眠る娘 (1)

 九階の砂漠で、ころんとした緑の屋根をつくる緑地オアシスは、クロク・トウンの中心に位置する「楽園池」と風景が似ていた。水際にはクロプの木が並び、細い幹から伸びる細い枝に針状の葉が青々と茂っている。


 香料のもとになる木だが、九階に群れるクロプの木々は収穫されることもなく、自然のままに繁茂していて、地上との違いといえば、それくらいだった。


 クロプの群生地を抜けたところに、泉が湧いていた。


「今日はここで休めるかな。荷解きをしよう。地上したに連絡して、ジェルトの行方について訊いてみるべきかな――」


 ジェルトは目を覚まさなかった。抱き上げて運んできたが、泉の近くの草の上に少年の身体を下ろして、ギズは、後ろにいた相棒、マオルーンに笑いかけた。マオルーンが、二人分の背嚢リュックをかついでいたからだ。


「おれのぶんまで運ばせて悪かった。もらうよ……」


「それどころじゃないだろう。話をしろ。ジェルト? この子はなぜここにいるんだ。なにが起きた? カシホと一緒にいるあいつはなんだ? あいつは姿がすこしおかしくないか。時たま向こう側が透けて見える――あいつは磁波なのか?」


「だよなあ。――悪かった、話すよ」


 泉の前で立ち止まったギズとマオルーンの背後には、カシホとリイトがついていた。


 「まずは休める場所を探そう」とギズが移動をもちかけた後、二人はギズ達の後をついてきていたが、進んでいるのかそうでないのかというゆっくりした歩みで、二人の姿はまだかなり後ろにある。どちらの顔も深くうつむいていて、表情も冴えない。そのうち歩みを止めて、話でも始めそうだった。――そうするべきだと、ギズは二人から目を逸らした。


 その場で腰を下ろして、水袋を口につける。喉を潤してから、話し始めた。


「あいつはリイトといって、いってしまえば、カシホにくっついてる悪霊だ。たぶんあいつは、カシホを連れていきたいんだと思う」


「カシホを連れてって――どこへ……」


「知らねえよ。死人が行く場所じゃねえのか。とにかく、あいつは事故で死んでるが、この世に残っている。不完全な死に方をしちまったんだと」


「それって――」


 ギズの隣にマオルーンも腰を下ろしていたが、黒眉がひそまる。


「つまり、あの子はカシホを道連れにしようとしてるってことか。そのためにカシホにくっついて、ここにいるのか」


「――リイトのために付け加えておくと、あいつ本人は違うと言ってるよ。でも、身体を失ってまで生にしがみつく理由を、おれは他に思いつかねえよ。それに、あいつはだんだん姿を変えてるんだ。おれがあいつの存在にはじめに気づいた時、あいつは肉眼じゃ見えなかった。それがだんだん姿を得て、色濃くなって、髪まで抜けた。見た目だけは、ほぼ実体だ。しかも、初めはあと三歳くらいは若かったが、この数日でカシホの年まで成長した。肉体じゃなく磁波の塊だっていうのに、完全に制御して、自分の姿を思いどおりに変えてるんだよ。つまり、カシホと一緒にいたいんだろう。それに――」


 ギズはため息をついた。


 ――そうさせてるのは、あいつの磁制本能がとんでもないからだ。

 ――おれと同じだ。

 ――つまり……塔師って呼ばれる連中が死んだ後の宿命が、あいつかもしれないんだ。


 自分も、命が果てたらリイトのようになるかもしれない。自分だけでなく、塔師として、磁制本能を刺激する暮らしを続けているマオルーンにも、カシホにも、他の連中にも起こり得ることだ。


(いま、いうべきことじゃない)


 ギズは迷ったが、口をつぐんだ。塔師局の注意事項に加えるべき項目かもしれないが、いまここで口にして、マオルーンに不安を与える必要はないと思った。


「つまり、だ。あんたも、あの二人から目を離さないでやってくれ。カシホがリイトに連れていかれるかもしれない。頼んだ」



 + + +



 砂についたギズとマオルーンの足跡を追って、リイトとカシホは肩を並べて、とぼとぼ歩いていた。


 再会したばかりの時こそ、カシホは目に涙を浮かべたが、いつのまにか涙は消えて、かわりに、カシホの頬はまるくあがって、太陽の日差しの色に近い色の巻き毛に飾られた小さな顔には、少女らしいふんわりした笑みが浮かんだ。


 遠くからでも、カシホの笑顔を見るのがリイトは好きだった。でも今は、笑顔を見るのがかえって怖くなって、見下ろした。


『ねえ、カシホ――僕が見えるの?』


 カシホは笑って、顎を傾けて目を合わせた。少女らしい高い声で返事をした。


「うん、見えるよ」


『その――いつから見えていたの』


「七階くらいかな。ううん、孤塔に登る前からかもしれないね」


『孤塔に登る前?』


 リイトは眉をひそめた。


 リイトの怪訝顔とは裏腹に、カシホの笑顔はますますやわらかく溶けていく。緑地オアシスに降り注ぐ夕暮れの陽光に似合うのどかな笑みを浮かべて、カシホは言った。


「はじめてこの孤塔に来た時――孤塔の中で行方不明になったジェルトを探しに来た時にね、きらきらしているものを感じて振り返ったら、リイトがいる気がしたの。その時は今みたいに、リイトの姿は見えなかったけれど、『あっ、リイトがいる』って思ったよ。姿が見えたと思うようになったのは、八階くらいからかな。でも、孤塔に登ったら、死んだ人や、気になっている人の幻をよく見るって話をマオルーン教官から聞いていたから、ずっと見間違いだと思っていたの。わたしがリイトのことばかり考えているから、幻を見るのかなあって。だってわたし、ずっとリイトのことばかり考えていたから。リイトだったらどうするかなあとか、眠っている時も、毎日リイトが夢に出てきたよ」


 リイトの顔を見上げるカシホの目が潤んでいく。足も、いつのまにか止まっていた。


「会えて、よかった。会いたかった」


 うっ、えっと唇から嗚咽が漏れて、カシホの笑顔が歪む。カシホは泣きじゃくった。


『カシホ――』


 リイトの目尻にも涙が浮かんだ。涙ぐんだ目と目が合って、そうするしかないというふうに二人の手が浮いた。お互いの背中に腕を回そうと指が浮いて、身体が近づき合った。


 カシホの指先が、リイトの胴に触れた瞬間だ。リイトの胴から磁波の霧が吹きあがる。カシホの指が触れたところだけ、リイトの身体を包む白の襯衣シャツだった部分が煙に代わり、宙に噴き出した。異変が起きたのは、リイトの身体だけではなかった。リイトに触れたところだけ、カシホの指先の周りにも霧がにじんだ。カシホの身体から溶け出すように、極光オーロラをまとうような霧が宙になびいた。


 リイトは青ざめて、後ずさった。


『僕に触っちゃ駄目だ、カシホ。こっちに来ないで』


 カシホは涙ぐんだまま笑って、さらに手を伸ばした。


「どうして?」


 リイトが後ろに下がっても、下がった分だけカシホが進み出て、リイトの身体を抱きしめようと指が伸びる。リイトの胴に白い指先が触れるたびに、二人の身体の触れ合った部分が霧になって、苔が胞子を宙に散らすように、蛋白石オパールが溶けたような煌めく白い霧が、砂上の熱風になびいた。


『きみの身体が溶けてる。僕に触れちゃいけないんだ。どうしてかわからないけど、カシホの磁波と僕の磁波が反応して混じろうとしてる。カシホが削れてしまう。触らないで――』


「いいよ。べつに」


 カシホは笑って、さらに両腕を広げた。リイトは懸命に後ずさった。


『僕に触れちゃ駄目だ、お願い――』


 その時、カシホもそれ以上リイトに近づくのをやめていた。


 カシホは背後を振り返って、リイトを守る壁になるように立ちはだかった。


 泉のそばにいたマオルーンが二人のほうを向いて、長銃を構えていたからだ。


 銃口を見つめて、カシホはマオルーンを睨んだ。マオルーンが構える長銃は、リイトに狙いを定めていた。


「マオルーン教官、やめてください」

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