〈道〉の果て (2)

「なら、はじめようか」


 次の階への入り口となる磁力の塊へ、奇襲の支度が始まった。ギズとマオルーンが長銃を構えて弾をいじり始めると、リイトは恐る恐ると二人へ声をかけた。


『あの、ギズさん、マオルーンさん。この階で一番磁波が強い場所はここじゃありませんよ。あっちに見える森の方角じゃありませんか?』


「森?」


『はい、あそこの――クロプですかね? 森です』


 リイトが指さした方角には、ジェ・ラーム砂海に似た景観の黄色い砂地が広がっている。その先に、小さく茂る森があった。一行が拠点にした緑地オアシスほど広くはないが、遠目からも葉は色濃く見えて、ここよりもなお古い森に見えた。


「ギズ、孤塔の中の通路は水源じゃ――」


「各階の水源がひとつしかないとは言い切れない。磁波が強くなってるのは、たしかにリイトが言う森のほうだ」


「まあ、ここは何が起きるかわからない場所だ。行ってみようか」


 四人は荷物を背負い、水面をきらきらと輝かせる池に背を向けて、砂地へと踏み出すことにした。

 

 ギズは、ジェルトを運ぶ役も担うことになった。「磁波だから軽くて、風船を担いでるようなもんだけどよ――面倒くせえ」と、愚痴は言ったが。


 リイトは、カシホの荷物持ちを買って出た。


『ねえカシホ、背嚢リュックを背負わせて』


 リイトも決して逞しい体つきをしているわけではなかったものの、カシホよりは背が高く、胴回りもしっかりしている。野宿の旅を続けるための大荷物も、カシホが背負うよりはリイトの背にあるほうがまだ馴染んだ。


 背負い紐を肩にくぐらせると、『よかった、持てた』とリイトは笑った。


『きみたちも磁波交じりになってるのに荷物が運べるなら、僕にも持てるかもって思ったんだ』


 先頭を務めて砂地へ歩き出したギズとマオルーンの後を追って、リイトは大荷物を背負い、カシホはその隣を歩いた。


 凛とした明るい笑顔を浮かべるようになったリイトとは裏腹に、カシホの表情は暗いままだ。『いこう』と声をかけたリイトのそばを、カシホはとぼとぼ歩いた。


『せっかくまたカシホに会えたんだ。せめて、送っていくよ。向こうに強い磁波を感じるんだ。磁波を敏感に感じるのは、僕が磁波の塊だからかな』


 リイトの笑顔を、カシホは泣く間際のような顔で見上げた。


「リイトが強い磁波を感じられるのは、リイトにもともと磁制本能があったからだよ。塔師になってほしいって、憲兵学校に推薦されるくらいだもの。リイトだったら、憲兵学校に入った後も優等生で、すぐに卒業して塔師になれたよ。リイトが塔師になっていたら、きっとギズ教官やマオルーン教官みたいに活躍していたよ」


『――そうだったらよかったね。そうしたら、王都にカシホを呼んで一緒に暮らせたかもしれない』


 リイトは苦笑した。


『でも、もういいんだ。僕は、こうやってカシホの荷物を運べるだけで嬉しいんだ。きみともう一度話すことができて、会えてよかったって言ってもらえて、きみの手伝いができて――しっかり死ねなくて良かった』


 しばらく泣き続けたせいで、カシホの目元は腫れていた。今も、涙が溢れていくのが当然とばかりに目が潤んでいって、指で涙をぬぐった。


「自分だけすっきりした顔をして――。この先に行ったら、また別れちゃうかもしれないんだよ。せっかくリイトに会えたのに」


 カシホの肩が震えて、足取りが乱れ始めた。


「足が震えて、歩けない」


『カシホ――』


 がくっと震えて膝が落ちるので、咄嗟にリイトは手を伸ばして、カシホの胴を支えた。でも、支えようとすると、触れ合ったところからぶわっと霧が吹きあがる。二人の磁波がゆらぎはじめるので、リイトはすぐに手を離した。


『頑張って。歩いて、カシホ。僕は、きみを支えてあげられない……』






 一行が目指した古い森は小さいが、近づいてみると背の高い樹が多く、枝も隙間を奪い合うように伸びていた。


「クロプは細い木だと思っていたが、ここまで育つんだな。七階にあったラシャノキみたいな大木まである」


 クロプの木とえいば、水辺を涼し気に彩る優雅な枝ぶりが特徴的だと、ギズたちは覚えていた。でも、たどりついた森は密林のようで、たおやかなはずの木々は隙間を奪い合うように枝を伸ばしていた。


「これは幻なのかなぁ、それにしちゃ自然だ」


「さあね。あんたも見たろ。七階で土の成分を調べた時、土と水以外は検出されなかった。偽物をつくれるほど賢くて、植物のあれこれを熟知してるのかねえ」


 とはいえ、ギズもしげしげと森を眺めた。


「まあ、標本サンプルは多めに持って帰ろうか」


 砂地に張りめぐらされた木の根は落ち葉を抱えて土をはぐくみ、森の地面はしだいにぬかるんでいく。どこもかしこも、幻とはにわかに信じがたい。


 歩幅ほどのごく狭い川も流れていた。どこからか染み出した水の通り道のような、生まれたての川だ。


「水の流れ方からして、さっきの池じゃない方向に水源があるな。上流へ向かおう」


 マオルーンは森を見渡していたが、やがて顔をあげ、右腕をあげて指さした。


「あの木だ」


 ひときわ大きなクロプの木があった。大人の男が三人がかりで幹を囲めるような大樹で、枝は森に笠を広げるように八方に伸びている。木の根は、枝がつくる影より遠い場所まで這っていた。


 地面に張りめぐらされた根のうちのひとつを見つけて、マオルーンはギズ達を呼んだ。


「地面に染みていた水のもとは、ここだ。根っこの一つから水が漏れ出ている。――樹に見えるが、飾りなのかな。幻?」


 クロプの大木の黒々とした幹の根元には、ちょろちょろと水が噴き出す場所がいくつかあった。そこから浸み出した水は、根の丸みを伝って土に降り、森を湿らせる小川の源流になっていた。


「地面から吸い上げた水が余ったのかな。吸い上げたくせに流すなんて、えらく業突く張りの木だな。――まあ、人間としては、親しみを覚えるがね。富を囲いこんでおいて余らせて捨てるのは、欲深な奴がよくすることだ」


 頭上の樹冠を見上げると、森の天蓋に虹ができている。あたりに充ちた水気から蒸気が湧いていた。


「ギズ、この大樹の上に磁波の塊がある。次の階への入口はあそこかな」


「ってことは、あそこまで登って弾で穴を空ければ上に行けるのかな。磁波の塊がはじめから一つの座標に固定されているとすれば、初めての例だ」


「成功すればの話だがな。まあ、やってみるか」


 「荷物を頼む」とカシホとリイトに言い置いて、ギズとマオルーンは木の幹を両手で抱えて木登りを始めた。身軽にいられるように重い背嚢リュックは置いていったが、長銃や必要な道具は背負っている。幹を登っていった二人の姿が木々の枝の陰に消えたかと思うと、ダムと銃声が鳴り、森に流れていた磁波がうねった。


 ほどなく、ギズとマオルーンが枝の隙間から顔を覗かせる。木の上から、するするとロープも垂れてきた。


「終わったぞ。最高に楽な仕事だった。――まずは荷物を上げよう。運び終わったらおまえたちも登ってこい。見たいだろ? 次の階を」


 すべきことを終えて、いざ自分たちも――と、幹を両足で挟みつつ、カシホも大樹を登っていった。


 リイトはといえば、ぷかりぷかりと浮いてのぼってくる。『もうちょっとだよ、頑張って』とリイトは声援を送り続けたが、登るのを手伝おうとしても触れることができないので、カシホは自力で大樹を登りきるしかなかった。


 樹上に辿り着いた時、ギズとマオルーンの姿はなかった。ただ、円い穴がぽっかり空いている。「ここだ」という目印のようだった。


 クロプの木の枝は八方に向けて広がっていたが、その枝も、豊かに茂る葉も、森に充ちる霧も無視して、真円形の穴が空いていた。穴の向こう側は暗く翳っている。


 自然豊かに見える森の中にあるにしては、異質過ぎた。空間と空間をつなぐ、次の階への入り口だった。


「ギズ教官、マオルーン教官」


 カシホが穴の奥を覗き込むと、薄闇越しに、指南役の二人の姿がうっすら見える。


 呼びかけると、二人が振り向く。カシホに応えて口を動かしているが、ほんの数ミレトル向こうにいるはずなのに、防音壁に阻まれたように声が遠くて、よく聞こえなかった。


 まるで薄い窓帷カーテン越しに覗いているようで、見え方も、これまで通ってきた階とは気配が異なる。音も光も遮断する不思議な膜があるようで、そこを潜り抜けてしか入れない場所のようだった。


(進んだら、もう戻れないかもしれない――ここをくぐったら……)


 穴の前でじっと動かずにいると、見守るようにそばにいたリイトが『行こう、カシホ』と笑顔で声をかけてくる。


『怖いの? 大丈夫だよ。危険な場所だったら、ギズさんもマオルーンさんも来るなって教えてくれてるよ』


「怖いっていうか――」


 カシホの足がすくんだのは、次の階が最上階だと、本能的に気づいたからだ。


 ――ここを登ったら、リイトにさよならを言わなければいけないかもしれない


 でも、リイトは明るく笑っていて、『頑張って。大丈夫、行こう』と勇気づけようとしきりに声をかけてくる。


 その声に操られる人形のように、カシホは足を浮かせて、ゆっくりと、その穴の奥に入っていった。


 空気の層が、肌にまとわりついてくる。目には見えない蜘蛛の巣をくぐるようだった。


 入ってみると、まずは、たどり着いた先の狭さに驚いた。


 これまで旅をしてきたのは、森や草原や砂漠で、カシホはいつのまにか広大な空間に慣れていた。でも、九階の砂漠を超えてたどりついた十階は、これまでの世界とはうって変わって、周り中が壁に囲まれた狭い場所だった。


 絶えず差しこんでいた陽光もなく、暗い。まるで、落とし穴に入り込んだようだ。


 部屋は円形状で、六階まで登り続けた塔室と似ていた。印象が違うので塔室よりも狭く感じていたが、どうやら大きさも似ていた。


 ただ、見た目はまるで違った。まず、壁の色が違う。十階の壁は不気味な色をしていた。全体的に赤味を帯びているものの、桃色や褐色の部分もあった。煉瓦でつくった壁では到底あり得ない、生物の営みが感じられる見た目をしていた。


 そのうえ、壁は震えている。どく、どくと、同じ速さを保って脈打っていた。壁が震えるたびに、壁の内側に充ちた磁波が揺れる。


 磁波も濃かった。白く濁る煙に見えるほど充満していたので、脈拍にあわせて噴き出す磁波は、陽光に照らしだされた塵か、植物が胞子を撒き散らす様に似ていた。すくなくとも、カシホの目ではそう見えた。


 ギズが、手首の計測器を覗き込む。


「マオルーン、記録してくれ。磁力及び磁波は、十度にわずか足りない程度。最高値だな」


「やれやれ」


 マオルーンが記録盤の上でペン先を走らせる。その手やマオルーンの身体を、カシホはまじまじと見つめた。


「あの、マオルーン教官の身体が透けています」


 「ん?」と、マオルーンは訝しげに顔を上げる。


 マオルーンが答える前に、奥にいたギズが、カシホを向いて笑った。


「おまえもだよ、カシホ。身体が透けてる」


 「おれも、そうだな」と、ギズは、自分の身体や、カシホの身体を見比べるように見た。それから、最後に足を踏み入れたリイトに目をやると、苦笑した。


「リイト、おまえは姿がしっかりしてきたな。カシホと並んでも同じに見えるよ。なんだろうな、ここは。生きてる奴も死んだ奴も同じ姿になる場所なんだ」

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