる。



「君たちの身の安全は保障しよう。なので、我々の話を聞いてほしい。そして協力をお願いしたい」

「いやよ! なんで――」 悦田が即座に拒否する。

「落ち着け、悦田」

 俺の声に、ぐっと言葉を飲み込む悦田。


 改めて、俺は深呼吸をした。


 相手は大人だ。そして、怪しげな組織の責任者らしい。

 俺たちが嫌がったら、それこそすぐさま特別処理対象とやらにできる力を持っているはず。

 大体、無所属の高規格型救急車ハイメディックを公道で走らせて、事件になっていないような相手だ。


 もう一つ。

 さっき、この爺さんはミミの事は言及せずに、プラモデルが一瞬で浮いて自在に飛び回る姿に興奮していた。

 カメラの位置からミミの再構成のシーンは見えなかったのだろう。そしてミミの姿も見えなかったようだ。

 宇宙人の事は知られていないはず。


 興奮はしていたが、あれは隠し事に腹を立てている様子ではなかった。純粋にどうやったのか知りたかった様子に見えた。

 きっとその謎を知りたいに違いない。爺さんの言うようにすぐに処理されるわけではない……か?


 だが、俺たちがトイレに籠もっていた時刻から何かに気付いたようだ。

 なんだ? 何に気付かれて手のひらを返してきた?



 ……話だけでも聞くか?


 みんな、どうしよう? 思わず、みんなの顔を見る。


 志戸は先輩の手を握り、心配そうな顔で俺を見上げている。

 悦田は相変わらずハイドンたちを威嚇している。お前はとにかく落ち着け。

 先輩は、憔悴した様子でうつむいていた。



 俺が決めるしかないか。



 俺は何度か深呼吸した結果……決めた。


「俺たちに危害を与えない事は約束してください」

 俺は、深呼吸のおかげか、緊張で震えそうになった声をかろうじて抑える事ができた。


「ふむ……」

 ハイドンはジッとこちらを見つめる。


「我々の邪魔になるようなことをしない限り、保証しよう」

 大人だ。曖昧あいまいで、上手い言い方をする。


「ぜひ、協力してほしい。我々は君たちを歓迎する」

「どうだか」

 さらりと呟く悦田。

「何か質問かね、北イタリアのじゃじゃ馬娘」

「ゲルマンのおじい様なら、何が言いたいのかわかるんじゃないかしら」

 ダメだ、この二人は……。



「わかりました。話だけは聞きます。協力するかどうかはわかりません」

「ふむ。用心深いな。賢明だ」

 そう言うと、ハイドンは立ち上がり、再びデスクの上をあさり始めた。


「こちらでしょうか」

 菅野女史がリモコンのようなものを手渡した。

「うむ。資料画像は頼むぞ。それでは――」

 ハイドンがリモコンを操作すると、壁の一部がスライドし、液晶スクリーンが現れた。


「ここは、偲辺産業の特別な研究所だ。知っての通り偲辺は様々な分野の事業を行い、世界中でSHINOBEを知らないものはいないほどだ。色々な産物が研究、製造されておる」

 ここまでで質問は? と、相変わらずのハイドン。


「ふむ。では、続ける。その中でも元々本社のあったこの地で、密かに研究されていた物がある」

 こちらを向いてリモコンで俺たちを指すと、厳かに言った。



「月の石だ」



 菅野女史がタブレットを操作すると、ガラスケースの中に入ったゴツゴツした塊がスクリーンに現れた。テレビで一度見たことがある。


「これは公開・・されている物だ」


 ハイドンはここで一息ついた。


「我々が研究しているモノは正確に言うと、月の、地球側ではない面の石だ」




※※※


「君たちはルナ3号は知っているかね?」

 ハイドンは軽く見渡した。


「ふむ。今はロシアと呼ばれているが――ソビエトという国が打ち上げた月面探査機だ。1959年に人類初、月の裏側――地球側ではない側の面を撮影した。月は常に同じ面を地球に向けておる。裏側は地球側からは一切見えん。その姿をついに捉えたのだ」


 液晶スクリーンに、俺たちが知らない月の白黒写真が現れた。ノイズのような乱れた横筋の中ににじんだように写る月。

 ウサギの餅つきに例えられるようなものではなく、白くのっぺりとした中に数個の暗い部分が浮かぶ、気味の悪い月面だった。


「これがいわゆる月の裏とされておる・・・・・

 奇妙な言い方だ。


「実は、撮影されたものはこれだけではないのだ」


 画面が切り替った。


「公では29枚が撮影され、月の裏側の約70パーセントを捉えたとされておる。だが、実際はそれ以上が撮影され――」


 同じくノイズだらけのぼやけた月面写真が映し出された。


「――そして、公開されなかった。理由は不自然な写真が撮影されたためだ」



「あれ?」

 目ざとい志戸が声を上げる。


「うむ。白く写る位置が違うのだ。数パターン撮影されたが明らかに異なっている」


「なぜなんでしょう」

 俺はたまらず質問した。


「光だ」

 ハイドンは、管野女史に先を促した。


 位置がずれ、角度の異なった写り方をした数枚の写真が、画像処理されて重なっていく。


「最初はノイズか故障かを疑われた。しかし、計算、解析したところ、それは月面で点滅・・していることがわかった。約6万キロ上空から撮影した、旧式のフィルムカメラとスキャナーで、判別できるほどの大きさ、明るさで、だ!」


 思わず息を呑む。


「月には何かある!」


 ハイドンが熱情をもって声を張り上げた。


「発見した当時のソビエトの必死さは凄まじいものだった。その後、実際に非人道的ともいえる試みも行われた。そうまでして宇宙へ、月へ行こうとした。冷戦中のアメリカもそれに対抗し、宇宙開発は加速していった」


 質問は? と、ハイドンが促す。


 誰も一言も声を出さない。

 俺たちの知らない世界が、そこにあった。




「その後、何度か月の裏側が撮影された。その解析から点滅のスピードが徐々に遅く、弱くなっている事がわかった。様々な憶測が飛んだが、実際にヒトが直接行かなければという気運が高まったのだ」


 画面は、真っ白な宇宙服姿が星条旗を立てるシーンに切り替わった。


「急がねば! 凄まじいムーンレースの結果、1969年、ついにアメリカが月面に到達した。アポロ計画だ。その時に持ち帰った石が、よく知られている月の石だ」

 スクリーンに、ゴツゴツした岩石や砂状のものが幾つか映し出された。


 画面が切り替る。様々なロケットの姿が映る。


「アメリカとソビエトは、それから月面探査を繰り返した。目的は、自然ではありえない点滅の元へたどり着きたい。我こそは先に。あれはなんなのか知りたい。その一心だった」


 ハイドンは俺たちに振り向いた。


「何度か持ち帰ることができた月の岩や砂。それらの中に、明らかに他の土壌と違った想定外の構成成分が見つかった。いや、厳密に言うと地球では解析できないものだった」


 小さなつるりとした塊が映し出された。


「月の裏の石だ」



 ハイドンは、一旦息を整えた。


「実は、月の裏にも降り立っていたのだよ。神の奇跡か、偶然その石を見つけたのだが、時は既に遅かった」

 菅野女史がタブレットを操作する。


「点滅が途絶えてしまったのだ。月面で宇宙飛行士たちが回収した際は、微かに光ったように見えたらしい。だが、地球に戻った時には何の反応も見られなかった」


 ハイドンの一方的な話を、俺たちはただ聞いていた。既に拒否することもせず、皆、ひたすら耳を傾けていた。



「その後、石の点滅の謎を探るべく、様々な観測や試験、実験が行われた。そして、物質工学を研究していた私がSHINOBEに招聘しょうへいされたのもその頃だった」


 白衣を着た研究者たちが、何かを凝視しているシーンが映る。


「元々、超心理学を修め、その後、生体工学も修めた私は、この石に関しての研究責任者になった。何故だと思う?」

 滔々とうとうと話すハイドンが突然、質問を投げてきた。


 分かるわけないだろうが。


「わ、わわかりません……」

 志戸が律儀に答える。


「ふむ。石を回収してきた者たちの中に、幻視幻聴を体験した者が多数居たのだ。ある者は光る物体が近づいてきた、と。またある者は神の声を聞いた、など。なんらかの心因的なものも考えられたため、私も興味を持ち、この要請を受けたのだ」



 映像が切り替った。

 青い空をバックにウネウネした雲が映し出された。いや、何かが爆発したのか?


「時は流れ、1986年、一機のスペースシャトルが打ち上げとともに四散するといういたましい事故が起きた。実はこのシャトルは、密かにある実験を行うという目的があった。それはまさしく、挑戦者チャレンジャーだったのだ」

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