九階の砂漠 (4)

「やめてくれ、やめろ」


 ジェルトの悲鳴が泣きわめくように変わる。その手に握られた黒い石にもう一度触れると、滑らかな石に触れた指先から真っ二つになるような感覚があった。指先の芯に沿って身体の中に入り込んでくる磁波が、肉体を形作る肉や、骨や、神経や、あらゆるものを無視して奥深いところまで到達して、役割を無効化され、細胞よりも細かいものへバラバラにされるような。


 そうか、「消える」というのはこういうことか。――と、稲妻の海の底で静かに瞑想するように、ギズは思った。

 「自分」として集合していた磁波の塊が目的を失って宙に離散し、その結果、自分が存在しなくなることなのか、と。


 ギズとして「思った」次の瞬間。石を掴んだ。指先で触れた時にも稲妻に襲われるようだったが、手のひらで掴むと、爆発を続ける雷を素手で握りしめるようだ。刃のように弾ける磁波はさらに勢いよく体内に突き刺さり、何者にも触れられるはずのない肉体の奥や、精神の奥までがズタズタに切り裂かれる。


 いま、その石は自分に作用している。


 よし、こっちだ。もっと来い――と、体内の混乱をよそに、ギズはほくそ笑んだ。


 「あっ――」と、「グル」の声が途切れる。声を最後に、ふらりと倒れていった。


 ギズは内心、ほっと息を吐いた。思った通りのことが起きたからだ。


 「グル」が抜け出したなら、そこにいる少年はジェルトそのものに戻るはずだ。


 でも、握りしめた石が、気を遠のかせる。頭か身体か――それがどこなのか判別もつかない深部で、鋭く尖った光の刃が交錯し合って切りつけ合っている。自分というものを形作るあらゆるものをことごとく壊し尽くす雷が暴れ回っているようだ。


 おれは誰だっけ。

 いま何をしてるんだっけ。

 身体って、なんだっけ。

 今まで何をしていた?


 自分の中に繋ぎとめていた記憶や意志や、さまざまなものの縄が節操なく切られていき、帰りどころを見失う。けれど、もう一度石を握りしめた。


 これが磁波なら、制御できる。

 自分には磁制本能があるのだから。

 これは石で、自分ではないもの。

 自分は自分。

 石の磁波と、自分を区別しろ。惑わされるな。

 おれは、おれだ――。


 いつのまにか、呼吸が深くなっていた。脳に損傷ダメージを与えて混乱を煽るようだった石の力も、少し遠いものに感じて始めた。


 もう一度長い息を吐いて、目をあけていく。


 目の前には、手のひらがある。そこには黒い色をした石がぽつんと乗っていた。手の上に石がある。石を見ている――と、今起きていることも思い出した。一瞬のうちに出掛けたはるか彼方への旅から、一瞬のうちに帰還した気分だった。


(なんだ、この石)


 分かったのは、この石には、触れた者の内部に入り込んで暴れて、混乱させる力があるらしいということだ。いわば、小型の孤塔? 奇妙な石だった。


 いつのまにかギズはうずくまっていて、足もとに、奇妙なものが転がっている。頭だけになったリイトの顔だった。


『ギズさん、大丈夫?』


 地べたに転がったまま、リイトは蜂蜜色の眉をひそめて見上げてくる。しかし、生首のような状態のリイトから気遣われても、ありがたみを感じないものだ。


 「おまえが言うなよ」という言葉が先に浮かんだ。


「首をくっつけろよ。できるんだろ? 本当に首が飛んだみたいで、見ていていい気がしねえんだよ」


『ギズさんがやったんだよ!』


 「ギズさんが言わないでよ」と、リイトも文句で返した。





 粉々に散らばった身体の破片を拾い集めるように、リイトはもとの姿を取り戻していった。


 前に銃弾を撃ち込んだ時に分かっていたことだが、リイトは、磁力を帯びた弾を撃ち込まれても、少し姿が崩れるだけで消えることはない。バラバラになって消えかけても、いつのまにか勝手に修復して、次に見る時にはけろっとしている。さっき銃口を向けた時も「おまえは撃っても元通りになるんだから」と「ちょっと我慢しろよ」と目で伝えて、リイトも渋々――と、引き金を引く前には互いに理解し合った――そのはずだが、リイトは今になってぶつぶつ言った。


『さっきのギズさん、一切遠慮しませんでしたよね――。前にも言ったんですが、散らばっても元に戻れるだけで、撃たれると痛いし、苦しいんですよ?』


 その痛さや苦しさは、ついさっきギズも味わったところだ。とはいえ、同情する気は起きなかった。


「おまえのためにやってやったんだよ。苦しくても戻れるんだろ? おかげで妙な奴らを追っ払えたよ」


『あのですね、戻れるけど……苦しいんですよ?』


 首から千切れた頭部が身体に戻っていき、銃弾を浴びた時に散らばった磁波の欠片も、磁石に引き寄せられるように集まって、リイトの内側へと戻っていく。


 散々に散らかった極小サイズの部品を、魔法の力で宙を飛ばして正しい場所へと片付けていく見世物ショーを見た気分で、ギズは「見事なもんだなぁ」と褒めた。


「便利だな、それ」


『――だから、痛いんですよ?』


 リイトはねちっこく愚痴を言ったが。


 出会った時は空気にほんのり色がついた程度だったが、会うたびにリイトの姿は色濃くはっきりしていって、今では生身のようにも見えた。そばに並んで近くで見ても、生きている人間と遜色のない姿になっていた。


 変わったのは質感だけではなかった。リイトは、初めて会った数日前よりも大きくなっている。年でいうと十八歳程度――彼が想いを寄せる少女と同じ年齢に見える。


「しかし、おまえ、だんだん自分に都合のいい姿になっていくよな」


 亡霊としか呼べなかったはじめの頃と比べると、今の彼は生身に近く、そのうえ、三年前に命を失ったことが嘘のように、成長した姿を見せている。


(あれ?)


 その瞬間、何かが閃いた。とても大きな事実に気づいてしまった、そんな気分だ。


 抗いようがなく、恐ろしくて、自分やマオルーン、カシホ、そして、大勢の仲間にも関わってくる何か――。


(そうか。リイトは――)


 気付いた気がするものの、まだ、言葉にはうまくまとまらなかった。けれど、先に恐怖や戸惑いが湧いて、不安に駆られてとまらなくなる。片鱗を見た程度の大きな事実が、そういう部類のもの――恐怖や不安、戸惑いを与えるもの――とだけは、頭や理性とは別の部分で、予測がついた。


(そうか――。こいつは、おれと、同じなんだ。こいつがこうなってる原因は……こいつが、死んだ後も消えることができず、散らばっても元に戻ってしまうのは、こいつが塔師になれる奴だったから――つまり、自分の磁波を完全に制御できるから――つまり……)


 恐怖や戸惑いが、少しずつ輪郭を得はじめる。でも、まとまりきらない。


(まだわからない。――考えるのは後でいい)


 逃げるようにリイトから目を背けると、もう一つ、ギズの目に飛び込んでくるものがある。


 湖の水辺に近い、緑に覆われた場所だった。人の腰掛に都合の良さそうな倒木がある。


 幹の表皮は削れ、風に運ばれた砂が積もり、隙間から草が生えている。その樹がその場所に倒れてからの時間の経過を示すようだった。


 目を奪われたのは樹ではなく、その下。その、座り心地が良さそうな樹のそばに、景色になじまないものがあった。白骨だ。天然石にしては美しすぎる曲線を描いて横たわる白い頭骨と、首や肩の華奢な骨、その下に、女物の外套ガウンと、裾の長いスカート。服はかなり細身で、丈も相応に短い。骨にも服にも、風に運ばれた砂漠の砂が降り積もって黄色っぽく見えているが、生地そのものは赤系で、成人前の少女に似合いそうな可憐な色だった。


 白骨になった少女が身にまとっていた上等の外套ガウンには、鳥を模した紋章が縫い付けられていた。天の楽園に住まうという神の鳥〈ガラ〉――その鳥の紋を身につけるのは、王家だけだ。


「えっ?」


 思わず、声が漏れた。うしろからやって来た相棒に呼ばれたのは、その時だった。


「ギズ、なにやってんだ」


 マオルーンだ。振り返ると、緑地オアシスの木々をかき分けながらやってくる二人組がいる。マオルーンとカシホ――マオルーンは、普段の二倍の荷物を背負っている。額に汗粒を浮かせて、不機嫌に顔をしかめている。


「マオルーン――とんでもないものを見つけたんだ。あれは……」



 そこにある白骨死体は本物か?

 この孤塔がつくりあげた幻――にしちゃ、ちょっとおかしいよな。

 もしも本物なら、あの紋は神の鳥〈ガラ〉だろうか。

 ってことは――どうなる?

 この死体は誰のものだ……?



 そう、問いかけようとした。しかし、マオルーンの目はその死体を見ようとしない。別のもの――ギズのそばにあるものを、じっと見つめた。


「とんでもないものってなんだ。その子供達か?」


「子供達?」


 違う。子供の話なんかしていない――そう言いかけて、息を飲む。ギズのそばには子供……リイトがいた。うしろには、土の上にぐったりと倒れたジェルトもいる。


 リイトの目が緊張で強張っていた。両目は見開かれて、マオルーンの隣にいる少女を見つめて、蜂蜜色の瞳を震わせている。


 マオルーンのそばにいる少女も、同じように目を見開いてリイトを見つめていた。リイトと同じ色の眉も、瞳も震えて潤み、またたくまに涙が溢れていった


「マオルーン教官、マオルーン教官」


 カシホの声が震えた。


「わたし、幻を見ていますか。そこに、人が見えるんです。マオルーン教官の目にも見えますか。ギズ教官のそばにいる、男の子です」


 ほろん――と、目にいっぱいにたまった涙が、白い頬にこぼれ落ちる。


 リイトの声も震えた。


『カシホ……ごめん……違う、ごめん……』


 そばに居るギズには言葉が聞き取れたが、他には聞こえようのない、かすかな涙声だった。


 ギズは、うつむいた。ため息をつき、膝を立てて、立ち上がった。


「話そう。リイト、おまえも来い」


「リイト?」


 カシホが大声を出す。人が変わったような、素っ頓狂な声だった。


「リイト? 本当にリイト?」


 機関銃のような早口で問い詰めるのも、気が触れたように食いついてくるのも、普段のカシホらしくない。


 隣にいるリイトのほうも、突然亡霊に戻ったかのように気配を変えた。


 カシホから目を逸らせずにいるものの、一言すら声を出さず、この世の終わりのような青い顔をして、ギズとはじめに会った時のように、彼がここに存在することすら自責するようだった。


 マオルーンが、カシホとギズ、それから、リイトを順々に見やり、黒眉をひそめる。


「ギズ、そいつはなんだ。うしろで倒れてるのは『ジェルト』か? そいつは? カシホの知り合いか」


「話すよ。――リイト、ほら、立て。来るんだ」


 リイトの腕を引っ張りあげて、立たせる。でも、腕は骨が消えたかのようにぐにゃぐにゃだ。力の入れ方を忘れたかのように、動かなくなった。


「しっかりしろ。カシホに話せ。二人で――」


「ギズ教官、本当にリイトなんですか。ギズ教官がどうしてリイトといるんですか。どうしてリイトを知ってるんですか」


 カシホの泣き顔が、ギズを責めるように変わった。思いつめたふうにうつむくリイトの背中を支えてやりながら、ため息をついた。


「おまえが直接聞けよ。こいつのことならおまえのほうが詳しいんだろう? おまえが知っていて、おれが知らないことのほうが多いよ。――大丈夫だ、リイト。おれに話したことをそのままカシホに話せ。――大丈夫だ。あのままでいい……」

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