眠る娘 (3)

 + + +


 まずは休息。ということになった。


「この子はどうなる?」


 マオルーンが気にしたのは、泉のそばで昏々と眠り続ける少年、ジェルト。その少年は、寝返りを打つこともなく、脈もなく、身体のぬくもりもなかった。姿はあれど、その身を成すものが血の通った肉体ではなくて、磁波だからだ。


 ギズはしばらくジェルトの額の上に手をかざしていたが、ひっこめた。


「――わかんねえや。うんともすんとも、何も感じない。サスだっけ? 孤塔の中で暴れてた急性中毒患者みたいな、腫瘍めいたものになりそうな磁波溜まりはなさそうだが、こいつを地上したに連れ帰ったところで、目を覚ます確証もないしなぁ。旅がしばらく続くならここに置いていきたいが――なんだろうなぁ、こいつは。幸運な奴だよ」


 ギズが、顔を上げる。ギズの目の前には、緑地オアシスをつくりあげる豊かな池が広がっていた。そばには、その池をつくる泉もほとほととかすかな音を立てている。


「その旅の目的地、この階の水源は、ここ。なんと、目の前だ」


「ということは、すくなくとも次の階までは運んでやれそうだな。地上したに下ろすまで運んでやれるかどうかは次の階次第、となるか。しかし、ギズ――」


 マオルーンの声が消えゆく。マオルーンは、二人のそばでこんこんと湧き出る泉の水面に視線を落とし、じっと見つめた。


「これまでの経験上、次の階への入り口は、その階にある水源、つまり、ここだ。ここで道をひらけば階上うえに行けるはずだ。ただ、俺たちの経験では、孤塔を登るごとに、建っている場所の今の姿に近づいていくはずだ。この塔の麓は、いま砂漠になっている。そしてここ九階もすでに砂漠で、現在のジェ・ラーム砂海と同じ景観をしている。つまり、ここ九階が、俺たちが想像していたうちの最上階だった。しかし、また水源が現れ、道は続いている。――この先は、どうなっているんだろうな」


「何かがあるんだろう。ジェラの奴らも、子供の生霊を送りこんだり、その子供を案内するために族長がみずから自害したり、熱心に孤塔の上を目指してる。ジェルトは妙な石を握らされていたんだが、その石が、この子を操る鍵みたいだった。あれを調べてみようか――」


「ふうん。その石は?」


「置いてきた。どうせ戻らなきゃなんねえし」


「戻る?」


「いま、見にいこうか。あんたも一緒にきてくれ」





 二人で腰を上げ、泉のそばから離れることにしたが、カシホとリイトは拠点に置いていくことにした。


 マオルーンは、それを気にした。


「なあ、ギズ。二人きりにして平気か」


「連れていきたいが、ジェルトの番も必要だろ? 石を握ってなくても、また妙な奴が乗り移らないとも限らないし」


「そうじゃなくて――カシホがあの子に連れていかれないか? 触れてしまったら混ざってしまうんだろう? あの二人の関係はなんとなくわかったが、つまり、カシホが、たとえ自分が消えてなくなってしまっても一緒にいたい相手が、あいつなんだろう? ってことは、あの――」


 カシホが、携行品として帳面ノートを申請したことはマオルーンも知っている。カシホが毎日それを開いて眺めるくらい大事にしていることも、それが彼女のもの持ち物ではないことも。カシホが、レサルの磁嵐が原因で起きた列車事故で、友人を亡くした話も聞いていた。


「平気だろ。リイトが突っぱねるよ。今のところ、死人についていきたいのはカシホのほうだ。リイトなら、カシホを生かしておくように、どうにかするよ」


 ギズは笑って、ため息をついた。


「――酷だよなぁ。カシホもリイトも、ずっと互いを思ってきて、やっと再会できたってのに、抱き合うこともできないんだ。さっきの――触れ合うと混じり合うっていう状態に磁制本能が影響するのなら、あいつらが抱き合えるようになるのは、自分は自分であって他人とは混ざりようがないと心底認めた時、つまり、別れを覚悟した時だ」


 マオルーンも、うなずいた。


「たしかに」






 水際を歩きながら二人が向かった場所は、休息のための拠点にした泉のそばよりも緑が多かった。香料のもとになるクロプの木が茂っているせいで、つんと鋭い香りもあたりに充ちていた。


「石も気になるが、じっくり見たかったのがもうひとつあるんだ」


 ギズの足がまっすぐ向かったのは、水際からやや離れた場所に倒れた大樹のそば。人の腰掛に都合の良さそうな倒木で、干からびて削れた幹の表皮には、風に運ばれた砂が積もっている。


 用があったのは、その樹ではなく、そばに横たわる人骨だ。頭蓋骨は砂に洗われたように真っ白で、首や肩の骨は華奢で、骨格が描くいびつな曲線は、博物館に飾ってあれば芸術品のようにも見えるはずだ。屍とはいえ、美しい骨だった。


 白骨は、女物の外套ガウンと裾の長いスカートを身に着けていた。かなりの細身で、骨にも服にも風に運ばれた砂漠の黄砂が降り積もっている。生地そのものは赤系で、成人前の若い少女に似合いそうな可憐な色だった。


「マオルーン、そこを見てくれ。外套ガウンの胸もとだ。あれは、神の鳥〈ガラ〉の紋章じゃないか」


 上等の外套ガウンには、鳥を模した紋章が縫い付けられていた。天の楽園に住まうという神の鳥〈ガラ〉――その鳥の紋を身につけるのは、王家だけだ。


 孤塔に入る前に行われた開門の儀で、ギズもマオルーンも、その紋章を何度も見た。儀式を司ったのが、王国を統治するエクル王家の当主、つまり、女王だったからだ。その女が述べる許しの言葉をもって、孤塔へ入ることが許された。


 国内で確認されている孤塔は全部で五十五基あるが、そのすべてが王直属の組織、塔師局の管理下にある。孤塔を中心に、半径二キロルの範囲はすべて王領で、民家や耕作地をつくることも許されていなかった。


「神の鳥〈ガラ〉は女王陛下の紋で、勝手に身に着けたり、印刷したりすることは禁じられている。聖女の名を継ぐ女王家に憧れた庶民用の偽紋も巷にはあるが、おれは女王家にはちょっと詳しいんでね。間違えるはずはないんだ。これは、女王家の紋だ」


「待て、ギズ。――じゃあ、この子は誰だ」


 マオルーンが長身を屈めて、白骨のそばに膝をつく。頭蓋骨の小ささや背丈の低さ、肩幅や腰幅が華奢過ぎる屍をじっと眺めて、マオルーンはつぶやいた。


「若いな。十代半ば?――カシホより若いか」


「ああ。このジェ・ラームの孤塔は、エクル王国内にあるすべての孤塔の中でも、一番はじめに王領にされた孤塔だ。女王家の継承争いで始まった泥沼の争い〈赤戦争〉が終結した時、女王家の最後の生き残りの王女が身をひそめたのが、ここだからだ。バラバラに裂けていた王国を、新女王の即位というネタでひとまとめにすることで新政府が生まれたわけだが、当時の政府は、新生女王家に箔を付けようといろいろやった中で、マリーゴルド一世の命を救った場所として、ここを聖地扱いした。――が、その孤塔の上に、その紋がついた外套ガウンを着た人骨がある。じゃあ、これは誰だ?――いや、この塔を出た後で、マリーゴルド一世を名乗った奴は、誰だった?」


「ギズ。待て。それ以上言うな」


 マオルーンが顔をそむけた。


「孤塔に逃げこんだ時、王女殿下は、侍女と二人だったって話だ。言われてみれば、孤塔を出た後の侍女がその後どうなったかは話題にものぼらない。だが、おかしいよな。三代後になっても神聖視される新女王の救出劇なら、その王女を最後まで世話した侍女が勲章くらいもらっていてもいいし、死んだなら死んだで伝記くらい書かれてもいいんじゃないか。なのに、その侍女のことは一切話にのぼらない。もしかしたら、その侍女は孤塔から出ることができずに、まだ中にいるのかもしれない。つまり、ここに転がってる人骨がその侍女のものなのかもしれないし、それとも――」


「ギズ――」


「それとも、今ここで、おれたちの足元で骨になっているのが王女殿下で、マリーゴルド一世を名乗った女が、実は、王家とはなんの関係もない、侍女のほうだったのかもしれない」


「――どうしたいんだ、ギズ――。いや、どうすればいいんだ、俺たちは。地上したに戻ったら、ありのままを報告すればいいのか? 誰に……? 報告したところで、塔師局は女王家直属だ。握りつぶされるか、最悪、俺たちが妙なことになるかも――」


 マオルーンの顎が下がる。ギズの目はちらりとそれを見やった。


「マオルーン。あんただけを連れてきたのは、カシホにこれを見せたくなかったからだよ。秘密を抱えるのは、苦しいだろう」


「秘密?」


「これは、あんたとおれだけの秘密にしよう。おれたちは何も見なかった。――塔師局がここの調査を渋ってたのも、急に立ち入りを認めたと思ったら、調査が得意な奴ではなく破壊担当のおれたちが任命されたのも、ここを調べられたくなかったからじゃないのかな。新政府の生き残りの誰かは、今の女王の血が〈赤戦争〉の時に一度途切れたことを知ってるんだ。だから、証拠になり得るかもしれないこの孤塔を、余計なことを調べられないうちに消したいんだ――とか?」


 ギズは、目を細めて笑った。


「あんたは知ってるよな。おれの親が王家の離宮に仕える召使いで、威張り散らしてた王族のことを、おれが大嫌いだって」


「ああ」


「散々威張ってるくせに、実はその元祖が偽物だったなら、詐欺師同然だよ。あんな奴ら、没落しちまえばいい――と、子供の頃のおれなら思ってた。これが世間にバレたら、みんな騒ぐだろうな。証拠なんかなかろうが、噂の種をまくだけで十分だ。憶測が憶測を呼んで、女王家から権力を奪えと、また武力行使クーデターが起きるかもしれない」


「ああ――」


「でも、おれを救ってくれた女も、王族なんだ。あいつを、今の立場のままでいさせてやりたい。あいつがちょっとでも苦労するのを避けるためなら、おれはなんだろうが裏切るよ。だから、おれの心は決まってるんだ。これは、秘密にしておきたい」


 マオルーンを見下ろして、ギズは苦笑を浮かべた。


「あんたも、迷ってるならおれに付き合ってくれないか?」


 マオルーンの目が、ギズの視線から逃げるようにちらりと地面を向いた。


「秘密を抱えるのは苦しいっていうのは、そういうことか。――なら、どうして俺に見せたんだ。はじめからそのつもりなら、俺にも知らせなきゃ良かっただろう」


 「ごめん」と、ギズは謝った。


「言いたかったんだよ。あんたとは長い付き合いの相棒だから。あと――」


「秘密を抱えるのは苦しい、だよなぁ。おまえはそういう奴だよ。時々えらく繊細になって、急に弱るんだ」


 マオルーンの目が、上等の外套ガウンと裾の長いスカートを身にまとった人骨を見やった。それから、マオルーンは一度瞼をとじた。


「わかったよ。おまえとは長い付き合いだ。おまえと一緒に秘密を抱えてやる。――ギズ、おまえが塔師をやめるのは、彼女と結婚するためだったよな。ほかでもないおまえの結婚だよ。俺からの結婚祝いの目録に、いまのをつけておいてくれ」


 ギズは苦笑した。


「ありがとう。世話をかけっぱなしで、すまない」

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