背信者たち、その決意の価値は



 鍛冶師にとって、売った剣の使い手が顔を出す、というのは不思議な体験だ。

 会ったことなど一度もない。どんなやつなのかわかりもしない。しかし、決して他人ではない。

 だから鍛場の入口に、夜を背負って立つその青年を見て、バスカーはすべての作業の手を止めて、彼を迎え入れた。

 とはいえ、喜びや親しみがあるわけでもない。バスカーが鍛えた剣で、この男は自分の身を守るため、数え切れない命を奪ってきたのだ。それを赦せるはずがない。


「なんの用だ。折れでもしたか」

「いえ……」


 青年は出された茶ばかり何度も飲み、もう三度もバスカーにおかわりを淹れさせている。いい加減にしろと叱ると怯えた子供のように動揺していた。

 ……これがあのハンターの言っていた『凄腕の剣士』なのだろうか。

 そうは見えない……と思いかけ、いや、と考え直す。剣士というものはそういうものだ。この世で生きていく術に熟達しないから、剣のみに生きるようなバカな真似をする。そういう意味では、この青年はもっとも剣士らしいと言えたかもしれない。

 かつての剣聖、レオノーゼ=グロウアイグも、吸血鬼の王族を狩るまでは幼児のように戦闘を拒んでいたという。バスカーは老齢になって思う。戦うことを拒絶するやつだけが、本当に『戦う』ということを知っているのだと。それを理解する共犯者も、弟子も、バスカーにはいなかったが。


「血のにおいがするな。誰を斬った」

「え……わかるんですか?」

「わかるはずがないだろう」バスカーはくっくと笑った。

「適当に言っただけだ。それに剣士が肉を斬らん日が来るかね?」

「はあ……まあ、そうかもしれませんが」

「何が聞きたい。俺に答えられることなら、教えてやろう」


 剣士はしばらく黙っていたが、やがて愛想笑いを浮かべた。


「凄いですね。なんでもお見通しなんだ」

「ふざけてるなら叩き出すぞ」


 青年はびくっと身を震わせてから、雨が滴るように肩を小さく丸めた。


「……俺は、斬りたくないと思った相手を斬りました」


 剣士はフードの奥で、乾いた唇を動かして喋った。よほど彼のほうが、追い詰められた吸血鬼に見える。


「ずっと迷っていました。斬ってはならないと……でも、斬るしかなかった。ほかにどうしようもなかった。気がついたら斬っていて……そして、そのとき、初めて自分の剣の銘を見たんです」


 食卓兼作業台にされている樫のテーブルに、青年は大振りな剣を乗せた。鞘からして血まみれだった。拭いて取れた血痕の方が少ない。バスカーから見ても、贈刀してから夥しい数の敵を屠り続けてきた剣になっているとわかった。

 バスカーは、一年ぶりにその剣を抜いた。氷柱のように曇りのない刀身に、かつての自分が刻んだ文字がまだ残っていた。


 悪徳、

 そして無垢。


 わずか単語双つ。ほかには刻印はなかった。バスカー自身の名さえも。

 青年が責めるように、乞うように、剣を握るバスカーを見下ろしている。


「教えてください……斬った瞬間、その文字が目に入った。それが目に焼きついて……離れなかった。ただの文字なのに」

「それはあんたが、自分がなぜこの文字から衝撃を受けたのか知っているからだ。あんたはわからないフリをしているだけだ」


 バスカーは断言した。剣を鞘に納め、青年に返す。だが青年は受け取ろうとしなかった。ため息をつき、バスカーは剣をふたたび抜く。鞘からすべて抜き放つと、それは吸った命の輝きを帯びているかのように、新刀同然だった。よく手入れされている。この剣士の師匠は武具の取扱に長けていたはずだ。


「俺の両親も刀鍛冶だった。そして、最低な刀鍛冶だった」

「……どうして?」

「悪刀をそれとわかっていて売ったからさ」バスカーは笑う。

「親父はよく言っていた。剣は見かけが大事だと」

「それは、おかしい。剣は道具だ」


 青年の言葉は拙い。だがバスカーは頷き、


「子供の頃、鍛場で親父に言われたよ。『いいかバスカー、剣というのはな、折れちまえば相手に殺されるしかない。だから悪い刀を売ったって、買ったやつは死んじまうんだからわかりっこないんだ』と。親父はそう、とても嬉しそうだった。自分で見つけた秘密の隠れ家の場所を教えるように、俺にそう言ったのをよく覚えている。

 ガキの頃から思ったよ。それはおかしいって。だが、支手ささえてをやってたお袋もニコニコしながら『そうそう』と迎合していた。だが俺にはどうしても納得ができなかった。剣を打ち、渡したやつが死ぬ。それのどこに意味がある?」

「……それを踏まえて、あなたはいい刀鍛冶になったわけだ」

「いや、違うね。……俺はいい剣を打った。我ながら誰にも負けない最高の一振りってやつにも辿り着いたつもりだ。誰も俺の真似ができなかったからな。ただ……あるとき気づいたんだ。

 結局、親父が正しいんだ。

 打った刀が折れれば剣士は死ぬ。それでいいんだ。それは一つの真実だ。剣士だってそれをある程度は覚悟して、どこかで妥協して、値段相応の剣を買い、そして値段相応の命を散らしていく。そうして生き残った方の刀だけがちょっとばかり有名になるが、そうやって目立った分、どこかの駄作が下手を打ち悪目立ちをして、そんな栄光も廃れていく。そうしてあとは似たような刀鍛冶の中からマシなやつに剣士が群がっていく。世界はこともなく回っていく。それに気づいたんだ」

「……あなたは折れてしまったんですか? お父さんの影に……」

「そうだよ。俺は負けた。親父が正しかった。そう思ったとき、あんたのお友達が俺のところにやってきた……『生かしておきたいやつがいるから、剣をくれ』とな。正確にそう言っていたかどうかは定かじゃないが、俺はそう記憶している……」

「…………」

「最高の一本をくれ、ってな。俺は困ったよ。折れた俺にそんな大層なものが作れるのかって。だが……やるしかなかった。

 剣なんざ折れようがどうなろうが、鍛冶師には知ったことじゃないのもわかってた。

 それに目を瞑れば世界を笑って眺められるようになることもお袋から教わってた。

 それを理解しながら、やろうと思った。もはや俺に神様の真似事はできない……もう歳だしな。もう一度やるには、親父とお袋から教わった、たった二つの背信の教えを守るしかなかった。親父もお袋も本当に最低の鍛冶師だったわけじゃない。ただ、弱かったんだ。

 この銘は、俺がそれを認めた証だ」


 剣を今度こそ鞘に戻し、バスカーは青年に差し出した。


「いい剣だ。大事にしろよ。俺にはもう、これ以上の剣は打てん」


 剣士はその一振りを受け取りながら、じっと視線を伏せて何か考えていた。


「俺は、斬りたくない人を斬った……そうまでしてでも……俺は……俺には……」

「それは悪徳だ。そして、おまえは無垢でしか癒やされない。そうして自分を不当に癒してまで、おまえは何がしたい? 大切なものを斬ってまで、おまえは何がしたかったんだ?」

「…………………………………」


 無限のような沈黙のあとに、青年は一礼してバスカーの家を出ていった。







 バスカーはいずれ、最後の剣がどう銘を刻まれていたか忘れてしまうだろう。

 生活の中で、老いの中で、大切だったものを忘れていくだろう。

 そうまでして生き延びて、自分は何がしたかったのだろうと、バスカーは考え続けた。

 答えは出なかったが、しかし、答えが無ければ剣は打てないはずだった。

 それだけが、バスカーに信じられるすべてだった。


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