〈道〉の果て (1)

 マオルーンの視線の先が、砂の上に落ちた。


「おまえがいっていた石は、あれか。ジェラの呪術師っていうのが地上したからジェルトを操ってたっていう――」


 砂上に這う細い蔓草の隙間に、黒い石が落ちていた。卵の形をした、子供が握れるくらいの小さな石だ。


「拾ってみろよ。ただし、気をつけろ」


「気をつけろ? どういう意味だ」


 マオルーンは怪訝そうに黒い眉をひそめて、右腕をゆっくりと砂地へ垂らした。指と指の先でそうっとつまむが、指先が触れるなり、電流でも流れたように身体をのけぞらせた。


「磁波の塊? なんだ、これは」


 つまみあげるなり放り捨てられたので、ふたたび黒い石は黄色い砂の上に落ちている。


「おれが知るかよ」


 ギズはそう答えつつ、マオルーンのそばで腰をかがめた。指先が砂の上にのびて、熱いものに触れるようにトン、トンと何度か指先で叩いてから、黒い石をつまみあげた。


「――平気なのか?」


「今はな。さっきは身体がバラバラになりかけた」


 ジェルトの手のひらから奪い取って、ジェルトの身体の中にいた男を追い払った時のことだ。その石に触れるなり、石に蓄えられていた稲妻のようなものが、肉や骨や神経や、あらゆるものを無視して身体の奥深いところまで到達して、役割を無効化するような。細胞よりも細かいものへ分解されていくような――「消える」と、ギズは思った。


 「自分」として集合していた磁波の塊が、「自分」として引き付けておく力を失って宙に離散し、その結果、存在しなくなるような。


 力強く、石をぎゅっと握りしめる。ビリっと感電するような感覚はあったが、ギズは石を握っていられた。


「おそらくだが、この石は触れた者の内部に入り込んで、細胞組織やら神経信号やらを混乱させてバラバラにさせる力があるんだよ。サスが作った機械は磁波を発生させて物質を集めたが、あれの逆に近いのかな。おれはおれ、石は石、と区別がついていれば触っていられる――あぁ、やっぱりそうだ」


 ギズを見つめるマオルーンの両目が、尊敬する相手を見るように変わった。


「おまえがその石をにぎっても平気でいられるのは、磁制本能の賜物ってわけか。おまえじゃないとできない大技なんだろう。なんていうか――おれがおれがっていうおまえの我儘も、ここまできたら勲章ものだなぁ」


「あのなあ。まったく嬉しくない褒め言葉だ」


 ギズは笑った。





 触り方を覚えたとはいえ、ずっと手にしていたいものではない。手にしている間ずっと極度に緊張する必要があるからだ。その石は、絶縁体の布に包んで衣嚢ポケットにしまうことにした。


 拠点の水辺へ戻りながら、ギズとマオルーンは肩を並べて話を続けた。


「それで、その石はなんなんだ。ジェルトを操るための道具、なのか?」


「さあ。知っていそうな奴に訊こうか」


「知っていそうな奴?」


 泉のほとりに広がる草むらはクロプの木に囲まれていて、幹の元には橙色の花を咲かせる小ぶりな百合が群れている。花に囲まれるように、カシホとリイトは二人で並んで腰を下ろしていた。


 二人は小声で話していた雰囲気だったが、ギズ達が戻っていくと話すのをやめて、揃って顔をあげた。


「よう、リイト。訊きたいことがあるんだが。この石のことなんだけど」


 衣嚢ポケットから、布に包んだままの石を取りだして見せると、リイトは見ただけで感電したかのようにぶるっと身を震わせた。


 ギズは笑った。心当たりが自分にもあった。


「おまえもこの石に触ったのか」


『はい。下の階で、ジェルトの中にいた人に握らされたので――運べって』


「運ぶ? どこへ」


『たしか――』


 リイトは白い顎を傾けて、記憶をたどるような仕草をした。


『塔の奥に〈母〉がいるから、その石を〈母〉のもとへ運べって言ってました。石を運ぶ人を探していたみたいです。大人よりも子供がいいそうで――。ジェルトの中にいた人が僕を見つけて、僕が、消えたい、死の国に行きたいって話したら、死後の世界――つまり、ガラの国は〈母〉のもとにあるから連れていってやるって、言っていました』


 そういえば――と、マオルーンが口を挟んだ。


「ドナルっていうジェラ出身の考古学者が、ジェラは孤塔を『死の国への道』と呼ぶと話していたな。ジェラを含めた砂漠の民から、水源を見守る神聖な場所として祀られているとか――。孤塔の磁嵐が発生すると川や湖の水かさが増す例は、塔師局でも確認されている」


『僕たちも、孤塔のことを「神の鳥〈ガラ〉の宿り木」って呼びますよね。神の鳥〈ガラ〉は、巨大な樹にとまっている姿でよく見かけますし……』


 ふうん――と、ギズは顎に指をかけた。


「ジェラはなにか願いを叶えたくて、ジェルトを使ってこの石を孤塔の上へ運ばせていたってことなのかな。ジェラが祈るのはどんな時だ? なにが目的なんだ」


『孤塔が力を得て水かさが増すなら、雨乞い、ですかね』 


「この石をジェルトに運ばせるために、族長の男が命を失っただろう? そこまでするくらいの目的なら、この孤塔を残すためじゃないのか。ジェラがこの孤塔を祀って、雨乞いを望んだとしても、破壊されてしまえば祈ることもできなくなる。破壊しにきた俺たちを阻止したかったのかな。〈母〉のもとに子供を送って?――俺たちを追い払えるように、力の素でも届けようとしたんだろうか」


 マオルーンは言い、ため息をついた。


「なあギズ。正義はどこにあるんだろう。ジェラにとってここは神殿で、水をもたらす重要な装置だ。俺たちにとっては、磁嵐を発生させる厄介な古代遺跡で、しかも――まあ、いろいろな謎が残ってる。俺たちはここを壊すべきなんだろうか」


「ジェラが雨乞いをするたびにこの孤塔が力を得て、磁嵐が発生して、その都度機械化された街に住むおれたちは、人が大勢死んだっていうニュースを見続けるわけだ。つまり、この孤塔を残すか壊すかっていうのは、昔ながらの暮らしを続ける連中と、機械化された街に住む連中との代理戦争じみたものになるってことなんだろうか?」


 ギズは真顔で言った後、肩をすくめて苦笑してみせた。


「とはいえ、訊く相手が間違ってるよ。おれは聖人でも政治家でもねえよ。正義はどこだと訊かれたところでおれには答えようがないし、これが正義だと誰かに教わったとしても、聞き入れるつもりもないな。庶民にあるのは個人的な欲だけだよ。明日も今日と同様か、それよりちょっとうまく暮らしたいっていう程度の、質素な欲だ。そして、おれは、ここを壊すためにここまで来て、仕事をしているわけだ。おれの答えはもう決まってるよ」


 「それに――」と、ギズはリイトとカシホの顔を見やった。リイトは真剣な面差しで虚空を見つめていて、カシホはぼんやりと暗い顔をしている。


 リイトの表情は、これまでのカシホの表情に似ていた。頑固者で、負けん気の強い、将来有望な優等生の真面目な顔だ。


(やっぱり。カシホはリイトの人生を背負ってたんだな……)


 ギズは思ったが、胸の内は明かさずに、二人へ尋ねた。


「磁嵐に人生を狂わされた奴が、ここに二人もいるんだ。リイト、カシホ。おまえたちはどうしたい? 大きな磁嵐をまた生んでしまうかもしれないこの塔の化け物を、ジェラのために残したいか、それとも、壊したいか?」


 一呼吸おいて、ギズは、水際に目をやった。小さな泉が湧いていて、水面がほとほとと揺れている。真下に水源がある証だった。


「――という問題がおれたちには残っているから、よく考えておけ。そのうち答えを出さなきゃいけない時がくるが、おそらく、そう遠くない」






 まずは泉の水質調査をと、済ませてみると、水の成分はこれまでと全く変わらなかった。


「やっぱりだ。水は地上にあるものと同じなんだ。どうなってるんだ。ここが天高い場所だとして、こんなところにまで水が湧き出ている理由はなんだ?」


「水なあ――磁嵐とも関わるんだよな。磁嵐が起きた後は地上の水かさが増える、か。でも、どうして、孤塔の中には潤沢に水があるんだろうな。泉に、川に、池に、湖に――森や砂漠がそう見えているだけの幻だってのは、なんとなくわかってきたが、水は本物なんだ。なぜ、孤塔の中にだけ水が溜まってる? 孤塔の下は砂漠で万年水不足なわけだが――」


 そこまで言ってギズは口を閉じ、相棒に目配せを送った。


「なあ、マオルーン。この孤塔が塔の形をしているのは、死んだ人の磁波を迷い込ませるため。なぜなら、磁波がこの孤塔の餌だからだ。おれたちは、力尽きて倒れた人の磁波が孤塔に食われているところも目撃した。――ここまで、おれたちの想像は合ってるよな」


「ああ、異論はない」


「じゃあ、ここはなんだ。生き物なら、水を飲むよな。だが、この孤塔には地上から頂上まで水の道ができていて、水を飲むというより、どちらかといえば、吸いあげている? つまり、生物の中でも、植物に近いんじゃないか。食虫植物みたいな――虫じゃなくて人の磁波を栄養分にする植物……そう考えたら、つじつまが合わないか?」


「植物? これが――」


 マオルーンはしばらく黙った。沈黙を続けた後で、くっくっと笑い始めた。


「ことが大きすぎて、頭が追い付かなくなった。俺にはわからんよ、ギズ。真偽のほどは学者連中に解き明かしてもらおう。――とりあえず、次の階への道を開けてみようか。ジェ・ラームの『ラーム』はジェラの古語で『道』だとか。道の果てを見にいこう、ギズ」

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