〈道〉の果て (3)

 人が四人も入れば窮屈だと感じるほど、狭い場所だった。


 マオルーンは端に寄り、指先で壁に触れた。


「見ろよ、ギズ。この壁は生きてるのか」


 マオルーンの指先に近い場所で、壁は決まった律動リズムに合わせるように、ドクンドクンと規則正しく揺れている。


 マオルーンは辟易とため息をついた。


「孤塔の頂きっていうのは神様がいる場所かと思ったんだが、意外にえげつない、不気味なところだな。これは、筋肉か? 本当に化け物の腹の中に入ってしまったのかな。なんなんだ、ここは――」


 ギズは薄笑いを浮かべた。ギズの目は、入り口から見て最奥の壁を向いた。


「役割やら理由やらを欲しがる学者連中なら『神殿』って呼ぶかもな。――見ろよ。黒い石がある」


 ギズの目が向いた先では、生き物の体内じみた肉質の壁に、拳大の石が埋もれていた。


 入り口から一番遠い壁際だった。ギズの足が進んで、目の高さよりわずかに低いあたりへ、顔を近づけた。


「黒い石、種――いや、卵?」


 卵型をした黒い石を抱えるように、そのあたりだけ壁がふくらんでいる。壁も、生き物の構造を思わせるような繊維質で、繊維の一本一本が、拳大の黒い塊を抱きかかえるように包んでいる。根に覆われているようにも見えた。


 マオルーンが近づいてきて、同じものを覗きこむ。


「卵ねえ。孤塔の頂きには神の鳥〈ガラ〉の卵があった、とでも報告すればいいかな」


「どっちにしろ、長居したくねえな。――この石、外れるのかな」


 ギズの手が壁に伸びた。卵型の石を抜き取ろうと、指が壁が触れそうになった途端のことだ。壁が、磁波を帯びた。小部屋そのものが悲鳴をあげたようだった。


「やめてくれって、言ってるのかな」


 ギズが目配せを送ると、マオルーンは「かもな」とため息をついた。


「こっちもだ」


 ギズが衣嚢ポケットを探り始める。取り出したのは、布の包み。絶縁体の布でくるまれた卵型の石――ジェルトが手にしていたジェラ族の石だった。


 ギズの手の上で、その石はどくん、どくんと震えた。心臓が脈打つようで、石の表面が盛り上がり、血管が浮き出ているような錯覚すらさせる。

 

「あそこに、捧げて欲しいのかな。――なぜだ?」


 それからギズは、真上を仰いだ。


「上に、影が見える。この上にまだ何かあるのかな。この階で磁波が一番強いところは、間違いなくこの石の周辺だ。ということは、もしも次の階があるなら、入り口の位置はここか? でも、上に磁波は感じない。ってことはやっぱり、ここが頂上ってことでいいのかな」


「そういうことにしよう。ひとまずギズ、ここから離れよう。その石に近づくと部屋の磁力が上がる。悪いが、俺に限界が来そうだ。ここまで強い磁波は初めて浴びた」


 ギズは石に近づけていた手を引っ込めて、マオルーンを振り返った。


「大丈夫か? カシホ、おまえはどうだ」


 マオルーンを気づかった後で、ギズはカシホにも目を向けたが、苦笑した。


「ぴんぴんしてやがるな――だよなあ。マオルーン、もう少し耐えられるか。記録をとろう」


「もちろん。そのためにここまで来たんだ」


「ああ。調査はここで終わりにしよう。おれたちができるのはここまでだ。これ以上は次の奴に任せよう。――それから、帰り際には、その石を壁から抜き取ろう」


「石を?」


「あんたもそう思わないか? この壁に埋まってる卵型の石が怪しいって。この孤塔の形を保たせる心臓部なんじゃないか? サスって奴が作った黒い機械を思い出すよ」


 七階での出来事だ。同行していた学者一行のうち、一人が持ち込んだ機械が、強い磁波を放った。機械はどこからともなく大量の砂を引き寄せて、みずからの周りに塔の形をつくっていった。


「あの機械は小さな孤塔を作った。砂から引き離して電源を落としたら、砂は崩れ落ちた」


「ギズ、おまえ、何を考えてる」


「おれ達は初めて孤塔の頂きに登った生身の人間だ。少なくとも、孤塔についての記録が始まってからは初めての快挙だ。塔師局の存在意義は孤塔の管理と破壊だろ? せっかく頂きにいるんだ。孤塔を壊す実験は、するべきだろう」


「――本気か、ギズ」


「あの石を取ればいいんだ。試すだけなら、するべきだろ」


「だが、地上したに磁嵐が起きたら――」


「サスの時は起きなかっただろ。生まれた磁波が消えただけだった」


「規模が違う。試験的に作った道具と、本物の孤塔を同じと見るわけにはいかない。仮に孤塔を崩せたとして、取り返しがつかないことが起きたら――」


「取り返しがつかないことって、例えば?」


「だから、磁嵐だ。『レサルの磁嵐』級の被害が出たら――」


「どっちにしろ、起きるかどうかはわからないだろ。それに、何かを初めに行う奴は、この先にも必ず要るんだ。そいつが、今ここにいるおれたちか、次に出かける奴かの違いになるだけだ。――わかるだろう、マオルーン? 今ならおれがいるんだ。次に同じ選択を迫られるのは、あんたとカシホかもしれない。これからおこなうことがもしも誤りなら、そう記録すればいいんだ。おれの失態ミスだと書け」


 「しかし」と、マオルーンはうつむいて、しばらく黙った。


「なあ、ギズ。に連絡できるか」


? たぶん」


 マオルーンは、肩で大きく息をした。


に、孤塔を壊す試験をおこなうと伝えよう。からウースーに事情を伝えてもらって、クロク・トウンの電力系統を一旦停止させ、住民を避難させる。それができるなら、同意する」


「いいよ。やるべきことだ」


 ギズは衣嚢ポケットへ手を伸ばし、通信機を探った。






「みんなに聞こえるようにしておくよ」


 ギズは通信機の音響器スピーカーをいじって、背嚢リュックの上に立てかけた。ジーッ、ジーッと何度か呼び出し音が鳴った後で、若い女性の声が雑音にまじった。


『ギズ?』


「ああ、おれだ。今――」


『ちょっと、もう! おれだ、じゃないわよ。無事でよかった。昨日の夜に連絡がなかったから心配で……連絡は毎日するって――「おやすみ」だけは言うからって、行く前にあんなに約束したのに』


「おま……余計な事を言うんじゃねえよ」


 ギズはうつむいて、周りの面々と目を合わせずに言った。


「言ってなかったから仕方ないんだけど、つまり――今はおまえの声がみんなに聞こえるようになってる。みんながこの会話を聞いてるから――」


『えっ?』


 通信相手の驚いた声が聞こえる。


音響器スピーカーで聞いてるんだよ。つまり――」


 相手の女性は、あっけらかんとした明るい声を出した。


『ああ。私の声がみんなに聞こえてるのね? つまり、こういうことかしら――マオルーン、元気?』


「ああ、そういうことだよ。元気だよ。久しぶりだね」


 通信機越しに笑いかけるように、マオルーンは挨拶を返した。


 ギズは、うつむいたまま話を続けた。


「実は、急いでやって欲しいことがあるんだ。今は十時過ぎか――おまえは監視本部にいるのか? そばに誰かいるか? ウースーは――」


『ウースー局長? ちょっと待って。局長、局長!』


 女性の声が、離れた場所に向かって呼びかけている。


 背嚢リュックの上に置かれた通信機から目を逸らして、カシホはマオルーンに目配せを送った。


「ギズ教官の恋人さんってハキハキとした方なんですね。わたし、違う感じの方を想像していました。ギズ教官って、意外に尻に敷かれるほうだったんですね」


「聞こえてるぞ、カシホ。うっせえ」


 ギズがぎろりと睨んでくる。カシホは一度唇を閉じたものの、言い返した。


「内緒話をしようとしたわけじゃありません。意外だったから、意外だって言ったんです」


「ったく――おまえもリイトも妙に生意気なんだから。おまえらって、むかつくくらい似てるよなあ」


「わたしとリイトが、似てますか?」


 カシホはきょとんとしてギズを見つめた。


 その時、通信機から聞こえる人の足音が増えていく。誰かがそばに寄ったような雑音ノイズが響いて、息遣いとともに、壮年の男の声が聞こえた。


『ギズ・デンバー君、きみは今どこにいるんだ。孤塔から降りたという報告はまだ聞いとらんぞ!』


「まだ孤塔にいますよ。それで、局長、ちょっと相談があるんですが――」


 言葉遣いにそれっぽい最低限の礼儀があるだけで、ギズは横柄だった。


「実は今、孤塔の頂きらしき場所に着いたんです。それで、孤塔の壊し方を見つけたかもしれないので、試してみたいんです。ですので、クロク・トウンの街の電網を一旦止めてもらえませんかねえ」


『いったいなんの話だ、ギズ・デンバー君。孤塔の壊し方? 本当かね。方法は? とんでもない方法じゃないのか? ともかく、マオルーン塔師はそこにいないのか』


「マオルーンならいますが、それが何か」


『何か、じゃないよ。きみと話すと私は血圧があがるんだ。話なら彼とする。代われ』


「へいへい」


 ギズが上目遣いをして舌を出す。マオルーンは苦笑して、ギズのそばに寄って通信機を覗き込んだ。


「ウースー局長、マオルーン一級塔師です。現在、我々は孤塔の十階に到達しています。磁力及び磁波は、十度前後。中でも、最高値の磁力及び磁波を感じる箇所がありまして、そこに、孤塔の出現装置と考えられる石があったのです」


 と、マオルーンはこれまでのことを報告した。


「というわけで、その石を外してみてはどうかと思うのです。孤塔を破壊、または、構造を紐解き、謎を飛躍的に解明できれば、磁嵐の原因を排除できます。エクル王国内の数々の孤塔を破壊する方法も見つかるでしょう。しかし、なにが起きるかはわかりませんので、クロク・トウン周辺に避難命令を出していただきたいのです」


『なるほど――わかった。では、役員を緊急招集して今夜にでも会議を――』


「いいえ、ウースー局長。この場所の磁波は強く、俺とギズでも滞在できるのは長く見積もって三時間です。ご存じのとおり、孤塔の内部構造は入るたびに変わりますから退却できませんし、次の調査でまたこの場所に辿りつけるかどうかも不明です。いま決断してください」


『しかし、ジェ・ラームの孤塔を崩すなどと重要なことを私が決定できるわけが――』


「うっせえな、土壇場でビビりやがって。塔師局ができたのは孤塔を破壊するためだろうがよ。いざって時の判断と覚悟ができなくてなんのための局長だよ。ふざけんな、デブ、ハゲ、ジジイ」


 ギズが舌打ちをする。通信機から、ウースーの不機嫌な声が届いた。


『聞こえとるぞ、ギズ君。きみは本当に素行が悪く――えっ? はい』


 音響器スピーカー越しのウースーの声が急にかしこまった。小声でしばらく誰かとのやり取りを続けた後で、ウースーの声が、再びギズの名を呼ぶ。


『ギズ君、きみと話がしたいとおっしゃる方がいるんだ。くれぐれも失礼のないようにな。――マリーゴルド三世女王陛下だ。陛下、どうぞこちらへ』


「女王陛下?」


 カシホはぽかんと顔を上げた。


(どうして、女王陛下が監視本部に――)


 いや。ギズの恋人がそこにいるのも不思議なのだが。


「マオルーン教官。ギズ教官のお相手って塔師局の方なんですか? それに、どうして女王陛下まで――」


 たしか、女王陛下の滞在場所はクロク・トウン郊外の離宮のはずだが。


 マオルーンはカシホと目を合わせて、ただ笑った。

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