その丘に暮らしていた牧師は、だいぶ前に神を捨てた


 みんないつかわかってくれなきゃおかしいよ、とルインは頬を膨らませて怒っている。

 そうだね、とグロリアも答える。

 結局、どれほど擬態したところで、吸血鬼は人間ではない。

 交わらざる種としての違和感は、どれほど分厚い布をかぶせたところで歩けるようになる溝ではない。

 そんなことはグロリアにだってわかっていた。

 ルインは、宿屋の娘らしく短く切り揃えた髪を綿のように跳ねさせながら教会への坂道を歩いていく。さきほどの一幕がいまだに腹に据えかねるのか、蹴りごたえのある小石を見つけては草の根を騒がせていた。

 くす、とグロリアが笑うと、もう、本当はグロリアが怒らないといけないんだよ、と、まるでグロリアも敵の一派かのように顔を紅潮させて主張した。ごめんごめん、とグロリアは答えながら、ふらつく足取りを気づかれないように整えながら、夜を見上げる。

 月が綺麗だ。

 満月だ。

 そういえば、空を見上げるなんて久しぶりだ――去年の凶作からずっと、慌ただしく落ち着かない日々を過ごしていた。血を我慢するのにはなんとか慣れたが、畑仕事はいまだにてんでダメで、古い分家の跡地をこっそり畑として貸してくれているルインにも呆れられている。自分で食べるものを上手く作れないというのは、なんというか、心に沈む悲しさがあった。まるで存在を否定されているかのようで、吸血鬼としての高貴な血筋など確かに欺瞞以外の何物でもないが、それでも感じる――自分は神に見放されているのだと。

 月は誰が作ったのだろう――神様ではあるまい。なぜなら月こそ吸血鬼が唯一安らぎを得ることのできる光であり、天に輝く数多の星々は闇の一族を嫌悪する神と天使たちの蔑視の灯でしかない。ずいぶんと大勢の敵を作ったものだ――グロリアは思う。きっと前世で自分はとても悪いことをしたのだろう。その証拠にさっきからお腹がグゥグゥと鳴って仕方がない。

 ルインが振り返り、なにか言った? と小首を傾げてきた。幼馴染は最近、とても綺麗になった。歳を取らないグロリアをあっという間に追い越して、もうじきどこかの青年に嫁ぐのだろう。サファイアのような色の瞳には、きっと幸せな未来が映っている。

 グロリアは、カエルかなにかがいるんじゃない、と肩をすくめてみせた。そして、すでにこの村にそんな小動物のいるはずがなかった。


 教会は牧師に捨てられ、十字架も盗賊に持ち去られていた。色鏡ものきなみ割られて、固まった水のようにあたりに散らばっている。カビ臭い長椅子に挟まれて、祝福の道を歩くルインはくるりと親友を振り返った。


「あいつら、なんにもわかってない。グロリアが人の血を吸うはずなんてないのに!」

「まあまあ。慣れてるからさ、べつにいいよ」

「グロリアがそんなだから、あいつら調子に乗るんだよ!」


 ルインは、自分に告白してきた少年が親友を痛罵したことをどうしても赦せないらしい。目尻に浮かぶ涙には怒りだけが滲んでいるわけではなさそうだった。


「本当にグロリアが人を噛むと思っているならさ、あんなこと怖くて言えないよ! こっちが泣き寝入りすると思ってさ……!」

「ねぇルイン、そんな話はいいからさ、なにか明るい話をしようよ」


 グロリアはよろけて長椅子に尻もちをついたが、ルインが見たときには背筋をぴんと伸ばして健康そうに微笑みを浮かべていた。


「もうすぐ復活祭だよ。サーカスとか来るかなあ。氷菓子とかもあるかも。楽しみだね」

「ん……ああ、うん、そうだね。確かなんとかって劇団が来るって。ああでも、あたし、こんな気持ちじゃ絶対に楽しめない……復活祭なんて来なければいいのに。ああ、やっぱり、殴ってやればよかった……!」

「うん……ねぇ……ルイン。お願いだから……もっと、あかるい話を……しよう、よ……」

「……グロリア?」


 ふらり、とグロリアは立ち上がりかけ、その場で躓き膝から転んだ。ルインの方がまるで痛みを感じたかのように悲鳴をあげてグロリアに駆け寄る。


「ちょっと、大丈夫!?」抱きかかえてその手に触れ、

「うわ……冷たい……ど、どうしたの? 具合悪くなったの?」

「うん……そうなの……」


 グロリアの黄金の瞳が、帰るべき港を探す船の探知灯のように寂しげに瞬いた。滅びた神の家に、すがれるものがないかと、視線が泳ぐ。


「とっても……とっても……ここは……寒くて……」

「ご、ごめんね。気づかなかった。すぐ帰ろう? 家に帰れば、あたしなんとか頑張って、今夜は多めにスープをくすねてくるから」

「ありがとう……ありがとうね……」


 グロリアはルインの手を掴み、それを胸元に押し当ててすすり泣いた。その泣き声が、本当に生まれたばかりの子供のようで、ルインは胸が締め付けられるような思いがした。

 そして、励ましの言葉をかけようとしたとき、グロリアが伏せていた顔を上げた。







































「でも足りないの」

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