〈道〉の果て (4)

 時おり混じる雑音ノイズに耳を澄ますうちに、人が大勢集まる気配が漂い始める。けっして唇をひらくまいとばかりの厳かな静寂の中で、話を始めたのは、ゆったりと喋る女だった。


『ごきげんよう。マリーゴルド三世です。皆が無事と聞き、心安らかにしています』


 静かでありながら品の良い活舌を感じられて、大勢の前で話すのに慣れているふうだった。


 挨拶を終えると、「堅苦しい前置きはこれくらいにして――」と、音響器スピーカーから聞こえてくる声はくつろいだ気配を帯びた。


「さて、ギズ・デンバー。ここへ来るまでの間に報告を聞きましたので、状況は理解しているつもりです。孤塔を崩す方法を見つけたとか。しかし、孤塔を破壊すれば、大きな磁嵐を生むかもしれない、と。しかしそれは、エクルにとって避けることができない賭けとなるだろう――なるほど、そなたは勇敢です。今しかないと、そういうことですね。そなたが塔師をやめる今こそが絶好の機会だと』


 ふふっと、女王の声に重い笑みが混じる。


『そなたの覚悟と理解しました。ギズ、そなたは、私が頼んだ通りに塔師をやめてくれるのですね』


 カシホは「えっ」とギズのほうを向いた。カシホの隣で、リイトもギズを向いて目をまるくしていた。


 ギズは、目を伏せたまま話を続けた。


「そうです。今回がおれの、塔師としての最後の任務になります」


『善きこと。塔師局から近衛兵団に籍を移す、それで良いですね』


「はい」


『コーラルを妻にするため、近衛士となって爵位を得る。その覚悟ですね』


「はい」


 ギズは淡々と答えた。通信機から聞こえる女王の声は満足げに笑った。


『そなたという男が、王族に混じるために人生の岐路に立った――。私がそなたと会ってからもう二十年近くも経ちましょうか。長かったわね、ギズ。よくぞ決断しました。私の従弟として王族に交じってくれると、そう言ってくれるのですね。そなたへの敬意と、祝福として、望みを聞き入れましょう。すぐさまクロク・トウンに通じるすべての電網を止め、街を眠らせよと命じましょう。二時間の待機後に、思う通りに孤塔を破壊しなさい。こたびの名誉が、そなたを失う塔師局にそなたが遺す、最後の証になるでしょう』


 ギズは目を伏せたまま静かに答えた。


「はい――」


 通信機でのやり取りが済むと、手狭な塔室に静寂が戻る。


 どく、どくという鈍い振動音が響く中、カシホとリイトは鳩が豆鉄砲を食ったように目をまるくして、ギズを見つめていた。

 

 ギズは、噴き出した。


「おんなじ顔して――あれ? おれ、今回で塔師をやめるって前に言わなかったっけ」


「聞いていませんよ」


 ギズは、しらばっくれた。


「そうだっけ」


「マオルーン教官は、知っていたんですね」


 カシホがたずねると、「まあな」と、マオルーンは目を細めた。


「ギズの未来の嫁さんは、女王の従妹なんだ。それで、まあいろいろあって揉めていたんだが、最近になって嫁さんの家が折れた。ただし、二人の結婚を許す条件は、ギズが塔師を辞めて近衛兵団に入ることだった。残念ながら、塔師は最高位に就いても平民のままだが、近衛兵団ならある程度位が上がれば領地と爵位が得られる。塔師として名声を得ているギズなら、そう遠い先の話じゃない。ギズは、条件を飲むことにしたんだよ」


「人のことをべらべらと喋るんじゃねえよ」


 ギズは背中を丸めて腿の上に頬杖をつき、ぼそりと言った。


「わかってるよ、おれは近衛兵団なんて、でかくて品のいい集団に入るのは向いてねえんだ。でも、あいつはおれのために家を出て、塔師局までおれを追いかけてきたんだ。次はおれが、いや――もう、よくわからねえ。自分が望む最高の人生って、そうそうねえもんだよなあ――おれは、あいつが笑えればそれでいいんだ」


 ギズはそう言って、話を終わらせた。


 次に言葉を発したのは、リイトだった。


『孤塔の破壊は二時間後か。そこで、僕はお別れだね』


「リイト――」


 はっとして顔を上げたカシホに、リイトは苦笑して、でも力強く言った。


『みんながここから脱出するのも、その時でしょう? 磁嵐の発生まで覚悟していたんだもん。なら、僕がギズさんたちと――カシホといられるのも、その時までだ』






 言葉少なに時を過ごしているうちに、リイトはある時、カシホの手首を覗き込んだ。そこには磁力計を兼ねた腕時計がついていた。


『十一時半か。お別れまで、あと三十分くらいだね』


 カシホとリイトは隣り合って座って膝をかかえていて、カシホはしばらく両膝のあいだに顔をうずめていたけれど、聞くなりカシホは、勢いよく顔を上げた。


 かえってリイトは、幼顔に大人びた笑みを浮かべた。


『僕は幸せだ。カシホのそばにいられて、話もできた。幸せだった』


「わたしはずっと、リイトに会いたかった」


『そう言ってもらえて、幸せだった』


「せっかく会えたんだよ。もうお別れなんて嫌だ」


『生きていて良かっ――ううん、もう死んでるんだけど。完全に死ねなくて良かった』


 寄り添ったまま、時が流れた。リイトは何度かカシホを抱きしめようと腕をのばしたけれど、触れそうになるたびにカシホの身体から磁波が霧の柱のように吹きあがる。ギズの予想が正しければ、カシホが、心のどこかではリイトと混じりたがっているからだ。


 リイトは手のひらをひっこめて、泣き笑いをするような苦笑を浮かべて「ありがとう」と言った。そのたびに、カシホはもっと泣いた。


「わたしはリイトと一緒にいたいの。あなたが死んでいても構わないの。そのために憲兵学校にいって、塔師を志して、今もここにいるの。全部、リイトのそばに行きたかったからなの」


 しゃくりあげながらカシホは言って、リイトに手を伸ばしたけれど、触れ合いかけるたびにカシホの指先は形を崩して、磁波の霧が吹きあがる。リイトは離れた。


『だめだよ。僕は死んでいて、カシホは生きてるんだ』


「生きてたって、死んでいたって、いいじゃない。何が違うの? わたしとリイトを隔てるものは何なの? いまだって、ここに二人で並んでいるじゃない。わたしの身体だって透けてきていて、似たような姿になっているのに」


 リイトは首を横に振った。


『違いか、なんだろう――。僕にあるのは過去だけで未来がないこと、カシホには過去も未来もあるっていうことかな――うん、そうかも。僕は今のカシホだけじゃなくて、未来のカシホにも幸せになってほしいんだ』


「リイトがそばにいる今が幸せだよ。これ以上の幸せなんか、これからも来ないよ。考える気も起きない。未来なんかいらない」

  

『大丈夫、カシホにはこれからもたくさんの幸せが待ってる。今は思いつかないような幸せだよ。――せめて、大丈夫だよって、きみの肩や背中を撫でてあげられればいいのに』


 『ううん――』と、リイトは言い直した。


『ふしぎだね、きみともう一度話せて、こんなにいいことが起きるなんて信じられないって思っていたけれど、きみのそばにいると、どんどん欲深くなっていく。――僕は、もう望まない。僕じゃ、これ以上カシホを幸せにできないから』


 リイトは何度も忙しなくカシホの腕時計を覗き込んだ。ある時、ふうと長い息をした。


『時間だね』


 リイトは片膝を立てて、立ち上がった。


『ありがとう、ギズさん、マオルーンさん』


 リイトがまず探したのは、二人の塔師だった。


 カシホとリイトの邪魔をすまいと、二人は狭い塔室の端にいて、気配すら消すようにじっと見守っていた――それに、リイトは気づいていた。


 年上の二人へ恩を返すように、リイトはてきぱきと話した。


『作戦は決まりましたか? この中の誰かが壁からあの石を抜いて、その後何も起こらなければ様子見したのちに脱出、何かが起きれば即座に脱出――これで合ってますか? 石を抜く役なら、僕がしますよ。あなた達は脱出の準備をすればいい』


「嫌だ、リイト――」


 カシホがすすり泣いて、リイトの膝に取り付いた。カシホの手から磁波の霧が漏れるけれど、宙に噴き出た後はゆるりと弧を描き、カシホの身体に戻っていった。リイトの身体が硬いもので覆われたふうで、誰かが侵入を試みようが拒むほどに、リイトの姿はしっかり輪郭を保っていた。


『あっ――そうか、僕の意思がまだ弱かったんだね』


 リイトは笑って、カシホの両肩に丁寧に手のひらを置いた。リイトの手のひらが触れたところはどこからでも霧が噴き上がったけれど、ふわりと宙で雲を作った後でカシホの身体に戻っていく。二人はもう、混じらなかった。


『ほら、もう大丈夫だ。きっと。――お願い、抱きしめさせて』


 リイトは腰をおろして、カシホの背中に手を回した。カシホの姿の内側で対流が起きるように揺れたものの、リイトのほうは、輪郭がぴくりとも揺らがなかった。


 カシホが泣きじゃくった。慟哭と呼べるほど泣いた。


「いやだ。一緒にいたいの。わたしもここに残る、お願い」


『ううん。カシホは地上に戻るんだ。――でも、考えたんだけど、最悪の場合は一緒にいちゃうかもしれないよ。この孤塔が崩れるくらいの衝撃が起きれば、さすがに僕は消えると思うんだけど、絶対にとは言い切れないんだよね。そうしたら、またカシホにくっついてしまうかもしれない。その時は諦めて、一生僕といてくれる?』


 リイトは冗談をもちかける風に笑った後で、力強く言った。


『きみは孤塔を降りるんだ。一人でちゃんと生きるんだ』






 壁から石をどう抜くか、どこからどうやって脱出するか。これから起きることを丹念に打ち合わせた後で、リイトは真上を仰いで、蜂蜜色の眉をひそめた。


『ねえ、ギズさん。さっきギズさん達も言っていたけど、上に何かがあるね。なんだろう……』


 天井部分は、壁と同じ桃色や褐色の湿り気を帯びたもので出来ていて、筋状のものが組み合わさっている。筋の一本一本が膨らんだりしぼんだりを繰り返して、どくどくと波打っていた。


「塔の上だから屋根か、屋根飾りかねえ。神の鳥〈ガラ〉でもいるかな」


『そうかもね。孤塔は「ガラの宿り樹」って呼ばれてるよね』


「ああ、これ以上の調査は、今回はいい。おれ達が持って帰る土産は、孤塔は崩せるのか、崩せないのか。その問いの答えだけで十分だ。それ以上は持ちきれねえや」


 背嚢リュックを背負い、身支度を整えながら、マオルーンも真上を見上げた。


「内臓の中にいるみたいだな。どうして石があるこの部屋だけこうなんだろうな。他の部屋は草原だったり砂漠だったりで広かったのに」


「こっちが本物で、下の階がまやかしなんだよ。そもそも、どうしてこの孤塔が塔の形をする必要があったのかすら、想像の域を出ないんだ。上へ上へと続くような形をして、どこにも行けない螺旋階段があって――わかったのは、高さと低さの法則があることと、砂が関係していることと、水が真下からここまで吸いあげられてるってことと、死んだ人間、つまり、磁波の塊を呼び込んで餌にしているってこと――この景観も、食らった人間の記憶を頼りにつくってでもいるのかな。――ん?」


 ふと、ギズは顔を上げた。


 壁や天井の気配が変わりはじめていた。壁の端に色味が真っ赤な部分の染みが現れ始めた。じわじわと確実に、染みは広がっている。どく、どくと震えていた速さも、心なしか速くなった。


「うねりの種類が変わってきた。危険を察知したのかな」


「進化、と呼んでいいのかな、ギズ」


 そう言って、マオルーンは物語を話すような口ぶりで言った。


「覚えてるか。ジェラの神話では、ジェ・ラーム砂海の水源を司るのはこの孤塔だ。大昔、ここら一帯には豊かな森が広がっていたが、孤塔が水を吸い上げて砂漠にしてしまったとか。どうやらそれは、正しそうだ」


 マオルーンは苦笑した。


「ただし、俺たちの勘が正しければ、この孤塔は生き物だ。食虫植物みたいな――人間の霊魂を食らうんだから、植物かな。餌を深部まで呼びこむために進化を続けてくるほど賢い奴だ。いまも、俺たちに中枢まで入り込まれたのに気づいて、追い出す方法を編み出したかな」


「追い出す方法っていうよりも、餌にする方法を、じゃないか? 部屋が狭くなってきている。磁波で潰そうとしてるのか――。蜂だっけ? 昆虫に、こういう攻撃の仕方をする生物がいたよな。もともとこいつは、生えてる場所の景観にしたがって塔の色を変えるんだ。擬態ができるほど賢いんだ。急ごう」


 ギズは手首に目線を落とした。時計の数字をたしかめ、カシホとリイトを向いて、苦笑した。


「時間だ。最後の別れを済ませろ」

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