眠る娘 (2)

 マオルーンは長銃を構えたまま、淡々と答えた。


「撃つ気はない。もしもの時のために、こうして構えているだけだ」


「もしもの時って、どんな時のことですか。銃をしまってください」


「カシホ、おまえ、いったいどうしたんだ。人が変わったみたいに――」


「しまってください。人に銃を向けるなんて、リイトに失礼じゃありませんか」


「そいつは人だが、磁波だ。生きてはいないんだ。孤塔の中で危険に出くわしたらこうしろと、教本に書いてなかったか?」


 マオルーンは折れなかったが、カシホも頑としてうなずかなかった。マオルーンと対峙して、リイトを自分の背に庇い続けた。


 二人の様子を、リイトはカシホの背中越しに見つめて、目をみひらいていた。カシホと触れ合った時に身体が崩れた理由を見つけた気がして、息をのんだ。


『ねえ。二人とも、身体が透けているよ。カシホもマオルーンさんも、自分じゃ気がついていないかもしれないけれど、二人の身体が、透けているよ』


 マオルーンの表情が怪訝に歪んで、自分の腕に視線を落とす。


 リイトは首を横に振った。


『服を着ている部分は目に見えるほど変わっていないので、指や首や顔や、素肌の部分を見てみてください。九階に着いてから、変な感じがしていたんだ。――きっと、孤塔の高度が上がったからだ。まわりにある磁波が強くなるたびに、あなた達の肉体が、磁波と同じになりかけているんです。肉体が魂と混じりつつあるというのか――身体を失った僕と同じ状態に、なりつつあるんです』


「リイト――」


 カシホも自分の手を見下ろしたけれど、その手は再びリイトに向いた。リイトは振り払うように大きく後ろに下がって、白い顎を横に振った。


『僕に近づいちゃ危ないよ、カシホ。前にも似たことが起きたんだ。ジェルトが僕に混じろうとした時、僕は「消える」って脅えたんだ。僕の塊がバラバラになって、意識が遠のいて、跡形もなく無くなっていく気分だった。今のきみが僕に触れたら、似たことが起きるかもしれない。僕たちは混じってしまって、混じった後に僕もきみも消えるかもしれないし、そうならなくても、カシホがちゃんとカシホに戻れるかどうかもわからない』


 カシホは笑っていた。


「いいよ」


『よくない』


「いいの」


『よくないよ。僕が嫌だ』


 リイトは、わずかに開けた唇の隙間から、震え声を絞り出した。


『僕は、カシホを僕から解放したい』


「解放?」


『だって、そうだろう。きみは、どうしてここに――孤塔にいるんだよ。きみは、僕のために塔師になろうとしてくれたの?』


「うん」


 カシホは苦笑して、すぐに「ううん」と首を横に振った。


「そうじゃないね。わたしのため。塔師の勉強をしていたら、リイトが近くにいる気がして、安心したから」


 カシホはまた、リイトに笑顔を向けた。日だまりが似合うふうに穏やかな笑顔で、リイトは目を細めた。むかしに戻った気がした。


 まだ、二人が同じ学校に通う同級生だった頃――。


 放課後、二人で森に入って、木漏れ日の中で山作業用の木卓テーブルを囲むのは、二人の日課のようなものだった。塔師になるんだと勉強に励んでいたリイトのそばで、カシホは学校の宿題や編み物の練習をして、時には二人でお茶を飲んで、焼き菓子を食べた。


 その時の、木漏れ日をまとった少女の笑顔が、リイトの目の奥に重なった。


 カシホは、リイトの記憶の奥の日だまりにあるのとまったく同じ優しい笑顔を浮かべて、リイトをじっと見つめていた。


「リイトが毎日書き込んでいたあの帳面ノート、今も持ってきているの。何度も読み返したから、リイトが書いた文字はわたしの頭の中にたくさん入っているんだよ。リイトがよく鉛筆でお喋りをしていた、神の鳥〈ガラ〉の紋がついたあの帳面ノートだよ。あの中身が――」


 幻を消そうと、リイトは目をつむった。その頃――まだリイトが生きていた頃のカシホは、教室でもあまり目立たない、大人しい少女だった。今のように、長銃や男がもつのと同じ背嚢リュックを背負ったりなどしそうにない、はにかみ屋の少女だった。


『カシホは、孤塔には興味がなかったじゃないか。いつも編物や縫物をしていて、お菓子やお茶に詳しくて――。きみは、男に混じって力仕事をしたり、人が初めて足を踏み入れる場所へ調査に行ったりしたがる子じゃなかった。――僕のことは、もういいから。カシホがしたいことをしてよ。カシホが行きたいところに行って、カシホが会いたい人と会って、カシホが好きなように生きてよ――』


 リイトは目を細めた。自分で自分の存在を消すつもりで、いった。


『僕のことは、忘れていいから。ちゃんと好きなことをして、結婚をして、お母さんになって、カシホの子供を愛してあげて。お願いだから――』


 カシホは苦笑したまま、首を横に振った。


「遠い未来すぎて、考えられないよ。わたし、リイトの夢を追いかけるのが好きだよ」


『僕はつらいよ。僕がいつまで経ってもカシホにくっついているごみくずな気がして――』


「リイトは、ごみくずなんかじゃ――」


 カシホは笑った。


 リイトは声を荒げて、大きく一歩後ろに下がった。


『僕は、ごみくずだ。死んだ奴なんか、生きてるカシホにとってはごみくずだ!』


「そんなことない、リイトは――」


 カシホは目を潤ませて追いかけようとしたけれど、リイトはカシホを見つめて、真顔で牽制した。


『僕に近づいちゃ駄目だ。僕から離れて、カシホ』


「どうしてそんなことを言うの――」


 カシホの白い頬にぽろぽろと涙の粒が落ちる。


 カシホの背後に、マオルーンが近づいていた。「やれやれ」とマオルーンはため息をついていて、カシホの肩を両手でおさえて、小声でいった。


「察してやれよ、カシホ。あいつは、おまえを守ろうとしてるんじゃないか」


「でも――」


「そうだ、カシホ。折れてやれよ」


 マオルーンのさらに背後から、長靴が砂を踏む足音が近づいてくる。


 いつのまにかここを離れていたらしいギズは、まずはマオルーンのそばに寄って、話しかけた。


地上したに連絡した。ジェルトは軍病院にいた。意識不明の昏睡状態だそうだ。別口だが、同じ頃に、近衛兵がジェラの集落に出向いたそうだ。妙な祭りの真っ最中だったらしい。孤塔に祈って、孤塔の力を強める儀式だそうだ。先に地上したに下りた考古学者が言ってた、呪術師ってやつかな」


「つまり、地上したからジェルトを操ってたってことか?」


「さあね。これからわかるんじゃねえか。ほかにも知りたいことは、ごまんとあるわけだが」


 マオルーンとやり取りを済ませると、ギズはカシホのそばを通り抜けて、リイトのもとへと進んでくる。


 ギズが近づいてくるのをリイトはじっと見つめていたが、ギズのほうも目を逸らさなかった。


 リイトのそばで足を止めて、ギズは手のひらをリイトの頭に載せた。


「見直したぞ、リイト。おまえはもっと弱い奴かと思ってた」


 リイトはそっぽを向いた。


『僕は弱い奴だよ。弱くて弱くてどうしようもない奴だよ。だから、ここにいるんだ』


「そんなことねえよ。おまえの望みだって、カシホと一緒にいることだろ? 死んでも欲しかったものが手に入るかもって時に蹴るなんて、大したもんだ。好きな女を守り通そうとする、強い奴だ」


 深くうつむくリイトの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた後で、ギズは、カシホを振り向いた。


「カシホ、諦めてやれよ。こいつを弱い男にさせるな。おれからも頼む」


 カシホの顔色が、蒼白になった。


 リイトから拒まれただけでなく、ギズとマオルーンの二人からも夢を絶つようにせがまれて、死んだはずのリイトよりも死人に見えるふうに、ぴくりとも動かなくなった。


 砂混じりの風に吹かれながら、カシホはまばたき一つせず、リイトの真顔を見つめていた。カシホはしばらく呆然として突っ立っていたが、しだいに目が、リイトの顔から頭の上に移っていく。そこには今も、ギズの手が乗っていた。


 しばらくして、カシホは小声でつぶやいた。


「どうして、リイトに触れるんですか」


 幽霊が遺すような、か細い恨み言に近い声だった。


「どうしてギズ教官は、リイトに触っても溶けないんですか」


 ギズは、苦笑した。


「おまえがへなちょこだからじゃないか?」


「わたしが?」


「おまえが、リイトと一緒にいたがってるからじゃないのか? 磁制本能っていうのは、意思の力で体内の磁波を制御する力だ。おまえがこいつと一緒にいたいって思うから、こいつと混ざろうとしちまうんじゃないのか。つまり――」


 ギズは肩をすくめるような仕草をした。手はまだ、リイトの頭の上にある。弟か後輩にちょっかいでも出すように、ギズの手はリイトの髪をぐしゃぐしゃと掻き交ぜていた。


「こういうことだよ。わかるよな?」

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