王殺しの夜


 目を覚ました瞬間、ヴィクシミュはそれが夢だと気づいた。

 目覚めて始まる夢というのもおかしな話だが、ヴィクシミュにとっては見慣れた夢だったから、違和感はなかった。

 洞窟の湿り気を帯びた空気、耳を打つ焚き火の音、横たわった岩盤の硬さ、そしてかけられたブランケットのぬくもり。

 すべて記憶のままだった。

 ヴィクシミュは起き上がろうとして、焚き火のそばにいる誰かに止められるのだ。


『まだ寝てろよ。ぜんぶカタはついてる』

『レーギュ……やつは、どうなった。王は死んだのか?』


 焚き火を木片で突いているレーギュ・ゾットアストは、造反する以前の、ややこけた頬で、振り返った。ほぼ同時期にハンターになった男。任務の真意反故で造反したとき、ヴィクシミュはレーギュを昇格させたが、結局、彼は戻って来なかった。今となっては懐かしい顔だった。


『ああ。アレックスが殺った。さすがだな。俺は誰かが王を殺るなら、あいつだと思ってたよ』

『そう、か……勝ったのか。あいつは』

『そうだ。今は見張りに行ってるよ。休めばいいのに、まじめなんだな』


 夜の洞窟は冷える。外は鬼と魔で染め上げられているだろう。そんな暗闇の世界を、剣一本だけ抱えて寒そうに歩いているアレックスの姿がヴィクシミュの脳裏に浮かんだ。


『あいつ……味な真似を……俺を助けたのは、あいつか』

『ああ。最後の一瞬、おまえが王に打ち負けた時、あいつがフォローに入った。おまえは壁に叩きつけられて気絶したから覚えてないだろうが、それから二十秒も経たずに終わったよ。まだあれから二時間も過ぎてない』


 黙り込んだヴィクシミュを、どこか皮肉そうな、悲しそうな表情でレーギュが見ていた。


『余計なことをしやがって、と言いたいのか? ま、確かに死んじまう方がラクな気分にはなるがな……この仕事をしてると』

『俺は……死んだと思った』


 ヴィクシミュは思い出す。

 王の真紅の瞳と、その奥にあった怒り……まつろわぬ民として駆逐されるほかない自分の運命を呪った光。

 ヴィクシミュは最初から王に気圧されていた。

 実力でいえば、三人の中ではヴィクシミュの剣技がもっとも優れていただろう。

 しかし、そんなもの、土壇場の真剣勝負では飾りに過ぎない。


(俺はあの日、迷った……)

(なぜ?)

(今まで散々殺してきたじゃないか。助けてくれと泣き喚く吸血鬼たちを)

(今さら……)


『死にたかったか、ヴィー』


 その質問にもヴィクシミュは即答できなかった。

 最後の一瞬、

 ヴィクシミュは命を諦めた。

 敵の剣が防げるすべての角度をすり抜けて自分の心臓を目指して突進してくるのを直視した瞬間、ヴィクシミュのあらゆる戦闘行動では生還できる術が一つも存在しなかった。

 死ぬしかない一瞬。それは高所からの転落に似ている。あ、と気づいた時にはもう遅い。落ちているから気づくのだ。死ぬと。

 死の瞬間、訪れるのは諦観と侮蔑と幻滅だと思っていた。

 自分はそれをずっと待ち望みながら戦っていたはずだった。

 それがハンターの宿命だった。

 なのに……


『アレックスはおまえを助けた。あいつ自身が巻き添え喰って死ぬかもしれなかったのにな。本当に甘ちゃんだよ。ヴァルゴがからかう理由もわからなくはない。ただ……』


 レーギュはヴィクシミュを振り返ると、金貨の袋を放ってよこした。それは王討伐の取り分の一つ。三人で山分けするはずの遺産。


『なあ、ヴィー。済まなかったと思ってるんだ、俺』

『……なにが?』

『俺はおまえを助けようとは思わなかった』

『…………』

『あのとき、俺も出ようと思えば前に出れた。少なくともあの最悪にヤバかった刺突だけは、五分五分で防げたかもしれない。やはり俺でも巻き添え喰って死んでた可能性はあるが……それはアレックスだって同じことだ』

『気にするな。俺が逆の立場でも、前には出れんかったさ』

『いや、おまえはたぶん、出てくれたと思うよ』


 レーギュは昏い顔をしていた。死体が自分の過去を思い出しているような、眉根を寄せた苦痛の気配。


『俺はおまえを助けなかった。そのことを、謝りたいんだ』

『……まあ、そう言うなら受け取っておくよ。だが俺たちはハンターだ。どうせいつかは負けて死ぬ。気にしたって仕方ないだろう』

『どうだかな……』


 それから思い出したようにレーギュは笑った。


『しかし、そのツラからすると、もう死にたいとは言えんようだな、ヴィー』

『……ほっとけ』


 焚き火が爆ぜて、レーギュが焼いていた肉の脂が跳ねた。そうしているうちにアレックスが雪まみれで戻ってきて、『あんなに晴れてたのに。おまえは本当にツイてねぇな』とレーギュがからかった。アレックスは憮然として頭を振り雪を払うと、『ヴァルゴに報告しないと』と報告書を取り出した。この湿気でそんなもの出せばまともに筆が走るはずもない。書いても書いても破れて穴が空くだけの報告書をついに投げ捨てるに至って、ようやくヴィクシミュにも笑う余裕ができ、そして礼を言う機会が過ぎ去ってしまったことも意味していた。笑いながらヴィクシミュは思う。アレックス。おまえは俺の命を救ってくれた。そして俺は生き延びた。だから気づいてしまった。

 死の瞬間、俺はそれを拒んだ。

 それは生き延びてしまったら、どう頑張っても否定はできない。

 もう忘れることなどできない――自分が生きたがったことも、そして自分は、アレックスに救われるしか助かる術がなかった事実も。

 今でも覚えている――


「アレックス……」








 今度の目覚めは本物だった。

 反逆者・アレックス=グロウアイグ討伐部隊の指揮官・ヴィクシミュ=メルグレイの横顔に、廃屋の破れ窓から注ぎ込んだ陽光が差している。


「お目覚めですか、隊長」


 副官のマディオは何が面白いのかくすくす笑いながら、朝食の準備をしている。どんな野営地でもパンを焼きコーヒーを淹れる。この青年の几帳面さには助けられることもあれば、嫌悪しかない時もある。


「ずいぶんいい夢を見ておられたんですね。笑っていましたよ」

「アレックスの夢を見た」

「へぇ、これから殺す相手の夢をね……それは悪夢じゃないんですか?」

「悪夢は、これから見るんだ」


 ヴィクシミュは愛剣の柄に手を伸ばした。



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